第八十九話 英気を養う
第八章スタートです!
建安二十年 秋
孫呉より使者がやって来た。
使者は孔明の兄『諸葛瑾』だ。
諸葛瑾は恭しく挨拶をした後に本題に入った。
「昨年、伏皇后の死と節貴人を皇后に据えた事で、曹操の漢王朝簒奪は近いと思われます。我が主はこれを憂いて曹操打倒の兵を上げんとしております。つきましては劉備様にも我らと共に立たれん事を願う所存です。如何でしょうか?」
要するに『俺だけじゃ曹操に勝てないからお前も兵を出せよ』と言う事だ。
漢王朝云々は建前でしかない。
孫権も劉備も漢王朝再興とか言っているがそんな事微塵も思ってないからな。
どちらも最後の勝者に成って皇帝の位に就く事しか考えてないだろう。多分。
孫呉からの提案は渡りに船だ。こちらとしては断る理由もない。
曹操を打倒し、最後の勝者になるのは俺達だ!
劉備は諸葛瑾の提案を受けて兵を出す事を快諾する。
その後の話は俺達に丸投げだ。
諸葛瑾から孫呉の侵攻時期を教えられた。
「来年の春先か?」
「左様です。春になれば向こうは牛を耕作に取られます。この時期なら曹操は大軍を動かせないでしょう」
大軍を動かした時には物資を大量に輸送しないと行けない。
この時代の物資輸送に使われるのは馬と牛である。
特に物資運搬に使われるのは牛車だ。
史実で曹操が大軍を動かすのは大抵秋から冬の時期だ。
これは収穫を終えてから牛を民から借り受けるからで、春や夏頃は食を得る為に牛を農耕に使う必要が有るからだ。
それに収穫した粟や小麦はそのまま兵糧にする。
この時代の牛は食料ではなく、トラックとしての運用が求められていたのだ。
そして孫呉の輸送方法は船が主流だ。
船を使って素早く拠点に物資輸送をする。
陸路を使わず海路じゃない。この場合は江路と言うべきかな。
これを使って兵や兵糧を運んでいる。
つまり孫呉は大軍を使うのに時期を選ばないのだ。
ただし、長江以北は陸路なので輸送手段はやはり牛車に頼る事になるだろうけどね。
一方で蜀の物資輸送は益州南方だと象やサイを使い、荊州、益州では牛よりも水牛を使っている。
しかし水牛は餌の事情で水場の近くでしか使えず、物資運搬には向いていない。
牛も居るが数が少ないので輸送には使えないのだ。
そうなると人力に頼るしか方法が無くなる。
その為の『木牛』『流馬』『背負子』だ。
南蛮遠征で木牛と背負子の有用性は実証された。
南蛮遠征の最中でも木牛は増産され、背負子も使われている。
これらは険しい道の物資運搬に非常に使える。
今では北伐には無くてはならない品になった。
後は流馬だが、こちらは実験が進められて実用段階まで来ている。
しかし、数が少ないので限定的な使い方しか出来ないだろう。
流馬にはまだ頼れないので木牛と背負子に頑張って貰うしかない。人力だけど。
諸葛瑾はその後、弟の孔明と会ってから帰っていった。
何を話したかは気になるが聞いても答えてくれるか分からないので聞かなかった。
もちろん孔明ではなく兄諸葛瑾のほうだ。
また良からぬ事を企んでいるのでは無かろうかと勘ぐってしまいそうだ。
それにしても全然似てない兄弟だよな?
史実で諸葛瑾は馬面と有ったけど、実際は目の位置が顔の中心よりも外側に近いだけで、馬面とは言えなかった。
でもやっぱり似てない。
兄弟と言われても信じられないね。
さて、孫呉の動きは分かった。
これで同時侵攻のタイミングを合わせる事が出来る。
だが、ここで問題が発生した。
なんと、今度の北伐は劉備自らが指揮を取ると言ってきたのだ!
これには俺と劉巴達は反対し、さらには孔明達も劉備自らの出陣を止めた。
なぜなら劉備は俺達の旗頭だ。
もしもの事が有ってはならない。
しかし劉備は譲らなかった。
「此度の北伐は私が出る。皆、良いな」
劉備の決意は固く、誰にも止められなかった。
しかし、おかしい?
俺が上表した北伐の作戦では俺が主力を率いて、後から劉備が後続を率いてやって来るようにしていた。
要は俺が露払いをして安全になってから、劉備がやって来ると言う事にしていたのだ。
これに劉備は賛成してくれて、俺達もそれを前提に策を練っていたのだ。
それなのに突然の作戦変更。
曹操との直接対決に燃えているのだろうか?
劉備は曹操との直接対決では連戦連敗。
勝った事など一度もない。
その他はそれなりの勝率なので決して弱い指揮官という訳ではないが、それでも前に出て欲しくはないもんだ。
後日、俺は劉備と話をする機会を得て、その真意を聞いてみた。
それは俺が新しい料理を作って家族に振る舞った時の事だ。
出陣を前に英気を養う意味もある。
そして今回用意した料理は『北京ダック』だ!
鴨の毛をむしって内臓を取り出して血を抜き、頭、手羽先、足の部分を切り取り、熱湯を身体全体にかけて体の表面に付いた余分な脂を洗い流す。
その後に蜂蜜を塗る。
本当は水飴を溶いた物を付けるのだが、水飴の備蓄が少ないので蜂蜜で代用する。
水飴は薬として用いているので医局に優先しており、一般にはあまり出回っていない。
それもいつかは解消したいと思っている。
それと蜂蜜はこの時代、養蜂がされていたようだが戦乱の為に養蜂が出来なくなった為に廃れていた。
俺はたまたま残っていた養蜂家を保護したので蜂蜜を手に入れる事が出来たのだ。
その後しばらく置いてから、直火で炙る。
皮をパリパリに焼いた後は皮の部分を切り取り、肉はさらに焼いて別の品にした。
これも結構な試作品を作る事になって大変だった。
ちなみに試作品の大部分は侍女達が喜んで食べてくれた。
試作品でも嗜好品の蜂蜜を使った品だしな。
でも肉の部分が多かったけどね。
では、いただきます。
「これはそのまま食べるのか?」
「あっ!」
しまった。忘れてた。
俺は慌てて餃子擬きの皮を軽く焼いて持ってきた。
「これで巻いて食べて下さい。後、ネギと一緒に食べると良いですよ」
「うむ。そうか」
劉備は皮を器用に巻いて口に運ぶ。
「おお、これはまた食感が良いな。それにほどよい甘さを感じる。旨いぞこれは!」
ほっ、良かった。お褒めの言葉を頂いた。
「兄さん。兄さん。上手く巻けません」
阿斗は不器用だな。
「ほら貸してみなさい」
よっと、これでよし。
「ありがとう。兄さん」
うん、うん。よく噛んで食べるんだよ。
「美味しいー!」
お、分かるか阿斗よ。兄はこれを作るのに苦労したのだ。
「もうちょっと甘くても良かったんじゃない?」
何を言う! この味を出すのに俺がどれだけ苦労したか!
「尚姉さんは甘いのが大好きですからね。私はこれくらいがちょうど良いです」
そうだろう、そうだろう。さすがに華は分かってるな。
「ふふ、考徳殿は本当に何でも出来るのですね?」
いえいえ、これを作ったのは正確には料理人ですよ。
私はアイデアを出しただけです。
「う~ん。私はもっと量が食べた~い!」
ふふん。そう言うと思ったぞ。春よ。
カモーン。
俺はパン、パンと手を叩くと侍女達が追加を持って来た。
「おお、まだ有るのか!」
「ささ、まだまだたくさん有りますからどんどん食べて下さいよ」
その日の食卓は明るいものだった。
ただ一人を残して。
ごめんよ。杏。
もっと大きくなったら、父さんがたくさん旨い物を食べさせてあげるからね!
その夜。
俺は劉備と酒を酌み交わしていた。
「父上。なぜ今さら戦場に出られるのです? 私や益徳、子龍殿に任せれば良いじゃないですか?」
俺は率直な疑問をぶつけた。
劉備を止められるのは俺か、張飛だと思っている。
これは自惚れではない。
身内の俺達でなければ駄目なのだ。
「考徳。曹操は、いや、孟徳は私の手で倒したいのだ。これだけは誰にも譲れん」
「それほどですか?」
「今回を逃すと、孟徳とは二度と戦えまい。私も奴も年を取りすぎた。これが最後の機会と思えるのだ。それは奴も同じだろう」
ふぅ、これは駄目そうだな。
説得は諦めて勝つ方策を探すしかないかな?
それとも……
「無理は駄目ですよ。危なくなったら退いて下さい。お願いですよ」
「ふふ。ありがとう。考徳。私は良い後継者を得たな。私は安心してお前に後を任せられるよ」
「不吉な事を言わないで下さいよ!」
「ははは」
その日、非公式ではあったが劉備が俺を後継者に指名した日となった。
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