第八十四話 陸遜の罠
翌日から雍闓軍は戦象部隊を前線に投入して攻勢を強めた。
戦象部隊の歩みを止める事が出来ずに逃げ惑う事しか出来ない蜀軍。
急遽作られた柵は戦象が踏み潰し何の意味も無かった。
これほどの突破力は脅威の一言。
ろくな抵抗も出来ずに俺達は連日、連戦連敗を続けて、雍闓の南蛮軍の士気は異様なほど高まっていた。
ただ、救いなのは戦象の数が少ないのと、他の部隊の連携が上手く行っていないので被害の数が少ない事だ。
卓庸、馬忠隊の被害が多かったのは、卓庸の討ち死にの為に部隊が混乱した事が原因だ。
それに馬忠が必死に抵抗した事で被害が更に増した。
初めから戦わないようにすれば被害は抑えられる。
しかし、その消極的な戦いは味方の士気を下げてしまっていた。
無用な被害を出さない為の処置と思っての事だったがそれが行けなかったのかも知れない。
もし、陸遜の策が失敗したら軍は瓦解してしまうかも知れない。
そんな時に俺に出来る事は兵達の下に慰問する事だけだった。
前線に出るのは危ないのでそんな事は出来ないが、皆を元気付ける事は出来る。
俺は皆に必勝の策が有ると告げて、その時が来るまで耐えるように言い続けた。
それをする事で何とか前線の士気を繋ぎ止める事が出来たと思う。
前線の皆は内心逃げ出したいだろうけど、踏ん張って貰うしかない。
正直情けないとしか言いようがない。
そして前線が我慢して時を稼いでくれたお陰で、その屈辱の時は終わりを迎える。
陸遜の策の用意が整ったのだ。
さあ、逆襲の時だ!
※※※※※※
俺は都伯の『柳隠』
兵卒から都伯に任じられて何をして良いのか分からない情けない都伯だ。
これと言うのも俺を都伯に推薦した前任の都伯が悪い。
その前任の都伯は伯長に成って先の戦で亡くなった。
先の戦。
俺と杜禎、柳伸は卓庸様の部隊に配属されてあの生き物に遭遇したのだ。
あんな馬鹿でかくて、うるさい生き物は初めて見た。
誰もが驚き慌てたが卓庸様は皆の動揺を抑える為に声を上げ、あの生き物に向かって行った。
誰もがその無謀な突っ込みを抑えようとしたが出来ずに、卓庸様はあの生き物に踏み潰されてしまった。
そりゃそうだ。あんな化けもんに突っ込んだところで敵う筈がない。
その後は後方に居た馬忠様が来るまで、あの生き物、後で『象』と教えられたがあれに皆が踏み潰され吹き飛ばされ、その場は兵達の悲鳴と象の嘶きが響いていた。
馬忠様は弩兵を引き連れて一斉に矢を放ったが、それもあれには通用しなかった。
いや、矢は刺さった。しかし効いているようには見えなかった。
象がブルリと体を振るわせると矢が抜け落ちたのが見えた。
それを見ていた俺達は驚きのあまり口を大きく開けた者、力無く笑う者、尻餅をついてしまう者、それぞれが戦う意思を無くし欠けていた。
ば、化け物。
誰かがそう言った時には皆が逃げ出し始めていた。
そして時を置かずに撤退の命が出された事で、俺達は我先に逃げ出した。
恥も外聞もない無様なもんだった。
南蛮の奴らの笑い声が耳に残った。
陣に戻った時、俺の隊の奴らは二十人だった。
傷を負っていないのは五人、他は負傷していた。俺も負傷していた。
その様を見て悔しくて悔しくて泣けてきた。
何も出来なかった自分が腹立たしかったし、あんな化け物にはどうやっても勝てないと思う俺がいた。
こんな事考えた事は無かった。
「隠、生きてるか?」
「禎! 無事だったのか!」
「俺も忘れるなよ」
「伸。よく生きてたな?」
「当たり前だろ」「この通りよ!」
自分と隊の事で精一杯だったから、杜禎と柳伸の事を忘れていた。
二人が生きていた事に驚いたが、俺が生きているのだから当たり前かと思った。
その後三人で抱き合って生き伸びた事を喜んだ。
翌朝、俺達は張任将軍の下に付けられた。
そこである作業をしていた。
「なんで俺らこんな事やってんだ?」
「全くだ。せっかく生き残ったんだから後方に下げてくれれば良いのによ?」
「つべこべ言わずに手を動かせよ!」
「「へいへい」」
杜禎と柳伸は俺の隊に入れられて俺の指示で動いていた。
俺達三人はいつも一緒だったが、命令したりされたりする事は無かった。
なんか不思議で奇妙な感じだ。
でも二人が一緒なら俺は何でも出来るような気がしていた。
それにこの作業はあの化け物、象を倒す為の作業だと聞かされている。
今度は俺達があいつらに悲鳴を上げさせてやる。
俺はそう思って黙々と作業した。
※※※※※※
策の用意が整った事で俺達は反撃に出る事にした。
と言っても戦象部隊をある地点に誘き出すだけだ。
連日の敗戦で俺達が逃げ出す事が分かっているので、あいつらは深く考える事も無く俺達を追ってきた。
実はこれも策の内だ。
連日俺達は無謀にも戦象部隊に向かって行き、そして戦象部隊が前に出てくると逃げ出す事を繰り返していた。
「敵に象部隊が出てくると私達が逃げ出すと言う事を覚えさせましょう」
呉蘭、雷同の部隊はこんな屈辱的な策をよくやってくれた。
彼らの忍耐のお陰で戦象部隊は追ってきてくれた。
「敵を隘路に誘い込んでください。後は」
呉蘭、雷同の部隊は戦象部隊を隘路に誘い込んだ。
戦象部隊はいつもの様に突出して他の部隊との距離を開けていた。
そしてそれは起こった。
戦象部隊が隘路に入り込むと後方を岩や土砂で塞ぎ退路を断つ。
戦象部隊はそれにより先に進むしか手が無くなる。
そして戦象部隊が隘路を抜けた瞬間に彼らは俺達が用意した罠に嵌まった。
呉蘭、雷同の部隊は隘路を抜けると左右に別れ、戦象部隊はその急激な動きに付いていけずに直進する。
その先は、深い堀になっていた。
勢いの付いた戦象部隊は止まる事が出来ずに堀に落ちていく。
堀に落ちた象は足を折る等したのか悲鳴を上げていた。
当然、象に乗っていた兵も堀に落ちて象の下敷きになり悲鳴を上げた。
ここに戦象部隊は壊滅したのだ。
「やりましたな。陸遜殿」
「はい。ここまで上手く行くとは思いませんでした」
陸遜の策は戦象部隊とその他の部隊を引き離し、個別に各個撃破する事だった。
問題は強力な突進力を持つ戦象部隊であったが、それはこの堀に嵌める事で無力化出来た。
そして戦象部隊と離された部隊は……
「申し上げます。彭羕隊、霍峻隊が敵を撃破しました。今は追撃を行っております」
「両将には深追いしないように伝えてください」
「はは」
陸遜の命を受けた伝令は直ぐ様離れて行った。
引き離された部隊は伏兵として待ち構えていた彭羕、霍峻の部隊が襲い掛かったのだ。
勝ちに傲った南蛮軍は戦象隊と切り離された事で動揺し、また伏兵にあった事で驚いて更に動揺、混乱したようだ。
そうなると彭羕、霍峻の敵ではない。
両部隊は南蛮軍を散々に打ち破った。
昨日までの屈辱を見事に晴らしたのだ!
まだ南蛮軍は数を残しているが、戦力の要である戦象部隊を失ったのだ。
この先の戦闘は大分楽になるだろう。
「これで決まったかな?」
俺は陸遜に問い掛ける。
「まだ早いと思うよ」
「そうだな。まだ早いな」
だが俺達は笑顔を見せていた。
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