第七十九話 越巂高定との戦い
建安十九年 夏
茹だるような暑さで汗が止まらず、鎧を脱ぎ捨てたい今日この頃。
目の前には動物の皮を頭から被っている見た目怖そうな連中が居た。
猿に熊に犬にあれはもしかしてパンダか!
あんな可愛らしい動物の皮を被るなんて罰当たりな!
ふん、罰は俺達が当ててやろう。
そんな罰当たりな彼らこそ南蛮部族、越巂の豪族高定の軍だ。
高定の軍勢は見た目数千。
実数は万に届くくらいだ。
でも得物はバラバラで統一されてないし、隊列を組んでもいない。
うー、うー、とうなり声を出して俺達を警戒しているのが分かる。
やはり中華とは別の民族だと分かる。
だが侮る事は出来ない。
史実では彼ら南蛮部族の反乱で蜀の武将や貴重な文官連中が多数討ち取られているのだ。
残忍で獰猛、戦闘能力はかなり高いと見て間違いない。
それが証拠に数で劣る彼らは堂々と姿を出して、俺達を待ち構えている。
しかもここは彼らのホームグランド。
左右に丘が有り、数千の兵を展開する事の出来るギリギリの場所での戦闘。
数で勝る俺達だが、数の利を生かす事が出来ない。
ここは兵を率いる武将の質が勝敗を決めるかも知れない。
「伯言。配置は?」
「先鋒は呉蘭と雷同。中央遊軍に卓庸。左右に馬忠、鄧芝だ」
「張任。中軍の指揮は君に任せる。いいな?」
「御意。お任せを」
「永年。何かあるか?」
やる気の無さそうな彭羕に一様聞いてみた。
彭羕は兜を脱いで汗を拭い、また兜を被ると右側の丘を見て言った。
「伏兵が居るかもしんねえかな。俺ならあそこに兵を伏せて置くね。正面で乱戦になったら、本陣が空いちまう。あの丘の高さなら兵が駆け降りる事も出来んじゃねえの?」
彭羕が言う丘を見る。
確かに高さはそれほど高くない。
俺は陸遜と張任を見る。
「彭羕の言う通りですな。前衛が乱戦に成れば中軍を前に出した後に、ここ本陣が手薄になりましょう」
「それなら対処は簡単です。後軍の霍峻殿で防がせて、中軍と後軍で挟み撃ちにしては?」
俺は彭羕と張任を見比べる。
張任に任せれば間違いは起きないと思う。
でも……
発言した彭羕を見ると汗が気になるのか手拭いを出して汗を拭っている。
こいつ、余裕有るな。よし、決めた!
「彭羕。君が言った事だ。君が中軍の指揮を取れ。どうだ。やれるか?」
彭羕はニヤリと笑うと。
「任された!」
中軍の指揮次第で俺達の勝敗どころか、安否まで危うくなる。
しかし法正の言葉を信じるなら彭羕の才なら大丈夫だろう。
それに本陣の指揮には適任者が居るしな。
「と言う事だ。張任。中軍の指揮は彭羕に任せる。君には本陣の指揮を頼もうか?」
「劉将軍の身は私が御守りしましょう」
不思議だよな。
三年前は張任に殺されそうになったのに、今では彼に守って貰うんだからな。
さぁ、準備は整ったぞ。
南蛮討伐の始まりだ!
※※※※※※
俺の名前は『柳隠』
同郷の杜禎、柳伸と一緒にこの遠征に加わった。
あの名将と誉れ高い劉封将軍の下で戦えると知って俺達は志願したんだ!
南安で遠目に見た劉将軍は輝いて見えた。
「なぁ、隠。劉将軍は俺達と年は変わらないんだろう。なのにあんなカッコいいんだぜ。俺達もいつかあんな風に成れるかな?」
「何言ってやがんだ。禎。劉将軍は王の出なんだぜ。俺達とは違うんだよ。俺達があんな姿になる事なんて出来るかよ!」
「禎、伸。声がデカイ。今は行軍の最中なんだぞ」
南安から越巂の行軍途中で俺達は南安で見た劉将軍の事を話していた。
そして俺達は背中には『背負子』と呼ばれる竹で出来た物を背負っていた。
名前通りの物で俺達はみんなして笑った。
そしてまさか、これを使って道を作る事に成るなんて思わなかった。
「なんで俺ら道なんて作ってんだ?」
「知るか!黙って土を運べよ!」
「うるさいぞ。禎、伸。伯長が見てるぞ。手を動かせ」
禎と伸は背負子に土を乗せて運び、俺は『木牛』と呼ばれるこいつを押している。
こんな狭い道を広げる為に土を盛って道を作るなんてな。
道を広げる事で多くの人が行き来しやすくする。
兵の行軍の為だけじゃない。俺達民が街と街を行きやすくする為なんだと言われた。
これが劉将軍の考えなのか。勉強になるな。
それにこの木牛や背負子を考えたのも劉将軍だって言うんだから凄いぜ!
俺達は本当に凄い人の下で働いているのだと思った。
「今日の飯はまた粥かよ。たまには蒸した米が食いたいぜ。あのモチモチとして柔らかいのが、また」
「俺は粥で良いよ。粟を食わされるよりはましだよ。なぁ、隠」
「ああ、そうだな。でも、聞いてた話と違うよな。遠征に出れば粟ばっかりだと聞いてたのにな」
もちろん毎日米の粥と言う訳じゃない。
蒸した米も食えるし、粟が出る事もある。
それに粟もそんなに悪くない。
ちゃんと味がするし、俺達が軍に入る前に食っていた粟より大分ましだ。
これも劉将軍が俺達の食事の事を考えてくれたからだそうだ。
将軍ってのは何でも考える者なのか?
行軍の途中で暑さで倒れた者や、食事を満足に食べれない者、それに病に掛かった者達が出ていたが、医局の連中も一緒に来ていたから死人が大量に出る事は無かった。
伯長や部曲長(部隊長)が『こんな暑さで行軍すれば死人が大量に出て、戦なんて出来るかよ!』と不満を漏らしていた。
もちろん俺達も不満を持っていたけどさ。
それも考慮しての行軍なんだと思った。
だって俺らが倒れる事が分かっていて医局の連中を連れてきてたんだからな。
それにこれから先は寒くなってくるから、暑さで殺られる奴らも居なくなる。
これが冬の間に行軍していれば、向こうに着く頃には春を迎えていたかも知れない。
そうなったら向こうで病気に掛かる連中が多く出ただろうさ。
やっぱり劉将軍はスゲエー!
でもまさか越巂に着くのが、まだ暑さが残る時期だとは劉将軍も思ってなかったかもな?
そして俺達の前には俺達が戦う奴らが居た。
なんて格好してるんだと思ったよ。
杜禎と柳伸も驚いて声が出ないみたいだ。
俺も正直あんな奴らと戦いたくはないな。
でもこれも役目だからな。
それにこいつらを放っておいたら民が犠牲になるんだ。
そんな事は許さない。
俺達三人は誓ったんだ。
『益州の民を守る』ってな!
だから、俺達はたたかうんだ!
※※※※※※※
戦闘は高定軍から仕掛けてきた。
先鋒の呉蘭、雷同はよく防いでいたが、攻勢に出る事は出来なかった。
陸遜の指示で両翼の馬忠、鄧芝を出すが丘が邪魔で縦に細長くする事で左右に出たが、あれでは援軍の意味がない。
遊軍の卓庸も文字通り遊軍に成ってしまって使えない。
戦いは終始高定軍が押していた。
「彭羕に伝令を出せ!前衛があんなに使えないとは思わなかった」
「無理ないさ。あんな無秩序な戦闘じゃあね。対応するのも大変だろうさ」
そうは言いますけどね。陸遜さん。
最初の戦いでこんなに苦戦してて大丈夫なのかと思うよ。
彭羕は中軍を十組に分けて、前衛の空いた隙間に送り出した。
ああする事で敵が隙間から出てくるのを防ぎ、前線の崩壊を防いでいる。
そして襲撃に備えて十分な数の兵も残している。
やるな、彭羕。
「なるほど。やるもんだ」
「法正殿の推挙は間違ってなかったですね。後は……」
「来ましたぞ」
張任の言葉通り、俺達から見て右側の丘から雄叫びを上げて南蛮兵が向かって来た。
「劉将軍を御守りしろ!盾を並べえぃー!弩兵構えぃー!」
張任の指揮に本陣の兵は即座に反応した。
盾を持った兵の隙間から弩兵が南蛮兵に狙いを定める。
「射てー!」
張任の号令に合わせて放たれる矢は南蛮兵に刺さった。
しかし南蛮兵は続けて射られる矢の雨に構う事なく俺目掛けて突っ込んでくる。
まるで俺がこの軍の大将だと知っているかのように……
「これは俺も槍を振るう状況になりそうかな?」
「いや、大丈夫だ。後ろから来たよ」
陸遜がそう言うと、後軍の霍峻が兵を率いてやって来ていた。
「敵を近づけるな!射て、射て、射てーい!」
霍峻の激に兵達は南蛮兵に矢の雨を降らせる事で応えた。
そしてその南蛮兵の後ろでは彭羕が襲い掛かっていた。
その襲撃のタイミングは見事の一言だった。
彭羕はその才能を俺達に見せ付けたのだ。
法正の言う通り、彭羕は蜀随一の人材だった。
俺達本陣を強襲した南蛮兵は一刻と持たずに全滅。
抵抗する者達は残らず殺し、武器を捨てた者達は縄で縛った。
本陣前の戦闘が終わった頃には前衛の戦闘も終わりを迎えた。
呉蘭、雷同が高定軍の将を討ち取り、馬忠と鄧芝が逃げる高定軍を追撃していた。
「卓庸に伝令を出せ。馬忠達に深追いさせるなとな。急げ!」
「はは」
陸遜の命を聞いて伝令が出ていった。
ねえ、知ってる? 俺が大将なんだよ?
「伯言。高定を逃がすのか?」
「南蛮制圧は始まったばかりだ。高定には道案内を頼もう」
道案内ねえ。まあ作戦は陸遜に丸投げしてるから良いか。
「郡都に居る厳顔殿に命令を。逃げる高定を追うので準備を頼むと」
次々と指示を出す陸遜。頼もしすぎる。
「高定はどこに逃げる?」
「雲南を通って建寧の雍闓のところだ。そこで決戦だよ。でも逃げてる途中で残党狩りもするけどね」
陸遜さんキレッキレじゃないですか?
どうしたの一体? これが覚醒した姿なの?
陸遜の逞しさにちょっと寂しさを感じてしまった。
なんだか置いていかれた感じがするからだ。
こうして俺達は初戦を勝利で終わった。
呉蘭達の問題点も見つかり、彭羕が使えると分かったのが大きい。
それに南蛮兵が思ったよりも強いと言う事も分かった。
これから先も大変だと実感したが、今は勝利の余韻に浸ろう。
柳隠達は『華陽国志』に出てくるマイナー武将です。これからもちょくちょく出てきます。
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