第七十八話 南蛮制圧戦の始まり
建安十九年 夏
劉巴が劉備に上表した益州南部平定案が通り、俺は征西将軍を返上し安南将軍に任じられた。
征西将軍は長安に駐屯し、雍・涼二州の刺史を統べる役職なのに対して、安南将軍は南方の異民族を平定する役職である。
安南将軍に任じられた俺は早速軍の編成を行うと将兵を成都の南、南安に集めた。
この遠征は長らく放置されていた益州南部の諸郡を、蜀(劉備)の統治下に置くのが目的だ。
その為、遠征ルートは越巂郡から始まり、雲南、永昌、建寧、牂牁を回る予定だ。
そして今回の遠征のメンバーはこの面子。
大将 俺(劉封)
副将 張任 彭羕 霍峻
武将 呉蘭 雷同 卓庸 馬忠 鄧芝
参謀 陸遜
護衛 傅彤
後方担当 呂乂
本来ならいつものメンバーの黄忠、陳到らが入る筈であったが、彼らは下弁出兵の後詰め担当にされてしまった。
それに参謀の法正、張松らも中央に残る事になった。
これは南部平定よりも武都郡平定の方が重要視されているからだ。
単に孔明派閥の連中に嫌がらせをされただけだけどな。
しかし、それでもこの陣容だ。
副将にはあの張任と隠れた名将霍峻が居る。
そして法正から蜀随一の才と言われている彭羕。
張任に関しては何も心配していない。
彼に全部任せても良いかもと思えてしまう。
それに霍峻もその才能は漢中平定戦で見せてもらった。
問題は彭羕だ。
「彭羕 永年だ。よろしくな大将」
初対面でこの気安さである。
そして普段の態度がまた悪い。
「大将。仕事ねえから帰っていいか」
こんな感じだ。
しかし仕事はそつなくこなしている。
いや、文句のつけようもないほど完璧だ。
性格を抜きにしたら、とにかく使える男ではある。
今回の遠征に連れていく予定はなかったのだが、法正が強く薦めたので彼を採用した。
張任達と喧嘩しなければと思っている。とても心配だ。
そして武将連中だがこれもちょっと心配だ。
呉蘭、雷同、卓庸らは漢中平定戦では目立った働きはしていないし、馬忠は若く経験不足、鄧芝は俺が主簿に抜擢した事で少し傲慢になっている。
大丈夫だろうなこの連中。
陸遜、呂乂は張任、霍峻よりも頼りにしている。
陸遜は呂乂と協力して益州南部に配下を派遣して地図を作らせている。
彼の頭の中では南蛮平定の絵図が描かれているだろう。
そして呂乂はしっかりと兵糧の確保を行っている。
遠征が二年を過ぎても大丈夫だと太鼓判を押している。
今回の遠征は長くなる事が予想されるので、兵糧は多く持っていく予定だ。
後、尚香と孫英は今回の遠征には付いてこない。孫英が妊娠したからだ。
尚香は孫英に付き添うと言って留守番する事になった。
陸遜が父親か。ちきしょう。羨ましい。
陸遜の子ならあの陸杭か。
蜀ファンの俺でも知ってる陸杭。
陸遜亡き後に呉を支えた名将だ。
このまま無事産まれたら蜀の名将になるのかな?
将来が楽しみだ。
「早く帰って来なさいよね」
「ああ、分かった」
「年を越したら許さないからね!」
「あ、ああ」
そんなに強く言わなくても……
帰ってくるのは来年以降だと思うけどね。
「留守は任せてくださいね。兄様の好きな物を用意して待ってますから」
劉華の俺に対する呼び方は兄様呼びに成っていた。
何度も注意したが孝徳とは呼べないようだ。
月日が経てば呼べるようになるだろうと思って諦めた。
「分かった。尚香と留守を頼むよ。お土産を期待してくれ」
「はい。楽しみにして待ってます」
尚香達と別れを済まして南安に到着すると、そこには呼びもしないのに兵を連れてやって来た者が居た。
「劉将軍に御座いますな。江州太守厳顔に御座います。軍の末席にお加えくだされ」
厳顔
史実では益州攻めの時に巴郡江州で張飛と戦い敗れて捕らわれた。その後、厳顔は張飛に『首を刎ねられる将軍はいても、降伏する将軍はいない。早く首を斬れ』と言って張飛を怒らせた。さらに厳顔は言う。『殺したいのならさっさとやればよい。何故怒る事があるのか』と堂々とした態度を見せる。それに張飛は感じ入って厳顔を丁重に扱った。その後厳顔は劉備に仕えるのだが、この事以外のエピソードは何もない人物だ。
ちなみに演義では黄忠と組んで老将コンビ扱いされている。
目の前の厳顔は四十代のおっさんだ。老将ではないな。
こっちの厳顔は益州攻めで張飛に捕らわれた後に劉備に仕えている。
その後張飛とは何度もやり取りをする仲になっていた。
そして張飛が俺を助けられないので代わりに助けて欲しいと厳顔に頼んだのだ。
厳顔は張飛の願いを快諾して任地である江陽の兵を最低限残してやって来てくれたのだ。
その数一万。巴郡だけではなく周りの郡のほぼ全ての兵を連れて来ていた。
正直このサプライズには驚いた。
そして彼を寄越してくれた張飛に御礼をしなければと思った。
「よろしく頼む。厳顔」
「はは」
厳顔の加入で軍勢は二万を越えた。
これで予定の倍の兵数になった事で精神的に楽になった。
そして厳顔加入の報を成都の劉巴に伝えた。
勝手に太守の任を放棄して兵を連れてきた厳顔。
これは重大な罪に問われる可能性がある。
劉巴には悪いが厳顔の上手い言い訳をしてもらうしかない。
問題を劉巴に丸投げして悪いが、後は彼が劉備に良いように報告してくれるだろう。
俺は信じているよ。劉巴!
厳顔を加えた俺達は軍の再編をした後に越巂郡に向けて出発した。
今回の遠征では交州遠征での反省を生かし、道を整備しながらの行軍となった。
ここで役に立ったのが『木牛』だ。
試作段階ではあったが手押し車木牛はその性能を発揮してくれた。
数は百と少なかったがそれでも人力よりはましである。
それに木牛以外にも用意した物がある。
『背負子』だ。
これは構造が簡単で竹製なので数を揃えるのは容易だった。
皮製のリュックが数を揃えるのに苦労していたので、構造の簡単な背負子を優先したのだ。
これが案外使えるので重宝している。
荷運びに便利な木牛と背負子で道の整備の速度は驚異的な速さだった。
それに疫病対策も万全を期している。
荊州の医局から張仲景の弟子達を直接呼び寄せた。
彼らと更に現地に詳しい医に携わる者達を加えて従軍させている。
交州遠征のあの苦い経験はもうしたくないからな。
俺も必死だったよ。
そして一月も掛からずに越巂の郡都にたどり着いた。
そこで俺達は越巂郡の豪族高定が兵を上げた事を知った。
どうやら彼ら南蛮の豪族達は自分達が討伐されると思って先手を打って蜂起したようだ。
「いや違うよ。蜂起させたんだ」
え? そうなの陸遜。
「私達がここに来る前に先行させた者達に噂を流させたんだ。越巂郡で協力的でない者達を捕縛すると言う噂をね。身に覚えのある者達はこれを聞けば逃げるか兵を上げるかと思ったけど、真っ先に兵を上げるとはね。予想以上だよ」
そ、そうですか。
山越討伐の頃の陸遜とは別人ですな。
陸遜も確りと経験を積んだと言う事か。
これは俺も負けてられないな!
俺は気合いを入れて越巂の豪族高定との戦いに臨んだ。
益州南部平定戦、南蛮制圧戦の始まりであった。
陸遜の長子は陸杭ではなく陸延と言います。彼は若くして病死してます。
劉封君はそれを知らないので勘違いしています。
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