第七十六話 益州の問題
七章スタートです
蜀(益州)を得て二年が過ぎた。
まだまだ大軍を出すだけの余力はないが、それでも短期間での数万規模の出兵は可能である。
前年、魏の夏候淵の襲来を受けて蜀の朝廷では武都郡下弁を抑える計画が出された。
これは魏軍の襲来を下弁で抑える為と、将来の北伐に必要な出兵なのだ。
その重要な出兵の大将は俺ではなかった。
大将は孔明派閥の李厳が任じられた。
この出兵は放棄された下弁を抑える為で戦闘を目的としていない。
その為に軍の進退は大将李厳に一任されている。
要は大規模な偵察隊を出すようなものだ。
敵が居なければ下弁に駐屯して周囲の離散した民を集めて蜀の版図とする。
敵が居たら規模を確認してこれを蹴散らすか、それとも兵を退くかの二択。
事前の偵察で魏軍が駐屯して居ないのは確認しているが、もしかしたら下弁を放棄しているのは俺達を誘き寄せる罠かも知れない。
なんせ敵は名将と名高い夏候淵なのだ。
彼は曹操の信頼も篤く用兵も巧みだ。
それに彼の副将もまた凄い奴らが揃っている。
張郃と徐晃だ。
張郃は元は河北の袁紹の配下で、有名な官渡の戦いの後に曹操に降伏して配下になる。その後は各地を転戦し異民族討伐等の功を上げている。
劉備からもっとも警戒された将としても有名だ。
徐晃は張郃と同じように曹操に仕える前は他の主に仕えていた。そして曹操に仕えてからはその才能を発揮して武功を重ねている。
史実では関羽を破り、俺を上庸で倒している。
この二人は魏の五虎将軍と呼べる人物達だ。
その他にも名の有る武将が居るに違いない。
正直に言えばこの出兵は反対したいところでは有るのだが、攻められるよりはこちらが攻めて主導権を握る方が良いとの結論に達した。
この時、蜀の朝廷で弁舌を奮ったのは孔明だ。
孔明は北伐の為の足場として下弁の重要性を説き、また時を置けば置くほど魏との国力差は増すばかりであると主張した。
これには多くの臣が賛同したので孔明の主張はすんなり通ったのである。
劉巴も北伐には反対ではあるが、下弁を抑える事には反対はしなかった。
蜀の国防の為には下弁は必要なのだ。
それに下弁を抑える事で異民族の『姜族』『氐族』との連絡が取りやすく、姜、氐族の協力を得る事で援軍や補給を得やすくなる。
その為、下弁を抑えたら李恢、閻圃が姜、氐族との外交を行う手筈になっている。
ただ問題は曹操が軍を集めていると言う報告だ。
曹操が軍を率いて何処に向かうかが分からない。
史実ではこの時期に大規模な軍の遠征は行われてはいない。
翌年、漢中平定の為に軍を出しているが、既に漢中は俺達の物だ。
では曹操は史実通りに漢中に兵を出すのかと言われると違うような気がする。
それは夏候淵率いる関中平定軍の存在だ。
夏候淵の関中平定軍は数万規模。
それだけの数の軍勢が漢中に睨みを効かせているのだ。
曹操は俺達が出てくるとは思っていないだろう。
例え出てきたとしても夏候淵で有れば時間を稼いで、援軍が来るまで持ちこたえると思っている筈だ。
それに前年に漢中に顔を出したのは俺達を牽制する意味合いが有ったのかも知れない。
俺達を牽制した後に兵を向ける場所は一つ。
孫権しか居ない。
曹操と孫権が争う間に武都郡を得る。
上手く行くと良いのだが……
さて、二年も益州に居て感じた事が有る。
それは景観の素晴らしさ、ではない。
景観が素晴らしいのは現代でも変わらないが、現代でも変わらない物が他にある。
それは日照時間の少なさだ。
そして日照時間が少ないと言う事は作物の実りが少ないと言う事だ。
それはつまり稲の実りが少ない事に繋がる。
益州は『天府の国と呼ばれて、地味肥え、天然資源に富む』と呼ばれた地だ。
しかし実際は違う。
確かに天然資源は豊富だ。
鉄が取れるし、塩も取れる。オマケに天然ガスまで有る。それに漢中では銅が取れるので良質な銭を作る事も出来る。
益州は天然資源で溢れている。
しかし、地味肥えと言われるように土地が豊かではない。
山岳に囲まれているので濃い霧が出るのだ。
その為に日照時間が少なく、作物の実りが少ないのだ。
それでも救いなのは冬でも晴れ間が多く、霜が降りない事だろう。
だから益州では冬でも作物を作っている。
つまり農閑期がないのだ。
これがおそらく『地味肥え』の正体かも知れない。
年がら年中作物が出来るとなればそれは確かに、理想の土地だろう。
しかしそれは主食の米があまり取れない為、食べる物を多く得る為に冬も作物を植えているのだ。
これは現代でも同じだ。
四川省は実際は貧しい土地なのだ。
現在はインフラを整えて耕地面積を大幅に増加し、ジャガイモやトウモロコシを植えて改善されているが、それでも他に比べたら貧しい土地に変わりない。
その為に交易に力を入れ、南蛮の作物を取り入れたりしている。
交易に関しては交州の頼恭、士燮達が頑張っている。
南方貿易は儲かるのだ。
一方で南蛮に関しては上手く行っていない。
これは南蛮の民が服従を拒んでいるからだ。
表向きは漢(劉備)の統治に従っているが、内実は独立した状態。
とても南蛮を統治しているとは言えない。
そしてこの事を劉備は知らない。
劉備は基本、統治に関しては俺達に丸投げしてほぼ関与していない。
但し、軍権だけは劉備がしっかり握っている。
劉備にしてみれば今さら自分が国の統治に関してあれこれ指図するよりは、臣下に任せた方が楽、ごほんごほん。
臣下に任せた方が良いだろうとの判断だろう。
それを良いことに孔明が幅を効かせているのだ。
実際孔明が国政を見ている事で国内はスムーズに纏まっているが、それは益州中央の地域だけであって、益州南部地方は地方官に丸投げしているのが現状だ。
そしてその益州南部の建寧郡の豪族『雍闓』は怪しい動きを見せていた。
「建寧郡で暴動か?」
「はい。この報はまだ朝廷に上がっておりません」
久しぶりに成都に帰って来た呂乂から報告を受け取っていた。
呂乂はこの二年もの間に益州各地の地方官をしていた。
その為に地方の情報に精通している。
呂乂の報告は他の誰よりも正確だ。
「被害は?」
「それほど大きな物では有りません。しかし、不満が燻っているのも確かです」
困ったな。
こっちは北に目を向けるので精一杯だ。
とても南に目を向ける余裕はないのにな。
どうにかしないと。
「劉将軍。実はそれに関して推挙したい人物が居ります」
うん? 誰だろう?
「巴西の馬忠と申す者です」
「馬忠?」
「はい。馬忠です」
馬忠って関羽を捕らえた奴じゃないよな?
蜀の馬忠は確か、南蛮討伐、北伐に功の有った人物だ。南蛮と成都、北伐と行ったり来たりと忙しく、最後は南蛮の任地で亡くなっている。
馬忠の死に南蛮の民は悲しんだとある。
「年は若いですが温厚で度量も広く、彼なら南蛮の民に溶け込めるのではないかと思われます」
大丈夫かな? 史実よりも十年は早いぞ?
「他にも居ないか? 馬忠一人では大変だろう。馬忠を補佐出来る人材が必要だと思うぞ?」
「はい。実はもう一人。孟獲と言う者が居ります。この者は建寧の者ですが、先の暴動には加わっておりません。それに加えて暴動の鎮圧に協力しております。この者を取り立てては如何でしょうか?」
孟獲!?
そうか、もう居るのか。
孟獲は『七縱七禽』で有名だ。
孔明の南蛮制圧で七度戦い、七度破れて捕らわれて七度赦されて、蜀に忠誠を誓ったと言われている。
なんか八百長臭いと思えるエピソードだ。
孔明が絡んでいるからより一層そう思える。
「分かった。呂乂。君の好きなように動いてくれ。子初には私が話をしておこう」
「はは」
北伐前の些事。
その時はそう思っていた。
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