第七十四話 平穏な日々は終わりを迎える
建安十八年 冬
いやー、今年はあんまり問題の起こらない年だったな。
曹操も孫権も全く動かなかった珍しい年だ。
と言っても国境付近では緊張状態が続いている。
曹操が主力を合肥につまり孫呉を攻めるのではないのかと噂が立ったり、襄陽に居る周瑜が北上するのではないのかと言われたり、果ては孫権が劉備との同盟を破棄して荊州南郡を攻めるのではないのかと、蜀の朝廷で騒ぎが起きたりと慌ただしかった。
まぁ、これらは各国の諜報合戦の結果なんだけどね?
実際には魏では大規模な調練が行われていて、翌年春には軍を動かす予定なのだろう。
これはほぼ確実と言える。
呉では山越討伐が進められていて他所に戦争を仕掛ける余裕はない。
周瑜も内政に力を入れているので北上する予定はない。
と言うか周瑜は荊州北部の人材確保が上手く行っていないようなのだ。
どうも荊州の人間は北の曹操か、南の劉備の下で仕官する者が後を絶たないようで、孫呉に仕官する人は皆無で有るらしい。
これは孫呉が荊州を何度も攻めた結果で、荊州の人間は孫呉を嫌っている為だ。
孫権、周瑜にとっては頭の痛い話である。
俺は周瑜、魯粛と文通しているので、その手の話でよく相談を受けている。
何と言っても俺は長沙劉氏の出。
荊州での俺の影響力は大きいし、内情にも詳しいのだ。
なお、孫権からも文を貰っているが適当な内容を書いて返している。
あいつと仲良くなる気はない。
だが、繋がりだけは残して置こうとは思っている。
最近では健康状態が良くない魯粛からの相談を受けて、張仲景の診断を受けるように紹介文を送って置いた。
俺が開設させた『医局』は大きな広がりになっており、今では荊州全体と益州では都市部、孫呉の揚州の一部にも出来つつ有った。
それと魏では独自に医局が開設されたようで、それなりに医者の地位向上は進んでいるようだ。
もっとも魏は蜀と孫呉に比べるとまだまだ医者の地位は低いようだ。
魯粛は史実では疫病で亡くなっているので、これを防ぎたい。
魯粛は孫呉では珍しい劉備擁護派だからだ。
もっとも今は俺の擁護派でも有るのだが。
彼が居る居ないでは状況が変わってくる。
史実では魯粛が死んで呂蒙が司令官になると、孫呉は荊州奪還に動いているからだ。
現在は周瑜と魯粛は健在で呂蒙に代替わりする可能性は低い。
そうなると孫呉の人材の層は今のところ史実よりは上なんだよな。
でも俺と周瑜、魯粛は赤壁以来、良好な関係を築いているのでそれほど警戒しなくても良いだろう。
だが、問題は関羽だ。
あの人は今、荊州の軍司令官に成っているのだが、どうも孫呉を下に見ているようなのだ。
孫呉とは繋がりを強める為に定期的に使者の往来が有るのだが、関羽はその使者に対してあまり好意的ではない。
それに関羽を補佐する連中も孫呉を警戒して、仲良くしようとはしないので困った状態が続いている。
救いが有るのは南郡太守の龐統だ。
龐統は関羽達とは違って孫呉の使者とは気さくに接して、孫呉との関係を維持している。
龐統は個人的な繋がりで呉の陸績・全琮・顧邵らとは懇意にしている。
これは龐統が仕官する前に呉に遊学していた時に知り合ったそうだ。
龐統が居てくれて本当に良かった。
周瑜、魯粛も関羽に対して不信感を持っているので、これが火種にならないか冷や冷やしていたのだ。
でも龐統が居る間はそんな事にならないだろう。
それに関羽は龐統には頭が上がらないらしく、龐統の言う事にはよく従っている。
これは関平からの情報だ。
ちなみに龐統は俺の派閥なんだよ。
孔明と龐統は互いにその才能は認め合っているが、決して仲が良い訳ではない。
先の北伐論争で龐統の動きを知った劉巴が積極的に動いた結果だ。
龐統が荊州で動いてくれるので俺達は安心して益州で足場を固める事が出来る。
ちなみに荊州で内政を司っているのは廖立と孟建だ。
この二人は孔明派閥で、廖立は孔明から龐統に比する才能と言われている。
史実でも同じような事を言われているが、彼はそれを本気で信じて、ある日朝廷で同僚の悪口を堂々と言ってしまい。それが原因で庶民にされてしまった。
口は災いの元を実践した男だな。でも才能が有ったのは確かだ。
しかし、国を背負うほどの才能は無かったのかも知れない。
孟建は史実で孔明から、仕官すれば州刺史か郡太守くらいにはなれるだろうと言われていた。
しかし実際は征東将軍まで出世している。
つまり、軍司令官を任されるほどの才能の持ち主だったと言う事だ。
この二人の上役に龐統が居る。
龐統は周りには俺の派閥に入っているとは言っていない。
周囲には中立を装っている。
荊州は孔明派閥が顔を効かせているので正体を隠しているのだ。
荊州の内情は色々と複雑になってしまった。
いずれ期を見て荊州に関しては手を打とうと思っている。
それにはまず新しい実績が欲しいところではある。
関羽を最前線に配置出来るようにする為に。
それとこの冬に曹操の涼州討伐が終わった。
実は曹操の涼州討伐は続いていて、潼関で馬超を破り長安を占領したところで曹操は帰ったのだが、その後も涼州討伐は続いており遂にこの冬で終わったのだ。
そしてその涼州討伐軍を率いていた夏候淵が漢中の近くまで来て、張飛と戦っている。
しかし、この戦いは大規模になる前に夏候淵が兵を退いたので小競り合い程度で終わった。
この夏候淵襲来の報を受けて蜀の朝廷では一時バタバタしたが、夏候淵が退いたのが報告されると漢中防備の強化が検討された。
そしてその結果、武都郡下弁に兵を出す事が決定した。
現在の武都郡はほぼ放棄されている状態なので占領しても領民は離散しているので、旨味はない。
しかし、武都郡下弁を抑える事で漢中に蓋をする事が出来るし、北伐の予行練習も出来る。
正に一石二鳥だ。
それと同時にある計画も進めている。
これは武都侵攻が上手く行ったら決行する予定だ。
それで問題なのは武都侵攻の司令官なのだが……
これには何と李厳が選ばれたのだ!?
李厳は孔明派閥で数少ない武官だ。
彼が選ばれた背景には孔明の思惑が透けて見えた。
しかし李厳を選んだのは劉備なので文句を言うつもりはない。
せいぜい失敗しないようにして貰いたいものだ。
そこで俺は李厳の副将に王平と張翼を推挙し、それに参謀に李恢と閻圃を勧めた。
王平と張翼には軍事経験を積ませる為、李恢と
閻圃は漢中方面の地理に明るい為の推挙だ。
これはすんなり通った。
司令官は孔明派閥だが、周りは俺の派閥で固めた形だ。
李厳が失敗しそうな時は彼らがフォローして、被害を最小限に食い止める。
これで武都侵攻は問題ないはず、それに万が一に備えて後詰めとして馬超達を遊軍として用意させた。
本来なら馬超に司令官を任せたかったがそれは叶わなかったので、彼らの騎馬隊はその機動力を生かせるように遊軍として漢中と益州を繋げる関城に配置した。
これで武都や漢中に素早く援軍を送れる状態だ。
年が明けると三国は揃って動き始める。
それを感じさせる建安十八年の平穏な日々だった。
後一話で六章は終わりの予定です。
劉封派と孔明派の人物は六章が終わってから書き込む予定です。
今しばらくお待ちください。
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