第七十三話 錦馬超
建安十八年 秋
平穏だ。不気味だ。
ここ数年は戦続きだったが、今年は何事も無いかのように過ぎている。
昨年も結局は戦が起こらず内政に専念出来た。
後数年は戦が起きなければこちらから打って出る事が出来るだろう。
そう、北伐が行えるのだ。
昨年の突発的な判断ではなく、自分達主導で行う北伐。
これ以上ないと言うくらいに準備を進めて必ず成功させる。
長安を落とせば漢の都洛陽までの道が出来る。
その後に待っているのは劉備が王を名乗り、そしてその先に……
まぁ、まだ先の話だ。今はまだ土台固めだな。
俺は征西将軍の名前を使って軍の編成、装備、兵糧等の準備を進めている。
劉備から征西将軍の位を与えられた事で俺は蜀軍のトップに成っていた。
だから軍に関しては俺の独断で動けるのだ。
もっとも、軍事行動に関しては劉備のお伺いをしなくてはならないがな。
そして俺は新たな人材を集めた。
まず俺の主簿(秘書)を決めた。
鄧芝 伯苗
史実では龐羲に仕えた後に劉備に仕えて昇進。
呉への使者に抜擢されると孫呉との同盟に貢献する。その時に孫権に気に入られて手紙や贈り物を貰うようになる。その後は車騎将軍まで出世している。
「私で宜しいのでしょうか?」
「君の才は龐羲殿から聞いている。よろしく頼む」
「は、はは」
鄧芝は年を経ると傲慢に成ったと言われているが今は素直だな。
まあ、今の俺は軍のトップだからな。
恐縮するのは当たり前か。
そしてもう一人。
張翼 伯恭
蜀を最後まで支えた名将だ。南蛮制圧、北伐に従軍して武功を上げ。孔明亡き後の姜維の北伐にも参加している。張翼は姜維の北伐に反対していたが、上役の姜維の命令で仕方なく参加したようだ。車騎将軍に昇進して蜀の滅亡後、姜維のクーデターに巻き込まれて亡くなっている。
張翼にとって姜維は疫病神だったかも知れない。
「劉封様の下で、私が、ですか?」
「伯恭。君の事は子初から聞いている。法に詳しいそうだな?」
「く、詳しいと言うほどでは」
「これからの我が軍は法によって動く。で、有るならば、将も法に詳しくなければならない。君の才を生かして欲しい」
「人命を尽くします」
そんな大袈裟な?
「期待しているよ」
「はは!」
鄧芝は俺の近くで、張翼は現場での報告を俺に上げて貰う。
この二人は孔明亡き後も蜀を支えた人材だ。
大いに期待出来る。
「では、調練の様子を見に行くか」
「「はは」」
軍の調練は鬼軍曹が担当している。
「おお、若。いや、劉将軍自らの視察とは身が引き締まる思いですな」
「漢升。調練の仕上がりは?」
「まだまだですな。こりゃ!もたもたするでない!」
黄忠に叱られているのは王平だ。
「も、申し分有りません。遅れました」
黄忠の弟子は今のところこの王平だけだ。
魏延は漢中で張飛の副将をしている。
魏延も立派に成ったもんだ。
「漢升。ほどほどにな。お前ももう年なんだから無理するなよ?」
「何を言われますか!わしはまだまだ若いもんには負けませんぞ。事が起こればわしに先陣の命を下され。見事敵を下して見せましょうぞ!ははは」
さ、さすがは老黄忠。
俺もそうだが鄧芝達も若干引いていた。
そんな俺達に騎馬の一団が近寄ってきた。
それは馬超の一団だった。
馬超は劉備の傘下に加わると一族と共にこの成都に移り住んでいた。
馬超 孟起
史実では馬超は曹操に負けた後に再起するが、抵抗に有って本拠地を失い一族の多くを失って漢中の張魯を頼って落ち延びている。
その後も失地回復しようと張魯から兵を借りるが負け続ける。
そして、劉備が益州を攻めている時に単独で漢中を抜け出して、劉備に降伏して傘下に入った。
その後は大した戦績を上げる事もなく亡くなっている。
馬超が一番輝いていたのは曹操と戦った潼関の戦いで、その後は燃え尽きたロウソクのように成ってしまったのかも知れない。
それには一族の多くを失い、妻や子供を亡くしているのも原因の一つだろう。
馬超は異民族の血が流れているのか顔の掘りが深く髪は茶色で目も黒よりも茶色に近い。
最初に会った時は貴公子みたいだと思った。
そして俺の目の前に居る馬超の顔は自信に満ち溢れている。
今すぐにでも戦いに行きたくてしょうがないと言う感じだ。
それは彼の後ろに居る者達も同様だ。
馬岱と龐徳だ。
馬岱は馬超の従兄弟で、後はよく分かっていない。北伐に参加しているが武功らしい武功は上げておらず何も記載がない。馬岱の武功は魏延を殺した事くらいだろう。
龐徳は馬超が劉備に降伏した時に一緒に行動して居らず張魯の下に留まった。その後張魯が曹操に降伏した後に自身も曹操に降伏しその臣下になる。そして関羽の樊城攻めの援軍に来るが敗北して捕らわれた。関羽に降伏をするように言われた龐徳はそれを断って斬られた。
曹操は龐徳の忠義に涙したと言う話がある。
正直、龐徳が味方に成ってくれて本当に嬉しい。
彼の武勇は馬超に比すると思っているからな。
ちなみに彼らは俺の派閥だ。
彼らと知古の有る李恢の説得のお蔭だ。
馬超は馬から降りると俺達に近づいて来た。
「これは劉将軍。自ら視察ですか?」
「ああ、そうだ。孟起殿」
「そうですか。ではせっかくですから手合わせ等どうですか? 部屋に籠っていては体が鈍りますぞ」
え、えー。それは勘弁だよ。
張飛と互角に渡り合う猛将と手合わせなんて怪我じゃ済まないぞ。
「おお、それは良いですな。劉将軍。ぜひ殺るべきですな」
お、おい。黄忠。そんな無責任な。
「私も劉将軍の武勇を見てみたいです」
「私もです」「私も」
お前らな~。俺は大将なんだよ!
個人的な武勇なんて必要最低限で良いんだよ!
周りの連中がわいのわいのと騒いでいる。
そして俺が答えずに居ると更に人が集まってきた。
その中には陸遜とその妻孫英、それに尚香が居た。
「益徳殿から伺っておりますよ。何でも劉封殿は益徳殿に本気を出させた事が有るとか。それほどの腕前で有るならば。ぜひ、ぜひにお願いしたい」
あの錦馬超が頭を下げた、だと?
馬超はプライドの高さで知られている。
そのプライドの高い馬超が頭を下げた事で皆が驚きの声を上げていた。
これって、断れない流れ?
「良いじゃない。殺んなさいよ」
尚香の止めの言葉で俺は馬超と手合わせをする事になった。
何でこんな目に会うんだよ?
俺は馬に乗って馬超と相対した。
馬術の腕では俺は到底馬超には敵わない。
それに最近は槍の稽古も満足にしていないのだ。
多分、馬から叩き下ろされる未来しか見えない。
大勢が見ている前で無様な様を晒すとか大将としてどうなのよ?
「では、行きますぞ!始めぃー!」
黄忠の始めの合図を受けて馬超が俺に向かってくる。
俺も馬の腹を蹴って馬超に向かっていく。
衝突しそうになる寸前に馬超の槍が俺に向かってくる。
槍先は潰しているので受けても打撲か悪くすれば骨折で済むだろう。
そんな痛い思いはしたくないので必死で避ける。
シュッと言う音がした後に槍先が頬を掠めた。
頬が熱くて痛い。
俺も負けじと馬超を槍で突く。
狙いは面積の広い胴。顔を狙いたいが簡単に避けられると思ったので胴狙いだ。
しかし馬超はそれを槍で払う。
おっと、少しバランスを崩したがそれは相手も同じだ。
俺は続けて槍を振るう。
突いて、突いて、突きまくる。
馬超はそれを交わす事なく捌いていく。
「やりますな。劉封殿」
馬超はまだまだ余裕の顔だ。
俺はその顔を見てニッと笑った。
なぜか嬉しかった。
今まで部屋に籠ってはあーでもない、こーでもないと話し合いを続けていた。
孔明との権力争いは目に見えないところでやり合っているので、どうにももどかしさが募っていた。
ストレスが半端ないのだ。
そのストレスを俺は発散させている。
相手は馬超だ。思いっきり殺っても大丈夫だ。
なら全力でこのストレスをぶつけさせて貰う!
俺の連続の突きを顔色変えずに捌いていた馬超。
しかし、だんだんとその顔が険しくなっていく。
「ぐ、これほどか」
馬超が何か呟くが俺には良く聞こえなかった。
そして俺は無言で突く。
黄忠から無駄口を叩く暇が有ったら槍を突けと教えられたからだ。
しかし、俺もだんだん疲れて来たので一旦距離を取った。
「では、私の番です」
馬超はそう言うと俺に向かって槍で突いてきた。
その槍の速度は趙雲に匹敵するだろう。
そして俺はその槍の速度に反応出来た。
馬超の連続の突きを必死になって捌く。
避けたり捌いたり時には弾き飛ばし、馬超の攻撃に耐える。
すると馬超も息が上がったのか距離を取った。
直ぐに追撃したかったが馬超の突きを受けて気づいたら腕が上がらなくなっていた。
「止めえぃー!」
黄忠の止めの言葉に心底安堵した。
ワーと言う歓声に反応する事も出来ず、俺はずれ落ちるように馬から降りた。
すると先に馬から降りた馬超が近寄ってきてこう言った。
「なかなか鋭い突きでした。少しは気が晴れましたか?」
は?
「では、これで」
馬超はペコッと頭を下げると去っていった。
くそ、格好いいな。
それにしても、これってもしかして仕組まれた?
「私が頼んだんだよ。孝徳の顔色が悪かったからね。たまには体を動かすのも良いものさ」
いつの間にか隣に居た陸遜がそう言った。
「それはどうも」
そこは陸遜が相手してくれても良かったのよ?
「それに姫様もますます君を見直すよ」
陸遜が目配せする先には顔を赤くして俺を指差す尚香が孫英の肩をバンバン叩いていた。
「あー、えー、その」
「後は頑張って」
陸遜が俺の背を叩くと俺は尚香の前に出た。
尚香が体をもじもじさせて俺を見て言った。
「か、かっこ良かったわよ」
「あ、ありがとう」
「なんか、策兄みたいだった」
「そ、そう」
「う、うん」
その後俺は尚香と床を共にするのだった。
男に成ったのかな?
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