第七十二話 孔明の疑惑
建安十八年 夏
征西将軍と成り、劉華を嫁とした俺は精力的に動いていた。
まずは軍の編成から着手した。
前年の暮れに起きた北伐は結局実現しなかったが、この時に浮き出た問題点は多かった。
その問題点の解決に乗り出していたのだ。
北伐で俺が率いる予定の軍勢は五万だった。
これは益州平定後も残っていた荊州兵と降伏してきた漢中張魯の兵を合わせたもので、つまり俺が益州平定時に率いた軍勢が大半だった。
それと連れていく将も益州平定時の将ばかり。
しかし、これに徐庶が居ない状態。
兵と将に関してはこれが限界だと言われれば折れる他なかった。
そして問題は兵糧だ。
輸送手段が貧弱なうえに量も少ないので軍を維持出来るかも怪しいものだった。
後に潘濬らが計算したところ半年持てば良いほどだと言われた。
しかし、先に述べた輸送問題で三ヶ月が限界だろうと陸遜が結論付けた。
つまりどういう事かと言えば。
俺があのまま北伐に向かえばろくに戦う事も出来ず補給の問題で、途中で引き返すしかない状況に追い込まれただろう。
そうなると俺はどうなったか?
満足な戦果を上げる事も出来ず引き返した俺は、今度こそ閑職に回され劉華との結婚も出来なかっただろう。
その後は俺に期待していた連中が離れていって俺は孤立し、孔明は劉備に俺の危険性を説いて煽った事だろう。
そうなれば劉備の取る方法は限られる。
俺は何かしらの冤罪で処刑と言うシナリオが孔明の中では出来上がっていた筈だ。
しかし、俺の死亡フラグは劉巴達の手でへし折られた。
劉巴は孔明のすました顔の裏で屈辱にまみれているのを想像して笑っていた。
劉巴って孔明の事が嫌いなんだよな。
何で嫌いなのか聞いてみたらこんな答えが帰ってきた。
『お前はあいつが好きなのか?』
『いや、全然』
現実の孔明はなぜか人望がなかった。
仕事は出来るが人から慕われる事があまりないのだ。
本で孔明を知った時は凄い人物だと思って尊敬していた。
でも思い返して見れば前世で孔明が好きかと言われればそうでもなかったような?
その当時もなんか孔明には人間味や好感を感じなかったんだよな?
劉備は良くも悪くも感情を優先する人物で、感情移入しやすい。
関羽はその高潔さと強さ、後無駄に高いプライド。
張飛は裏表がなく、人とは思えない強さについうっかり失敗するところが好きだ。
趙雲は黙々と任務をこなし、その武で劉備に忠節を尽くした事で好感が持てる。
翻って孔明はどうか。
孔明は劉備に三顧の礼で迎えられ、劉備の為に献策して天下三分を説き、その達成の為に働き、それを実現させる。
その後劉備が亡くなってからは幼い劉禅を助けて蜀の全てを背負って戦った忠臣。
最後は夢半ば戦場にて病没。
これだけ見れば立派な人物に見えるのだが、孔明は本当に立派な人物だったのだろうか?
孔明は俺(劉封)以外にも多くの人を助けず、退け、殺している。
彭羕は劉備にその才能を認められたが、孔明はその性格を問題視して劉備に諫言して左遷させている。
これに彭羕は劉備に不満を持って馬超に謀叛とも取れる言葉を言って密告されて処刑された。
彭羕は孔明が劉備に諫言していた事実は知らなかった。
俺も当時は彭羕が左遷された真相を知らなかった。知ったのは転生した後だったのだ。
彭羕は左遷されなかったら謀叛を考える事もなく、その才能を生かして活躍出来た筈だ。
魏延は孔明が生きていた時はその側に居て、大軍を率いさせて貰えなかった。北伐時に何度も献策したが用いて貰えず不満を溜めていた。そして孔明が死んで軍を率いられると思っていたら、孔明の腰巾着の楊儀に謀叛人扱いされて馬岱に斬られている。
魏延は謀叛する気等なかった筈だ。
もし魏延が謀叛するなら魏に投降してもおかしくなかっただろう。
孔明は自分が死んだら魏延を抑えられる人物は居ないと思って、わざと魏延と不仲の楊儀に軍権を預けて魏延の不満を爆発させたのだ。
そして、孔明を兄と慕っていた馬良は夷陵の戦いで戦死している。
孔明は劉備が関羽の復讐に燃えて呉に攻め込むのを無理に止めなかった。
挙げ句、自分の事は棚に上げ『法正が生きていたら止められただろう』と言っている。
死んだ人物に頼るよりも生きている自分が何とかしろよ!と言いたい。
結果、多くの兵が死に、馬良、馮習、張南、傅彤が戦死、黄権が魏に投降している。
孔明が必死になって劉備を止めるか、もしくは従軍していたらこんなに多くの犠牲を出さなくて済んだのではないだろうか?
後、馬良の弟馬謖。
彼は『泣いて馬謖を斬る』で有名だ。
馬謖は優秀な人物で孔明は彼の用い方を間違ったとしか言えない。
劉備は馬謖を重用するなと忠告していた。
孔明はその言葉を信じずに馬謖を用いて失敗している。
そして家族同然の彼を処刑しなければならなかった。
ちなみに馬謖は当初は処刑される予定ではなかったと言う話も有る。
馬謖は漢中まで戻って来て牢に入れられたが、その後脱走して捕まってしまったので、処刑されたと言う話だ。
もし、孔明が馬謖を処刑する気がなかったのなら誰かに伝言して、馬謖にバカな真似をするなと言って置けば馬謖は死ななかったかも知れない。
だが、結局馬謖は死んでいる。
そして孔明は李厳の才能を評価して重用していたが、陳震が孔明にこう忠告している。李厳は『腹に棘があって故郷の人も近づけない』と。
李厳は才能は申し分なかったが、その性格が悪かった。
第四次北伐で孔明は李厳に輸送を任せたが、彼はそれに失敗している。
そしてその非を素直に認めれば良いのに彼は保身に走って孔明に罪を擦り付けた。
孔明はそれを論破して李厳を庶民に落とした。
李厳の性格を分かっていながら重要な任に当てたのは孔明の人選ミスだ。
これが蒋琬、費禕だったら少しは違ったかも知れない。
彭羕、魏延は俺と同じような人物で『剛胆で勇猛』、馬謖と李厳は他人が忠告し欠点が有る事を指摘している。
前者は排除し、後者は重要な任を任せて致命的な失敗をしている。
そして夷陵の戦いを回避する努力をせず、敗戦の責任を逃れている。
これを見て彼に好感が持てるかと言われたら、そうは思わない。
それに孔明の意見に反対していた人物は孔明の都合よく死んでいる。
劉巴は劉備の皇帝即位に反対し若くして亡くなっている。
死因は病死。
これは孔明ではなく劉備が関わっているのではと思うが、劉巴は永安に居た劉備の下を赴いているので違うような気もする。
劉巴ほど有能な人物を劉備が殺すだろうかと思うのだ。
そうなると孔明なのではと思ってしまう。
司塩校尉の王連は孔明自らの南蛮制圧に反対している。
彼も死因は分かっていないが、数年としない内に亡くなっている。
その後孔明は南蛮制圧に乗り出している。
そして、龐統の死にも関係しているのではないのかと疑ってしまう。
龐統が死んだ時、劉備は孔明に援軍を要請している。
その時孔明は待っていましたと言わんばかりに兵を短期間で編成して兵を送っている。
まるで龐統が死んで劉備が援軍を要請するのを待っていたかのように。
他にも似たような話が有る。
孔明は自らの政敵を殺して蜀の実権を握ったとも考えられる。
深読みのし過ぎだとも思ったが、そうとも思えなくなった。
孔明をこのまま使い続けるのは危険なのではないのだろうか?
被害が俺だけでは済まないのではないのか?
そんな事を考えてしまう。
ならば俺は孔明の魔の手が他の人材に行かないようにしなければならないだろう。
狙われるのは俺だけで十分だ!
俺は蜀に居る皆を守って見せる!
だからね。尚香。
もう一緒に寝ても良いよね?
「しょ、しょうがないわね。寝るだけよ。それ以上は駄目だからね!」
俺は床板で寝る事を許された。
違う! そうじゃないだろう!
はぁ、俺は何時になったら……
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