第七十一話 劉華との婚姻
建安十八年 春
俺は劉華と結婚した。
元々益州を得たら劉華と結婚する予定だったのだ。
それが一年もの間待たされた。
理由は益州を得た当時、俺が怪我人であった事と益州の統治に皆がバタバタと忙しかったからだ。
そして劉備からは今年の春まで婚姻は延期すると言われていた。
それが予定通りに行われる事になったのだ。
この婚姻は俺にとって大きな意味を持つ。
前世で俺(劉封)は劉備の養子に成った後、劉備の娘を嫁にして後継者に成る予定だった。
しかし、養子に成った翌年に阿斗(劉禅)が産まれ、曹操の荊州侵攻時に嫁候補の劉備の娘二人が捕らえられ、俺が後継者に成る道はほぼ絶たれた。
その後、俺は益州攻めで無難に武功を重ね、漢中侵攻でも活躍して将軍職を得た。
この頃の俺は絶好調だった。
しかし、劉備が漢中王に成った時に俺は正式に後継者から外された。
この頃の俺は既に劉備の後継者に成れないと諦めていた。それに実家の薦めで嫁を貰い子も出来ていた。
だから後継者から外されてもそれほどショックではなかったのだ。
それに後継者から外されても俺は劉備の養子で有り続けた。
その理由は劉備の縁戚が少ないので俺が劉家の縁戚筆頭に成って、劉禅を補佐する事を望まれたからだ。
周りからは果ては大将軍と成って劉家の柱石を担うと期待され、俺もその気に成っていた。
しかし俺が大将軍に成る事はなかった。
劉備が漢中王に成って直ぐに関羽が襄陽、樊城を攻め、俺は孟達の上庸攻めの援軍を言い渡された。
この時に俺の運命は決まったのかも知れない。
俺は何の疑いもせずに上庸に向かい孟達を助けた。
そして俺は援軍の任を終えると上庸太守として孟達達を率いる筈だった。
しかし、そこで問題が起こった。
俺は上庸攻略の功で副軍将軍の位を与えられた。だが、それだけだった。
上庸太守を兼任する事もなく『上庸に駐屯せよ』との命しかなかった。
それに孟達には何の褒賞もなかったのだ。
これに孟達の兵が不満を漏らしたので、俺はしょうがなく孟達の兵に自ら恩賞を与え、中央には孟達の功に報いるように上表した。
その後、関羽からの援軍要請が来ると、俺は降伏した兵を率いて援軍を出そうとしたが、それを孟達が止めた。
『今、上庸は攻め落としたばかりで民心が落ち着いていない。それに後任の太守も決まっていない。ここで貴方がここを離れては民が反乱を起こす可能性がある。援軍を送るべきではない』
『では君が率いてはどうか?』
『私に与えられた命は上庸を攻略し、その守備を行う事である。私がここを離れては命に反する事になる。仮に私や貴方が援軍に向かっても関羽殿は恩に感じる事はないでしょう。返って叱責されるのではないのですか? 持ち場を勝手に離れるとは何事か!と言われるでしょう』
『だが援軍は関羽殿からの命だぞ?』
『正式に援軍を要請したのは関羽殿では有りません。これは都督趙累の独断です。ですから従う必要はないと思われます。それに関羽殿が負けるとお思いですか?』
孟達の言い分はもっともだと思った。
関羽は上に厳しく下にも厳しい。
それに配下の将は付いてこれなかった。
俺達が援軍に駆け付けても関羽は俺達を叱責しただろう。
『余計な真似はするな!』と言ったかも知れない。
彼はそんな男だ。
それに都督趙累は劉備の臣と言うより関羽に仕えているような人だった。
この援軍要請は関羽を心配した趙累の独断専行だったのだ。
そして俺は援軍要請を断った。
するとしばらくして関羽が孫呉に捕らわれて斬られた事を知った。
俺はこの時援軍に行かなかった事を後悔した。
しかしそれは遅かった。
それにどういう経緯が有ったのか知らないが、俺達が援軍を送らなかった事で関羽が死んだと劉備には報告が成されていた。
しかしこれは誤解だ。
俺達に援軍が要請されたのは関羽が樊城を攻めていた時の事だ。
だが、劉備には関羽が麦城で孫呉に包囲された時に援軍要請がされたとの報告だったのだ。
なぜこんな違いが起きたのか理解出来なかった。
それに史実では俺と孟達の仲が悪かった原因と言われている孟達の軍楽隊を接収した事だが真実は違う。
俺が孟達の兵に恩賞を与えた事で彼らは俺のところに自らやって来たのだ。
それによって俺と孟達の仲が悪くなる事はなかった。
真実は容易にねじ曲げられる。
孟達が劉備を裏切ったのも俺達の報告よりも、荊州から逃げ出した連中の報告を劉備が信じたからだ。
そして漏れ伝わって来る話では劉備が俺達を恨んでいると言う話。
まるで俺達が罪人のような感じであった。
俺はこの話を信じず、身の潔白を証明しようと何度も報告書を送った。
しかし孟達は自分の居場所は蜀にはもうないと思って魏に亡命した。
亡命前に彼は劉備に対して別れの文を残し、俺には一緒に亡命しようと言ってきた。
それに対して俺は文は劉備に必ず届けると約束し、孟達の誘いには乗らず残った。
その後、孟達は魏軍を連れて上庸に戻ってきた。
俺は成都に援軍を要請し孟達を迎え撃った。
そこで孟達は俺を再度魏に亡命するように誘ったが俺が首を縦に振る事はなかった。
『俺は漢中王の子である! その俺がどうして魏に走る事が出来ようか? 俺は漢中王に対して孝と忠を尽くすのみ! 子敬よ。君の友に感謝するが、君には君の。俺には俺の道がある。どちらの道が正しいか。決めようではないか!』
『後悔するぞ! 劉封!』
そして俺は魏の徐晃に敗れ、敗残の将として成都に戻った。
成都に戻った俺は事情を説明して裁きを待った。
この時の俺は将軍職を取り上げられて閑職に回されると思って楽観していた。
それに俺に同情していた者達も多かったからな。
しかし裁定は死刑だった。
俺は笑って刑を受けた。
そして今、俺はあの時の事を思い出した。
今まで思い出せなかった部分。
俺が劉封として生きて最後にどうやって死んだのか、はっきりと思い出したのだ。
それを思い出して俺は知った。
真実と史実と違う部分が多いのだ。
『関羽の援軍要請』『孟達との不仲』『劉備への報告』『上庸への援軍要請』等々。
あの当時に置いても何かがおかしいと感じていた。知れば知るほど何かが引っ掛かった。
そして思い至る。
史実に残っていたあの男の言葉。
『劉封の剛勇さは次代の劉禅では制御し難くなる』
孔明が劉備に告げた言葉だ。
俺はこの時代に来て確信した。
全てはあの男、孔明が俺を嵌めたのだ。
俺が劉備に送った報告書は孔明が握り潰し、荊州から戻った者達の報告には俺が不利になるように劉備に報告したのだと。
全ては俺を殺す為。
関羽の死を利用し、俺を排除したのだ。
孟達はそれに巻き込まれただけなのだ。
そして、俺は今も孔明に狙われている。
婚姻の宴席には蜀の重臣が揃って俺と華の婚姻を祝ってくれた。
俺と華の席の近くでは親族である劉備、甘夫人、劉春、阿斗が居た。
劉備は上機嫌で酒を飲み笑っていた。
甘夫人は目に涙して喜び、春は阿斗に料理を食べさせている。
重臣の中には劉巴を始めとした文官と張飛を筆頭とした武官が並び俺達を祝福してくれた。
劉巴は陸遜、法正らと話をしながら飲み。
張松、蒋琬、潘濬らも喜んでいる。
張飛が大きな盃に酒を並々と注がせて飲んでいる。その隣では趙雲と陳到が静かに酒を酌み交わし、黄忠が嬉し涙を流し魏延に無理やり酒を飲ませている姿が見える。
俺はそんな彼らを見ていたがある男のところで目線が止まった。
「どうしましたか。兄様」
俺を上目遣いで見る華。
俺は華の頭を撫でて答える。
「華よ。俺達はもう兄妹でない。夫婦だ。兄様はおかしいだろう?」
「そ、そうでした。は、恥ずかしい」
顔を赤に染めている華は可愛い。
俺は華の頭を撫でながらも目線はある男を見ていた。
孔明。
俺は華を嫁した。
これで俺は晴れて劉備の縁戚だ。
これでもまだ俺を排除するのか?
俺を殺そうと画策するのか?
俺は孔明にそう言ってやりたかった。
ちなみに俺は華とは寝ていない。
初夜に尚香がやって来て。
「まだ華には早いわ!わ、私もまだなのに」
そう言って華を連れて行ってしまったのだ。
俺はそれを呆然となって見送った。
また男には成れなかったよ。
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