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第六十九話 謀臣暗躍

少し短い

「危ない橋を渡ったな。子初?」


「計画通りだ。問題ない」


 はぁ、全くため息しか出ない。


 まさか周瑜を動かして俺の将軍職復帰を画策するとはな?


「見返りはなんだ?」


「周瑜はお前よりも孔明を恐れた。それが対価だ」


 孔明を相手にするよりは俺を選んだと言う訳だ。

 まぁ、赤壁の一件が尾を引いているのだろう。

 呉の重臣連中を論破した件か?

 それとも矢の方かな?


「それにしても曹操が思ったよりも早く兵を退くとはな。どうやったんだろうな?」


「それは知らん。和睦を持ち掛けたとしか聞いていないからな。それにしても、くくく。孔明の悔しがりようが目に浮かぶぞ。ははは」


 こわ、劉巴怖いよ。


「これを考えたのは子初か?それとも……」


「私達です。孝徳様」


 やっぱりか!


 法正と張松が並んでいた。

 この二人は蜀の程昱、郭嘉(ていいく かくか)だよ。

 暗躍する姿がよく似合うわ。


「周都督に連絡を取ったのは私だよ」


 り、陸遜も?


 確かに陸遜なら周瑜と連絡を取る事も出来るか。



 つまりどういう事かと言うと……


 法正、張松が立案。劉巴、陸遜監修。実行犯周瑜と言う図式だ。


 法正達は俺がこのまま名誉職ではいざ事に当たれないので、外から動かす事を思い付いた訳だ。


 まず、曹操が孫呉に攻め込むのは夏ごろから分かっていたそうだ。

 十万以上の兵を集めていたらどこを攻めるかは丸分かりだからな。

 情報元は龐統だ。


 彼は周瑜、魯粛と個人的な付き合いが有るのでそれで曹操の動きを知ったそうだ。

 その情報を龐統は法正に知らせた。

 実は法正と龐統は荊州に居た頃に付き合いが有ったそうで、それに法正は劉備の相談役も務めていたので、それで知らせを受けたそうだ。


 その知らせを受けた法正は張松と相談。

 策を考えると劉巴に献策。

 劉巴はそれを陸遜と相談して法正にゴーサインを出した。


 法正は龐統からの知らせを劉備に報告。

 そこで情報の確認の為に陸遜を荊州に派遣する事を劉備に提案し劉備はそれを許可した。

 表向きは情報の確認の為、裏では陸遜が周瑜に接触し提案、周瑜はその提案を快諾した。

 それに周瑜はわざと魏軍(曹操軍)に蜀が北伐を行う情報を流した。

 それを知った魏軍は濡須口から撤退し、周瑜も兵を退いたと言う事だ。


 ただ、曹操と孫権の間で和睦したと言う話も流れている。

 事の真意は分からない。



 陸遜の話では周瑜は濡須口の助けになるし、これで孔明を出し抜けると笑っていたそうだ。


 周瑜って孔明が嫌いだったんだな?


 俺に報告や相談をしなかったのは、朝議で孔明に策を悟られると思ったそうだ。


「お前は顔に出すぎるからな。注意しろ」


「は、はい」


 俺ってそんなに顔に出るのかな?

 これから注意しよう。


 でも待って?


 あの舌打ちは演技だったのか?

 それに『まずいぞ』って言ってたよね!

 劉巴にそれを指摘すると。


「内心ほくそ笑んだぞ。だが、あの時の孔明の言葉で皆が孔明に心酔していた。あれは本当にまずい。この先孔明の言葉一つ一つに注意を払わないとな。お前は気付いてなかったようだがな?」


「す、すみません」


 確かに、あの時は俺も孔明の言葉に惹き寄せられていたな。

 孔明の弁舌は注意しないとな。


「しかし、お前も何か言って欲しかったぞ。黙っているのは感心せん」


「す、すまん。何か言えば孔明に言い返えされると思ったんだ。それにお前達を信頼していたし」


「……そうか。まぁいい。まずは将軍職を得た。これからだ」


 おっと、劉巴が顔を赤くしやがった。

 それに法正や張松もうんうんと頷いている。


「ああ、そうだな」


 何はともあれ将軍職を得た事には変わりない。

 ピンチはチャンスに変わったのだ。

 これからはどんどん口出しして行こう。



「ところで、あのまま北伐したら勝てたか?」


劉巴に問い掛けられて、しばし考える。


「どうだろうな? 準備が足りなかったから勝てたかどうか……」


「準備が出来ていたら勝てるのか?」


「多分」


 俺がそう言うと劉巴は怪訝な顔をしていた。


 北伐の勝算は準備次第だと思ってる。

 高校、大学時代によく北伐はどうやったら勝てるのかと友達と話をしていた。


 友達と出した結論は『無理』だ。


 単独での北伐の勝利は有り得ないと結論付けた。

 ただ、条件次第では勝てるのではないのかと言う話もあった。

 当時の装備では無理でも現代知識の応用で多少は勝算が上がるのではないのかと?


 孔明の北伐を参考にして何故失敗したのかを話し合い、何が必要だったのかを導き出した。


 結果、それは『兵糧』だと。


 孔明の北伐で勝利の可能性が高かったのは一次と四次。

 一次は馬謖を街亭(がいてい)に派遣して失敗。これは孔明の人選ミスだ。

 四次は兵糧を担当した李厳が前線に兵糧を運び込めずに撤退。これも孔明の人選ミスだな。


 孔明の人選ミスが多いな?


 一次はともかく、四次では兵糧が有れば長安まで進軍出来た筈だ。


 その当時、魏軍も兵糧には苦労していたと有るからだ。

 何故なら攻める蜀軍よりも守る魏軍の方が兵が多く兵糧を多く必要としていたからだ。

 連年の侵攻で兵糧を消費していたのは蜀だけではなく、魏も同じだからだ。


 本来なら魏軍は長期戦を仕掛けて蜀軍の兵糧が切れて撤退させればいい筈なのに、一次はともかく四次ではまともに戦っている。

 これは四次の時点では魏軍は兵糧が心許なかったので短期決戦を挑んだと見るのが良いだろう。

 結果は蜀の大勝。


 そして兵糧さえ有れば……


 兵の数では劣っても戦に勝つことは出来るだろう。

 それを孔明が証明している。

 なら今の俺達でも同じような事が出来る筈だ。


 今の俺達には孔明の北伐に居なかった張飛、馬超、黄忠に参謀に徐庶、法正、陸遜が居る。

 それに兵の数も揃っている。

 勝てる可能性は十分に有ると思って良いだろう。


 後は兵糧だ。


 今回慌ただしく北伐の準備をしたがそれで色々と問題点が浮かび上がったが、その中でも兵糧の輸送が問題だった。


 兵糧の輸送方法で漢中を越えて長安に至る時に使う道が問題なのだ。


 蜀の桟道(さんどう)


 山の中を河が流れる。河に沿って断崖がある。その断崖に穴を穿つ。その穿った穴に柱を差し込む。その差し込んだ柱の上に板を敷く。それが桟道だ。


 実物を漢中で見たがあれは凄い。


 あれを道と言えるのかと思った。

 例えるならあれは橋だ。

 手すりのない木の橋を渡るような物だ。


 あれでは馬車を使えない。


 人力で兵糧を運ばないと行けないので大量に運べない。

 それに道を踏み外せば死が待っている。

 行軍するだけでも一苦労だ。


 まずは桟道を使っての兵糧輸送の方法だな。


 ここから始めるとしよう。


今日はこのくらいで筆が進まないです。


今日と明日の文章を繋げるかも知れません。


その時は割烹で報告します。

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