第五十六話 百日宴
「さぁ、我らの出会いを祝して、乾杯!」
「「「乾杯!」」」
益州牧劉璋の音頭により宴が始まった。
これでもう五十日間連続で宴が続いている。
この宴は何時になったら終わるのだろう?
そう、今は世に有名な『百日宴』の真っ最中なのだ!
益州梓潼郡涪県に着いた俺達を歓待する劉璋。
この贅を尽くされた宴に最初は驚いたが、こう毎日続けば驚きより呆れ、遂には無感動になった。
本来で有れば俺達は漢中の張魯の討伐をしなくてはならないのに、この宴地獄を食らっている。
劉璋の思惑が分からない。
本当に俺達を歓待しているのか?
それとも骨抜きにしようとしているのか?
それか、俺達本来の目的を知っていて、俺達の反応を待っているのか?
分からない事をあーだ、こーだ、考えてもしょうがない。
今は素直に宴を楽しむ事にしよう。
さて、俺達が益州に入ってどんちゃん騒ぎをしている頃、劉備軍に対して激怒した人物が居る。
孫呉の周瑜だ。
周瑜は赤壁の勝利の後に荊州襄陽を攻略、その後孫権に益州攻略を献策している。
その前段階として、俺と尚香の結婚が行われた。
劉備軍との結び付きを強め、その力を借りやすくする為だ。
そして周瑜は益州攻略の準備を進めていたが、それに水を差したのが曹操だ。
そう、前年に起きた曹操の荊州攻めだ。
これが有った為に周瑜の益州攻略が延期したのだ。
さらに劉備が劉璋からの援軍要請を受けて兵を送った事を知った周瑜はこれでは益州攻略が出来ないと激怒したのだ。
そしてそれを宥めたのが魯粛だ。
周瑜と魯粛。
この二人は大変仲が良いが、この頃は孫呉の方針を巡って揉めていた。
天下二分を進める周瑜と天下三分を説く魯粛。
二人の対立は深刻と言うほどの事ではなかった。
「分かった。子敬。君の言に従おう。しかし、成功するとは限らないぞ?」
「我らが知るあの男ならば、やりましょう」
「ふん」
周瑜は魯粛の説得を受けて益州攻略を断念する。
そして孫権に更なる献策を薦める。
その内容は……
一方、曹操は荊州攻めを一旦諦めると、楽進、文聘に兵を与え宛に駐屯させ、周瑜の北上に備えさせた。
そして、新たな矛先を定める。その場所は関中。
長安から西に居る反乱勢力の殲滅を謀っていた。
「関中を治め、もって漢朝の威光を取り戻す」
曹操の鋭い矛が遂に西を向いたのだ。
そして我が養父劉備は着々と足場を固めている。
関羽、張飛、趙雲に治安をまかせ、孔明を始めとした文官達が政務を執り行い、急速にその国力を増していった。
今や、劉備は曹操、孫権に次ぐ勢力にまで成長している。
「さて、あれは上手くやれているのだろうか?」
「心配ですか。我が君」
「……心配か。いや、あれならば上手くやるだろう。信じて待つとしよう」
「そうですな。……待つとしましょう。その時を」
劉備と孔明がそんな心配をしていたとは露知らず、俺は宴を楽しんでいた。表向きは。
「それで元直。張魯軍について分かったか?」
「はい。法正殿。頼みます」
「分かりました。ご説明致します」
裏では漢中の張魯について調べていた。
部屋には俺と陸遜、徐庶に劉巴、そして法正が居る。
そして部屋の前には傅彤が番をしている。
これも表向きは漢中攻めの協議をしているが、それと同時に益州攻めの協議もしているのだ。
「漢中の張魯の兵力は数万。少なく見積もっても五万は居ると思われます。兵の士気、練度は高く強敵と言えましょう」
「そうか。それは厄介だな」
漢中の張魯は五斗米道と言う道教の一派の指導者で、その統治は宗教を元にした善政をしいて民に慕われていた。
これを攻めるのは無理、無茶と言うものだ。
「ここより北の葭萌に入り、そこで兵を鍛えてから北上し関城を抑えるのが定石かと」
「子初。どう思う?」
「法正の言に従うが良かろう。我らはこの地に不馴れ。しばらくは葭萌にて兵を馴らすのが宜しい」
相変わらず上から目線だな劉巴は。
「分かった。孝直。劉璋から兵と武具、兵糧を貰えるように頼めるか? 我らの兵だけでは不足だ」
「もちろんです。お任せを」
「張魯を攻め、その兵と戦う。勝つ必要はない。とりあえず戦ったと言う事実が有ればいい。そうだな元直?」
「はい。我らの表向きの要件を満たすのが第一条件です。それから先は……」
「益州取り、ですか?」
「そうだ伯言。何か有るか?」
陸遜は眉間に指を当てて思案している。
陸遜には江陵を出る前に益州攻めの事は伝えていた。
孫権に知らせる可能性も考えたが、俺は陸遜を信じたかったのだ。
そして陸遜は俺の信頼を裏切らなかった。
陸遜は元々孫家を嫌っていた。
孫権に仕えるのもしぶしぶだったのだ。
例え孫策の娘英を与えられても孫権に感謝こそすれ、スパイみたいな事をするつもりはないようだ。
それは尚香や英にも言える。彼女達は信用出来るが、俺と陸遜が警戒しているのは彼女達の侍女達だ。侍女から情報が漏れるのを恐れた俺は陸遜だけには真実を語り、こうして悪巧みの現場にも参加して貰っている。
そして陸遜は語った。
「この場で劉璋を斬り、成都に兵を向けると言うのは?」
おう、そう言う意見が出るとはな?
それは史実では龐統が劉備に提案して、劉備が断っている。
智者は時として同じ考えに行き着く者らしい。
「それは良いですな。是非殺るべきです」
おいおい法正よ。お前さんの主君を殺すのに反対するどころか、嬉々として薦めるのはどうかと思うぞ。
やっぱりこいつ、正史に書かれている通り性格に難が有るのか?
「それは駄目だ。それでは主君の名声に泥を塗ることになる。それにそんな事をしては益州の名士を味方に出来ん。統治に支障が出来かねん。絶対に駄目だ!」
劉巴が目を見開いて陸遜の提案を一蹴する。
「すみません。安易な考えでした。申し訳ございません」
「うむ。次からは気を付けられよ」
「はい」
劉巴に素直に謝る陸遜。
この場で一番偉そうなのは間違いなく劉巴だよな。
「ところで、何で劉璋はこんなにも長い期間宴を開くんだ。こんな事をする時間や費用は無駄だと思うんだけどな?」
いい加減この宴にはうんざりしていた。
それに日増しに尚香の機嫌が悪くなっているのだ。
彼女の劉璋に対する好感度は既にマイナスである。
「これは益州の力を我らに見せ付けているのです。益州はこれほど豊かで、このような長い期間宴を開いても国庫はびくともしない。そしてそれに対して民は不満に思う事もない。つまり統治に何ら問題はないと言う事を伝えたいのでしょう」
要は馬鹿なの?
「法正。お前の主は、馬鹿なのか?」
「あれを我が主君と思った事は一度も有りませぬ」
劉巴の辛辣な問いに法正は顔を赤くして答えた。
「とても乱世の主とは思えない。平穏な時なら良い主に成れそうだけど」
「はぁ。こんな事に付き合う時間が惜しいな。兵にはたらふく食って飲んで、そして漢升に鍛えて貰おう。元直頼めるか」
「はは、漢升殿も喜びましょう」
「孝直。合流する兵はすべて鍛え直すから漢升に預けるようにな」
「はっ! 分かりました」
「子初。承明と公琰(蒋琬)に劉璋から送られる武具と兵糧の受け取りをさせろ。それとその兵糧で何日戦えるか試算するように伝えろ」
「はい。伝えましょう」
「元直と伯言は漢中攻めの策を考えろ。なるべく兵の損耗を防ぐようにな。本番前の肩慣らしにはちょうど良いだろう」
「「はは」」
そうして大雑把に指示を出してその場は解散した。
その後、劉璋主催の宴は更に五十日も続き、百日続いた宴はようやく終わった。
こんな百日間も宴をされて兵も将も骨抜きして、張魯討伐に向かえと言う劉璋はやはり馬鹿なのだろうなと思った。
涪県から葭萌に着くまで鬼軍曹の怒号が絶える事はなかった。
史実で百日間、昼も夜も宴を続けた劉璋は何を考えていたのだろうか?
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