第四十五話 劉封の嫁
ふ、ふふ、ぐふふ。
いかん、いかん、つい顔が緩んでしまう。
いやー、しかし俺もついに結婚か~。
でも、交際期間ぶっ飛ばして即結婚とは良いのだろうか?
自慢じゃないが、俺は今まで誰とも付き合っていない。
つまりあれだよ。あれなんだよ。
だから、その、ふ、風俗的なあれにも行ったことはなくて、ですね。
それで、ですよ。
とても、期待してると言うか。
こ、興奮してると言うか。
うわー、は、恥ずかしい。
ふぅ、ふぅ、はぁ~。よし、ちょっと落ち着いた。
俺の結婚相手『孫夫人』は呉に列伝が残ってなくて、名前も分からない。
魯粛に聞いてみたところ彼女の名前は『孫尚香』と言う。
京劇で使われている名前と一緒だった。
それはまあいい。名前は問題じゃない。
問題は彼女の生い立ちにある。
彼女は確かに孫堅の娘ではあるが、『庶子』である。
つまり側室の子供で、孫策、孫権とは異母兄妹と言う事だ。
さらに魯粛に聞いてみた(問い詰めた)ところ兄妹仲はあまり良くないそうだ。
そして彼女の母親は既に他界しており、彼女の後ろ楯は誰もいない。
孫兄妹は長兄孫策が生きていた時は皆仲が良かったそうだが、孫策が亡くなってからはそうではなくなったとの事だ。
それと孫権には尚香の他に、二人の弟と一人の妹が居た。
二人の弟は既に亡くなっており、残った一人の妹も幼くして亡くなっている。
残っているのが異母妹の尚香一人。
それなら二人仲良く孫家を守り立てれば良いと思うのだが、そう上手くは行かない。
そして孫権の母親『呉夫人』(正室)は赤壁の前年に亡くなっている。
この呉夫人は尚香を実の娘のように可愛がっていたと言われている。
尚香も呉夫人を本当の母親と思い慕っていたようだ。
そして孫権はそれが気に入らなかったらしい。
二人の仲が悪化したのは呉夫人が亡くなってからだと魯粛は言っている。
魯粛がここまで内情を教えてくれたのは、どうせ遅かれ早かれ分かる事だから先に言っておこうとの事だ。
ふむ。それなら俺は孫権に尚香を押し付けられたと言う事か?
孫権からすれば仲も良くない異母妹が居なくなるし、同盟相手との仲を強化出来るので一石二鳥。
俺は労せずして結婚出来るし、孫家との繋がりが出来るから今後の孫呉との交渉は俺を通す形になるだろう。
そうなると俺の劉備軍での地位はさらに高まると言う事だ。
俺も孫権もWinWinの関係と言えるだろう。
尚香を抜かしてはな。
この可哀想な尚香が史実では侍女達に武器を持たせて劉備を威圧させ恐れさせている。
もしかしたら劉備と尚香の間には何もなかったのかも知れない。
そりゃ二十以上も歳の違う男と寝るのは抵抗が有るだろう。
だから、劉備が自分に手を出そうとしたら侍女に追い返させたのではないのだろうか?
と思ってしまう。
……そんな事はないか。
そんな事をすれば孫権との仲が悪くなってしまうだろう。
最悪離縁されても文句は言えない。
そして離縁されれば劉備との同盟関係も悪くなる。
いや、待てよ。
確か劉備と尚香が結婚した引き出物として孫権は荊州南郡を与えたとか何とか言われていたような……
それなら二人の仲が悪くなって離縁したら、それを理由に荊州南郡を取り上げるつもりだったのでは?
孫権はリアリストだ。
とにかく実を掴むのを優先する男だ。
あいつならやりかねない。
となると俺の場合はどうだろうか?
もしも俺が尚香と上手く行かず離縁する事になったら、それを理由に何らかの譲歩なり条件なり突き付けて来るのではないだろうか?
そして最悪戦争とか?
俺は魯粛を見る。
「うん? 何か?」
「あ、いや。何でも」
まさかなあ~。
今回の婚姻話を持ってきたのは魯粛だ。
この婚姻話が破談に終わったらその責任を問われるのは魯粛で、彼は孫呉、孫権に取って大事な武将の筈だ。
その大事な武将を犠牲にするだろうか?
か、考えすぎかな。
どうも浮かれすぎてこの婚姻話の危険性を考えてなかった。
こんな事なら誰かに相談すべきだったか?
でも、もう遅いな。もうすぐ柴桑に着く。
か、覚悟を決めよう。
何が有っても尚香と上手くやって見せる!
柴桑に着くと真っ先に御殿に向かった。
その道中では民の熱烈な歓迎を受ける事になった。表向きはな。
魯粛と一緒に馬に乗って御殿を目指す最中、俺達の両脇では『万歳、万歳』と歓声を上げる民達。
歓迎ムード一色と言った感じなのだが、空気が重い。
なんだろう。歓迎されてるのに敵意を感じる。
言葉では歓迎してるけど雰囲気では歓迎してない感じだ。
これって一体?
「なぁ、子敬殿。これって歓迎されてるの?」
俺は民に手を振りながら魯粛に尋ねた。
「察してください」
「あ、そうですか」
どうやら歓迎されてないようだ。
御殿に入ってからもその空気は変わらなかった。
あからさまに敵意を向けている衛士達。
官吏達も忌々しげに俺を見ている。
これは、あれかな。
一室に案内されてほっと一息ついた俺は魯粛に尋ねた。
「これってあれですか。交州の一件ですか?」
俺が孫呉に嫌われる理由は交州の一件しか身に覚えがない。
「まあ、それも有りますが。それだけでは有りませんな」
え、交州だけじゃないの?
魯粛が言うには他にも理由は有るらしい。
その最たる理由は赤壁に有った。
そもそも赤壁の勝利は孫呉単独の物だと、彼らは思っているらしい。
まあ、それは間違っちゃいないな。
そして劉備は自分達が戦っている間に江陵を掠め取ったと思っているらしい。
そ、それも間違っちゃいないな。
さらに周瑜が襄陽で戦っている間に荊州南郡と交州を奪ったという事になっているらしい。
そ、それは違うと思うぞ。
「赤壁に関しては分かりますけど。江陵と南郡、交州は違うでしょう? それにこっちは江夏郡を譲ってるじゃないですか。それなのにこれですか?」
「それを言われると……」
「荊州に関しては荊州牧の劉琦殿が我が主にその主権を譲りましたし、交州に関しては交州刺史の頼恭殿の要請を受けての事ですよ。それでもそっちは納得してないんですか?」
「それに関しては我が君も納得しております。ですが……」
はぁ、これが孫呉の現状か。
要は呉の豪族連中が納得してないと言う事だ。
『赤壁で血を流したのは自分達だ!それなのに恩賞の土地が無いのはどういう事だ!』と騒いでいるらしい。
それに合わせて民や兵達に不満が溜まっているのだ。
でもそれは違うでしょうに。
血を流したのは孫家直属の家臣と兵達だ。
豪族連中は降伏論を唱えて国境の守備に兵を出しただけだ。
厚かましいにも程がある。
孫呉の中身は豪族連合。
孫家は呉の豪族を束ねているに過ぎない。
単独では孫家に勝てない豪族連中は横の繋がりを強化している。
そして孫権は豪族連中を味方に付ける為にあの手この手と懐柔策を使っている。
孫呉は一枚岩に見えてそうではないのだ。
孫権と周瑜は孫策が亡くなって本当に苦労してるのが分かる。
「この婚姻。大丈夫なんですか?」
「察してください」
大丈夫じゃないのかよ?
「ふふ、冗談ですよ。婚姻に関しては反対は有りませんよ。大丈夫です」
本当かよ?
「では、行きましょうか?」
俺は礼服に着替えて大広間に向かった。
大広間では孫呉の家臣団が左右に並び、中央には孫権が居た。
尚香の姿は見えないな。
あ、ヤバい。足が震えてきた。
俺は孫権の座る玉座の近くまで来て礼をする。
すると孫権が立ち上がりこっちにやって来た。
「義弟劉封、尚香を頼む」
そう言って俺の肩に手を掛けた孫権。
その目付きは鋭かった。
「は、はい」
俺はその眼孔に圧倒された。
周りでは万歳、万歳と言われている。
婚姻を結び妹を頼むと義兄が義弟に話しかけている。
そんな感動的な場面だと思うのだが、なんか違うな。
脅されている感じがする。
その後歓待の宴が行われて、俺は孫権の隣に座して孫呉の家臣団から祝辞を述べられてから酒を注がれてそれを飲み干す。
そんな事を繰り返していた。
かなりの量を飲まされたが全く酔えなかった。
頭の中はこれから起きるであろう事を想像して孫呉の家臣達の顔や名前、祝辞の言葉は消えていた。
それに孫権が隣であーだ、こーだと言っているが全く頭に入ってこない。
だーうるせー、今はそれどころじゃないんだよ!
そしてその時が来た。
宴が終わり花嫁の待つ奥の間に通される。
不思議だったのは花嫁が宴の最中に現れるのかと思ったがそうではなかった事だ。
一般的な婚姻がどう行われるか知らないが、これが孫呉の習わしなのだと思う事で納得した。
初めて会うのが床の間ってそれもどうかと思うよ。
花嫁の待つ床の間の廊下では史実同様に侍女達が、鎧を着て武器を持ってズラッと並んでいた。
俺を案内している侍女も剣を腰に差している。
その歩き方を見ると素人ではないようだ。
そして両脇の侍女達の持つ武器は剣、刀、戟、槍、弓矢と大体見たことの有る物だった。
そんな侍女達が百人ほど居て俺を睨んでいる。
な、なんだよ。文句あんのかよ?
襲い掛かって来ないと分かっていてもこの威圧感は堪らんな。
尚香が居ると思われる床の間までやって来た。
「こちらに姫様が居られます。姫様。お連れしました」
「姫様。宜しいですか?」
「ええ、いいわ」
おっと、可愛い声だな。
これは期待通りかも!
「どうぞ」
侍女が戸を開けて俺は部屋に入る。
部屋の周りには女性らしい飾り物が多く置かれていた。
ちょっと目が点になってしまった。
こんな部屋は想像して無かったからだ。
てっきり部屋の壁に武器がズラリと並べられていると思ったからだ。
「では姫様。失礼致します」
「ええ」
おっと、部屋の内装に気を取られていたらうっすらと透けて見える薄い布で覆われた床にちょこんと座っている女の子と、隣に立っていた侍女が居た事に気づいた。
侍女は女の子に一礼すると俺の隣を通りすぎて部屋を出ていった。
その時、ボソッと何かを言ったような気がしたが良く聞こえなかった。
「どうぞ。近くに来て」
その声は耳に心地よく聞こえ俺は直ぐ様彼女の近くに、無警戒でふらふらと歩み寄った。
「あ、あの。りゅ、劉封と申します。あ、いや、姓は劉 名は封 字を孝徳と言います。すみません。その、き、緊張してまして」
「うふふ、私は尚香と言います。宜しくお願いしますね。孝徳様」
顔は布で見えないが声だけで美人だと直感した!
「と、隣に、座っても、宜しい、ですか?」
「どうぞ」
よし、す、座るぞ!
と俺が隣に座ろうとすると彼女に手を掴まれた。
そして俺は彼女に引き倒されてしまった。
きゃ、ご、強引!?
俺は床に引き倒された事に直ぐに気づかなかった。
しかし、気づいた事が有った。
俺の喉元に短剣が当てられていた事に。
「私に手を出したら殺す」
可愛い声とは裏腹にその声には覚悟が篭っていた。
そして布越しで分からなかった顔が見えて俺は呟いた。
「き、綺麗だ」
それが俺と尚香の初対面の出来事だった。
孫夫人の名前は『孫尚香』としました。
ひねりが無くて申し訳ない。これが一番無難かなと思いまして。
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