表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
37/112

第三十七話 未知の行軍

 俺は馬鹿だった。


 南海までの道のりを舐めていた。


 桂陽から発した三万の兵は南海に着く頃には二万まで減り、更に南海に着くまで三ヶ月の時を要していた。

 ここまで兵を消耗し時を要した理由は道だった。

 桂陽から南海までの道筋は凡そ人が通るような道ではなかったのだ。


 悪路の行軍は必要以上の体力を要し、黄忠に鍛えられた精鋭で有っても逃げ出すほど酷い物だった。

 日に日に脱落する兵の報告と悪路の為に遅々として進まない行軍に俺は焦りを覚えていた。


 この現状を打開する為に先鋒の魏延を張南に交代した。

 魏延の武は黄忠に次ぐ物では有るが、この悪路の進軍では役に立たない。

 張南は魏延、馮習と違って機転が効くので彼に先鋒を任せたのだ。本人立っての希望でも有るのだが。


 張南は潘濬の用意した道を整地する道具を使い、着実に進む方法を取った。

 また、地元の人間を雇い道案内を頼む等していた。

 そして、兵が疲れたら先鋒と中軍から入れ替える等の工夫をし、兵達の疲労を抑えた。

 思わぬ張南の活躍に俺は驚いていた。

 人は何かしらの特技を持つ物だなと思った。

 そして張南のやった事はごくごく当たり前の事でこんな事も気付かないのかと俺は恥じた。


 そんな意気消沈した俺を置き去りにして悪路の行軍は続いた。


 立ちはだかるのは道だけではなかった。

 行軍の途中で受ける猛獣の襲来、突然の豪雨、抜かるんだ道は泥沼と化し、兵達の士気を落とさせた。

 飲み水の確保も問題だった。

 道は川沿いに作られていたがそれでも飲み水として使えるような物ではなかった。


 こんな時にこそ未来の知識が役に立つ筈なのだが、いかんせん俺の知識は片寄っている。

 サバイバルの知識等は皆無で役に立たない。

 水をろ過すれば良いのだがその方法が分からない。

 しかしその心配をする必要は無かった。

 徐庶と潘濬の用意したろ過装置は簡単な物で有ったが有用だった。

 それとこの時代でも飲み水は沸かして飲む物だとの知識も既に持っていた。

 その知識を疑問に思って徐庶達に聞いてみるとある人物の名前が出てきた。


 張機(ちょうき) 仲景(ちゅうけい)


 現代では張仲景として有名な人物だ。

 三国志時代で有名な医学の人物は主に二人。

 神医華陀(かだ)と医聖張仲景だ。

 三国志に伝は無いが張仲景は『傷寒(しょうかん)雑病論』を残している。

 傷寒論は腸チフスなどの感染症、もしくは伝染病の治療法が書いてある本だ。

 この時代では画期的な医学の本なのだ。


 その張仲景はこの遠征には参加していないが、彼の弟子に当たる者達が参加している。

 本人は前年の赤壁で発生した傷寒の治療法の確立の為に長沙に残ったそうだ。

 俺はその名前を聞き自分の迂闊さを知った。


 長沙に居た時に俺は彼の下を訪ねるべきだったのだ!


 両親に会いたくない一身で俺は長沙の一画から出なかった。

 あの時外に出ていれば、張仲景の事も思い出していた筈だ。

 そうすれば彼と会って彼の医学をもっと役立たせられた筈だったのに!


 ……俺はこの遠征を安易に考えていた。


 交州までの道のりを現代の感覚で考えていたのだ。

 桂陽までの道のりはそれほど苦労するものでは無かったので、交州も同じ物だと錯覚していたのだ。

 そんな俺の愚かさを徐庶と潘濬はフォローしてくれたのだ。


 俺は自分の不甲斐なさに憤った。


 何が現代知識だ!

 それを知っていても形に出来なければ何の役にも立たない。

 俺が普段何気ない気持ちで使っていた物は、古代の人達が苦労に苦労を重ねて形にした物だ。

 それを俺はそんな物は当たり前に存在して当然と思い、その仕組みを知ろうとはしなかった。

 こんな事ならもっと色々と調べて自分で作ったり実践していれば良かったと後悔した。


 しかし後悔先に立たず。


 そして俺が腑抜けていると黄忠は鍛練だと言って天幕から外に連れ出して容赦なく訓練用の槍で俺を打ち据える。


「何をショボくれておるか。この馬鹿弟子がー! そんな覇気の無い姿を兵の前に晒すつもりか? それでも貴様は大将か! 大将は何が有っても動じぬものだ。シャキッとせんか。シャキッと!」


 俺と黄忠は鍛練している時は弟子と師匠だ。

 普段は若、若と言っているが、この時は容赦なく馬鹿弟子呼ばわりをする。

 腑抜けた姿を兵の前に晒すなと言うが、既に周りは兵達でいっぱいだ。

 その兵達が見守る中で黄忠は俺を罵倒する。


「何を寝そべっておる。普段から鍛練を怠るからそんなひ弱な姿を晒すのだ。この馬鹿弟子がー! 後悔するくらいなら前を見んか。前を! この程度の事で腑抜けておっては天下の大事は務まらぬぞ!それでも貴様は劉玄徳の子か? あの大徳の後を継ぐ者か? あのお方ならこんな事くらい笑って乗り越えられるわ。貴様も笑わんか!そんな辛気臭い顔をするくらいなら笑うくらいの事して見せんかー!」


 無茶苦茶だ。


 誰が好き好んで劉備の息子なんてやるもんかよ!

 あの人と比べられてたまるかよ!


 俺は現代人なんだ。

 何でここに居るのか知らないが俺は学生で、何の役にも立たない人間なんだ。


 新野でも、長坂でも、赤壁でも。


 俺は何かが出来た訳じゃない。

 その場その場を必死になって生き延びただけだ。

 それがいつの間にか増長して何かをやった気になっただけなんだ。

 これが今の俺なんだ。


 俺は何も出来ないんだ。


 その後黄忠に滅多打ちにされた俺は気を失った。



『何もここまでやらなくても良かったのでは?』


『ふん。この程度の事で根を上げる若ではないわ』


『漢升殿はいつもそれですな? 何かと言うと鍛練、鍛練。今の劉封殿に必要なのは自信と知識ですぞ!』


『そんなもんは後から付いてくるわい!大体承明よ。お主達が甘やかすから若が腑抜けたのだ。もっと厳しくせんか。厳しく!』


『厳しく? 私は厳しくしておりますとも、法に疎い劉封殿には毎日毎日法について説明しておりますとも。それに劉封殿は実によく私の話に耳を傾けてくださいます。武一辺倒なあなたとは違いますな』


『わしも法には通じておるわ!だが今の若に必要なのは気じゃ! 何事にも動じぬ気が必要なのじゃ! それが無くてはこの先生きて行けぬわ!』


『いいえ、違います。劉封殿に必要なのは知識です!』


『気じゃ!』『知識です!』


『はい、はい。お二人とも冷静に。これでは孝徳殿が起きてしまいますよ』


『うぬ』『申し訳ない』


『ですが、我が君も酷な事をなさいます。今回の遠征が厳しい事になると分かっていて命じたのですから』


『若を鍛える為だと聞いたがの?』


『ええ。我が君は孝徳殿に期待されております。自分の後を継がせる為には困難に打ち勝つ事が必要だと』


『主君は流浪に流浪を重ねて今に至って居りますからな。並大抵の苦労ではなかったでしょう』


『流れ流れて知人、友人、連れ合いに子供。長年一緒に戦った兵達。たくさんの別れを経験なさった筈じゃ。なのにあのお方は今も平然と天下を語っておられる。いや、平然として居られる筈はないのう。心の中ではどのような葛藤が有ることか。我らには想像も出来んことじゃ』


『その一部でも感じて欲しいと思われこの遠征が計画されました。勿論、成功すれば利点の多い遠征です。孝徳殿を鍛え、また我が軍の利益を得るまさに一挙両得の策です。ですが今回の遠征は本来なら入念な準備が必要でしたがその準備をする事なく出陣。兵には酷でした』


『三人に一人の脱落。まあこれでも少ないですな』


『全く情けない。この程度で逃げ出すとは』


『全くです。漢升殿の鍛え方が足らぬのではないのですか?』


『はっ、何を言う。貴様の兵站にこそ問題が有るのではないのか?』


『何ですと?』『何じゃ?』


『はぁ、それくらいにして下さい。そろそろ孝徳殿も目を覚ますかもしれません。報告書はここに置き、我らは行きましょう。これ以上の被害を出さぬ為に各々全力を尽くしましょう。それが孝徳殿の慰めになるでしょうから』


『そうじゃな。我らは我らの務めを果たすとしようかの』


『では、行き過ぎた鍛練は自重なさるようにして下さい。これ以上兵を失うと南海攻略に支障が出ますからな』


『それを言うなら貴様ももっと米を出さんか!腹が減っては力が出んのだぞ!』


『駄目です』『何じゃと!』


『はぁ、やれやれ』



 三人が去った後、俺は静かに起きた。

 上半身を起こして周りを見渡す。

 机の上には報告書(竹簡)が置かれていた。

 そして三人の会話を思い出す。


 もっと静かに話せば良いのに。


 俺は三人の優しさと劉備の厳しさに涙した。


「し、失礼、い、致しまする?」


 この独特の話し方。


「うん。魏延か?」


「は、はい。先鋒の張南からの報告を、お、お持ち、し、しました」


 ふふふ。まだ丁寧な言葉に慣れていないんだな。


「入ってくれ」


「はっ。し、失礼、致しまする」


 魏延が天幕に入ってくる。

 彼の両腕には沢山の竹簡が抱えられていた。


「りゅ、劉封様。ど、どうしたので? なぜ泣いてるのです?」


 天幕に入った魏延は俺を見ると両腕に持っていた竹簡を放り出して俺に駆け寄った。


「あ、ああ。何でも、いや、何でも有るな」


「な、何の事です? あ、あの。お、俺で良ければ。そ、その。話を聞きます。兵で居た頃は、皆、色んな事、話してました。そ、それで。その~、な、仲間になったんです! あ、いや。そうじゃなくて、ですね。その、なんて言って良いのか。お、俺。学が無いから、その……」


 その後もあたふたと話をする魏延を見て自然と笑っていた。


「りゅ、劉封、様?」


「ありがとう。魏延。今度兵達の話を聞かせてくれないかな?」


「よ、喜んで!」


 俺には俺を心配してくれる人達がいる。

 その人達が俺に期待し、俺を鍛えてくれる。

 こんな贅沢な事はない。


 俺は改めて恵まれているのだと実感した。



 そして、三ヶ月に及ぶ行軍の後。


 目的の場所南海が見えてきた。


蜀限定のマイナー武将を募集しております。

こんな人が居るんだぞ!と推薦して頂けると有難いです。


誤字、脱字、感想等有りましたらよろしくお願いいたします。


応援よろしくお願いします

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ