第三十四話 長沙平定
俺達は黄忠の案内で長沙城内に入り韓玄と会見し、韓玄は劉備軍に降伏した。
全く持って拍子抜けだが問題はここからだ。
現在長沙の守備軍は五千を下回っており、外でやんちゃしている劉磐を討伐するには数が足りない。
それに俺の役目は長沙攻略だけではない。
孔明からは長沙の次は桂陽攻略に向かうよう指示されている。
南荊州攻略は早さが勝負なので案外早く終わった長沙攻略の次に早く向かいたかったのだ。
そして本来なら長沙守備軍から兵を得て進軍を再開するのがベストなのだが、先の劉磐の問題が有ってそれが出来ないでいた。
「思うに劉磐は漢升と一緒が嫌で逃げたんじゃないの?」
「な、何を言われるか若!」
だって昔から融通が聞かない性格のこの鬼軍曹と荊州牧劉表の一族でエリートの劉磐ですよ。
上手く行く筈がない。
劉磐がこの長沙に居るのは当時の孫呉の主孫策の侵攻に備えた為だ。
当時から勇猛で知られた劉磐は長沙の守備を任せるのにぴったりだったのだ。
しかし劉磐はあまりに血の気が多く好戦的な為に長沙の守備だけでは満足しなかった。
黄忠がやって来る前の劉磐はそれはもう殺りたい放題で、隙を見ては孫呉に侵攻してそこを守備する太史慈に迎撃され、また侵攻してまた迎撃されるのを繰り返していた。
その度重なる侵攻に頭を抱えたのが劉表である。
劉表は劉磐の勇猛さを買って長沙の守備を任せたのに、まさか彼が守るどころか逆に侵攻するとは思っていなかった。
更に度重なる侵攻で無駄な出費が増え、また兵の損失も多いので彼を抑える役目として黄忠を派遣したのだ。
黄忠が来てから劉磐は大人しくなった。
なぜなら黄忠にしごきにしごかれまくったからだ。
黄忠曰く『それほど戦う元気が有りながら、戦に敗れるのは兵の鍛え方が足らんからだ』と言って兵と一緒に劉磐も鍛え始めた。
地獄のブートキャンプである。
何も知らない新兵もこの鬼軍曹に掛かれば三ヶ月で立派な兵士に成れる。
こうして長沙守備軍は荊州内でもトップクラスの軍隊に成ったのだ。
しかし弊害も有る。
あまりのしごきに兵達が逃げ出すのだ。
俺のように。
だから俺は劉磐が『曹操に与するくらいなら出ていってやる』と言ったのは、黄忠から離れる為の方便ではないのかと疑ったのだ。
ちなみに俺は劉磐とは面識がある。
面識が有ると言うか、彼と俺は同じ劉姓でしかも俺はこの長沙の支配者長沙王劉氏の出身。
親しくない筈がない。
劉磐と会えば俺は彼を説得出来る自信が有る。
しかし黄忠と一緒だとどうなるか?
それを俺は心配している。
そして俺達は練兵場で黄忠の練兵に付き合わされていた。
俺の護衛をしごいた時に黄忠が『若の護衛にしては鍛練が足らん。これでは若を守れんぞ!』と言ったのが原因で二千の兵全員が練兵をしているのだ。
正直そんな事をしている暇は無いと言いたかったが、鬼軍曹の前でそんな事を言える筈もなく俺達は毎日しごかれまくった。
しかしこの練兵で俺の兵は見る見る鍛えられ、出陣前よりも頼りになる兵になった。
そもそも俺に与えられた兵の大部分は新兵で初陣も済ませていない者が大半だった。
長沙では戦闘らしい戦闘は起きないだろうとの三軍師の見立てで俺に新兵を押し付けたのだ。
まあ陳到や策を考えた徐庶が一緒だから文句は表だって言わなかったが、これは無いんじゃないのと思わなくも無かったが。
どうも徐庶は黄忠を当てにしていたのではないのかと俺は思う。
黄忠は鬼軍曹だ。
新兵ややる気の無い兵を見ると鍛えずには要られない性格をしている。
そこにのこのこと黄忠から逃げ、げふん、げふん。
長沙を出ていった俺と頼りない兵を見れば黄忠が鍛えない訳がない。
今も黄忠と徐庶は談笑している。
「うむ。これで何とか形にはなりましたな。若を任せるにはまだまだもの足りんですが、劉磐をこのまま野放しには出来んからのう。この辺で我慢しようかの」
「黄忠殿のおかげで兵が見違えました。ありがとうございます。どうですか。このまま我が軍に加わって貰えませんか?」
え!? 確かに黄忠が一緒なら心強いけど……
俺は背後で屍のように倒れている兵達を見た。
そして徐庶の言葉が聞こえたのだろう。
皆ビクンと僅かに動いたような気がした。
「ふむ。そうですな。劉磐を捕らえた後ならこの地を離れる事も叶いましょう。それに若はまだまだ一人前とは言えませんからな。この黄漢升が側に居らねばなりますまい。はっはっは」
俺が項垂れると兵達もがっかりしたような気がする。
俺は黄忠から離れられないらしい。
黄忠は確かに頼りになる。
頼りになるのだが、この遠征が終わったら黄忠は劉備に押し付けよう。
俺は密かにそう誓った。
短期間のブートキャンプを終えた俺達は黄忠率いる長沙守備軍三千を加えて劉磐討伐に赴いた。
劉磐の居る場所は直ぐに分かった。
長沙からやや西に離れた場所に陣取っていたのだ。
そして俺達がやって来ると陣形を整えて待ち構えていた。
「なぁ元直。本当に大丈夫なのか? 相手は俺達の四倍なんだぞ?」
「大丈夫です。私が長沙守備軍の者達から聞いた話では、彼らは黄忠殿の練兵に付いてこれなかった者達だそうです。それに聞いていたよりも兵の数は少ないようですね。見た限りでは一万ほどかと。これならば勝てましょう」
「いや、俺が劉磐と話をすればそもそも戦いにはならないと思うんだけど……」
「それは無理そうですな。孝徳殿」
俺の隣に居た陳到が指差す。
「既に戦いは始まりました」
「え?」
陳到の指差す先に劉磐の居る場所目掛けて物凄い勢いで突っ込んで行く部隊が居た。
「この軟弱者どもがー!覚悟せいー!」
「「「おおー!」」」
黄忠だった。
「ねえ、知ってる。俺が大将なんだよ?」
「では、行きましょうか」
「どうぞ。号令を」
涙目な俺を無視して二人は兵を動かせと言っている。
「すぅ~、はぁ~。黄漢升に遅れるな! 遅れればこの後また地獄の練兵が待っているぞ!!突撃ー!」
「「「うおおぉぉー!!」」」
俺の号令に目を血走らせながら突撃する兵達。
そんなに練兵をするのが嫌なのか。
だがな、兵隊になった以上練兵は当たり前なんだよ。
俺はそう言ってやりたかったが止めておいた。
「おお、凄いな。漢升は」
黄忠の突撃で敵兵が真っ二つに別れる。
誰も黄忠の前に立とうとはしないようだ。
我先に逃げ回っているようにも見える。
「そうですな。しかし、黄忠殿のやや後ろの居る者もやりますな。あれは誰でしょうか?」
徐庶が指摘する者を見る。
黄忠に遅れまいと必死に追い付こうとする兵がいた。
あっ、敵の馬を奪った。そして黄忠の隣で戟を振り回して兵を追い散らしている。
あの格好は一般兵だよな?
「あれは、我が兵ですな。見た事が有ります。他の兵よりも体つきが良く、目付きが鋭い者でした。確かに他の兵よりは目立つ男でしたが、あれほどとは」
陳到は知っていたのか。
確かにあれは目立つ。
誰だろう?
戦いは一方的に終わった。
俺達の完勝だった。
これって黄忠だけでも良かったんじゃないの?
俺達が居る意味有るのかよ?
そんな疑問を感じながら捕らえた劉磐が俺の前に連れてこられる。
知り合いのこんな姿を見るとは思わなかった。
「お久しぶりです。劉磐殿」
「こ、孝徳か。こんな無様な姿をお前に見せるとはな」
捕らわれてみすぼらしい姿の劉磐を憐れに思った俺は彼の肩に手を掛けて耳元で囁く。
「何で直ぐに降伏しなかったんですか? 漢升殿を敵に回して勝てる訳ないでしょう?」
「私もお前が長沙にやって来ると知って、接触しようと思っていたんだ。しかし俺と会う前にお前は漢升と会ってしまったから…」
あー、そうかー。そうなのか。
「つまり俺と会って降伏して堂々と長沙に戻るつもりだったと?」
「つい勢いで出てしまった手前。戻るに戻れなくてな。劉備殿が江陵を落としてお前がこっちに来ると知ったので、これは戻れると思ったのだ。それに手は抜いて置いた。本気で殺り合うつもりは無かった」
ため息しか出ない。
「分かりました。降伏を認めます。これからは一緒に我が主の為に尽力ください」
「ありがとう。孝徳。この劉磐、劉備様の大義をお助けしよう」
ふぅ、何でこんな面倒くさい事になったのやら?
まあ、練兵の仕上げの大規模演習をやったと思おう。
そう思わないとやってられない。
「それはそうと劉磐殿を捕らえた者が居たな。連れてきてくれ」
劉磐殿の個人的な武は中々の物だ。
手加減をしていたとは言え彼を捕らえるほどの腕前だ。
是非会って見たい。
しばらくして兵の中から頭一つ背の高い男がこちらにやって来た。
「お、お呼びにより、さ、参上致しました」
あ、こいつ。あの一般兵だ。
「劉磐殿を捕らえられる剛の者は中々いない。褒美を与えよう。名をなんと言う?」
ガチガチに緊張しているのか体が震えている。
「はっ。お、いや、私は、名は魏延 字を文長と申します」
はあ~!?
「お前、が、ぎ、魏延?」
「は、はい。お、じゃない。私の名をご存知ですか?」
「あ、いや。褒美は城に戻ってから渡す。下がっていい」
「はっ。し、失礼致しまし、まする?」
丁寧な言葉が苦手なようだな。
それに帰りも緊張しているのか、足と手が一緒だ。
そして魏延が兵達の中に戻ると歓声が沸いた。
兵達との仲は悪くないみたいだ。
それにしても魏延が俺の兵の中に居たとは思わなかった。
てっきり黄忠の部下か、副官でもやっているのかと思っていて探そうとも思わなかった。
それに黄忠の事で頭がいっぱいだったから魏延の事なんてさっきまで綺麗さっぱり忘れていた。
危なかった。
もしかしたら魏延を見つける事が出来なかったかも知れない。
だが今回は幸運だった。
劉磐を味方に出来て魏延も見つかったんだから。
これで良しとしよう。
その後長沙に戻った俺達は兵を整え桂陽に向かった。
もちろん黄忠も一緒だった。
「若、わしが付いておれば安心ですぞ」
俺の心の安寧はいつやって来るのだ?
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