第三十話 赤壁炎上
俺が率いる劉備軍は一万、張飛、陳到、徐庶、関平らが将として付いている。
江夏の劉琦と合流した事で劉備軍の兵力は三万を越えていた。
「全軍、俺に続け!!」
俺は騎乗して曹軍本陣を目指す。
相手は二十万を越える曹軍。
本来なら一万しか居ない俺達では歯が立たない。
しかし、今は江からの周瑜の火計で混乱しており、そして俺達が陸から攻める事で更なる混乱を起こしている筈だ。
このまま混乱する曹軍を俺達は火矢を用いて燃やし尽くす。
長坂での曹軍による民達の虐殺を俺は忘れてはいない。
今こそその報いを受けさせてやる!
勢い良く敵陣に向かう俺達。
しかし、直ぐに異変に気付く。
騒ぎの声が聞こえない。
江では船が燃えているのに敵兵の慌てふためく姿も無ければ、阿鼻叫喚の声も聞こえない。
おかしい、人が少ない。
敵陣の柵の前に来るが敵兵の姿がまばらだ。
それに敵兵は真っ直ぐ立っている訳ではない。
背を柵にもたれさせて立っているのがやっとのようで、俺達に向かってくる様子もない。
こ、これは……
「病を患った兵ですな。となると…… 既に曹操は撤退していると思われます。孝徳殿。これは罠です。急ぎ兵を退きましょう」
俺の隣に居て俺を補佐する徐庶が撤退を進言する。
俺はそれを聞いて一緒躊躇った。
「罠? これが何の罠なんだ。弱った兵を残して撤退しただけだろう?」
「いえ、違います。これは我らを誘い込んでの……」
徐庶が言い終わる前に曹軍の兵がワラワラと現れる。
しかし彼らは鎧を着ていない。
長坂で見た曹軍は誰もが揃いの鎧を着ていた。
なのに今居る兵達は鎧を着ていない。
そして彼らの手には松明が握られていた。
ま、まさか……
「我らは漢帝国の礎となる。漢帝国万歳! 曹丞相万歳!」
「「「「漢帝国万歳!曹丞相万歳!」」」
「や、やめろー!」
俺の声は曹軍の兵の喚声に消されてしまった。
そして彼らは柵に火を点け篝火を倒し、自らも火を点けたのだ。
し、信じられない。
こ、こんな事が、ある、のか?
目の前で起きている事に理解が追い付かない。
およそ考えられない光景だからだ。
漫画やアニメ、ドラマや映画で主人公の陣営に敵対する人達が投降を拒否したり、助からないと知って自害するシーンが有るが、それを現実に目にするとは思わなかった。
それに自らを燃やす敵兵は笑っていた。
笑いながら万歳、万歳と言っているのだ。
まさに狂気だ。常軌を逸している。
「うっ、おえっ」
人の焼ける匂いと目の前の光景を見て吐いてしまった。
気持ち悪い。頭がクラクラする。
俺は馬から崩れ落ちた。
起きようとして地面に手を着くが力が入らない。
なんだこれは、なんなんだ!
さっきまで有った曹軍に対する敵愾心は消えていた。
自分の理解の及ばない相手に思考は停止する。
「孝徳殿。孝徳殿! しっかりしてください。これでは我らも巻き込まれます。孝徳殿!」
徐庶の声がするが頭に入ってこない。
体を揺すられている感じがする。
意識が遠くなっていくのが分かる。
「しっかりしろ! 孝徳!」
顔に硬い何かが当たった。
それを受けて俺は地面に這いつくばった。
い、痛い。なんだ、物凄く痛い。
顔の一部がヒリヒリする。
「まだ起きねえか。この軟弱野郎! こんな事は珍しくねえんだ! 起きろおら!」
大きな手で体を持ち上げらる。
目の前に虎髭がピンピンに立っている男が…… って張飛か?
「あ、う、い、いてえ」
「お、おう。目が覚めたか?」
意識が確りしてきた。
頬が痛い。殴られたのか?
「益徳殿。なんでここに?」
俺達は軍を三つに分けて敵陣に駆けた。
俺と陳到、張飛の三つだ。
その分けた筈の張飛が目の前に居る。
何か有ったに違いない。
「あちこちで火が上がってな。突っ込む事が出来なくなったんでこっちに来たら、おめえと徐庶が何か言ってるのが見えてよ。話は分からねえがおめえが危ねえと思ってよ。殴って正気に戻そうと思ったのよ。効いたろ、俺様の拳骨はよ」
張飛は真顔から茶目っ気たっぷりな顔に変わった。
この切り替わりの速さは真似出来ないな。
「元直殿。状況は?」
張飛の後ろで心配そうな顔をしていた徐庶に聞いてみる。
「先ほどこちらの益徳殿が合流しまして、陳到殿も一旦退くと伝令が参りました。我らもここに止まるのは危険です。一旦退いて別の道から曹軍を追撃致しましょう」
まだ少し頭が痛いが大体理解出来た。
「分かった。一旦退く! 行くぞ!」
「「「はは」」」
俺達が曹軍の陣を離れてもまだ敵兵の声が聞こえてくる。
「なんで、あんな」
俺の疑問の声に意外な男が答えてくれた。
「ああ、あんなんは珍しくねえ。黄巾の奴らもあんな感じだったしよ。徐州に居た時の民草もあんな感じで兄貴を慕ってた。それにおめえも見たろ。俺達に付いてきた民草をよ。曹操の奴らにも似たような奴らは居たな。多分あいつらだろ」
狂信者か。
曹操の狂信者だとすれば、それは多分。
青州兵だ。
元黄巾兵で曹操に投降した者達だ。
非常に好戦的で曹操に絶対服従している彼らは危険な存在として知られている。
そうか、彼らがそうなのか?
自らを燃やして曹操を追えなくするとは、なんと言う忠誠心だ。
「彼らはもう助からないのでしょう。ですから自らの命を盾にしてでも曹操を守るのでしょう」
「へっ。その根性は認めてやらあ。でもよ。あれは無駄死にだろうよ。俺達を止めてもよ。関兄を止める事は出来ねえぜ」
なに?
「益徳殿。それは……」
「ああ。孔明の野郎が関兄に俺達よりも先に曹操の野郎を待ち伏せてやがるのさ」
「益徳殿。立ち聞きなさったのですか?」
「悪いな。元直。ちょっと気になったもんでよ」
劉備と関羽がどこに向かったのか知っているのはこの中では徐庶しかいない。
劉備軍で軍事に関する事はこれまで劉備が決めてきたが、徐庶と孔明が加わってからは劉備とその二人が決めている。
俺達武将は劉備と軍師二人の指示を聞いて動いているのだ。
そして今回、関羽がどのような指示を受けて動いているのかを俺達は知らない。
それなのに張飛は孔明と徐庶が話しているのを盗み聞きしていたのだ。
「まぁ、美味しいところは兄者に任せてよ。俺達は脱落した奴らを捕まえるとしようぜ」
「はぁ、しょうがないですね。孝徳殿。これから曹操の撤退に付いていけなかった者達を拾います。彼らのほとんどは荊州兵です。おそらくは降伏に応じるでしょうが手向かえば……」
「分かってる。陳到殿と合流して追撃に移る。道は分かっているんだろう。元直殿」
「もちろんです。お任せを」
俺達は一度後退すると陳到と合流。
そのまま曹軍の追撃に移った。
曹軍の陣を遠回りしての追撃で追い付ける事はないと分かっているが、それでもやらないと行けない。
物事には万が一と言う事が有るからだ。
そして曹軍の追撃を行う俺達の前方には、曹操に置いていかれた兵達がところどころに座っていた。
そんな彼らに降伏を促し吸収する。
俺は降伏兵達を関平と陳到に任せて先を急ぐ。
孔明は曹操を討ち取る事は難しいと言っていたが、彼を討ち取る機会は少ない。
いや、これを逃すとほぼ無くなると見て間違いない。
だから急ぐ。
ある程度進むと趙雲が曹軍と戦っていた。
しかし俺達が着く頃には趙雲は曹軍を追い散らしていた。
「子龍。曹操は?」
「益徳殿。曹操は先に行きました」
「そうか。なら急がねえとな。行くぞ孝徳!」
「あっ、待ってくださいよ」
いつの間にか軍を率いるのは張飛になっていた。
俺は先ほどの曹軍の兵の姿が脳内に残っていて、兵を率いる元気が無くなっていた。
その為、徐庶が張飛を先頭に配置して兵達を引っ張らせているのだ。
当然引っ張られているのは兵だけではなく俺もなのだが。
張飛を先頭に先を急ぐ俺達。
その後ろから趙雲も付いてくる。
曹操を追って追って追いまくる。
張飛の速度に付いてこれず兵の数を減らしているがそんな事を気にしていられない。
途中で幾つかの小隊とぶつかるが張飛の突撃を受けて瓦解する。
俺達の数も少なくなったがそれでも曹軍は俺達を止める事は出来ない。
そして夜が明け始める頃に関羽と出会った。
「関兄。曹操は? 討ち取ったんだろう?」
「益徳。……すまん」
関羽は馬から降りると俺達に頭を下げた。
あのプライドの高い関羽が頭を下げる。
これは二度と見られない姿かも知れない。
しかし、そうか。やっぱり駄目だったか。
張飛も関羽が頭を下げた事でその先を聞く事はなかった。
もちろん俺達も曹操の事をそれ以上を聞く事はなかった。
たとえ関羽がわざと曹操を逃がしたと分かっていてもだ。
関羽の兵達に汚れがない。
そして関羽の姿も綺麗なままだ。
だからここで何が有ったかは予想出来るのだ。
関羽は曹操に義理が有る。
だからこの結果は分かっていた。
演義でもそうだったからな。
だが、演義とは違った事も有った。
それは……
俺達が関羽と合流してしばらくこの辺りに居る曹軍の脱落兵を引き入れていると伝令がやって来た。
その伝令は曹操が逃げた先からやって来た。
「申し上げます。この先の江陵を曹軍より取り返しました。劉備様が皆様の到着をお待ちです」
は? 江陵を占拠したのか?
え? いや、だって、そんな筈は……
こんな事、正史にも演義にも無かった展開じゃないかよ!
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