第二十九話 赤壁前夜
さぁ、いざ決戦となった時に俺は赤壁には居なかった。
蒋幹が居なくなってからしばらくして俺と孔明も周瑜の下から去ったからだ。
その理由は周瑜から劉備軍を動かして欲しいと請われたのだ。
これでようやく劉備の下に帰れると言う嬉しさと赤壁の結末を直接見れないと言う残念な思いが有るがしょうがない。
帰れと言われたんだから帰るとしよう。
いやー、あのまま残っていたらまた何だかんだと無理難題を言われんじゃないのかとヒヤヒヤしていた。
実は曹軍に潜入、なんて話もあったくらいだ。
しかしそれは俺が劉表配下の将との面識が有るのと、先の長坂での曹操に対する啖呵を切って、バッチリと周りに顔を知られているのでこの話は流れた。
実は俺の名前は曹軍に結構知られているのだ。
長坂での曹操とのやり取りと文聘との一騎討ちの話が噂になっていたようだ。
周瑜が蒋幹と話をしていた内容に俺の名前が出てきたと教えて貰った。
なんでも蒋幹は俺の事を探していたらしく、曹操が俺を気にしていると言う話だった。
おお、怖。
曹操に気に入られるなんて勘弁だ。
要らぬ誤解を受けかねない。
だってこの話を聞いた孔明の顔が一瞬真顔になっていたからだ。
その後直ぐに笑い飛ばしてこの話はお流れになったけどね。
味方から疑われるのは気分の良い物ではないな。
さて、実は劉備は夏口から赤壁の近くに陣を張っていたので合流するのは案外早かった。
皆との久しぶりの再会は少々荒っぽかった。
「孝徳。よく戻った。心配したぞ!」
劉備は会うなり俺を力強く抱き締めた。
うお、結構力強い。ちょっ、苦しい。
「ふん。文聘を退けたそうだな。まあ、お前にしては良くやった」
関羽は偉そうにしてそう言っていたが顔はニヤついていた。
このツンデレめ!
「孝徳。大丈夫だったか? 周瑜の野郎に何か言われなかったか?」
張飛は俺と劉備を抱き締めた。
ちょっ、マジで勘弁! 力強すぎなんだよ!
実は劉備と周瑜は面識が有る。
周瑜が曹軍との緒戦を勝利で飾った後に劉備は周瑜と合流しようと陣を訪れたのだ。
その時、周瑜は劉備に手助け無用と断っている。
その場には関羽と張飛が居て一悶着が有ったが何とか収まったとか。周瑜は恐いもの知らずか?
いや、あの小覇王孫策と一緒だったから関羽や張飛みたいな豪傑のあしらい方を知っているのかも知れない。
俺はその話は初耳で驚いた。
周瑜はそんな事何も言わなかったからな。
周瑜からはいずれ協力して貰うのでと言う事で孫呉とは少し離れたところに陣を張っていたと言う事だ。
「曹軍と孫呉の決戦は直ぐです。我らはこれより対岸に上陸して北から曹軍を攻めます。ですが戦う必要は有りません。我らの狙いは曹軍の残す物資と兵です。正確には荊州兵を吸収するのが目的です」
再会して喜んでいる俺達を他所に冷静に献策する孔明。
「分かった。直ぐに動こう」
劉備は孔明の策を即決する。
「なんでい。曹操をぶち殺さないのか?」
「曹操を討ち取るのは難しいでしょう。それよりも彼が残す物を得るのが得策と考えます」
う~ん。物資は燃やされるだろうし、荊州兵が投降するのかな?
「軍師。物資は燃やされ、兵が投降するとは思えないのですが?」
おっと、俺が聞きたかった事を関平が聞いてくれた。
「大丈夫です。曹操が我らに残してくれるでしょうから」
孔明は意味深な言葉で締めくくった。
赤壁の戦いの中でもっとも大事な名場面の一つに孔明が東南の風を起こすイベントがある。
これは演義の創作イベントだ。
実際はここの地理と気候に詳しい周瑜が東南の風が起きる時期を知っているので、孔明の出番はない。
では史実では劉備軍と孔明は何をしたのかと言われると、陸上から曹軍に火計を仕掛けたと成っている。
と言うか呉以外の書物では劉備軍が火計で曹軍を敗退させたと有る。
魏の書物でも負けた理由が劉備の火計と成っているのだ。
一方では劉備と周瑜が合同で曹軍を攻めて敗走させたとも有る。
まあ、真実がどこに有るのかは勝者が決める事だ。
この場合は劉備と周瑜の二人だな。
俺達劉備軍は夜陰に紛れて曹軍の陣の北側に回り込んで斥候を放つ。
斥候の報告では曹軍の陣はガチガチに固められていて潜入出来なかったようだ。
だが、こっちの動きにはまだ気づいていないそうだ。
それが本当なら曹軍の軍師は相当なマヌケと言わざるを得ないな。
それにあの曹操が俺達の存在に気付いていないとは思えない。
何かしら罠を張っているんじゃないのか?
「元直殿。おかしいとは思いませんか? これが本当にあの曹操の軍だと思いますか?」
「確かに妙ですね。陣の警戒を厳にしているにも関わらず、周りに斥候を放たないなど考えられない事です」
今この軍の指揮をしているのは劉備でも、関羽でもない。俺だ。
何で俺なのかと言われれば、そこは孔明に言われたからだとしか言えない。
劉備と孔明と関羽は俺達とは別に二万の軍勢を率いて別行動を取っている。
俺は孔明が何を考えているのか全く分からない。
しかし、与えられた任務はやらないと行けない。
俺に与えられた任務は周瑜が火計を仕掛けたと同時に俺達も曹軍に火計を仕掛ける。
そして逃げ惑う兵に降伏を呼び掛けて兵を吸収し、逃げる曹軍に追撃を仕掛ける。
しかし、追撃はほどほどでいいと言われている。
無理をする事はないと言う事なので結構気が楽だ。
俺達は火計の準備をしつつ夜を待った。
「まだなのか?」
「まだですよ」
しばらくして。
「おい、そろそろじゃないのか?」
「まだです」
それから少しして。
「俺達から先に仕掛けようぜ。な!」
「はぁ、益徳殿。少しは落ち着いてくださいよ。それに俺達から動いたら策が失敗するかも知れないじゃないですか!」
「お二人ともお静かに」
「す、すみません」「す、すまん」
もう! 張飛のせいで陳到に怒られたじゃないか!
「ふふ。二人を見ていると緊張感がないよね。もっと緊張してもおかしくないのにさ」
「ええ、そうですね。お二方のおかげで兵の緊張も取れましたね」
「ふふん。そうだろう。俺様の計算通りよ。な! 孝徳!」
二人ともあんまり張飛を褒めるなよ。
直ぐに調子に乗るんだからなこの人。
それと肩に手を回さないでくれる?
ちょっと苦しいんですけど?
「お静かに」
「お、おう。すまん」
陳到に睨まれて張飛が小さくなった。
へへん。ざまあ!
「うん。風が出てきましたな?」
あ、本当だ。
「それにしても凄い篝火だね。ここまで明るいとはね?」
そうだな。ここから曹軍の陣まではまだ距離が有るのに、この明るさ。
一体どれ程の篝火を用意したのやら?
「どうやら始まったようですな」
陳到の言葉と同時に曹軍の陣から篝火とは別の光源が見えた。
俺は直ぐ様号令を掛ける。
「火矢を用いろ! 火球に火を点けて道を塞げ!」
俺の号令に合わせて麦藁と竹で作った直径一メートル弱の玉に火矢で火が点けられる。
退路の一部をこれで塞ぐのだ。
「行くぞ!俺に続け!」
俺達劉備軍による曹軍追撃が始まる。
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