第二十四話 兵站準備
こ、この男が陸遜!? なんでここに居るんだ?
確かこの頃の陸遜は文官だった筈だよな?
あれ? 武官で山越討伐をやっていたっけ?
いやいや、赤壁に参加してたとも言われてなかったか?
う~ん。どうも記憶が曖昧だ。
と、とにかく目の前の男が陸遜で間違いない、のか?
「えっと、陸遜殿は呉郡の出身ですか?」
「ええそうです」
にこやかに答える陸遜。
ちくしょう! 笑顔も絵になりやがる。
「一族に陸績と言う人が居ますか?」
「公紀殿をご存知ですか! 彼は我が一族の長をしております。私は歳が彼よりも上なので後見人をしておりますが、才も名声も彼が上です。私に取って彼は尊敬すべき人物です。いや~まさか荊州にまでその名が知られているとは流石は公紀殿だ。私も彼に負けないように精進しなくては。ははは」
どうにも勘違いをさせてしまったようだが間違いないな。
彼は本物の陸遜だ。
これから先、彼が関羽と劉備を、そして間接的に張飛と俺を殺す人物だ。
そう思った時、背中にヒヤリとした汗が出ていた。
陸遜 伯言
関羽を呂蒙と共に捕らえて、夷陵の戦いで劉備を破っている。
この男が居なければと思っている蜀ファンは多い筈だ。俺もその中の一人だけどね!
でも彼は晩年は不遇だ。
二宮の変に巻き込まれ、有らぬ疑惑を孫権に持たれて憤死している。
陸遜はその華麗な功績とその後の不憫な死を迎えた事を思えば、それほど憎いとは思えない。
しかし、間接的には俺の死に関係していた人物だけに、どう接したら良いのか分からない。
「陸公紀殿の名は私も知っております。そうですか。彼の親族の方なのですね陸遜殿は?」
「ええそうです。伏龍と呼ばれる孔明殿にまで知られているのですね彼は。ははは」
あ、渇いた笑いをしている。
もしかして陸遜は陸積にコンプレックスをもってるのかな?
同じ一族なのに年下で、しかも後見人なのに名声で負けているのは結構ショックだろうな。
「ごほん。私が兵站を任されたのですが、その補佐をお二方に頼みたいのですが……」
おっと、魯粛を忘れていた。
「分かりました。お手伝い致しましょう」
ふふ、後方担当なら安全は確保されている。
周瑜からのツッコミも有るまい!
ツッコミさえなければボロを出す事もない。
「おお、助かります。本陣に居る周瑜殿と合流するまでの間で構いませぬからな」
で、ですよねー。知ってました。
ちきしょう!周瑜からは離れられないのかよ!
それにしても、周瑜に魯粛に陸遜か。
後は呂蒙と会えば孫呉の誇る歴代司令官と面識を得る訳だ。
ここは一つ、呂蒙と有って見るのも一興か。
彼らと繋がりを持てればこの後色々と助けて貰えるかも知れないからな。
こうして俺と孔明は魯粛、陸遜と共に糧食と武具、予備兵力の確保に奔走した。
周瑜は魯粛に長期戦になると伝えていたので、既存の量では足りないと言う事なので慌て集める事になったのだ。
周瑜はおそらく赤壁の後の戦いも視野に入れているのだろう。
流石は周瑜と言ったところか。
そして俺達はそんな周瑜の無茶振りに振り回される事になる。
今が夏から秋に変わって良かったよ。
これが春先とか冬だったら大変だ。
糧食を集めているついでに孫呉の主食を説明しよう。
それは米だ。
そう、日本人に馴染み深い米が主食なのだ。
でもこの時代の米の食べ方は炊くのではなくて蒸すのだ。
長江より南の人々は蒸した米を食べている。
日本人の俺としては炊いたお米を食べたいが、蒸したお米も存外イケる。悪くないのだ。
後、余談では有るが長江より北部の主食は麦だ。
稗や粟も食べられている。
日本では雑穀米と言えば分かるだろうか?
栄養分が豊富で健康に良いんだよ。
そして麦は小麦粉にして焼いて食べるのだ。
これはパンと言うよりもインドのナンに近い食べ物で、間に何か挟んで食べたりする。
戦場ではそのまま食べるのが一般的だがそれでは物足りない。
でも、携帯食としてはとても便利だ。
ただし、米と違って長く保存が効かないのでこのパンモドキは北では主食だが、南方では主食になり得ない。
土地が違えば食べ物が変わると言うが、さすがに中国大陸は広い。
北と南で主食が違うんだからな。
でもこの違いが後々響いて来るのだ。
さて、俺達四人はいつも一緒と言う事はない。
役割分担と言う物が有る。
得意分野で仕事を別ければ効率も違ってくる。
そこで二手に別れて仕事をしている。
屋敷に籠って数字と格闘しているのは孔明と魯粛だ。
元々孔明は数字に強い。流石は後の蜀の丞相様だ。
魯粛は孔明の処理速度に驚いていたが、そこはやっぱり歴史に名を残した人物、あっさりと孔明の仕事に追い付いてしまった。
そんな二人とは別行動で俺と陸遜は動いていた。
孔明達が書類仕事なら、俺達は現場仕事と言う事になる。
日々積み上げられる食料や武具、予備兵達を数えて孔明達に報告するのが仕事だ。
陸遜は文官の仕事をしていただけあって、テキパキと仕事をこなしている。
俺も慣れない仕事なので陸遜に教わりながら仕事をこなした。
「孝徳は文官仕事が苦手なのか。あれだけ弁が立つのにな」
「はは、申し訳ない。机仕事は苦手なんだよ伯言」
この仕事で俺は陸遜との仲を深める事が出来た。
彼は中々の苦労人で、色々と周りに気を使っていたそうだ。
俺にも最初は敬語を使っていたが、今では字で呼び捨てし合うまで仲良くなった。
そんな彼は日々愚痴を溢す。
「陸康(陸積の父)殿が生きていれば今よりも陸家はもっと繁栄していた事でしょう。今の私は名ばかりの長なのですよ。ははは」
今の陸家は決して恵まれてはいない。
陸康は孫策に攻められて死んでいる。
この時から陸家は苦難の道を歩んでいる。
陸積はこの時幼く陸遜と共に呉郡に避難していて難を逃れた。
陸遜は幼い陸積の後見人として陸家を切り盛りしていたのだ。
しかし、陸積が成長し孫策に仕えると立場は逆転。
今ではすっかり陸積が陸家の長と周りには思われている。
実際には陸積は陸遜を長として敬っているがそれが陸遜を悩ませている。
陸積は孫権から重用されているが給与は高くない。
そして陸遜は陸積よりも地位も給与も低い。
これでは一族の長とは呼べないだろうな。
それにしても陸積は父の仇に仕えていたのか。
これも乱世に生きる人の処世術なんだな。
でも彼らには孫家に仕えるしか生き残る術が無かったし、選択肢も無かった。
それに話を聞いていると陸遜は孫家と言うか、孫権に不満が有るようだ。
もしこれが本当なら、陸遜を仲間に出来るかも知れない!
陸遜は後々を考えると敵に回したくはない。
せっかく仲良くなったしな。
敵にするよりは味方にした方が良い。
今のうちに唾を付けておくか?
まあこの戦いの間は一緒に居るのだから追々やっていくか。
そうして周瑜が発ってから二十日ほどが過ぎていた。
その間に周瑜は烏林の近くで曹操軍と遭遇し、先発隊を撃破した。緒戦を制したのだ。
その後は膠着状態が続いている。
孫呉が積極的に出てくるとは思っていなかった曹操軍は出鼻を挫かれた訳だ。
そして慎重になっている。
このまま長期戦に持ち込むのが周瑜の策だ。
俺達が周瑜と合流するのは本格的な冬を迎える前だ。
まだまだ時間は有る。
……と思っていたが周瑜から伝令がやって来た。
『急ぎ、合流されたし』
この短い伝言に周瑜の焦りを感じた。
何かが前線で起こっている。
俺は不安に思いながらも周瑜と合流するために長江を下った。
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