第十八話 逃避行の終わり
やっとの思いで漢津にたどり着いたが、そこには船が無かった。
「くっ、探せ! 船を探すんだ!」
こんな筈じゃなかったのに!
やはり微妙に史実とは違っていたようだ。
本来ならここに百艘ほどの小舟が有った筈なんだ。
劉備達が逃走に使っても尚余るほどの船が有った筈なのに、どこに有るんだ!
「孝徳、船は?」
む、関平達追い付いて来たのか?
俺は呼ばれて振り返ると返り血を浴びて髪や顔、鎧を汚した関平が居た。
関平の後ろには関平と同様に返り血と傷を負った兵が肩で息をしている。
皆の顔に疲労が見える。
「見えている範囲に船は無い。今、四方に人を出して探させている。後ろはどうなった?」
「そうか。殿は益徳殿と陳到殿、廖化殿が居る。益徳殿を見た曹操軍が恐れをなして兵が退いたよ。少しだけだけど刻が稼げたと思う。兵に休息を取らせようと思うけど、良いかい?」
「もちろんだ。ただ船が見つかり次第移動を始めるけどな」
「うん、分かった。各々休め!」
関平の号令で兵がその場に座り込む。
日が西に傾き始めていた。
朝から今まで休みらしい休みを取っていなかったのだ。
兵の疲労も貯まると言うものだ。
ただ指揮官である俺達は別だ。
休んでいる暇はない。
「元直殿、船は?」
船を探すように指示を出した後に指揮を取っていた徐庶が近づいて来たので聞いてみた。
「いえ、見えません。どうやら予定よりも遅れているようです。迎えの船を寄越すと伝えられたのですが……」
「それはいつ頃です?」
「中天との事でした。もうしばらく待って見ましょう」
関平の問に答えた徐庶はいつも通りだ。
慌てた様子はない。
指揮官が慌てては兵の士気に関わるからな。
それにしても焦れる。
俺は内心焦っていた。
予定通りに事が運ばないのが、こんなにも心を乱すとは思わなかった。
そして待っている今この時も、頭の中にはさっきまでの戦いで死んでいった人達の顔がちらついていた。
彼らの犠牲を無駄にしないように、俺達は生きないと行けない。
「大丈夫かい、孝徳。顔色が悪いよ?」
「えっ、あ、大丈夫だ。大丈夫」
はぁ、顔に不安の色が出ていたみたいだ。
関平に心配されてしまって情けないな。
でも思い出してみたら俺は本当なら学生なんだよな。
それが何だってこんな生き死にの激しい世界に居るんだか?
向こうに居たら今ごろは辛すぎる四川料理を食べて観光を楽しんでいた筈なのに。
今は周りの景色や食事を楽しむ余裕すらない。
内心ため息しか出ないよ。
「孝徳様。水をどうぞ」
「あ、すまん」
兵達の何人かが水や食事を配っている。
飯はおろか水も飲んでいなかったのを思い出して喉が乾いていたのを思い出す。
水の入った碗を受け取り一息で飲み込む。
くぅー、旨い! 腹の中に染み渡る旨さだ。
これほど旨い水を飲んだのは生まれて初めてだ。
「ありがとう。お前達も休むと良い」
「は、はい」
まだ二十歳そこそこのぺーぺーが偉そうにしてる。
自分の事ではあるが、やっぱり慣れないな。
そして今が敵から追われているとは思えないほどゆっくりしている。
だから、まだ来てくれるなよ。
しばらくすると殿に出ていた張飛達がやって来た。
「けっ、歯ごたえねぇ連中だぜ。全くよぉ~」
あれだけ暴れてまだ足りないのか?
「孝徳殿、曹操軍は一時兵を退きました。しばらくは安全だと思われます」
「そうか。廖化殿も休むといい」
「はっ、お心遣いありがとうございます」
廖化は固いね。
「陳到殿もお疲れ様でした」
「何、大した事はない。それにしても先程の騎馬隊は劉備様を追っていた部隊であろうか?」
「そうだと思いますが…… どう思う元直殿?」
頭がまるで働かない。疲れているのが分かる。
こういう時は頭脳担当に丸投げするのが一番だ。
ああ、俺も張飛の事を言えないな。
「数は多くなくとも追ってで有ったと思われます。おそらくは劉備様達を取り逃がした後に、我らと出会ったと思われます。孔明の伝令とは入れ違いになったのでしょう。我らは孔明の用意した船を待つだけです」
「そうか。では待つとしよう」
陳到ってタイプ的には趙雲と同じなんだよな。
キャラが被ってる感じで、ちょっと面白い。
ひょっとして陳到の武勇伝って趙雲に取られたんじゃないのかな。
趙雲の有名な武勇伝はこの長坂で『阿斗』と『甘夫人』を救い出したエピソードが有名だ。
本当は趙雲が阿斗を抱えて、陳到が甘夫人を守ったんじゃないだろうか?
趙雲と陳到が同列なのはきっとそれが原因だと思うんだよ。
で三国志オタクの裴松之が趙雲と陳到を一緒にしんたんじゃないだろうか?
でもそれだと正史で語られていないのもおかしいな。
やっぱり陳到って謎な人物だな。
こんな凄いのにその他の人扱いなんだからおかしいよ。
きっと陳到以外にも正史に埋もれている人はたくさん居るんだろうな?
と、そんな事を考えながらしばらく大人しく待っていると斥候に出していた者達が戻ってきた。
「申し上げます。長坂方面から数万の兵がこちらに向かってきています」
「曹操の本隊ですな」
分かってるよ徐庶。
あっ、他にも来た。
「も、申し上げます! 船が見えました!」
よし、来たか!
「上流より船団!旗に曹の文字です!?」
「曹操の追ってですな。船を調達してくるとは……」
これは…… いよいよ不味いのでは?
「ここから移動しましょう。川沿いを南に……」
「来ました! 下流より船団!旗に劉の文字。味方です!」
よし! 間に合った。
「味方の船団に移乗する。皆落ち着いてな」
飛び上がって喜びたいのを我慢しながら船に近づく。
そこには見知った赤ら顔が見えた。
「無事のようだな、孝徳」
「待ってましたよ、雲長殿」
ここ一番で頼りになる男の登場だ。
「関兄、曹操の船も来てるぞ。どうする?」
「心配ない。何も問題ない」
そう言うと関羽が右手を上げた。
すると向こうの対岸に劉の旗と趙の旗が見えた。
数は数千ぐらいだろうか?
対岸から曹操の船に矢の雨を降らせている。
「子龍殿も来ていたのですか、父上」
「関平も無事だったか。武功を上げたか?」
えっ、それを今聞く?
「はっ、確りと!」
「うむ。ならばよし」
なんだろうな、この親子。
「では行きましょう。ここに長居は無用です」
徐庶の言う通りだな。
俺達が船に乗っている間に曹操軍の本隊が来たが、なんとか先に乗船して漢津を後に出来た。
上流から来た曹操の船団は対岸に居る趙雲率いる兵の矢を受けて追撃を断念したようだ。
こうして俺達は関羽の率いてきた船団に乗って逃避行を終えた。
やっと、本当の意味で一息つけた。
だが、まだまだ困難な状況は続いている。
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