第十一話 劉備の存在
ノロノロ、ノロノロ。遅い、遅すぎる。
襄陽で十万を越える人達の圧倒的な熱量を感じて感動した俺だったが、今の状況ははっきり言って不本意だ。
当初の予定の半分も進めていない。
あまりにも人が多過ぎて馬車の数が足りず、さらに足腰の弱い老人や子供も増えてしまって、思うように距離を稼げないでいた。
これではどうやっても江陵にたどり着く前に曹操軍に追い付かれてしまう。
俺は焦りの為にイライラしていた。
この後の予定としては難民はそのまま江陵を目指して、長坂にたどり着いたら劉備ら一部重臣達はそこで別れて漢津で関羽と合流。
残った連中は曹操軍が迫ったら散り散りになって逃げる予定だ。
俺達劉備軍が難民と一緒に居なければ、曹操軍も難民を襲う事はないだろう。
逆に難民を押し付けて、その間に江陵を占拠してしまおうと言う魂胆だ。
既に難民の中に居る有力者達とは話をしている。
彼らは俺達に守って欲しいと言っていたが、現状ではそんな事は無理な話だ。
だから彼らにはギリギリまで一緒に行動すると伝えた。その後は俺達が一緒だと曹操軍を刺激してしまうので別れた方が良いとも伝えた。
あまり納得した表情をしていなかったが劉備が紺紺と説明すると涙ながらに説得に応じてくれた。
何でだよ!一緒の事言ってるのに何で劉備だと納得して俺だと駄目なんだよ!
「くそ、ちゃんと説明したのに何で俺じゃ駄目なんだ!」
「仕方ないよ。僕達みたいな若輩者が言っても納得なんてしてくれないよ」
「でもあれじゃ駄目だ。きっとあの人達は俺達の後を付いてきてしまう。それじゃ駄目なんだ!」
「孝徳。落ち着いて。そんなにイライラしないで。皆不安に思ってしまうよ。笑顔だよ。笑顔。余裕のある表情をしないと駄目だよ」
俺と関平は馬に乗って並んでいて、俺の愚痴を彼はやんわりと注意してくれた。
俺が馬に乗れるのは劉封の記憶と趙雲の熱血指導のお蔭だ。
劉封の記憶では馬の乗り方操り方は分かるが、俺は今まで馬に乗った事が無かったので、馬の乗り方を忘れたと言って槍の稽古をしてくれた趙雲に馬の乗り方を教わったのだ。
記憶は有っても実際に乗ってみると、勝手が違う為に俺は馬に振り落とされてしまう。
周りで見ていた張飛の笑い声と関羽の叱咤にムカつきながら、俺は挑戦し続けた。
それに用意された馬も酷かった。
本来なら従順な馬を用意しての訓練だったのに、張飛と関羽がこの馬を使えと用意した馬はあの『赤兎馬』の子馬だったのだ。
赤兎馬は別名『干血馬』と言われている。
史実でも赤兎と言う馬に呂布が乗っていた事が資料に残っている。
演義で曹操が関羽にプレゼントした馬が呂布の乗っていた赤兎馬だ。
その赤兎馬の子馬が俺に用意されたのだ。
見るからに気の強そうな馬で俺を見下しているように見えた。
それにこの馬は俺が乗ると暴れるのに関平が乗ると大人しくなるのだ。
こんな理不尽が有って良いのだろうか!
そして結局はこの赤兎の子馬は関平が乗って、俺は趙雲が用意した白馬に乗っている。
こいつは従順で大人しく俺の指示に素直に従ってくれる。
それに趙雲の指導も良かった。
初めからこの白馬で良かったんだよ!
なんで暴れ馬に俺が乗らなくちゃならなかったんだ!
思い出したら腹が立ってきた。
はぁ、もう。思い通りに行かない事ばかりだ。
それに逃避行の最中なのに難民達ののんびりとした態度にもイライラしていた。
こっちは焦っているのになんであいつらはあんなに危機感がないんだと!
でもそれは違ったのだ。それは俺の思い違いだった。
ある難民の集団と一緒に食事を取る事になった時に、彼らが精一杯に虚勢を張っているのに気付いたのだ。
「わしらのせいで劉備様に迷惑を掛けて申し訳ないです」
そう言って難民の人達は内情を話してくれた。
彼らは黄巾の乱から続く戦禍で住む場所を失った人達だった。
そして曹操が徐州で行った虐殺から逃れた人達もここに居たのだ。
「わしら住む場所を失った。故郷には誰も残って居らんのです」
そんな時に劉備が劉表を頼って荊州に来た事を知った難民はここに来たのだ。
比較的戦禍の少ないここ荊州で彼らは暮らす事が出来たが、曹操がやって来たと知ってまた住む場所を無くすのではないのかと言う恐怖感から劉備に付いてきたのだ。
劉備に付いてきたから安全だと言う保証はない。
しかし彼らは誰かに頼りたかったのだ。
誰かに庇護して貰いたかったのだ。
そしてその存在が劉備だった。
事の発端は新野での民の避難が原因だった。
新野の民を避難させたのは城を放棄したからだ。
そして新野の民が樊城に着いた時に噂が立った。
劉備が曹操軍の手から民を守る為に、新野の民を連れていったのだと。
間違ってはいないのだが噂には尾ひれが着く。
『劉備様は我ら民の事を思い。曹操と戦うらしい』
『曹操は我らを徐州の時と同じように虐殺するらしい。それを劉備様は知って曹操と争う決心をしたようだ』
『荊州の主は降伏する条件に我らを曹操に差し出すらしい。我らの全てを曹操は奪うと言っているそうだ』
噂というのは恐ろしい。
曹操は意味も無く民を殺したりしない。
しかし彼には前科がある。
その前科の為に間違った認識を民に植え付けてしまったようだ。
そして彼ら難民はそんな間違った情報を信じて恐怖しながらも、気丈に明るく振る舞っているのだ。
ともすれば一目散に逃げ出したい心を押さえて。
集団で居る事でその恐怖心を紛らわしながら。
劉備という人物を信じて!
だから俺の言葉よりも劉備の言葉を信じたのだ。
劉備が言うのだから大丈夫だと。
劉備なら自分達を見捨てたりはしないと。
俺はこの人達の言葉を聞いて恐怖した。
俺が劉備の立場だったらどうしただろうか?
勘違いしている人達の思いに押し潰されてしまうのではないだろうか?
逃げ出したくなるのではないだろうか?
とてもではないがこんな大勢の人達の思いを受け止める事など出来ない。
でも劉備は戸惑ってなどいなかった。
俺のように動揺したり、恐怖しているようには感じなかった。常に堂々としていた。
これが英雄と呼ばれる存在なのだろう。
俺のような若造が本を読んで、あれこれと欠点を見つけてはこれが駄目、あれが駄目だと言える存在ではないのだ。
劉備は本当に凄いのだ。
改めて俺は劉備が英雄と呼ばれる存在なのだと認識した。
そして彼に尊敬の念を抱くようになった。
今までは優しいだけの大人だと思っていたからな。
尊敬できるような面を見れなかったのだからしょうがない。
そしてそんな逃避行も終わりを迎える。
長坂に差し掛かろうとしていた俺達に曹操軍が追い付いてきたのだ。
それが惨劇の幕開けになると俺は思っていなかった。
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