第百六話 断罪と裏切り
五丈原の戦いが終わり、成都では論功功賞が行われた。
その中で敗戦の責任を問われる孔明。
そして、劉封殺害の犯人として孟獲が引き出される。
孟獲が俺の前にやって来て跪く。
その孟獲の前に劉巴が立ち彼に問う。
「この者はある者の命により、劉将軍殺害を行おうとした。いや、行った。では、誰の指示に因るものか。この場で嘘偽りなく申すがよい」
劉巴の淡々とした問いに、孟獲は顔を中々上げようとはせずに黙っていた。
「孟獲」
そんな彼を見て俺は彼の名前を呟いた。
その声は小さく孟獲に聞こえたとは思えないが、彼は顔を上げた。
孟獲は劉巴を見、そして俺を見ると、覚悟を決めた顔をして孔明を見て大きな声で発言した。
「諸葛孔明」
その名前が出ると周りの者は動揺する事は無かった。
ただ、孔明派の者達は眉間に皺を寄せたり、孟獲から顔を背けたり、彼を睨み付けたりしていた。
「との事だが、孔明よ。何か言うことはあるか?」
劉巴は怒りもせず、冷静に孔明に問い掛ける。
俺だったら怒りに任せて大声で喚いているところだ。
さぁ、罪を認めろ!
「何を申されるかと思ったら、このような事ですか。皆はこの者の言をお信じに成られるのですか?」
は?
「この者と私は直接会った事は御座いません」
いや、いやいやそんな事はないだろう?
「私がこの者に劉将軍の命を奪うように、命を下す等有り得ませぬ」
か、完全に否定しやがった。
場がざわつく。
俺は孔明の開き直りに声が出なかった。
そんな俺に代わってか、劉巴が孟獲に声を掛ける。
「孔明はこう言っているが、どうなのだ?」
「間違いなく、孔明の指示を受けました」
断言する孟獲。
皆が皆、孔明に注目する。
だが、孔明は至って冷静だ。
なんでこの状況で落ち着いて居られるんだ?
「お待ちを!」
そう声を上げたのは楊儀であった。
「お待ち下さい。劉将軍殺害を命じたのは私です」
お、おま、何言ってんだよ!
「私なのです。孔明殿では有りません。私です。私が命じたのです!」
場が更にざわつく。
「よ、楊儀。そうじゃないだろう?」
俺は楊儀に問わずには要られなかった。
「いえ、私なのです。私が命じたのです」
楊儀、孔明はお前が庇うような奴じゃないだろう?
「そうなのか、楊儀」
「そうです劉巴殿。私の独断で命じたのです。孟獲はそれを孔明殿の命だと勘違いしたのです」
楊儀が孔明の側近だと言う事は誰もが知っている事、だから楊儀からの命令は孔明の命令だと思ったと言うことにしたいのか?
「楊儀、貴様は何と言う事をしでかしたのだ!」
「も、申し訳ありません。孔明殿」
こ、こ、孔明の奴、楊儀に責任を押し付けるつもりか!
「そうか。楊儀の独断と言うことか。そして、孔明はこの事を知らなかったと言うことだな?」
「知らなかった。まさか楊儀がこのような大それた事をしでかすとは……」
劉巴の問いに孔明は、顔を羽扇で隠し俯いた。
わ、わざとらしい~
こいつこんなにしおらしい奴じゃないだろうが!
「そんな筈はない。俺は間違いなく孔明殿の指示を受けたのだ!劉将軍を殺せと!間違いない!孔明が、奴が俺に命じたのだ!」
「黙れ孟獲!お前に命じたのは私だ!私が貴様に劉将軍を殺せと命じたではないか!」
「う、うるさい!確かに俺はお前から命じられたが、お前は俺に言ったではないか!私の命は孔明様の命だと、努々忘れる事のないようにと!念押ししたではないか!」
「そう言わなければ貴様はまともに私の話を聞かなかったではないか!とにかく!私が命じたのです。罪は私に有るのです。私をお裁き下さい。どうか、どうか……」
地面に頭を擦り付ける楊儀に周りは唖然となっていた。
いつの間にかざわつきも無くなっていた。
何と言う茶番だ。
見ていて呆れて、いや違うな。
楊儀が哀れに思えてならない。
楊儀が必死になって孔明を庇っているが、孔明は楊儀を見ようともしていない。
まるで自分には何の罪もないのに、疑いを掛けられて迷惑だと演じているようにも見える。
哀れすぎるぞ楊儀よ。
しかし、これは困った。
まさか楊儀が孔明を庇うとは思ってなかった。
楊儀が孔明に恩を感じていたのは知っていたが、まさか自分の命を差し出すほどの忠義を持っていたとは思わなかった。
これでは楊儀が孔明の身代わりで処刑と言うことになってしまう。
それはあまりにおかしい。
楊儀に罪が無いとは言えないが、大元の悪党は孔明だ!
奴が全ての元凶なのだ。
例え、功臣とは言え、主君殺し(未遂)の大罪人をそのままにしては行けない。
絶対に許してなるものか!
もう、いっそのこと無理やり孔明を裁いてしまうか?
今さら孔明に罪は無い等とは言えない。
適当に証拠の品とか偽装して、孔明を裁いてしまおう。
うん、それが良いな。
この時代は証拠をでっち上げてしまう事なんて、珍しくない。
今、この場で最上の権力者は俺だ。
劉備から全権を与えられた俺の命令は誰も逆らえない。
俺が黒と言えば白も黒となる。
権力者とはそう言う者だ。
だが、権力と言うものはむやみやたらに使ってはならない。
間違った使い方をすれば、それは自らを、身内を、周りに居る者達を不幸にしてしまう。
自分自身に跳ね返ってくる事は無くとも、周り回って多くの人を不幸にしてしまうのだ。
だが、この場合はその伝家の宝刀を抜く時ではないだろうか?
しかし、劉巴から俺は何もするなと言われている。
劉巴にはこの状況を打開する術が有ると言うのか?
「劉巴殿。これで分かっただろう。私が劉将軍の殺害に関与していないのは明白。速やかに楊儀の裁きを行うべきではないのか?」
何をいけしゃあしゃあと言ってやがる!
劉巴言え、言ってやって!
お前も同罪だと言ってしまえ!
「そうだな。この者を連れていけ」
おい劉巴! そうじゃないだろうが!
衛兵が項垂れる楊儀を連れていく。
楊儀は何の抵抗もする事は無かった。
そして、一度として孔明を見ることは無かった。
それは孔明も同じ事だった。
孔明が冷静で居られたのは、最初から楊儀に全ての罪を擦り付ける予定だったのかも知れない。
「お、俺はどうなる?」
孟獲が俺と劉巴を交互に見ている。
「この者も連れていけ」
「ま、待ってくれ!俺はどうなるんだ?なぁ、俺はどうなるんだ!」
楊儀と違って孟獲はみっともなかった。
衛兵に両脇を捕まえられると振りほどこうとして暴れる。
そこへ更に衛兵が押さえつけて縄で縛っていく。
「俺は本当の事を言ったんだぞ!お、俺は大丈夫だよな?大丈夫なんだろ?そうだよな。おい、なんとか言えー!」
いや、孟獲。
お前は実行犯なんだし、ダメだろ。
孟獲は喚きながら退場した。
楊儀の後であの騒ぎぶり、駄目すぎる。
「さて、これで私の疑いは晴れた、と言う事ですな。劉巴殿?」
羽扇で口元を隠している孔明。
きっと奴はせせら笑いをしているに違いない。
自分を追い詰める機会を逃した愚か者と思っているかも?
くそ、くそ、くそー!
劉巴! こいつをこのまましておくのか!
俺はこいつを! 孔明を!
くそったれー!
かつては孔明に憧れを抱いていた俺だが、現実にこいつと会って、話をして、その想いは崩れ去った。
前世の記憶と今の記憶が有る俺は、孔明を許せない。
許しては行けない。
劉巴がやらないなら、俺が直接言ってやる!
後の事等知ったことか!
今、孔明を断罪しなければ何時やると言うのだ!
「孔」「まだ終わってはおらん」
りゅ、劉巴?
腰を浮かして『孔明!貴様を処刑する!』と言おうとしたが、劉巴の発言で腰を椅子に下ろした。
なんか、カッコ悪い。
「終わっていない?」
孔明も意外そうな顔をして劉巴を見る。
「そうだ。誰も証人が一人だとは言っていない」
は、はえ? そ、そうなの?
「ふ、ふははは。そうですか。そうですか。それは一体どなたですかな? まさか孟獲の兵達ではありますまいな?」
孔明が劉巴を馬鹿にしたように笑いやがった。
しかし、孟獲以外に誰が居るんだ?
孔明派閥の中で、俺や劉備の殺害に関与、もしくは知っているのは命令した孔明とそれを伝えた楊儀以外には居ない筈だ。
俺も知らない人物が関与していたのか?
一体誰が……
「ふ、この者だ」
劉巴の指名した人物に皆の視線が集まる。
え! こいつ!
「劉将軍殺害を命じたのは、孔明です。間違い有りませぬ」
「確かか」
「確かでございます」
孔明の顔色が一瞬で変わった。
そしてその顔は怒気をはらんでいた。
孔明が怒った顔を初めて見た。
孔明にしても意外な人物だったようだ。
「貴様、李厳。正気か!」
孔明にとっての裏切り者。
それは『李厳』だった。
もう少し続きます
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