第百四話 埋伏の毒
間に合った。
正に間一髪だった。
上庸から漢水を遡って北上し、斜谷を通って待機していた陸遜と合流して、急ぎに急いでやっとの思いで追い付いたと思ったら、劉備達が先行した後だった。
そこで徐庶が劉備が危ないと進言したので徐庶と陸遜に孔明を任せて、俺は魏延、王平を伴い劉備の下に駆け付けたのだ。
「孝徳、その、お前」
「それはですね」
今は劉備と合流して本陣に戻る途中であった。
そう、俺と劉備を罠に嵌めた孔明の下に。
そしてその帰り道で俺は劉備に俺に起きた出来事を説明した。
それは孟獲に襲われた時まで遡る。
※※※※※※
「はい、冥府にございます」
そう言うと孟獲は手に持った矛を振り上げて俺に振り下ろした。
俺はそれを避けることをしなかった。
避ける必要がなかったからだ。
「ぐあっ!」
孟獲の矛を持つ腕に矢が刺さっていた。
孟獲は苦痛の表情を見せると矛を手放した。
そこにすかさず傅彤が前に出て孟獲を捕らえた。
矢を放ったのは柳隠だった。
彼は俺の側に控えて矢を放つ瞬間を待っていたのだ。
柳隠、良くやってくれた!
大将である孟獲が捕らわれた為に孟獲の兵達は一瞬棒立ちになってしまった。
「武器を捨てろ!さもなくば孟獲を殺す!」
傅彤が大声でそう言うと大方の兵は武器を捨てたが、一部の兵が向かってきた。しかしそれも護衛の柳隠達によって制圧された。
大将を抑えればこんなもんだよな。
傅彤に押さえられて地面に顔を着けている孟獲に俺は声をかけた。
「孟獲。俺を殺せば南蛮王にしてやるとでも言われたのか?」
「そんな物に成るつもりはない」
あれ? 違った。
「じゃあ、何に成りたかったんだ?」
「お前に答える義理があるか!殺せぃ!」(南蛮語)
何を言っているのか分からんな?
でも最後の言葉の意味は分かる。
失敗したから殺せとか言ってるんだろうな。
「まあ、いいか。傅彤、孟獲が舌を噛んで死なないようにしろ。城に戻るぞ」
「はは」
孟獲が孔明の手下だと最初に気付いたのは陸遜だった。
陸遜は常々、孔明なら俺をどうやって殺すのかということを考えていたそうだ。
平時で俺を殺すには暗殺が一番手っ取り早い、しかしそれをヤれば犯人が誰だか直ぐに分かる。
ならばどうするか?
戦場のどさくさ紛れで殺す。
これが有効的だと陸遜は俺に語ってくれた。
ならばそれをやる為にはどうするのか?
埋伏の計。
身内に潜み、機を窺い、その時を待つ。
命が有れば即座に実行して逃げ出す。
逃げきれなくて捕まっても黒幕まで辿り着けなければいいのだ。
そんな使い捨ての駒を孔明は持っていた。
それが孟獲だ。
彼は漢人と南蛮人の間に生まれた。
そして彼は漢人、南蛮人の両方から差別を受けていたそうだ。
漢人からは南蛮人のようだと言われ、南蛮人からは自分達とは違うと言われていた。
特に漢人からのが酷かったと聞いた。
孟獲はその為、漢人でも南蛮人でもない自分の身の上を呪った。
その後、孟獲は成長して学を修めて官吏を目指したが、ここで生まれが邪魔をした。
生粋の漢人ではなかったので官吏に取り立てて貰えなかったのだ。
孟獲は中央の官に就き、今まで自分を差別していた連中を見返したかったと言う。
そこに孔明が誘いの手を伸ばした。
しかも孟獲が孔明の誘いに乗ったのは、南蛮平定戦の前だ。
孔明は南蛮平定が成功すると予測して、孟獲を俺の下に潜り込ませたのだ。
南蛮平定の後に陸遜は劉巴に頼んで南蛮から連れてきた連中の身元を洗った。
戦場を共にした者なら疑われる事はない。
少なくとも俺なら疑わない。
だが、陸遜は違った。
陸遜は孔明が俺の性格を熟知しているならば、ここで送り込むと予想した。
そして見つけた。
孟獲と孔明の間にあった薄い糸を……
孟獲は孔明と直接のやり取りをしていなかった。
孟獲とやり取りをしていたのは孔明の側近楊儀。
二人は会った当初から仲が悪かった。
馬が合わないとはこの二人の事かと、皆が思っていた。
しかし、これは偽装だった。
二人は裏で繋がっていたのだ。
そして上庸攻めを行う前に楊儀から孟獲の下に指令が送られる。
『上庸に魏軍が現れたら、混乱を起こし劉封を討ち取れ』と。
孟獲は指示に従いそれを実行した。
俺は陸遜から忠告を受けていたが、孟獲を信じたかったので半分聞き流していた。
危機感がないと思うだろうが、俺は、俺の派閥に入った者達を疑いたくはなかったのだ。
その期待は見事に裏切られたけどな。
そして、その後は劉巴の策に従い俺は動いた。
劉巴は孔明が事を起こした後の動きを予測し、その対策を練りに練った。
劉巴は俺が襲われたら、死んだと言う報告を行う事を勧めた。
それで孔明の動きが読みやすくなると説明してくれ、
そして俺には上庸に残って援軍が来るまで軍を指揮して欲しいと言ったが、俺はこれに従わなかった。
宛攻めは関羽の援軍が来る事が初めから決まっていたので落ちるのは確実だと俺は思った。
それに上庸には関平が来ると知ったので彼と彭羕なら魏軍は撃退出来る筈だ。曹操も居なくなったしな。
俺は孔明に直接会ってあいつの驚く顔が見たくて五丈原に向かうと決めた。
その後上庸の守備は彭羕に一任して、俺は魏興郡西城に戻って、漢中に戻る準備をしていた。
そこに徐庶達がやって来た。
「ご、ご無事で、う、うぅぅ」
徐庶は俺に会って涙を流した。
魏延は俺を見て『良かった。師匠と張飛殿に殺されないですむ』とボソッと呟いていた。
魏延、俺の為に追い込まれていたのか? すまん。
「私達を騙したのですか孝徳様!」
王平には叱られてしまった。
俺は三人に劉巴の策だと説明して謝った。
「ではこれからどうされますか?」
徐庶の問いに俺は力強く答える。
「決まっている。孔明に会いに行くのさ!」
「孝徳様。孔明を捕らえる役は俺に任せてください!」
「私にお命じください!」
魏延と王平が競って俺に言うが、二人の前に徐庶が立つ。
「孔明は我が友人。ですが主を裏切る不忠者です。その役目は私に是非に!」
徐庶の瞳は悔しさで滲んでいた。
俺はそんな三人を見て言った。
「では、皆で行こう」
「「「はは」」」
※※※※※※※
「と、言う訳です父上」
「そうか。孔明がな」
劉備はショックを受けていた。
無理もない。
劉備にとって孔明は『水魚の交わり』と言われるほど親密な関係だったのだ。
それほど親密で信頼していた人物に謀殺されそうになったのだ。
ショックを受けないほうがおかしいだろう。
「孔明は何が不満だったのだ?」
劉備はそう呟いた。
劉備からしたら孔明には十分過ぎるほど報いているつもりだろう。
俺も劉備は孔明を重用しすぎていると思う。
孔明は確かに有能だ。
彼は政治家として内政家として有能で使える男。
それは荊州南郡、交州、益州を平和に治めている現状が物語っている。
しかしそれは孔明個人の働きではない。
劉備と言う存在が居てこその統治だと俺は思う。
それに孔明に負けず劣らずの人材は居るのだ。
彼一人に頼る必要はないし、彼に政治の全てを任せる事はない。
だが、劉備は孔明に領内の政治や内政をほぼ一任していた。
そして、孔明も劉備の信頼に応えた。
二人の関係はこれ以上ないほど良かった筈だ。
それなのに孔明は動いた。
俺だけではなく劉備まで殺そうとした。
何故だ?
「それは孔明に聞かないと分からないですね」
「…そうだな」
孔明、お前の望みは何なんだ?
多分、後で書き足すと思います
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