2話
校門へと続く坂道。
その辟易する長さと急すぎる勾配のせいで、学生からは「地獄坂」なんて名前で呼ばれている。
休み明けの鈍った身体には中々きつい。
一息ついて、ふと上を見上げると、風に揺れている桜の木々。七分咲きのそれは、来週には満開を迎えるはずだ。
一年前には期待と不安が入り交じる気持ちで歩いた通学路。
その頃はあまり気に止めなかったんだろうが、綺麗な桜並木だったんだな。
前を歩くのは幼馴染みの少女。
後ろ手に通学鞄を持ち、少し急ぎ足で歩くそいつは、肩まで伸ばした後ろ髪をなびかせて俺の方を振り返る。
「もう、悠人くんっ。早くしないと遅刻しちゃうよ?」
「分かってるっつーの」
「起こしても起こしても全然起きてくれないんだもん」
「………………」
なんだろう。
何事もなかったかのように話が進行されようとしている。
一見すると、のほほんとした日常的なやりとりに見えるかもしれないが、断じて違うぞ。
頭を触ってみる。
不自然な感触。
そりゃもう非常に分かりやすい、丸く膨らんだタンコブが1つ。
「その、平気?…それ?」
「平気じゃない。普通にしっかり気絶していたもので」
「…うぅ…だっ、だからごめんってばっ…」
冗談のつもりだったが、また謝ってきた。
笑いながら彩乃の肩にポンと手を乗せてやる。
目が覚めたとき散々謝られたし、めちゃくちゃ心配してるっぽかったもんな。
なんか泣きそうな顔で覗き込んできてたし。
「…だってだって…急にあんなの見せられて、あの...び、びっくり…しちゃって…」
びっくりしてたのか、あれ。
どうせならもっと可愛いげのあるリアクションしろよな。
入浴姿を覗かれた◯ずかちゃんみたいに、キャー!◯◯さんのえっち!みたいなさ。
辞書を振り回してくるんじゃなくて。
…ほんと、こいつは免疫がないから困る。
苦手なものに対しては、頭の中がが真っ白になってしまうらしい。
いつだったか。
一緒に下校してた時の出来事を思い出す。
………
…
「あー、ヤバい。非常にヤバい…」
期末テストの日が迫る時期。
俺は焦っていた。
頭を抱えて普段は言わない独り言をブツブツと呟きながら。
「どうしたの?悠人くん」
心配して俺の顔を覗きこむ彩乃に、鞄から取り出したノートを見せる。
どのページも途中からミミズが歩いたかの如く乱れているし、それに加えて所々に涎の跡らしき滲みがあったりと解読不可能な状態に陥っている。
「…悠人くんは授業中に居眠りしすぎ」
呆れた表情で答えてきた。
こいつならこの難解な記述を紐解けると思ったんだが。
徹夜の覚悟をしていた時、彩乃はため息混じりに続ける。
「しょうがないなぁ悠人くんは……私が一緒に見てあげようか?」
「…その言葉、お待ちしておりました」
即座に、深々と頭を下げる。
毎回のことながら一夜漬けの俺を見かねて、彩乃が勉強を教えてくれるおかげで、数々の修羅場を切り抜けてきた。
「…はぁ。いっつもギリギリにならないと動かないんだから。ダメだよ?ちゃんと予習復習もやらないと」
「そんなことしてんの?お前」
「うん。悠人くんがめんどくさがりなだけ」
「俺は短期集中型タイプなんだ」
「もう、それで焦って相談してくるくせにっ。…時々だったらいいよ?そのっ…わ、私がさ…一緒に付き合ってあげても……」
と、そこまで言いかけ、急に口をつぐんだ。
固まった表情の彩乃の目線先。
ってか、すぐそこ。
それは足下に落ちている一冊の雑誌に向けられている。
「彩乃?」
「なな、なんでもないっ」
名前を呼んでやると一応返事はした。
思いっきり上ずった声で。
「…い、一緒にやるのが一番効率的なわけだしっ、そにょ…そ、その方が絶対っ、いいわけだしっ…」
明らかに動揺しまくり。
不自然な大股歩きで雑誌を避けた後は、そのまま……
「…ゆゆ、悠人くんはっ……い、居眠りなんかしちゃだめなんだからっ…そんなだとっ……わっあっ」
ゴンッ
見事に目の前の電柱に突っ込んだ。
「…なにやってんの、お前」
思いっきり打ち付けた額を押さえてしゃがみこむ彩乃。目をつむったまま歩いてりゃ、まぁそうなるとは思うが、大丈夫か?かなり大きな音してたぞ。
たまたま今日はズボンのポケットにハンカチが入っていたことを思い出す。
彩乃に渡してやりつつ、横目で雑誌を見直す。
乱雑に開かれたそのページには、悩めかしい表情をした裸の女性のアップ。
…これって、ただのエロ本…だよな?
こいつ、もしかして…
涙を必死にこらえた表情でハンカチを受けとる彩乃を見て確信する。
高梨 彩乃。
成績優秀で、その明るい性格で周りからの人気もある。
そんなこいつの意外な弱点。
エロいことに免疫がない。
………
…
そんで今朝の出来事。
道端に落ちてるエロ本を見ただけで動揺してしまうような奴に、朝っぱらから刺激的なモノを見せてしまった訳だ。
「…うぅ、別にっ…あ、あんなの見なくたって…そのっ……」
まあこいつの場合、よくある漫画のキャラクターみたいに鼻血出してブッ倒れるとかじゃないからまだマシな方か。
とにかく今後あの手の動画を見たあとは、きちんとパソコンの電源は落としておこうと心に誓う。気絶で二度寝すんのは嫌だし。
「……その、わ…私がっ…」
さっきから何やら下を向いたまま、手をモジモジと動かしている。
「ん?なんか言った?」
「....なな、何でもないからっ!悠人くんのバカっ…」
…なぜ、そこで怒る。
しかもバカって言われた…。
プイッとそっぽを向いて歩いていくし、もう訳がわからない。
うーむ…。
女の子ってのは、ほんと男とは別の生き物だよな。未だに、怒るタイミングがいまいち分からんのは俺だけか?
「……あの…ね、悠人くん」
彩乃との付き合いは、どのくらいになるだろう。
俺がこの町に引っ越してきた時からだから、小学校に入った時か。
「……こ、これっ」
じゃあ、そろそろ10年?
長いな~。そう考えると。
家が近くて同い年って理由で仲良くなって、よく遊んだもんだ。
「…………悠人くん?」
でも、いわゆる典型的な女の子なのかもしれないな。彩乃って。
髪型や仕草、女の子らしいといえばそうだ。
料理は上手いし世話好きで、家庭的でもあるし。
「もう、悠人くんってば」
「うおっ、びっくりした」
ずいっと近づく彩乃の顔。
名前を呼ばれたところで我に帰る。
「いきなり振り返るなよな……ん?なにこれ?」
彩乃が俺に差し出してきたのは、箱形のなにか。落ち着いたチェック柄の布で丁寧に包んである。
「……お弁当」
「弁当?」
予想外の答えに思わずおうむ返し。
すると、彩乃は無言で頷いた。
「ほ、ほらっ…悠人くん今一人暮らししてるでしょ?」
確かに。
今、俺は一人暮らし中だ。
両親は二人とも健在だが、一ヶ月程前のある日、「アメリカに行ってくるね☆父母より」という短いメモをテーブルの上に残して、海外へと旅立ってしまった。
そんな近所に買い物行くみたいなノリと、文末の☆マークに苛立ちながらも、半信半疑で携帯に電話かけてみた。
電話はすぐに繋がり少しホッとしたが、受話器の向こう側から空港のロビーの喧騒とアナウンスが聞こえた時には唖然とした。
大マジだった。
急遽決まった海外出張で、しばらく日本には帰れないらしい。
それから強制的に一人暮らし生活が始まったわけだ。
両親には1週間に1度、メールで連絡をとっている。
一応心配してくれてるのだろうが、いつも美味しそうな食事の前で二人がピースサインをした写真が添付されてるのは、なんかムカつく。
「春休みの前も、ずっと購買のパンばっかり食べてたしっ...そんなのだと身体壊しちゃうからっ...そ、それに、私は悠人くんをお世話をおばさんから頼まれてるしっ..」
「母さんから?」
「…うん。わざわざ家に来て、悠人くんをよろしくって」
ああ、それで毎朝起こし来たり、掃除や洗濯を手伝ってくれてるのか。
世話好きでお人好しな性格に加えて、根が真面目なんだよな。こいつ。
「ありがとな。でもさ、大変じゃないか?作るの」
弁当を受け取りながら、聞いてみる。
こいつだって、自分の家のこともあるだろうに。
「ううんっ。私はいつもお弁当だしっ…1つ作るの、増えただけだからっ…き、気にしなくていいからっ」
「そっか、ありがとな」
正直、面倒を見てくれる彩乃にはすごく助かっている。
もう一度礼を言うと、顔を少し赤くして手で前髪を触る。
「ぅぅ…に、2回も言わないでよっ…恥ずかしいからっ………あ!ゆ、悠人くんっ!ネクタイ曲がってるっ」
ネクタイ?
家を出るときにちゃんと整えたはずだけど。
そんな早く変になるかな?
まあ、襟に引っかけるだけのやつだからな。
「も、もう、悠人くんはだらしないなー」
シャツのボタンを止め直し、丁寧に襟とネクタイを整える。
「うん。かっこよくなった。えへへ」
「おう、サンキュ」
「うん、えへへ」
はにかむような笑顔をみせて、また歩き始める。
なんとなくだが、機嫌がよくなっているような気がする。
彩乃が「えへへ」と笑う時は大体機嫌がいいときだ。
坂の上に校門が見えてきた。
周りにも学生が増えている。
腕時計を見ると、まだ余裕で間に合う時間帯。
始業式初日に遅刻しなくて済みそうだ。
あー、よかったよかった。
その時。
そんな期待はすぐにかきけされた。
後ろから。
俺の名前を呼ぶ、女の子の声で。
久々の投稿になり、本当にすみません。
時間をかけた割に文章は一向に上手くなってないのですが、気楽にお読みください。