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欲望日記  作者: こめぴ
第2章 少年編前
9/10

9日目 それは限定された幸せ


 確かにそれは俺が願ってやまないものだけど、ずっとあったらいいななんて思い続けてきたものだけど、それでもいざ実際に起こってみると意外と衝撃は大きいものらしい。

 自分で告白かもなんて期待しておきながら、本当にそれだとなんて言ったらいいかわからなくなる。それに頭も真っ白になって、パクパクと金魚みたいに口を動かすことしかできなかった。

 凛花は俺の返事を、俺の方をジッと見ながら待っている。その頬は朱に染まっていて、普段とのギャップも相まって余計に可愛く見える。それがさらに俺の思考を安定させない。


「あー……ごめん。もう一回言って?」

「……は?」

「すいませんなんでもないです」


 俺は光の速さで頭を下げた。

 我ながらクズいことを口走ってしまった。

 さっきまでの恥ずかしそうな表情から一転。凛花は軽蔑するような、冷ややかな目線で俺を見下ろした。身長は俺の方が高いはずなのに、不思議とそう感じる。

 申し訳なく感じながらも、だんだんと彼女の言葉をきちんと受け止められるようになり、激しい喜びが胸の中に湧き上がってくる。頭を下げたまま、にやけそうになるのを必死に隠した。


「それで、どうなの……?」


 頭の上から、今にも消えてしまいそうな声が聞こえた。不安に押しつぶされてしまいそうな、そんな声。らしくないそんな姿に、彼女が今どれだけ勇気を振り絞っていたのか、今更ながら思い知った。

 これ以上待たせるわけにはいかない。そもそも、答えなんてとっくの昔に決まっていた。


「もちろん! こっちからお願いしたいくらいだ!」


 俺は勢いよく頭を上げ、両手で彼女の肩を掴んだ。そこまでするつもりもなかったけど、それほど俺は嬉しかったってことで許してほしい。

 彼女は「そ、そう……」と少し引き気味に声を漏らしたけど、その顔には抑えきれない喜びが浮かんでいた。それに、これ以上ない安堵も。


「今から私たちは恋人ってことで……いいのよ、ね?」

「あ、ああ。そう……だな」


 恋人。

 俺たちは……恋人。


 頭の中で『恋人』と言う単語を繰り返す。

 まるで今が人生の絶頂かと思うくらいに、幸せな気分になる。もうこのまま死んでしまってもいいくらいだ。言い過ぎかもしれないけど、今の俺にとってはそれくらいのことだ。

 口角が上がるのを抑えられない。それに加えてなんだか恥ずかしくなって、顔に熱がこもるのを感じた。

 それは相手も同じようで、どこかぎこちない空気が流れる。

 初々しいとはまさにこういうことを言うんだろうなぁなんて、他人事のように考えた。


「じゃあ、私はもう帰るわね」

「え……」


 スイッチを入れ替えたかのような潔さで、彼女は振り返り歩きだした。

 あまりの淡白さに、これほど嬉しいのは俺だけなのかと悲しくなった。自分の喜びだけ大きくて空回りしたかのような寂しさが胸に残る。

 それに、せっかく付き合ったのだから一緒に帰りたいと思ったのもある。そもそも家も結構近いし、帰り道もほとんど一緒なのだ。なんで今更別々に帰る必要があるのだろうか。


 そんな寂しさが俺のつぶやきに感じられたのだろうか。彼女は振り返って、


「ごめんなさい。今日はちょっと先に帰らせて? あまり見られたくないから」


 とそう言った。

 俺はそう言う彼女の顔を見て、ああと納得した。それと、なんだかおかしくて、クスリと笑ってしまう。

 彼女の顔はトマトみたいに真っ赤だった。それも今まで十年以上の付き合いだけど、その中で見たことのないくらいに。

 なんてことない。彼女の方が俺よりよっぽど嬉しがっていた、ただそれだけだった。

 笑われたことが気に食わなかったのか、ムッと顔をしかめさせ、今度こそ歩きだす。

 怒らせてしまったかもしれない。だけどそんな彼女も、前でもそうだったけど、以前よりどんな彼女も可愛くて、愛しく感じてしまっている。

 それが、何より嬉しかった。



 付き合うことになったからといって何か日常に変化ができたかと言われれば、意外とそんなこともなかった。彼女はあの性格だし、俺は俺でいざ付き合うことになっても何をすればいいのか、何が変わったのかいまいちわからなかったから。彼女いない歴=年齢は伊達じゃない。

 佐々木は俺たちが付き合うことに賛成ーーというか、喜んでくれた。いつも一緒にいる三人の内の二人が付き合うなんて、残りの一人はたいそう気まずいはずなのに。もともと応援している部分もあったけど、少し申し訳なく感じてしまう。


 でも気になることもある。もしかしたら欲望日記のおかげかもと思い、改めて開いてみると、書いた覚えのない記述があった。


『代償:視力』


 言われてみれば確かにあの日の朝からなんとなくいつもよりぼやけて見えていた。そうなるとどんどん信ぴょう性を帯びてくる。

 もしこの本が漫画に出てくるような本なら、確かにこれは便利かもしれないけど、やすやすと使うべきじゃない。


 そんな状態のまま、二週間が過ぎてしまった。

 俺と凛花の関係で変わったことといえば登下校を共にするくらいで、それも十分嬉しいけどやはり物足りなく感じてしまう。やっぱり恋人らしく、どこかに一緒に出かけてみたい。


(デートにでも誘おうかな……)


 デートという言葉に未だ冷め切らない幸福感をジンワリと感じながら、そんなことを考えた。

 もう今は放課後だ。クラスメイトは帰りの準備を進め、ガヤガヤと騒がしい。俺自身も凛花と話しながらカバンに持ち物を雑多に詰め込んでいく。

 俺も凛花も部活には入っていない。どうせこのあと用はどちらもないから誘うにはちょうどいいだろう。

 でもどこに? それが問題だ。凛花が興味を持ちそうなところが、まったく思いつかない。


「ねえ、あの映画見た?」

「見た見た! ムッチャ感動したよね!」


 ふと、そんな会話が耳に入った。興奮気味に二人の女子が話すそれは、今話題の映画のことらしい。俺は詳しくは知らないけど、恋愛映画らしい。年頃の女子に大人気!とか、どこかで目にした気がする。

 俺にとってそれは見てみたいかなと思えど、別に足を運んでまでみたいものではない。来年あたりテレビでやるなら見ようかな程度のもの。だから、別段これといって見に行こうとも考えていなかった。


「だからさ、ーー」

「……」

「凛花?」

「ーーっ! な、何?」


 凛花はどうやら上の空のようだった。別にそんな気合を入れて聞くほど大切な話ではなかったけど。

 彼女の視線はチラチラと時折別の方を向いていて、そちらを向けばなるほど、映画の話をしている女子たちの方だった。


「映画、気になるのか? 珍しいな」

「……そうかもね。あまり映画に興味を持つことはなかったけど、これだけ聞こえてくればね」


 彼女は口を開け、やはり反論できなかったのか口を閉じ、諦めたようにはにかんで笑いながらそう言った。


 でもこれはチャンスかもしれない。

 彼女と一緒に映画を観にいく。うん、なかなかデートっぽくはないだろうか。

 しかも漫画アニメ小説など創作物をあまり観ない凛花だ。そんな彼女が珍しく興味を持っている。これを逃したらずっと機会はないーーなんていうのは言い過ぎかもしれないけど、それくらいのことなのだ。

 思い立ったが吉日だ。どうせまだ四時程度。放課後デートというのもいいかもしれない。俺は彼女を誘うことを決意した。


「な、なあ」

「ん?」

「……佐々木はどうしたんだ?」

「陽華? 彼女なら職員室だけど。」


 決意はした。したが、実行に移すとなるとまた別問題らしい。

 誘おうと口を開けたが、なぜか羞恥心が出てきて言葉が出なかった。行き場をなくし開いたままの口は、苦し紛れに結局赤点になった友人のことを口にしてしまった。


何を恥ずかしがることがある。俺と凛花は付き合ってるんだろ?


 そう自分に言い聞かせた。そうだ。俺たちは付き合っている。だから、一緒に出かけることになんの不思議もないし、恥ずかしがることなんてない。


「……映画、観に行かない?」

「さっき話してた映画?」

「そう、それ」

「いいわね」


 何か重大な告白をするような気持ちで話したのに終わってみればこの軽さ。

 あんなに緊張していた自分がバカに思えた。


「じゃ、行きましょうか」


 どうやら思った以上に見たがっていたらしい彼女は、サッサと席を立ち、荷物を持って歩き出した。


「ま、待てって」


 はしゃいでいる、と捉えていいのだろうか。恥ずかしい思いはしたけど、あれだけ喜んでもらえたのなら、誘った甲斐もある。


 俺はどこか嬉しそうに揺れる彼女の黒髪を追いかけた。



「結構面白かったな」

「そうね」


 映画を見終わった俺たちは集中して硬くなった首をほぐしながら映画館から出た。外に出ればもう世界は緋色に染まっていた。カァカァと遠くで鳴き声が聞こえ、立ち並ぶ建物の隙間から見える真っ赤な太陽が、もうすぐ一日が終わることを実感させた。


 映画自体は確かに噂に聞いていた通り面白いものだった。内容は主人公とヒロインがいろんなハプニングを乗り越えて結ばれる、なんてよくあるラブストーリーだ。あまり小説とか見ない俺は、こうこうだから面白かったとかは言えないけど、確かに面白かったと言える。


 俺たちは帰り道を歩きながら、もはや映画を見終わった後の醍醐味と言える感想の言い合いをしていた。いつもと同じように落ち着いた口調で話す彼女だけど、普段より饒舌だったり少し興奮しているように見える。

 興味を持っているようだったけど、もしつまらないなんて彼女が言い出したらどうしよう、なんて懸念がなかったわけじゃない。どうやらそんなことはなかったようで、ほっと胸をなでおろした。


「女子はああいう恋愛に憧れるものなのかしらね」


 だんだんと見覚えのある景色が増えてきた頃、さっきの映画に関する話題も尽きかけてきた時、彼女はそう口にした。


「んー……どうなんだろうな。てか凛花も女子じゃないか」

「私は……私はほら、前はあまり恋愛とか興味なかったから」

「じゃあ今は?」

「今は……今でも憧れてないわ。だってーー」


 彼女はそこで足を止めた。俺も少し遅れてあ足を止め、振り返る。俺の少し後ろで彼女は微笑んで俺を見ていた。


「ーーだって、今のままで、あなたと付き合えてるだけで十分幸せだから」


 と言ってもまだ数日だけどねと、笑みをこぼした。

 それは冗談とか嘘だとか、そんなこと一切感じさせない、本当に幸せそうな笑みで。そのほんのり朱色に染まった頬は照れのせいか夕日のせいか。どっちなのかは俺にはよくわからないけど、俺の赤くなっているだろう顔は夕日のせいではないと確信できる。


 ああ、どうして彼女はこう、こんなに恥ずかしいことを平然と言えるんだ。その余裕を見せつけられたような感じがして、余計に恥ずかしくなる。正直、正面から凛花を見るので精一杯。

 感じるのは恥ずかしいとか照れるとかだけじゃなかった。グサグサと心に刺さる、形容しがたい感情。俺の意識がすこし自分のリュックにもってかれる気がした。


「……お前、言ってて恥ずかしくないか?」


 そんな複雑な心境もあって、ついついそんなことを口にしてしまった。


「っ! うるさい!」


 その瞬間凛花は、ボンッと音がなりそうなくらいにいきなり顔を赤くする。自然と口に出た言葉だったのかもしれない。

 機嫌を害した彼女は、スタスタと歩むスピードを速める。彼女の長い黒髪が揺れ、時々チラリと見える耳が赤くなっているのを見て妙な満足感を感じながら、俺も彼女の背中を追い隣に並んだ。


「ごめんって」

「……はぁ。まあ、いいけどさ。私にこんな思いをさせるなんて、涼介君のくせに生意気なのよ」


 許すと言っておきながらキャラでもないことを言っているのは、やはりまだすこしテンパっているからか。わざわざいらないことを言って怒らせるのも馬鹿らしいと、頭に浮かんだことを飲み込んだ。


 ふと彼女を見ると、すこし疲労の色が見えた。その白く綺麗な肌にうっすらと汗もにじんでいる。夕方とはいえまだ九月。まあ、結構歩いているし、しょうがない。


「なあ、ちょっと休憩していかないか?」





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