8日目 告白
欲望日記に書いてみようなんて思っても、やっぱり改めて何かに表すなんて恥ずかしい。あれをやった後、いやこれをやった後と後回しにしまくった結果、結局夜になるまで行動に移すことはなかった。
夜。今日は新月らしく、窓から光が差し込むことはなく、シンとした寂しい静寂が辺りを包む。父さんも母さんも寝てしまったのか、下の階から音は聞こえてこない。時折遠くでなる車の音が、やけに寂しさを際立たせる。
そんな空気の中、俺はベッドの上で正座していた。気分はまるで切腹前の武士だ。
睨みつけるように向けた視線の先にあるのは、欲望日記。俺とそれは、まるでお見合いのような変な空気のせいで身動きが取れなくなっていた。いや、もちろんお見合いは経験したことはないし、この本が自分から動くなんて有りえないんだけど。
自分の気持ちを何かで表すなんて初めてだ。もしかしたら小さい頃、「凛花ちゃんと結婚するー!」なんてことを言っていたかもしれないし、試しにラブレターなんてものを書いていたのかもしれないけど、いやむしろやってそうだけど、それとこれとは話が別だ。
何をそんな緊張する必要がある。別に書いたからってどうにかなるわけでもあるまいし。ここで書いたことは、どうせ俺しか知らないし誰にも知られることはない。
自分にそう言い聞かせながらペンを持った。
「ふぅ……」
落ち着かせるため、息を吐き、ゴクリと喉を鳴らし、一文字一文字を丁寧に、自分の欲をその本に記した。
『九月一六日 大咲凛花が自分のことを好きになり、告白する 城島涼介』
「っ! なんだこれ!」
書いてすぐ、一瞬の間を開けることなく俺は欲望日記を力強く閉じた。なんとなく恥ずかしくなったから。見ているだけでジワジワとマグマのような羞恥が湧き上がってくるような気がした。
「痛い。痛すぎるだろ……」
これは恥ずかしい。今多分俺は顔がすごく赤くなっていると思う。自分でも熱くなっているのがわかる。
穴があったら入りたいとはこのことを言うのだろう。別に誰かに見られたわけでもないが、猛烈に恥ずかしい。
「これは見られるわけにはいかないな……」
一瞬のうちに俺の黒歴史と化したそれを、親の仇を見るような目で睨みつける。誰にも、誰にも見られるわけにはいかない。羞恥で気が動転していたからか、そもそも俺がそこまで頭が良くなかったからかはわからないけど、それを消すなんて考えは浮かばなかった。
親が俺の部屋を掃除するなんてことはあまりないが、絶対とも言い切れない。親の目に入らないように、そして自分からも隠すように戸棚の奥深くに欲望日記をしまい込んだ。
◆
次の日。
なんて事のない、いつも通りの朝だった。昨日あの本に恥ずかしいことを書いたからって、俺の日常に何かしら変化が生まれるわけでもない。いつも通りに起きて、ご飯を食べ、学校に向かった。
教室に入れば、そこそこ俺も早く学校に来ているのに、佐々木はもう自分の席である俺の右斜め前に座っていた。教室に入ると朝から元気な彼女が目に入る。彼女は教室に入って来た俺を見るや、何がそんなに嬉しいのか顔に花を咲かせた。
「おはよ!」
「おはよーさん……」
朝だというのになんて元気なことだろうか。明るく挨拶をしてくるが、あいにく俺はまだ眠い。彼女の挨拶を気怠げに返しつつ、自分の席に着いた。
「まだ……いないのか」
だんだんと賑やかになり始めた教室を見渡し、無意識にそんな言葉が漏れた。いないのは誰かと問われれば、もちろん凛花だ。
別に早く会いたくて探したとかじゃない、なんて誰に向かってかもわからない言い訳を心の中でしておく。
「そうだねー。いつもは私より早いのに珍しいよね」
「……そうだな」
どうやら聞こえていたようだ。反応するとは思わなかったのもあり、反応が数瞬遅れる。
凛花は性格からもなんとなく予想がつく通り、時間に厳しい。いや、厳しいまではいかずとも、ある程度はしっかりしている。俺たち三人が学校に来る順といえば、凛花、佐々木、俺で決まっていた。
「まあ寝坊でもしたんだろ」
「そうなの?」
「いや、適当」
それだけ返して、俺たちの話題は他のことに移っていった。
誰かが来るのが遅いなんて、その程度のことだ。本当に寝坊かもしれないし、先にどこかによって来ているのかもしれない。そもそも欠席かもしれない。
家は近いけど一緒に登校するわけでもないからその辺りはわからないのだ。一緒に登校したいとは思うけど。
昨日のテレビの話だとか、今日急に目が悪くなっただとか、彼女と雑談をしながら、今のうちにしておこうと思い最初の授業の用意を取り出そうとした時だった。
「あれ? なに? その本」
本当にたまたまだろう。たまたま、俺のカバンの中が目に入った佐々木は、俺のカバンの中の一冊の本を指差してそういった。
「は? どの本って?」
よくわからなくて思わず聞き返した。そもそも俺は今日は余計なものは持って来てないはずだ。カバンの中にあるものといったら教科書やらノートやら、とにかく佐々木でもなんなのか知っているものばかり。
そんな疑問が浮かぶようなものが俺のカバンに入っているわけもない。
「これだよこれ」
「ん? これ……ってーーは!?」
彼女が指を指す本を見て、思わず俺は声をあげた。そしてほぼ反射に近い速さでカバンを閉じる。それだけでもほぼアウトなのに、俺はさらにそのカバンを隠すように抱え込んでしまった。もちろんカバンはそこそこ大きいから隠れてないし、そもそも隠す必要もない。
それをしてから激しく後悔した。こんな漫画みたいなあからさまな行為。これが俺にとって恥ずかしいものと思われるのは当たり前なのに。
やはりその行動だけでそれが俺にとって見られたくないものと佐々木は判断したようで、見なかったことにするほど彼女は優しくもなかった。
「えー? なに? そんな慌てて隠しちゃって。エロ本?」
学校に堂々とエロ本持って来るやつがいるかと突っ込んでやりたかったが、ムキになって反論するとそれはそれで肯定と取られそうだから口を噤んだ。でもどこまでもうまくいかない。残念なことに、彼女はその沈黙を肯定と受け取ったらしくニヤニヤと不愉快な笑みを浮かべる。
「いや、ほんと違うからな?」
「わかってる、わかってるよ涼介。涼介だって男の子だもんね? しょうがないしょうがない」
「なんでそんなお母さん調なんだよ……」
その悟ったような顔をして俺の方をポンポン叩く彼女を睨みつけるも、彼女はなんの変化もなかった。完全に調子に乗っている。
それと同時に意外に思った。彼女のことだ。本当にエロ本だと思ったのなら、顔を真っ赤にしてーーまではいかずとも、「なんてもの持って来てるの!」とまくし立てても不思議じゃなかったのに。予想よりも落ち着いた反応に、こちらが少し取り乱される。
「だ、だから違うって」
「いいって。みんなには黙っておくからさ!」
「その声がでかいんだよ!」
「朝から二人は賑やかね」
この騒然とした空気の中に凛と落ち着いた声が響いた。大きくも小さくもないそれは、不思議とすんなり耳に入って来る。
「おはよ! 凛花ちゃん」
「ええ、おはよう」
「おはよう」
「……」
ん? と俺は首をかしげた。佐々木には普通に挨拶を返したのに、俺から挨拶をされると彼女は俺の顔をじっと見つめたまま、固まって動かなくなった。そして、なんでかはわからないが、オドオドしだした。いつでも落ち着いた彼女らしくない。よくよく見てみれば、表情こそいつもと変わりないが、なんとなく顔も赤い気がする。
思わず「なんだよ」と強い語調で訪ねてしまう。
「いえ……なんでもないわ。おはよう」
それだけ言って、彼女は自分の席――俺の前ーーに腰かけた。気にはなるけどなんでもないと言われればそれ以上追求するのもなんだか憚れて。
「そうか」とだけ言って彼女の後ろ姿を見つめることしかできない。
佐々木の興味はその本から離れたようで、もう凛花と話し始めた。その点は助かったと言える。
「なんで持って来てるんだよ俺……」
呆れたような、責めるような声色で俺は思わず小さく漏らした。
カバンにあったのはあの真っ黒な本。持って来てしまったことなんて、今の今まで全く気がつかなかった。
夜寝る前にしまっておいたはずなのに。戸棚の奥の方にしまい込んだはずなのに。
だとしても出した覚えもないのにそれがカバンの中にあるのは確かなことで。いくら首をかしげてもいつ入れたのか、なんで持って来たのかなんて思いつかなかった。
(とにかく、誰にも見つからないようにしないと)
今日一日は、誰にもカバンを開くところを見られるわけにはいかない。
そう、固く決意した。
◆
「ねえ……ちょっといいかしら」
そうどこかぎこちなく声をかけられたのは、次々と教室から皆が帰り始めた、夕方のことだった。
俺に声をかけた凛花は、何か重大なことを告げる前のように深刻な顔をしていた。それでいてなぜか俺に目を向けることなく、あちらこちらと忙しない。ただ事ではなさそうな様子に、俺はただ「ああ……いいけど」と返すしかなかった。
――じゃあ、ちょっと付いて来て。
彼女はそう言って俺の反応を待つことなく歩きだす。有無を言わさない彼女にすこし驚きながら、慌てて彼女の後を追った。
彼女は緋色に染まった廊下を急いでいるのか早足で歩いていく。廊下に溢れかえる、どこに寄って行こうだとか、部活に行こうだとか話す同級生たちを次々と追い越し歩いていく凛花を見失わないように必死に追いかけた。
一応俺もちょっと待ってだとか声はかけるも、聞こえていないのか、それとも聞こえていて無視しているのか、彼女はスピードを緩める気配はない。何を俺に話すつもりなのか、いつもの彼女とはまるで違う凛花に全くわからなくなって、困惑が頭の中で湧き上がる。
ふと、とあることが頭に浮かんだ。
昨日書いた欲望日記だ。
放課後。どこかただ事ではなさそうな雰囲気。この早足も、緊張を紛らわす為と考えれば辻褄が合わないこともない。
もしかしたら告白かと、変な期待が盛り上がっていく。
でもそんなはずないと思う俺も確かにいた。
だってあの凛花だ。恋愛なんて興味なさそうな彼女だ。そんな彼女が告白だなんてーーそう考えながらも、期待をぬぐいきれないのもしょうがないのかもしれない。
彼女に連れていかれた先は、体育館裏だった。もはや告白のテンプレとも言えるような場所に、俺の期待と興奮は増すばかり。
でもそれを顔に出すのもなんだか恥ずかしい気がして、なんとか抑えようと顔に力を入れた。
「どうしたの? そんな変な顔して」
「……いや、なんでもない」
どうやら失敗していたらしい。訝しげに俺を見る彼女から、羞恥ゆえに顔をそらした。
「で、なんか用なのか?」
「あ……と、そうなんだけど……」
彼女は急に俯きだす。顔を今まで見たことないくらいに赤くし、黙り込んだ。
場に居心地の悪い沈黙が訪れる。野球部の掛け声や、帰宅する人たちの声がやけに遠くに聞こえ、この場の俺と彼女だけ別世界にいるようだった。
彼女は口を開けては閉じ、その繰り返し。まだ話す覚悟が決まらないのか、そんな自分が気に入らないのか、眉間にしわを作っている。
「えっ……と」
「まって。ごめんなさい。すぐ言うから」
俺が何か口にすればこれだ。だからと言ってすぐに言うわけでもなく、よくわからない時間が刻々と過ぎていく。
少し意外でもあった。彼女なら、告白くらいサラッとしてしまいそうだが。
呼び出されてから十分。それだけの時間が経った頃彼女はついに覚悟を決めたのか、大きく深呼吸をしてから、口を開いた。
「好きです。付き合ってください」




