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欲望日記  作者: こめぴ
第1章 少女編前
5/10

5日目 一度あることは二度ある


 乾いた風が頬を撫でるような、そんな感触がした気がして、目を開ける。そこに広がっていたのは、覚えてしまうほど多く見たわけでもないけど、忘れることができそうもない、あの真っ白な世界だった。


「また……」


 そう言いながら漏れたため息は、あの時と同じように純白の空間に溶け込んで行く。


 また同じ夢。忘れることのない、あの夢だった。


 目に入るのは相変わらず視界いっぱいの白で、既視感よりも先に絶望感というか、諦めのようなものが湧き上がってくる。

 あの時と違うことといえば、今現在わたしは立っているということだけ。


「そういえば、あのウサギがなんか行ってたわね。存在できるのはここだけとか何とか……」


 高いところから下を眺める時のような、体がピリピリとする感覚を感じながら足元を眺めた。

 ここも前回と一緒なら、わたしは一歩踏み外せばそのまま真っ逆さま、なんてことになるらしいけどーー


「今回は……どうなんだろ」


 やっちゃダメなことをあえてやってしまう時のような、変な動悸を感じながらそっと、ゆっくりと一歩踏み出した。

 コツンと、足の裏が硬い何かの感触を感じた。ふぅと、思わず安堵の溜息が漏れる。どうやら今回は、普通に歩けるようだ。


(といっても、歩き回る気にもならないけどね)


 この世界は、どこを見渡しても白だけで、どれだけ歩いてもどこにもたどり着けないように思えてしまう。そんな場所をあえて歩き回るのも馬鹿らしいと思い、わたしは地面に腰を下ろした。パジャマ越しに感じる床は、鉄のように硬いけど、冷たくも暖かくもない。


「ふむ……こうも反応が薄いのも珍しいですね」

「……」


 いきなり隣から声がしてそちらを見てみれば、そこにいたのはあの不審者だった。

 前回と同じく何の前触れもなく突然現れたけど、来るだろうなとは予想していたし、そういうものと思っていれば驚きこそすれ、声を上げるほどじゃない。

 でもやっぱり驚いてわずかではあるけど精神的に疲労感は感じたのは事実。だから咎めるように隣で同じように座っているうさぎを睨みつけた。


「何でしょう。そんなに睨みつけて」

「聞くまでもないでしょ。あなたは、わたしの心が読めるんだから」


 そういうと、うさぎはキョトンと間抜けな顔をした……気がした。確かに彼の頭はウサギだけど、どちらかといえば被り物のようで表情が動くことは少ない。だからなんとなくの雰囲気で察するしかない。

 確か前回そう言っていたはず。わたしの記憶が間違っていなければ、ではあるけど。


 でもうさぎは、いいえとどこかバカにしたように笑った……気がした。


「あれはもうありません。もうあなたはあなただ。わたしの一部ではありませんから」


 と、そう言った。

 表面上わたしはなんてことない顔をしているけど、やっぱりよくわからない。心の中で首を傾げつつ、それがバレるのも何となく嫌だから正面に向き直した。


 そのまま黙り込んだわたしに構うことなく、隣のうさぎもそのまま何も話さない。

 これが何の時間なのかもよくわからないまま、グダグダとした空気だけが流れていく。

 それがどうしても耐えられなかった。


(どういうことなの……)


 時間が過ぎるごとに、やり切れない悶々とした感情が積み重なっていく。


(これじゃまるでこの夢がなんの意味もないものみたいじゃない。なんの理由もなく、こんな面白みもない、ただ不気味なだけの夢を見させられているの?)


 そう考えると心の角のイライラが、だんだんと怒りに移り変わっていくような気がした。


「はぁぁ……」


 これじゃダメだと、苛立ちと怒りを吐き出すように息を漏らす。

 チラリと横目でうさぎを見るけど、相変わらず正面を向いたまま。その横顔はまさにわたしに興味がないと言われているようで、少しまた怒りが再燃しそうになったのを、頭を振って打ち消した。


「……ねぇ」


 どこかしら喋ったら負けといったような空気のなか、わたしは何とかそれを口にした。


「はい、なんでしょう」

「なんで……なんで今更またこの夢なの?」


 話題を探すことなく、自然とそれはわたしの口から飛び出した。なんだかんだそれが一番気になっていたことなのかもしれない。

 うさぎはそれを聞いて、そうですねぇ……と顎に手を当てて少し考える素ぶりを見せる。


「いろいろありますが……一番はあなたが思った以上に無欲だったってことでしょうか」

「わたしが、無欲?」

「ええ、そうです……他の人なら一日と待たずに会えるんですがねぇ」


 その言い方には関心というよりも、呆れを感じらせられる。無欲が悪いとは思わないけど、なんとなくムッとくるのも事実だった。


「わたしもある程度欲はあると思うけど?」

「ようはその強さですよ。あなたの今まで持っていたのは、その程度の欲ということです」

「……そんなことないと思うけど」

「あなたがなんと言おうと、事実としてあなたはここに来ていなかった。それだけで十分でしょう?」


 うさぎは勝ち誇ったような顔をこちらに向けた。

 その顔はかなりむかつくけど、こいつがいっていることが間違っているわけでもない。欲がないというのも、少し自覚はしていた。だから言い返したくても言い返せなくて、その行き場のない感情を無理やり飲み込むしかない。

 でも何が嬉しいのか耳がピョコピョコ動いている憎たらしいこいつを睨みつけるのは忘れなかった。

 とは言っても、ここで無視して会話が途切れるのも避けたい。あの空気はもう嫌だし、聞きたいこともたくさんあるから。


「それで、聞きたいことはこれで最後ですか?」

「……ああイライラする。ポッキーが食べたい」

「今なんと?」

「いえ、何もいってないわよ。空耳でしょ?」


 疑うような視線を向けてくるけど知ったこっちゃない。不機嫌そうにしながらも先に声を発したのはうさぎだった。


「……こんなことをしにここに来たわけではないでしょう」


 彼は急に立ち上がってそういった。わたしを見下ろす二つの赤く光る双眸に映るのは、ただ事ではないような、真面目な空気。

 人とは違う雰囲気を発する彼を見て、改めてこいつは人間ではないと実感した。するとどうだろうか。なんてことないと思っていたこいつが急に何か恐ろしいもののように思えて来て、手に汗がにじむのを感じる。それを隠すように手を強く握った。


「さっきの話の続きです。あなたが今までここに来なかったのは、あなたの持つ欲が弱かったからだ。言い返せば、今ここにいるのはそれだけ強い欲を持ったということ。そうでしょう?」

「強い、欲……」


 ズイッと彼は顔を近づける。彼の顔全てが見えないくらいに近く。

 自分で言うのもなんだけど、わたしはあまり何かをしたい、何かが欲しいと言わない方だし、そう思わない方だ。

 そんなわたしが今までにないくらいに強く望んだこと。それはなにか、初めてこの夢を見た日から順に思い出していく。


「あ……」


 あった。ひとつ、わたしが記憶にある限り一番強く願ったことが。

 でもあんなことが? あんななんてことないようなものが本当にそうなのか、どうしてもしっくりこない。

 しっくりはこないけど……不思議と納得はできた。


「……どうやら、思い出したようですね」


 彼は満足そうにそう言って顔を離した。


「ならすべきことはひとつだけ。それをあなたはもう知っているはずだ」


 彼はわたしを見下ろしながら、諭すように言葉を綴る。


「欲を晴らしたいのなら願えばいい。願いを叶えたいのなら書けばいい」


 それはまるで生徒に教えを説く教師のようで。


「彼が消えた今、あれはあなたのものだ。あなたは叶えるための権利も、手段もある。ならあとは意志だけ」


 それはまるで信者に教えを託す神のようで。


「さあ目覚めなさい。そして書きなさい。そうすれば全てがうまくいくでしょう」


 彼は人じゃない。だから警戒はしていた。入り込まれないように精神的に距離を取っていたし、何重にも壁を作ってきた。

 でも今彼の言葉はそんなもの無視してわたしの心に直接突き刺さってきている気がした。


 だからわたしは何も返せない。悠然と語る彼を、まさに神でも眺めているかのような穏やかな気持ちで見つめるだけ。


「さあ、聞かせてください」



『あなたの願いはなんですか?』



 そう言って彼はわたしに手を差し出した。


「わたしの……願い」


 口からこぼれたそれに、もはやわたしの意志は薄い。まるで彼に言われるがまま動く人形のようだ。彼に目線を縛り付けられたまま、ポツポツと言葉を漏らす。


「わたしの、願いはーー」


 ーー知りたい。


 ーーあの男の子のことが、知りたい。



 それを口にした途端に視界が光に包まれ、意識が遠のいて、だんだん薄くなっていく。

 なんてことはない。それは前回と同じ、この夢が終わる合図だった。




「ん……」


 スイッチが入れられたように、不意に目が覚めた。朝は弱い方のわたしらしくなく、寝起きというのにやけに意識がはっきりしている。

 でも頭と体はまた別のようで、体は鉛のように重い。首だけ動かして窓の方を向けば、カーテンが閉めてあるからよくわからないけど、明らかにまだ太陽は昇っていないようだった。


(3時……くらいかな、たぶん)


 なんだか時計を見るのも億劫で、でもこのまま起きるのもなんか嫌だ。かと言って眠いかと言われればそういうわけじゃない。


「んー……」


 どうしようもない感情から逃げるように、寝返りを打った。


「っっ!!」


 視線が移動した先で捉えたのは、あの本。真っ黒でボロボロな、『欲望日記』だった。それは元々ベットから少し離れたところにある本棚にしまっておいたはずだ。なのに今枕元にある。わたしはこんなところに置いた覚えはないのに。

 それを見た瞬間、わたしは飛び起きて少し後ずさった。まるで、何か恐ろしいものを目にしたかのように。


「な、なんでこんなところに」


 思わず震えてしまいそうな声を必死に抑えようとした。

 はっきりしている意識が恨めしい。もし寝ぼけていたら気のせいということにして寝ることもできたのに。でも完全に覚醒しているわたしの頭はどうしてもそれを見逃すことはできなかった。


「だ、大丈夫、よね」


 恐る恐る手を伸ばす。

 それは一番新しいページーーあの何かで開けなくなっていたページの次ーーで開かれていた。

 まるでわたしに何かを書かせようとしているようだ。ご丁寧にペンまで近くに添えてある。


「たかが本よ。なにも……できないはず」


 自分にそう言い聞かせながら本を手に取った。


 気味が悪くてしょうがない。でも不思議と怖くはなかった。

 あの夢を見るとこの本がある。どうしても無関係とは思えない。そう考えると、不思議とあの夢の中と同じ、『そういうもの』と考えてしまう。


「……あ」


 手に取ってすぐ、あのフレーズが浮かび上がった。夢の中でうさぎが言っていたもの。この本の書き出しにあったもの。


『あなたの願いはなんですか?』


 それを見た瞬間、カチリと何かが切り替わったような感覚がした。


「そうだ……書かないと」


 ほぼ無意識にそんな言葉が漏れる。


 自分の願いをそこに書けば、全てがうまくいく。誰に言われたわけでもない。でもそう感じた。


 でも、何故だろう。ペンを握った手はなかなか動き出さなかった。まるでためらっているかのように、何かと戦ってあるかのように、プルプル震えたまま、ペン先を紙につけたまま何かを掻き出そうとしたい。



 ーー本当にそれでいいの?

 ーーいいのよ。それで。これで全てがうまくいく。願いは叶う。知ってるはずでしょ?

 ーーそう。願いは叶う。でもうまくはいかない。知ってるはずでしょ?



 わたしの中で何かが戦っていた。

 気持ち悪い。あの目覚めた日と似たような気持ち悪さ。自分の中に、知らない自分がいるような、そんな感覚。



 ーーきっと、あなたの願いは叶う。


「……うるさい」


 ーーでも、それで終わらない。そんなに甘くない。


「……うるさい」


 ーー1度使えば、取り返しがつかない。


「うるさい! なんと言おうと、わたしは書くから」



 もはやわたしの中にあるのは自分の欲を叶えたい、ただそれだけだった。初めての感覚。自分の欲望しか目に入らないみたいな感じ。


 らしくないと、自分でも思う。走り出した車はすぐには止まれない。それと同じように、欲に向かって走り出したわたしは、すぐに止まることはできない。


 そんなわたしは、あまりにも醜い。そう自覚しながらも、わたしの欲を満たすため。わたしの願いを叶えるため。


 わたしは戦っていた何かを無視して筆を取った。




『一二月十九日 夢の男の子のことを知る 大咲凛花』




 それを書いてもすぐ、その横に文字が浮かび上がった。


「……なに。代償?」


『代償:保存期間』


 そこにはムカつくほど綺麗な活字で確かにそう書いてあった。


「代償って……聞いてないわよ」


 その声には自分でも驚くほどの落胆の色が見えていた。よくわからない葛藤をしたのに、返ってきたのはこれだけだったんだから、そんな感情を抱いても仕方ない。

 わけがわからない。今までもだけど、相変わらず意味がわからない。

 もしこれで願いが叶うとしたら、無償でとは思ってなかったし、何かしら失うとは思っていた。でもなにを失うのか、これだけでは全くわからなかった。


「ん?」


 そこでふと、頭に違和感を感じた。チクチクと刺激を受けているような、そんな感覚。気のせいじゃない。それだけは確実だった。

 それに続いて見たこともない場面が頭に浮かび上がった。誰かの視点のようだ。その人が見ているのは欲望日記。知らない世界に一歩踏み出すような高揚感を感じた。


(いや……これは、わたし?)


 なんとなく、そう思った。わたしはこの状況になったことがあると、確信しそうだった。頭の隅に生まれた既視感(デジャブ)をどうにかしたくて頭を巡らせようとしたが、そうもいかなかった。


「あ……待って、ちょっと待って」


 瞬時にさっきまでの場面は切り替わったのだ。そして次々と、まるで早送りのようにいろんなシーンが移り変わる。どう考えても一つ一つについて考えるのは不可能な速さ。でもどうにかそれをしてしまおうとしてしまっていた。


「っっ!!」


 そして、さらにおかしなことがわたしを襲った。


 熱い。頭が燃えるように熱い。このまま燃え尽きてしまいそうに感じるほど、実際に頭の中に火をつけられているんじゃないかと思ってしまうほど熱かった。


 わたしはどうにか叫んでしまわないよう、エビのように体を丸める。シーツを固く握り締め、布団の縁を口にくわえて思い切り食いしばった。そうでもしないと大きな声を出してしまいそうだったから。


「フーー!! フーー!!」


 それでもやっぱり辛くて、荒い息は漏れ、涙は頬を伝い、脂汗がにじむ。


(早く、早く終わって……)


 なにが原因かはわからないけど、必死にそう願った。頭に流れ込んでくるシーンのことなんて、もう考えられない。そんな余裕もなかった。


 そんな願いも無視して、頭の熱はどんどん高くなっていく。


(あ……もう、だめ)


 意識がだんだん遠のいていく。手足の感覚がなくなっていく。その頭の熱もどこか遠くに行ってしまったような、自分の体だけ残して意識は深くに沈んでしまっているような、そんな感覚に陥った。


 意識を失う直前わたしの頭に浮かんでいたシーン。それはトラックだった。思い切りクラクションを鳴らしてこちらに迫ってくるそれは、明らかにすぐに止まれるスピードじゃない。


 

 ーーああ、そっか。

 ーー全部わたしが……



 わたしの意識は、そこで途切れた

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