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欲望日記  作者: こめぴ
第1章 少女編前
2/10

2日目 違和感と古い本


「いやいやおかしいそんなの。あり得ない」


 私は自分に納得させるように、上っ面だけの言葉を繰り返した。でも自分で言っておきながらそれは間違っていると頭のどこかではわかっていて。その頭の中の矛盾によるイラつきのようなものを発散させるように、目の前のデジタル時計を睨みつける。その画面に映された『十二月六日』という表示は、当たり前だけど消えることも変わることもなかった。


「きっと故障よ。だって、わたしが寝たのは九月二十九日のはずでしょ?」


 自分を落ち着かせるための自問自答は、自分が思ったほどの効果を発揮してくれない。

 わたしの記憶が正しければその通りのはずだった。でもわたしの記憶を目の前の無機物は否定する。

 普通に考えれば故障なんだろうけど、残念なことにこれをもらってまだ一ヶ月もたっていない。もらった時これは新品だったし、壊れるには早すぎる。


「今が十二月なら……」


 このデジタル時計通りの日付なら外の景色も変わっているはず。

 わたしは立ち上がって窓に向かって歩いていった。布団から出た瞬間に、ヒンヤリとした空気が肌を舐めるけど、そんなことを気にしている余裕もない。

 わたしの部屋は二階にあって、窓からは少し離れた場所にある公園が見える。そこにある木は九月では青々と木の葉が生い茂っているはずだ。

 自分の記憶の方が正しいと証明するために、勢いよくカーテンを開けた。


「……ウソ、でしょ?」


 窓から見た景色は小さい頃から何度も見てきた、この街の冬景色だった。

 まず第一に、窓が白く曇っていた。それを手で拭いて外を見ると、登校中の小学生たちが見える。彼らは夏ではありえないような厚着をしていた。公園の木々はもちろんのこと、木の葉は全て落ちて裸になっていた。


「もう、何が何だか……」


 意味のわからないことばかり続いて、それらがどうでもよくなって、崩れ落ちるようにその場で座り込んだ。


 まさか記憶喪失?

 テレビの向こう側や物語の中だけの話と思っていた事柄が頭に浮かぶ。

 どちらかといえば現実主義者(リアリスト)なわたしだ。この話を誰かから聞いただけなら、あり得ないと鼻で笑ってしまうだろうけど、まさかそれが自分に起こってしまうとはと、半ば投げやりになってしまう。


「はぁ……」


 思わず重いため息を漏らす。

 吐き出した息は白かった。

 今更ながら肌を刺すような寒さを実感する。床は冷たいし、まるで真冬のようだった。



『ちょっと凛花ー!遅刻するわよー!』


 半ば気を失ったような心地だったわたしに入り込んできたのは、聞き慣れたお母さんの声だった。

 そうだった。今は8時半。遅刻しそうな時間だったと、下の階から聞こえたお母さんの声がわたしに思い出させた。


「ちょっとまって! もう行くから!」


 下の階にも聞こえるように、扉に向かって少し大きめの声でそう叫ぶ。

 壁に掛けてあった制服に急いで着替え、カバンを持って部屋を出た。

 わたしは、この不気味でしょうがない出来事から逃げだせると、心のどこかでどうしようもないほどに安堵してしまっていた。




「あ、凛花! おはよー」

「はぁ……はぁ……おは、よ」


 所変わって場所は教室。もうすぐSTが始まる時間ということもあって、教室にはクラスメイトがほぼ全員揃っていた。それぞれが挨拶や談笑をしていてガヤガヤと騒がしい。

 朝ごはんも食べずに家を飛び出したわたしは、元から少ないわたしの体力を犠牲にしてどうにか遅刻せずに済んでいた。


 教室に入り友人からかけられる挨拶を返しながら、窓際にある自分の席に向かう。そして椅子に腰掛け、フゥと一息。


「お前ら、時間だぞー。席につけー」


 騒然とした教室に野太い男の声が響く。

そこでちょうど担任の先生が教室に入ってきた。本当に遅刻ギリギリだったらしい。それぞれでかたまっていたクラスメイトたちは、どこか話したりなさそうな顔をしながらも渋々散っていった。


「よし、じゃあ出席とるぞ」


 そして朝のルーティーンを始めた。先生が五十音順に名前を呼び、呼ばれれば返事をする、それだけ。もうみんな毎回のことだから慣れてしまったらしく、うつ伏せになったり、やってない宿題に手をつけたりと他ごとをし始めた。


「あれ?」


 そこでふと、右隣と後ろの席が空いていることに気がついた。休みだろうか、遅刻だろうか。

 なんとなく気になって、前の席の江口(えぐち) 麻友(まゆ)の肩を叩く。


「ねえ」

「ん? どうしたの?」

「わたしの隣と後ろの子、どうしたの?」

「どうしたのって?」

「いや、休みかどうかってことよ。知ってる?」

「あははは。凛花ちゃん、何言ってるの?」


 江口さんはクスクスと何が面白いのか可笑しそうに笑った。なんだかそれがバカにされているようで、やけに頭にくる。


「何がおかしいのよ」

「だってさ、そこ誰もいないよ?」

「え? だれも、いない? どういうこと?」

「どうもこうも、そのままだよ? 最初からそこにはだれもーー」

「おい江口! なに話してるんだ! お前だぞ!」

「あ、はーい!」


 江口さんは先生に呼ばれ話はここまでと言った様子で前を向いてしまった。もっと問い詰めたかったわたしとしては、話が中断されて不完全燃焼のようなモヤモヤした感じが残る。


 江口さんの次はわたしだ。先生に名前を呼ばれ、適当に返事をした。

 この席順も五十音順なのだから私の次はわたしの後ろの席の子が呼ばれるはずなのに、呼ばれることなく飛ばされていた。


 江口さんはこの二人は最初からいないと言った。でもそんなことがあり得るとは思えない。その空席が端にあるのならまだわかるけど、こんな窓際の席の真ん中なんて中途半端な場所にあるとはどうしても思えないのだ。


 それ以前に、わたしの後ろと隣には確かに誰か来たはず。それだけは確信を持って言える。

 そう、あのーー


「ーーあれ?」


 なんで? 名前が思い出せない。


「あれ……あれ?」


 名前どころか顔も、性別さえも思い出せない。思い出そうとしても、それは空回るばかりだった。


「なに、これ……」


 気持ち悪い。

 この記憶と現実の矛盾が。

 今日朝起きてから感じ続けて来たこの世界に対する壮大な違和感が。

 この現実が。


 なにより、こんな違和感ばかりなのに周りが平然といつもの日常を過ごしていることが、まるで違う世界に迷い込んでしまったかのようで迷子の子供のような不安感がこみ上げてくる。


(まずい……本当に気持ち悪くなってきた)


「……先生」


 これはダメだと、わたしは手を挙げた。


「どうした、大咲」

「気分が悪いので……保健室に行ってきます」

「……確かに顔色が悪いな。よし、行ってこい。じゃあだれかーー」

「大丈夫です、一人で」


 正直、今はだれとも関わりたくなかった。『普通』でいる彼らと一緒にいたら、さらに気持ち悪くなってしまいそうだったから。


「そうか、じゃあ気をつけてな」

「はい……」


 わたしはフラフラと、おぼつかない足取りで教室を出た。


 廊下は教室の中にいる時と比べれば幾分かは静かだった。わたしはそこをゆっくりと保健室に向かって歩く。

 冬独特の刺すような冷たい風が、わたしのロングストレートの髪と頬に触れる。どうにでもなれと思いわたしは冬の制服を着てきてはいるが、それでも少し寒く感じた。


 やがて教室が集まる場所は過ぎ、階段にたどり着いた。ここまでくるともはやなにも音はない。静寂は思考を深めるようで、わたしの頭の中は自然とおかしな現実でいっぱいになってしまっていた。

 まるで別世界に来てしまったかのような、違和感や矛盾ばかりの世界。普段あまり人のことをよく見ないわたしだけど、よくよく思い出してみればクラスメイトもわたしの知っている彼らじゃなかった。特に容姿において。あんな顔だったっけ? とか、あんな髪型だったっけ? とか、疑問が次々と思い浮かぶ。


「……はぁ、やっちゃったわね」


 それがさらに違和感を大きくして、結局さらに気持ち悪くなった。


「ハハ……鏡を見たくないわね、これは」


 今わたしはかなりひどい顔をしていることだろう。体調もかなり悪い。歩く速さもさらに遅くなった気がする。


 でもこれを解決する方法は思いつかないわけで。思いつくはずがないわけで。それを考えるとさらに気持ち悪くなって。


 そこまで体調が悪いわたしが、保健室の先生に早退を勧められるのは、もはや当然と言ってもいいくらいだった。




「……ただいま」


 小さく漏れたわたしの言葉に返す声は、家の中からは現れなかった。

 それも当たり前。今はまだ12時にもなってない。お母さんはもう仕事に行ってしまって、家にはだれもいない。ここにあるのは、ただただ寂しいだけのシンシンとした静寂だけ。


「はぁ……」


 自分の部屋に行って、カバンをそこらへんに放り投げてベットに倒れこんだ。体の力を抜けば、体の上に何か重いものがあるかのような疲労感がわたしを襲う。

 ただ学校に行ってなにもせず帰って来ただけなのにこの疲労感とは、本当に風邪か熱でもあるかもしれないと、そんなことを頭半分で考える。

 もちろんもう半分は朝から起こっているおかしな出来事のこと。でもどれだけ考えても答えが分かんこともなく、むしろ手がかりもヒントも掴める気配もなく、ゴールの見えないマラソンを永遠と走っているようだ。


「……はぁ。やめよう、こんなの」


 一つため息をついて、頭の中をリセットするように首を振った。


「どれだけ考えてもわからないし、なら考えても無駄よね」


 原因も解決方法もわからない状態なんだ。なら早くこの世界に慣れた方がいいに決まっている。早く自分の記憶との矛盾に慣れて、違和感を自然の中に取り込んで、この世界の住人になった方がいいに決まっている。

 これが現実逃避みたいなものだって、他ならぬわたしが一番わかっている。でも、そう考えないとおかしくなってしまいそうで、きちんと考えたほうがいいと訴えるわたしを無理やり意識の奥深くに押し込める。


「少し、楽になったかも」


 でもそう考えると、頭にくっついていたお守りが一つ落ちたような気分になるのも確かだった。

 映画とか小説を現実ではこうもうまくいかないと考えてしまうような、他人からは冷めているとよく言われるわたしの考え方だけど、今この状況ではそれが助かった。


「ん?」


 頭の中をほとんど支配していたものが消えて、わたしの目はおかしなものを捉えていた。


「本?」


 それの本はわたしの枕元にあった。朝起きた時はそれどころじゃなくて気がつかなかったのかもしれない。


 カーテンが閉められ薄暗いこの部屋で、その本はひときわ眩しい闇を放っていた。


 わたしは体を起こし、その本を手に取った。


「古い本……なんでこんなところに」


 真っ黒な本だった。表、裏、背表紙全て漆黒で覆われている。それに、なかなか大きい。ちょっとした辞書くらいの大きさはある。

 一目でわかるくらい古い本だった。まるで焼け損ねたように所々剥がれかけていて、擦ればボロボロとこぼれ落ちてしまいそう。ページだって一度水につけてしまったみたいにくしゃくしゃで、膨れてしまっていた。


 どうやら今上になっているのは裏表紙のようだ。本のタイトルはなんだろうと、ボロボロと落ちないように丁寧に裏返す。

 本のボロさは表表紙も似たようなものだった。


「古すぎでしょ。何年前の本なのよ」


 現代ではなかなか見ないそのボロさに思わず呆れてしまう。相当管理が悪くなければここまでにはならないだろう。


「ちがうちがう。タイトルは……と」


 お目当てのものは表表紙のほぼ中心にあった。本自体はボロボロなのに、なぜかそこだけまるで新品の本のように状態がいい。

 由緒正しい本にあるような、やけに存在感のある文字でそれはそこにあった。


「欲望……日記?」

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