鹿
もくもくと俺達は歩いていく。
今のところ地図に描き込めるのは……111歩目の枯れた木の群集だけ。
スマホの万歩計を見れば、もう5000歩を超えていた所だった。
「はは、何もないな……本当に」
何の気なしに俺はそんな事を呟いてしまう。
「――!」
なんともいえぬタイミングで、聞こえる『機械音』。
これはデジャウというやつだろうか。
「来るぞ、樹。備えよう」
「……!」
武器になるものを取り出し、ポケットに突っ込んでから鞄を地面に置いておく。
音はかなり遠くから聞こえたが、恐らくこっちに向かってきている。
蜘蛛、狼……次はなにが出るか。
「――――」
灰色の霧から見えるのは、特徴的な『ツノ』。
機械音を発しながら――現れたのは巨大な鹿のような化け物だった。
当然のように金属で覆われた身体に、鋭い三叉の角が二本。
「鹿、か……樹、アイツとは目を合わすなよ」
こいつがどうかは知らないが……鹿は目が合うと突進してくると聞いたことがある。
樹は無言の返答と共に、俺に聖のベールを施してくれる。
「――――!」
鼻を震えさせ、今にも走り出しそうな体勢の鹿。
同時にスチームを噴出し――枝分かれした角が全て、ドリルのように急回転し始めた。
「はっ、まあ唯の鹿じゃないよな」
……アレに少しでも掠れば、回転に巻き込まれて俺はやられる。樹の魔法が有っても流石に厳しい。
恐怖は感じる、でも大分慣れた。
命を落とすかもしれない闘いが、俺にはもう当たり前なんだ。
「来い!」
青く、殺意を宿す光る機械の目を見て、俺は挑発するように叫ぶ。
「――――」
それに乗るよう、鹿はツノを俺に向け――突っ込んでくる。
耳を劈くような回転音と共に。
「っ!」
俺はまずは一度攻撃を見て、なんとか避け距離を開けておく。
どうやら鹿はスピードは無いが、独特のステップで突っ込むようだ。
狼の時の様に真っ直ぐ突進……ではないから、攻撃してくるタイミング、方向が掴み辛い。
「――」
鹿は向き直り、俺をその無機質な殺意を込めた目で見る。
足を蹴り、再び向かってくる鹿。
正面からは危険過ぎる、そして正面を避けてもステップで避けられ再度正面勝負になってしまう。
「――」
休ませて貰う暇もなく、俺に突進する鹿をなんとか避ける。
狼程ではないが、かなり脚が早いせいで避けるだけで手一杯だ。
「っ!」
避けた所を、素早いステップで再度突進してくる鹿。
死の回転が、俺に向かってくる。
体勢を立て直す暇もない、俺は崩しながらも無理矢理身体を動かし距離を取る。
「はあ、はあ……」
命の綱渡りを繰り返し、俺は息を切らしてしまう。
逃げるのであれば簡単だろう、この靴で全速力で走れば恐らくなんとか逃げ切れるはずだ。
だがここでコイツを倒してこそ――俺達は強くなれる。
「――」
再度、構える鹿。対峙する俺と樹。
樹は先程から、鹿に怯える事なく俺の近くに居てくれている。
悔しいがもう、俺『だけ』の攻撃方法では駄目だ。樹を危険な目に合わせたくはないんだが……しょうがない。
「樹、『攻撃魔法』……使えるか」
俺はそう、樹に問う。今までは補助魔法だけだったが……これはもう『攻撃』だ。
下手すれば、標的が樹に切り替わる可能性もある。
「……」
無言で頷く樹は――何も迷いがない、むしろ待っていたようだった。
「そうか。……タイミングは任せる。最大限必要が無いようにするが、もしその時が来たら――頼んだぞ」
「……」
頷く樹、頼もしいな。
「――!」
「増幅、増幅……増幅」
耳障りな機械音を前に、俺は詠唱を開始する。
「付加」
魔力が溢れてくる感覚に身を任せ、ライターを着火、蒼炎を身体に灯した。
――全力で行くぞ。
「――っ!」
突進する鹿に、俺は回り込む様に脚を動かす。
「――」
それに対応する様、鹿はステップにより一瞬で方向を変えた。
「『増幅』!」
俺は、蒼炎を靴に宿し脚を加速し――攻撃を避けてもう一度回り込む。
「――――!」
そのスピードにも、付いてくる鹿。俺はそれを確認し距離を少し取る。
……本当に厄介な奴だ。
しかし――本の一瞬だけ、隙が見えた。
「……行くぞ」
その言葉は俺自身にも掛ける言葉。
「『増幅』」
炎を更に宿し、俺は地面を駆る。
「――」
回り込むと、当然のようにステップで対応してくる鹿。
俺はそのステップに合わせるよう、再度回り込む。
「――!」
鹿はまたそれに対応しステップを踏む。
一見何も隙がないように見えるが……一度ステップを踏んだ後に比べ、対応が遅れているのだ。
勝機はそこを攻めるしかない。
「――っ」
加速させる為全ての蒼炎を靴に宿し、回り込む。
――感覚を限界まで研ぎ澄ませ。
必ず隙を、突いてみせる。
一度目のステップは、まだ。
二、ここじゃない。
三。
四。
五。
六。
七――ここだ。
「『創造』」
俺は、鹿の隙を見て地面を思いっきり蹴り、スタッフを腰から抜く。
「らあ!」
炎の刃が、鹿の背後へ真っ直ぐ伸びていく。
もうコイツは間に合わない――逃げられない。
「――――」
鹿は、攻撃を避けようともせず――斬られると同時、逆にこちらに突っ込んできた。
それは最期の、捨て身の攻撃だったのか。
体が真っ二つになりかけていても、俺への敵意は冷めてはいないんだろう――だが。
「……」
その回転する角が俺に接触しようとする前に、視界外に鹿はぶっ飛んでいく。
白く光る、無慈悲な聖塊によって。
「――……」
追い打ちの如く、幾多の槍が容赦なく真正面から襲い掛かる。当然避けれず、全ての攻撃が命中していく。
弱弱しく立ち上がろうとする鹿は、樹の無詠唱による聖魔法の連打により完全に息を止めた。
「……ふう」
戦闘が終わり、安心したせいか勝手に息が漏れる。
樹の攻撃魔法のタイミングは完璧だ。戦闘の終わり、『止め』の攻撃なら敵の目標が切り替わる心配もない。
その攻撃が外れたら話は別だが、そんな不安を全く匂わさない魔法だった。本当に樹の魔法のセンスは凄まじい。
「……」
そんな樹に声をかけようと振り向いた時。
樹の表情は暗く、良いとは決して言えない表情だった。




