罠
「……さて、それじゃーね!回復魔法は奥が深いから頑張るんだぞー!イメージだよイメージ!」
いつもの調子に戻り、僕に手を振って離れていくマール先生。
僕もしばらく立ち尽くし、その後自分の部屋に戻り、杖を置いて食堂に向かう。
―――――――――――――
向かう時に、騎士団訓練場で素振りをする藍君が見えた。
……やっぱり、藍君も頑張ってるんだ。顔付きもその、男らしくなったというか……
いつの間にか覗くように見ていた僕自身に気付き、慌てて離れる。
マール先生が言った事、それはつまり藍君と二人で……
凄く今更だけど、その事で顔が燃えるように熱くなるのを感じる。
僕は顔を伏せながら食堂に向かい、食事をとる。
「……っ!」
一瞬、不意に背中に纏われるような視線を感じた。
その後は無くなったけど……気のせいなのだろうか。
――――――――――――――
あれから食事を終え、僕は部屋に戻る。
ベッドに座ったら、自然と藍君の事を考え始めていたようだ。
これからの事、僕なんかが藍君に付いていって良いかとか。
正直、『あの事』があってから藍君とは話せてないし、ちょっとどころじゃない恥ずかしさがある。
会ったら多分顔が紅くなってまともに顔をあげられないだろう。
……どうしよう……流石にまだ明日とか出発じゃないよね……
僕が考え込もうとして顔を俯けた時、床に見慣れない物があった。
――なんだろ、これ。
有ったのは、元の世界に存在していた、『ノート』の一ページ。
思わず手に取り見てみると、何か文字が裏に書かれていた。
僕は、その紙の下に方に書かれていた送り主であろう名前を見る。
――藍佑介より。
この名前を見るだけで、僕の鼓動は早くなる。
内容を見てみれば……
『実は、樹に大事な話があるんだ』
この一文が、僕の思考を激しく揺らした。
――大事な話って、そ、『そういう』こと?でも王宮から出ていく事を話すって事も……いやそれなら、わざわざ手紙で、『大事』な話なんて書かないよね――
「……っ」
思考を無理やり止めて、壁に目をやる。
時間はまだ、大丈夫。
お、お風呂入らなきゃ……
――――――――――――
お風呂に入って、服も新しいものに変えて、鏡で身だしなみを確認する。
久しぶりに会う藍君には、その、ほんの少しでも可愛いと思われたかったから。
『大事』な話の前というのも、大分あるんだけど。
……よ、よし。行こう。
時間にはまだなっていないけど念を入れて早めに出発する。
夜道を歩きながらこれからの事を考えた。
異世界なんて分からない事ばかりだけど、藍君が隣にいるのなら……
そんな事を思い浮かべていたら、訓練室に着く。
訓練室は夜も空いているんだろう、扉も空いていた。
魔力のような白い光が、相変わらず部屋に点いている。
一人そわそわしてしまい、落ち着くために辺を歩き回った。
あちこちに行っては戻りを繰り返し、頭も冷えてくる。
これまでの事も、当然考え直していた。
――指定されていた訓練室は、藍君が来た事のない場所。
――いつもより丁寧に書いているのは分かる、しかしそれ以上に乱雑さ、汚さが見られる筆跡。
――あの時の、負の感情が載せられた視線。
何かが、変だ。
まるで、『全く噛み合わないパズルのピースのような』
まるで、『藍君以外の誰かが僕を操っているような』
……早く、戻らないと。僕は――
不自然感が僕を包んで、それが抑えきれず出口に足を伸ばした時。
――扉が、開く音がした。
「ひひっ、ホントにいるじゃん!」
「やっぱ山本はすげえ!」
「……ああ、当然だろ」
その声の主を見たくなくて、僕は自然と顔を下に向ける。
背筋に冷たい汗が蝕んで、気持ちが悪い。
何が起こっているのか、頭が考えることを止めさせた。
「どこ向いてんだ?」
不快な声が更に聞こえても、僕は下に顔を向けている。
「……今日は楽しもうぜ、『樹』?」
一番言われたくない人に、下の名前で呼ばれる。
藍君が僕をそう呼ぶ、それを真似たようで……凄く気持ち悪かった。
「はっ、無視か。おい、お前ら好きにぶちかましていいぞ」
不穏な台詞の十秒後。
「……っあ!」
僕の身体に、『炎の球』が襲い掛かる。
当然、その突然の魔法の攻撃に対応できなかった僕は、五メートル程飛ばされた。
「ひひ、ひひひ……人に魔法ぶつけるのってこんな気持ち良いんだな」
「お、俺も!ウインドカッター!」
風の刃は僕の服を、背中を容赦なく切り裂いていく。
痛くて、苦しい。
「……ホーリー、ベール」
習った魔法を、必死に自分へかける。
でも……唱えただけで、イメージは全く纏まってくれない。
「はは、お前魔法下手クソかよ!救いようねーな!」
練習では出来たのに。マール先生が教えてくれたのに……僕は初めて魔法の発動に失敗した。
間髪いれず、炎と風の属性魔法が僕を襲って来る。
「……うっ……痛いよ……熱いよ……」
炎の熱が僕の肌を焦がして、そこに風の刃が降りかかって。
僕の口から、勝手に身体の悲鳴が発せられる。
同時に、その味わった事のない痛みで僕の意識が離れていく。
「――何、楽になろうとしてんだ?」
その台詞の直後、水の塊をぶつけられた。
離れそうになった意識は、その冷たさで無理やり戻る。
「おら、回復しろよ。回復魔法強化なんだろ?」
言われなくても、この痛みと苦しみを消すためにはそれしかなかった。
「……っ」
唇を噛んで、頭の中でホーリーヒールを唱える。
イメージはぐちゃぐちゃだけれど、固有能力のおかげか傷は癒えた。
「……はっ、固有能力で恩恵を受けてその程度かよ。ほんと才能ねーな!」
癒えたものの、完全には治らない傷。
それに罵声を浴びせられ、同時に傷へ水弾が何回も襲いかかる。
「……っ……」
痛みで、声が出ない。
僕は我慢しながら、無様に倒れその痛みへ回復魔法をかけていく。
「……はは、ははは、本当に面白いなお前!」
「山本、やりすぎだろー!」
「鬼畜ですなー、ひひっ」
後ろの二人も、気持ち悪い笑顔を見せる。
――この地獄は、いつ終わるの?
――僕はこのままずっと、三人の玩具なの?
不安と焦燥と絶望が、勝手に僕の頭を駆け巡る。
それが抑えきれなくなって、僕は泣いてしまった。
「おいおい、こいつ泣きやがった!」
「ひひっ、どうしようもないなこいつ」
言葉を浴びせられる度、僕の心は死んでいく。
間髪入れず、丸くなっていた身体へと蹴りが入れられた。
「っ……ぐ」
お腹に思いっきり足が入り、息ができなくなる。
構う事無く、後ろの二人からの火と風は止まなかった。
「ほら回復しろよ!まだまだ続けるぞ!」
「ひひっ……!死んじゃうんじゃねーの?」
「佑介君に会いたいー?はは、泣くなって」
……こんな場所、誰も助けになんて来れないよ。
でも、でも……どうしても、『あの時』、絶対に誰も助けてくれないと思っていた時に。
――僕を助けてくれた、藍君が過ぎってしまう。
『「あ、い君、助けて――」』
壊れかけた僕の身体が、心が、勝手に口からそう告げた。
――――刹那。
「おい」
三人の声ではない、怒りが篭った低い声が訓練室に響き渡る。
僕のさっきの小さな叫びを、三人は笑って馬鹿にするはずだっただろう。
「来るわけないだろ」、「お前はずっと、ずっとこのままだ」、「お前を助ける奴なんていない」……そんな風に。
でも、三人は口を閉じたまま、訓練室の入り口を凝視している。
それはまるで、在りえない物を見るようで。
「……樹に何、やってんだ?」
まるで、僕の叫びが届いたかのように藍君はこの場に現れた。
その『現実』が、あまりにも非現実で……僕はまだ受け入れる事が出来ない。
「樹」
三人が黙っている中、藍君が僕の名を呼ぶ。
混沌とした思考が覚めていくのを感じた。
真っ直ぐな眼差しで僕を見る藍君の表情は、とても悔しそうで。
「ごめん」
そう、藍君は頭を下げる。
……頭を下げなきゃいけないのは、僕だよ。
こんな僕を、助けに来てくれてありがとう。
理由も方法も分からないけど、何でも良い。
――死んでいこうとした心が、戻っていく。
――流れ落ちて行く涙が、引いていく。
本当に、藍君の事が……大好きで良かった。




