光
とりあえずここまで。
早いもので、藍君が転校生として入ってきてから一週間。
最初の日から、藍君はとても変わった。
見た目も最初に比べたら凄い良く変わったし、積極的にクラスの人達に話しかけてて、少ないけど友達も出来てて。
最初は皆怖がっていたけど、見た目とは裏腹に凄く優しいし、言動も全然怖くない。
そんな彼は、少しずつクラスメイトに自然と受け入れられていった。
「おはよう、神野」
席に着くと、変わらず挨拶をしてくれる藍君。
僕に挨拶してくれるのは藍君ぐらいで、本当にいつもうれしい。
「……」
それでも……相変わらず声を出せない僕は、そのまま黙りこむだけ。
そんな僕に慣れたのか、藍君は僕を無口な人と捉えてくれたみたいで。
「……」
「……」
お互い無言だけど、最初みたいな気まずさは無くなったと思う。
藍君はいつもように読書を初め、少し経つと授業が始まる。
――――――――――――――――――――――――
授業は僕にとってずっと平和で、藍君が来てからは一回もいじめられていない。
その、本人は気付いてないんだろうけど、凄く感謝している。
出来るのであれば……今すぐにでも、一杯藍君とお話したい。
僕もその、本は好きだし。話したい事は沢山ある。
でもまだ……時間が経って、もう少ししたら、僕も挨拶ぐらいは返したいんだ。
でも、でも……嫌われたりしないかな。声小さいし、何言ってるか分からないとか。
もし何かの弾みでお話出来たら……何話せば良いんだろう?最初は自己紹介かな?
……って、挨拶もまだなのに何考えてるんだろ、僕
また、自分で自分を迷わせてしまう。
それでも自己嫌悪な状態じゃなくて、藍君の事で頭が一杯な今は、ずっと……その、楽しい。
藍君と、仲良くなりたい。藍君と話したい。
そう思わせてくれる彼に……僕は――――
「授業初めるぞー!席に着け!」
「……」
ふと隣を見ると、ずっと本を読んでいる藍君が居た。
じ、授業始まってるよ!
「……」
『欲亡き世界』……って見るからに難しそうな本を、凄い集中力で読んでいる藍君。
知らせてあげないと……僕が。その、僕しかいないし。
「……」
そっと、腕を伸ばして藍君の肩に触れる。
指先が触れた途端、ビクッと反応する藍君。
「……え?あ」
藍君は周りの様子から、状況を読み取ったみたいだ。
良かっ――
「――その、教えてくれたのか?ありがとな」
少し笑みを浮かべ、こちらを真っ直ぐ見て、お礼を言う藍君。一瞬、僕自身の前髪の隙間から、視線が合った。
瞬間。
急に上がる心拍数。顔が、赤くなっているのが、分かる。
「……っ」
僕は何も言えず、顔を赤くしたまま、姿勢を直して俯く。
「……」
僕、こんなので藍君と話すなんて考えてたんだ……
授業が始まっても、僕の鼓動はしばらく止まない。
さっきの光景が頭を支配し、僕はまた藍君で頭が一杯になるのだった。
―――――――――――
僕は、幸せ者過ぎなのかもしれない。
突然現れた転校生である藍君は、僕を救ってくれた。
本人はまったく自覚はないにしろ、だよ。
だから――ほんの一週間前まであった悪夢を、文字通り夢のように忘れかけていたのかもしれない。
『いじめ』。それを僕は、藍君によっていつの間にか意識から全て無くしていた。
そして……藍君がクラスに馴染み、怖いという認識が三人から消え去った今が。
いつ悪夢が戻ってきてもおかしくない事も、全く意識していなかった。
「……!」
ふいに後ろから、椅子を蹴られた。
授業中にも関わらず、後ろの彼は僕を標的にする。
「……ひひっ」
小さく聞こえる、聞きたくない笑い声。
「……」
冷や汗が流れ、忘れていた恐怖が頭をぐるぐると回る。
すぐ一分前の僕は、どれだけ幸せだったか。
今の僕を……隣の藍君に知られたくない。
どうか、気付かないで、お願い――
「……」
藍君は、授業を凄く集中して聞いてる。
安堵したのも束の間、今度はさっきより強めに蹴られた。
「……」
こんな事に、やめてって言えない僕はどれだけ弱いんだろう。
頭はもう、昔の僕に戻っていて。
ひたすらに、今から起こる恐怖に支配されている。
――――――――――――――――――
それから、学校では帰るまで色んな嫌がらせを受けた。
もちろん藍君が見ていない時だけ。気付かない様に小さな、陰気ないじめを。
「ふひっ。神野、一緒に帰ろうぜ」
台詞も、言う人が違うだけで、こんなにも嫌なものなんだ。
その後、帰りにまで三人組が着いてきて、悪口を放ってきたり、体を傷付けられたりした。
……僕の精神状態は、昔より酷くなっていると思う。
元からどん底より、幸せからどん底に行くほうが、何倍も、何倍も辛いもんね。
「……っ……うっ……」
三人組が離れてから、僕は俯き、涙を流す。
――――――――――――――――――――――――
僕は、昨日のせいか目覚めも悪かった。
そのせいでいつもよりかなり遅く、僕は登校し席に向かって。
後ろにいる三人組を見て、昨日の光景が思い浮かび、一気に気分が悪くなった。
また、地獄が始まるんだ。そう考えるだけで、学校が嫌になる。
「……神野?おはよう」
挨拶してくれる藍君。今の顔を見られたくなくて、俯いて黙り込む。
そのまま席に着き、じっと下を向いて。
いつもと様子が違う僕を、藍君は心配してくれてるのかな。
……はは、ないよね。
どうせ僕、何も喋らないし前髪で顔は見えないし……気味悪いと思われているんだろうな。
「よし、授業始めるぞ!ちょっとプリント取って来るから自習してろ」
先生の号令は、僕にとってはいじめが始まる合図。
それは正しく、先生が出て行ってしばらくしてから。
「……っ」
ボールペンで、背中を刺される。
痛い、痛い。止めて……
「……」
唇を噛んで、藍君に分からないように耐える。
面白くないのか、今度はボールペンで服をなぞられる。
気味が悪い感覚が僕を襲った。
今頃、僕の服はもうインクで汚れてるんだろうな……
こんなの、藍君に見られたらと思うと。
「……っ、うっ……」
耐え切れなくなって、僕は声を押し殺して、泣いてしまう。
お願い、もう……やめて――
刹那、椅子が動く音。
「――お前……何、やってんだ?」
これまでに、聞いた事がない程低い声が教室に響く。
ふと、隣を見ると。
藍君が席を立ち、僕へ刺されたボールペンを握って半分に折っている。
真っ直ぐな、純粋な怒りの眼差しを後ろへ向けていた。
「……へ、ひ、ごめんなさい」
情けない声が、ボールペンの主から漏れる。
周りの空気は凍り、藍君に対してクラスメイトが恐怖の視線を向けた。
折れたボールペンを後ろの机に放り、藍君はその視線を浴びながら着席する。
「待たせたなー!始めるぞー起立!」
先生が入ってきて、授業は進んだものの。
僕は……頭の中は真っ白で、何が起こったかまだ整理できていなかった。
それでも、藍君が僕を助けてくれたって事だけは分かる。
本当に……本当に。ありがとう、藍君。
君に、僕はどれだけ救われているんだろう?




