父のオペ
「気が進まないわ」
精気のない声で、妻は夫につぶやいた。
「今更なにを言うんだい」
夫は自分と妻との間に、電話をずいと引き寄せた。
二人の座るソファーがきしんだ。
夫は妻の手をとり、そっとそれにキスをした。
「お義父さんは、もう今のままじゃ、ベッドで呼吸を続けるだけなんだ。
だからオペをお願いしようかって、二人で決めたんじゃないか」
「でも」
妻は言って、涙を浮かべた。
「想像しかねるわ。
お父さんがネコになるなんて」
「陽子」
夫はひときわ優しい声で、妻の涙をティッシュでぬぐった。
「お隣の吉田さんも、ひいおばあちゃんを三毛猫にしただろう。
吉田さんのお嬢さんは、毎日おばあちゃんを抱いて、〔かわいい、かわいい〕言ってるよ」
「ネコにしなくたって、私はお父さんを愛していけるわ」
妻が涙声を上げた。
「寝たきりのお父さんでも愛しているの!」
「……」
夫は黙って、妻を抱きしめた。
「そうだね。君はお義父さんがどんな姿になっても、ずっと愛しているんだよね」
「ええ」妻は夫の胸の中ではっきり言った。
夫は、妻の瞳を覗き込んだ。
「だから、お義父さんがネコになっても愛していくだろ?」
「……」
妻は目を瞬いた。
「どうなんだい?」
夫は眼力で、妻の心を、かき混ぜた。
「そうね……」
妻はつぶやく。「どんなお父さんでも愛せるわ」
「その通りだよ!」
夫は言って、ばっと電話の受話器をあげた。
病院に電話をかけ、主治医にオペの予約をとった。
夫は右手で電話の受話器を、左手で妻を自分の胸の中に抱き寄せていた。
夫の胸の中で、妻は狐につままれたような顔をして、ただ首をかしげていた。
妻は気づいていなかった。
夫の言葉に誘導されたとはいえ、自分の父を、天秤にかけたことを。
妻は忘れていた。
話の始まりはなんだったのか。
寝たきりの父をどこかでわずらわしく思うようになり、いっそ、今流行の〔動物変態オペ〕で、手のかからないネコにしてしまおうかと思ったことを。
ネコにしようと思った時点で、妻は父に対する愛情を無くしはじめていた。
寝たきり老人の介護とその費用、これを天秤の片方に乗せ、もう片方に父を乗せた。
今、天秤がガタンと傾き、父は上に持ち上げられた。
翌日、妻の父は、「父」ではなく「ネコ」になった。