3.こんなはずでは
不覚だ。よりによって愛しのミリにボタンのかけ間違いを指摘されるなんて。
「これでどう?」
ベッドが仕上がり、ついでだからと机まで作ってくれた彼に、出来栄えを聞かれても苦笑いしか出てこない。
「バッチリだよ。ありがとう」
完成した机を壁にかけた鏡の下に固定すれば、あっという間に鏡台の完成だ。幅のある引き出しには、手持ちのアクセサリーが全て収まった。ミリ様最高です!
なのに、彼の前で大失態……。
それまで舞い上がっていた自分が一瞬にして急降下した。落ち込むエマにかまわず、ミリはジゼルと話をしながら嵐や高波で動かないようにと、まだ荷物が入っているトランクも余った木材で囲いを作ってくれている。
「そういえばさ、エマちゃんてずっと陸にいたんだよね? 海にいたことはあるの?」
しょんぼりしながら荷物を片づけていたエマは、彼を振り返って頭を振った。
「生まれてから六歳までは海にいたけど、それ以降はずっと陸だよ」
だからばば様は、夫探しの傍ら海を学んでこいと言ったのだ。
「どうりで、俺たちがシーウルフに行ったとき会わなかったわけだ」
頷くジゼルの傍らで、ミリが素朴な疑問を口にする。
「陸では普通の女の子として過ごしてたの?」
「うん。海賊とは無縁だったよ。時々噂を聞く程度」
あまり関わりたくなかったので、自分から情報収集もしなかった。
「じゃあうちに来るのも怖かったでしょ」
確かに、海賊は怖いし不安がないって言ったら嘘になるけど。
「今は平気だよ」
だってミリがいるから! それに、パールクイーン号は思った以上にすっきりしていて、クルーたちもみんな小綺麗だ。薄汚れたぼろぼろの服を着て、髪の毛も髭も放ったらかしで、近寄ったら鼻がもげるような体臭かコロンの匂いが漂ってくる連中とは全然違った。
「一言で海賊って言っても色々だね。ここはシーウルフより快適だよ」
そう言うと、ジゼルが控えめに笑った。
「うちは少し特殊だからな」
「?」
不思議に思ったエマを見て、察したミリが答えてくれた。
「横暴なことは絶対しないってのが船長のポリシー」
「海賊なのに?」
「おかしいよね」
なんて言いながら、彼もジゼルも笑う。その顔がなんだか嬉しそうで、誇らしげだった。
「よし。これでオッケー。あとは? ほかに作るものはない?」
「うん。とりあえずは大丈夫かな」
ひと段落ついて、三人で部屋を見渡してみる。家具が増えて部屋らしくはなってきたけど、やっぱりちょっと味気ない。あとで可愛い生地を買いに行こう。
密かに考えていると、どこからか男の声が響き渡った。
「飯だぞー」
「お、グッドタイミング。エマちゃんお腹すいたでしょ。一緒に食堂行こうか」
「うん!」
笑顔で元気よく頷いて、ミリ達と一緒に部屋を出た。彼らの案内で、食堂に向かって歩いていく。階段を下りて通路を進み、食堂に着くと数人の男たちで入口が埋まっていた。早く座れだのもたもたするなだの、腹をすかせた男たちから文句の声が上がっている。そこに入っていくのは躊躇って、入口が空くまで待っていたら、後ろから来た男に肩がぶつかってしまった。
「あ、ごめ……」
言いかけて、続きの言葉が喉の奥に引っ込んだ。振り返った目の前に、目つきの悪い大男が立っていた。「ひぃ!」と叫びそうになって、寸前のところで口を押さえた。目深にかぶったバンダナの下で、鋭い目つきがエマを冷たく見下ろしている。全身から溢れ出す威圧感がすごかった。小柄なエマにとっては、壁に等しい。生きた壁だ! 壁おばけ!
「大丈夫? エマちゃん」
声をかけてくれたミリになんとか頷いたものの、口元は完全に引きつっていた。
「銀。エマちゃんは普通の女の子なんだから、気をつけないと」
ミリに銀と呼ばれたその男は、ちらりとエマを一瞥した後、何も言わずに食堂へ入っていった。
「ごめんね。エマちゃん。彼は無愛想だけど、根はいい奴だから」
気にしないでいいと言ってくれたミリに、涙目で抱きつきそうになった。なんなの? あの人。怖すぎだよ! 目が合った瞬間、凍りついて動けなかった。高いところから見下ろす目つきがすごく鋭くて、まさに冷酷な殺人鬼って感じだった。
肩が当たったせいで、とろとろしてんじゃねえよって怒らせちゃったかな。
エマも普段ならこれくらい気にしないけど、相手を考えるとついつい過敏になってしまう。海賊とか盗賊とか、ガラの悪い人って、なんとなく短気なイメージがあるのだ。ぶっきらぼうだったり、言葉遣いが乱暴なせいもあるけど、ちょっとしたことでもすぐに喧嘩売ってきそうじゃない? 全員がそうとは言わないけど、今の銀もそんな感じだった。目つき悪すぎ!
ひょっとして、エマのことを快く思っていないのかも。昔は海賊船に女が乗るのは禁忌とされていたし、女海賊が存在する今でもそう思っている人はいるだろう。しかも海賊の娘とは名ばかりで、エマは普通の女だ。剣も銃も使えなければ、誰かと戦ったことなんて一度もない。戦力にならないどころか男を惑わす危険もあるとなれば、厄介者として邪険に思うのも当然だ。
私だって、好きで海賊になるわけじゃないんだけど。
内心愚痴をこぼしたものの、言葉にはできなかった。代わりに出るのはため息ばかりだ。
「はぁ……」
居心地の悪い食事のあと、逃げるように食堂をあとにした。あんなところに長居は無用だ。銀の目が怖すぎる。食事の最中にちらっと見たら、思い切り睨み返されたし。視線だけで殺された気分だったよ。あれは絶対にエマを嫌ってる。
「やだなぁ。あの人ともこれから一年一緒なんだよねぇ」
考えただけで気が重い。むしろ考えたくない。自分の頭から銀の存在を取り除きたい。ついでにジュリも。そしてセスも。
いっそパパやシーウルフのことも、全部まとめて消去したい!
むしゃくしゃしながら荒い足取りで街に出て、目についた露店で可愛いリボンをヤケ買いした。本来なら節約するべき状況だけど、今は違う。
パールクイーンに来た際、パパはボルボアに結構な額のお金を渡した。エマとジュリとセスの三人が世話になるのだ。現実問題として金はかかる。いくら身内といっても、その辺は気を遣ったらしい。
そしてさらに、パパはエマ個人にも資金をくれた。正確には、エマがせびった訳だけど。だって髪飾り買っちゃったから金欠だったんだもーん。なんて理由はもちろん伏せて、女一人で海の生活は何かと不便だ。突然のことで荷物もお金も準備不足だと訴えて、しっかりちゃっかり調達したのだ。
と、いうことで、いいじゃんこれくらい、罰は当たらないよ! って、品物を漁っているうちに、ショッピング魂に火がついてしまった。
大通りは無数の露店が立ち並び、目にも鮮やかだ。普段もそこそこ賑わっているけど、初夏の今は特に華やかになる。明日から風野祭りがあるからだ。ミリに聞いた話では、パールクイーンが華朝を発つのもこの祭りのあとらしい。
ちなみに、風野祭りというのは、毎年二日間に渡って華朝の大都で行われる恒例行事だ。元々は海の女神が夏を運んでくるという言い伝えから、収穫物を捧げて感謝し、迎え入れるという一種の奉納祭だったらしい。最近は少しずつ主旨がずれて、ただの祭りとなりつつあるけど、初夏には必ず行われ、誰もがこの祭りを楽しみにしていた。かく言うエマも、華朝に来てから毎年欠かさず行っている。夕方になると無数の花火が打ち上げられ、それはそれは綺麗なのだ。おまけに可愛いアクセサリーや雑貨も安く露店に出されるわけで、エマのがま口財布も去年同様ついつい口が緩んでパカパカと硬貨を吐き出した。
しかし、エマは『後悔先に立たず』という言葉を身を以て思い知った。
大通りの露店を物色していたら、店先にちょうどいいサイズのパーテーションを発見した。厚みのある木材で全面板張りになっていて、周りの枠の部分だけ飾り彫りが施されていた。四連で蛇腹にして立てて使うタイプだけど、真っ直ぐ伸ばせば隙間もなく壁として使えそうだ。
これ、部屋の仕切りにいいかも。
前に立ってみると結構高さがあって、エマがすっぽり隠れられる。ジュリやセスでも、近づいて覗かなければ見えないだろう。真っ直ぐ伸ばして平らにして、壁と床に固定して、倒れないよう木材で補強すれば完璧だ。
「これいいなぁ」
値札を見てみると、アウトレットで安売りしている。だけどエマの両手にはすでに買い物袋の数々が。あぁ。欲張ってヤケ買いなんかしなきゃ良かった。
「あきらめて最初の予定通りカーテンをつけるか。でもなぁ、できればこっちの方がしっかりしてるし、簡単にめくれることもないし……」
頑張ればなんとか抱えて行けないかな。それか、一旦戻って荷物を置いてからまた来るか……。その場で腕組みをして考えていたときだった。
「それ買うのか?」
……えーと、いま後ろから声が聞こえたんだけど、気のせいかな。そうじゃなければ、人違いだと思いたい。
「仕切りに使えそうだな」
がっくり。
エマの思い違いでなければ、後ろにいるのは婚約者の片割れだ。声に張りがある方の婚約者というと、茶髪の片目――恐る恐る振り返った先には、セスがいた。エマさん大正解ー……。
なんでこうなるかなぁ……と、心の中だけでつぶやく。
「買えよ。俺が持ってやる」
「け、結構です」
「ほしいんだろ?」
「ちょっと高いから、ほかのお店も見てみます」
知らない人が見たら、悪徳業者に押し売りされて怯える客だ。いっそ『セールスお断り』という札を彼に叩きつけて逃げ去りたい。
「おい! 店主! これもうちっと安くしてくれ!」
ぎゃー! 値切りなんてしなくていい!
「あの! 本当にいいから!」
「これがほしいんだろ?」
そう思ったけど、気のせいだから! ほしいなんて思ってないから!
「親父! これアウトレットなんだろ? 傷物ならもっと安くしろよ」
それ恐喝! 脅しになってる! ほら! お店のおじさん怯えてる!
「エマ! タダでいいってよ!」
うわぁ。これって犯罪になっちゃうかしら。
「俺が持ってやるからもらっちまえって」
……ごめんね、おじさん。
なんだか居たたまれなくなってしまって、パーテーションを受け取ったらすぐにその場をあとにした。
「気前のいい親父で良かったな」
それ、ちょっと違うと思う。
大きなパーテーションを軽々と肩に担ぎ、セスは蟹股で通りを歩く。この人、人相悪いって自覚ないのかな。ただでさえ外見が怖くて派手なのに、こんな大きなパーテーションを持ったら目立つことこの上ない。さっきから通り過ぎる人がじろじろと怯えた目で見てるけど、何も感じていないのかしら。まったく気にせずご機嫌な様子を見ると、相当に図太い人らしい。
っていうか、機嫌がいい今なら少しは話ができるかな。
「あの……」
「あ?」
やっぱり怖い! 普通、声をかけられたら受け答えは「何?」とか「ん?」とかでしょ? 「あ?」って何⁉ その一言だけでこっちの心臓が縮み上がったよ!
「なんだ?」
「あ、えと……」
どうしよう。話しづらい。でも声をかけておいてやっぱり何でもないなんて言ったら気を悪くさせちゃうかな。せっかく機嫌がいいんだし、話すなら今がチャンスよね。
「私たちのことなんだけど……」
頑張れエマ!
「私たち?」
セスがふと立ち止まってこっちを見下ろす。が、頑張れエマ!
「だ、だから、セスとジュリは私の婚約者候補なんでしょう?」
「まあな」
「嫌じゃないですか?」
勇気を振り絞って尋ねたエマに、セスは不思議そうに首を傾げた。
「ジュリもいるからか?」
「そうじゃなくて、二人がパールクイーンに来たのって、私との仲を深めるっていうパパの魂胆があってのことだし、悪い虫がつかないための見張り役なんて、ただの口実じゃないですか」
クルーと娘を無理矢理結婚させようだなんて、これこそ職権乱用だ。指名されたクルーはたまったもんじゃないと思う。
「いくら船長命令でも、結婚相手を勝手に決められるのはどうかと思うんです」
つまり、私にはあなたたちと恋愛する気なんてないんです。セスもジュリも好みじゃないし、一年一緒にいれば好きになるっていう可能性も心の底から否定したい。
「二人だって、自分の恋人は自分で選びたい、ですよね?」
だからお互い意識しないで過ごせたらなーって。いっそ私のことは忘れて、関わらないでくれたら嬉しいなーって。なるべく穏便に笑顔で言ってみたら、セスの目が挑発的に向けられた。
「そういやお前、俺らのことを『実力重視で見た目はゼロ』とか言ったらしいな」
「……え?」
「『大ばばや船長が選んだ男なんか、見る気にもならない』とか」
ひえー! 誰ですかそんなことを言ったのは⁉ 今すぐ時間を戻して自分で自分を殴りたい! っていうかグレイ! 素知らぬ振りして何やらかしてんの⁉ 内緒にしてとは言わなかったけど、それくらい言わなくても察してよ! 本人にばらしたら怒らせることくらい分かるでしょ!?
「ご、誤解です! それはその場のノリっていうか、売り言葉に買い言葉みたいなもので、ヤケになって出た言葉で……!」
わぁ、何を言ってるの私!? どうしよう! 顔が近いよ! セスの目が怖いよ!
「んじゃあ本心じゃなかったわけ?」
「もちろん! 本心でそんなこと言うわけないじゃないですか!」
「……ふぅん」
セ、セスさん。目が据わってます。恐ろしすぎて失神しそうです。
「ま、そういうことにしてやるよ」
「どうも……」
良かったぁ!
安心した途端、体内の空気が全部口から出て行った。この安堵感と言ったら、半端ない。




