2.可能性
「ベッド作った方がいいな」
愕然とするエマを前に、腕を組んだジゼルが真顔で言う。
「一人分のベッドくらいすぐにできるから、作ってあげるよ!」
どこか慌てた様子でミリが言う。気を遣わせてしまってごめんなさい。本当に申し訳ないんだけど、その厚意を断れない。
ジュリの後ろで、セスがこっそり肩を震わせているのが見える。ちょっとむっとしたけど、そこで怒れないのが何とも悔しい。
せっかく出してもらったハンモック、試しに乗ってみようと思ったら、なぜか一回転して落ちてしまったのだ。最初の一、二回は笑って済ませられたけど、続けて五回も失敗したら笑えなくなった。
ハンモックって、こんなに難しかったの?
何度やってもグルンと回ってドスンと落ちる。
「気にすることないって。コツさえ分かればそのうち乗れるから」
「うん……」
ごめんね。きっと鈍臭い奴だと思ったよね。私、本当は運動神経いいんだよ? 足は速いし身軽だし、高いところも全然平気で登れちゃうんだよ? って言っても、今は信じてもらえないよね。
「五回連続で失敗かよ」
ほんと、自分でも信じられないよ。
「ひょっとして天然? 何もないところで転んだりする子?」
いや、そんなことはないんだけどさ。って、あれ?
聞き覚えのない声がして、顔を上げたらドアの隙間から複数の顔が覗いていた。うわ、見られた。ほかの人たちにもばっちり見られた!
「ほらほら! 野次馬は散った散った!」
気づいたミリが追い払ってくれたけど、もう遅い。きっと今ので私は鈍臭い子というレッテルを貼られたに違いない。
最悪だ。
「じゃあこのハンモックは俺がもらっていいか?」
セスが笑いをこらえながら聞いてくる。
どうぞどうぞ。どうせ私が持っていても活用できませんから。
気前良く譲ってやると、彼は器用に部屋の角にハンモックを取りつけた。船の先端の部分だ。ということは、真ん中が彼のスペースになるらしい。
話し合っている様子はなかったけど、勝手に決めちゃっていいの?
ちょっと気になってジュリを見たら、彼は二つあるうちの手前の窓の下に荷物を置いた。なるほど。エマは部屋を縦に三等分したけど、彼らは与えられた三分の二のスペースを横に二等分したらしい。確かに、それなら二人とも窓がある。セスの方が少しだけ広いけど、ジュリは入り口に近いという利点があるので、お互い納得したんだろう。こんなにスムーズに決められるなんてすごいな。話し合わなくても分かり合えるくらい仲良しなのかな? それとも実はセスの方が立場が上で、ジュリは逆らえないとか?
「エマちゃん。ベッドの位置ここでいい?」
考えていたら、材木を運び入れたジゼルとミリが、早速ベッドを作るべく尋ねてきた。エマは頭を切り替え、入り口から部屋を見渡した。
こうして見ると、自分のスペースだけでも結構な広さだ。つい物が多くなる女の子でも、工夫をすればそこそこ快適に過ごせるだろう。
「もう少しこっちにお願いしまーす」
軽い口調で指示を出しながら、改めて考える。
強いて言うなら、ちょっと殺風景かな。
当たり前ながら家具はなく、床も壁も天井も見渡す限り古ぼけた板が貼られた空間だ。窓と広さのお陰で解放感はあるものの、年ごろの女の子が使うには味気ない。用意された布団も全部生成りの麻素材で、どっちが掛け布団でどっちが敷き布団かも分からない。ずっとしまっていたせいかちょっと埃っぽいし、これじゃあちょっと、ねぇ。
海に出る前に買い出しに行こう。
シーツにブランケット、仕切りにするカーテンやマットもほしいな。いくつかクッションも置きたいし、収納もほしい。
頭の中でリストアップしていると、
「んじゃあ俺、ちょっくら買い出し行ってくるわ」
というジュリの声が耳に入った。本当ならエマも行きたいところだが、
「ベッドは作っておくから、エマちゃんも一緒に行って来たら?」
気が利きすぎるミリの提案を全力で断った。
冗談じゃない。一緒に買い物とか、絶対無理だ。彼らと弾んだ会話なんて、一生できないんじゃないかと思う。だって、人種が違いすぎる。むしろミリやジゼルの方が年の差がある分、逆に話しやすい。
「先に荷物の整理をしたいから、終わってから行くよ!」
慌てて拒んだ私は悪くない。ジュリとセスから胡散臭そうな視線を感じたけど、必死に気づかない振りをして背を向けた。それがまた怖いの何のって。
第一、エマの婚約者候補なんて言われているけど、本人たちは絶対にそんな気ないと思う。相手がどんな人かも分からないのに婚約者だよ? 嫌がるのが普通でしょ。ここに来たのだって、きっと船長命令で仕方なく来たんだと思うし。となると、彼らにとってエマは目の上のたんこぶのような存在であって、一言で言えば邪魔者だ。面倒臭いとか、思われてるんだろうなぁ。そう思えば思うほど、エマの口からため息が漏れる。考えたところでどうしようもないんだけど、今後を憂わずにはいられないこのやるせなさ。
ママ……。私、どうしたらいいと思う?
肩を落とし、右手の薬指にはめた指輪を力なく撫でた。船窓から差し込む光が指輪に当たり、サファイヤの青緑がきらきらと輝いている。なんとなく手を動かすと、その光が古びた木壁にもゆらめくように映った。
すると、光に気づいたミリが、作業の手を止めて振り向いた。
「何か光ったと思ったらエマちゃんか。綺麗だね、それ」
「うん。ママの形見なの」
「へえ、サファイヤか。そういえば、祇利那はサファイヤの原産国だったね」
こんな風に、気さくに声をかけてくれるミリがどんなにありがたいことか。
……うん。そうだね。
ここにはミリという王子がいる。決して悪いことばかりじゃないよね。
生活に慣れるまでは、極力彼と一緒にいよう。そうすればお互いの距離も縮まるし、苦手な婚約者たちとも関わらずに過ごせるもんね。
ママ、ありがと。
導いてくれたママに感謝し、前向きな気持ちで大型のトランクをひとつ開けた。だけど収納がないので、中身を出してもしまえない。やっぱり買い物が先か。と思ったところですぐには行けず、とりあえずはできることから始めてみた。
まず手に取ったのは、エマの上半身が映るくらいの大きな楕円の掛け鏡。海賊船にはろくな鏡がないと思って持ってきたのだ。本当は全身が映るサイズが良かったけど、嵐や戦闘の衝撃で割れる危険があるからとグレイに止められてしまった。そこで彼に相談し、これなら大丈夫だろうというぎりぎりのサイズを持ってきた。蔓薔薇で縁取られたデザインがとても上品でお気に入りだ。それを壁にかけ、補強のためにもう二、三本釘を打った。一人暮らしが長かったので、大工作業も少しくらいは自分でできる。
「器用だね」
「えっ?」
不意に後ろから声がして、振り向いたらミリが笑顔を浮かべてエマを見ていた。
「金槌の使い方が上手いと思って。エマちゃんならうちでも活躍できるよ」
わ、眩しいですその微笑!
「ありがとう……」
どうしよう。いま絶対顔赤い。
「でも力仕事は無理しないこと。それ固定するんでしょ? 俺が支えるよ」
「あ、でも、ミリはベッドが……」
作業の邪魔をしては悪いと思ったけど、
「もう完成してるぜ」
ジゼルが金槌を肩にかけて言った。なんて早さだ。さっき材木を運んできたと思ったら、もう出来ている。しかも寝床の下に大きな引き出しまで。これで大量の衣類の収納場所は解決だ。
「すごい! プロだね!」
「まぁねー」
得意気に胸を張ったジゼルの横で、ミリが改めて口を開いた。
「周りには体力自慢の男がいっぱいいるんだからさ。気兼ねなく俺らを使いなよ?」
やばい。この人本当に素敵すぎる。爽やかだし、優しいし、頼りになるし、大人だし、男らしいし、力もあるし。悪いところなんてないんじゃない?
って、呆けていたエマは気づかなかった。
「ところでエマちゃん」
ミリが声を潜めて顔を近づけた。ドキっとしたのは一瞬で、
「スカートのボタン、一個ずれて留めてるよ」
全身の血の気が一気に引いた。
「きゃあぁー!」
恥ずかしすぎる。




