6.パールクイーン
「よう。兄貴! 華朝に来るなんて珍しいな」
足がすくみ、体を強張らせていたエマの耳に、張りのある若々しい声が届いた。もっと凄味のある低い声かと思ったけれど、実際は結構フランクだ。
「相変わらずだな。ボルボア。元気そうで何よりだ」
パパの言葉に、ボルボアは嬉しそうに笑った。野性的で、豪快な笑い方をする人だ。
「兄貴もな。うちの親父も耄碌してねえか?」
「まだまだ現役で活躍してるよ。お前に会うから言伝がないか聞いたが、何もないとさ」
笑い合う彼らの会話を聞いて、ふとエマの脳裏にある人物の顔が浮かんだ。
くすんだ金の短髪で、右の口元を吊り上げて話す古参のクルーだ。彼がボルボアの父親であることは、シーウルフの中では有名だった。子ども好きな人で、エマも幼いころに遊んでもらった覚えがある。
そういえば、彼も大口を開けて豪快に笑う人だった。
密かに思い返していたエマに、ふとボルボアの目が向けられた。眼光炯々としていて、あまりの目力にびくついてしまった。
「こちらが例のお嬢さんか」
言いながら、その目を窄めてにぃっと笑う。
「一人娘のエマだ。いろいろと教えてやってくれ」
抑揚のない声で話すパパの言葉に、彼は笑みを深めて頷いた。
「兄貴の頼みとあっちゃ、断れねえな」
ちなみに、ボルボアがパパを兄と呼ぶ理由は二つある。
ひとつは、同じ船で育ったから。幼少時代をエマニエル号で一緒に過ごしたため、兄弟のような認識が互いにあるのだ。
もうひとつは、前にグレイから聞いた話だけど、ボルボアはパパの弟の親友だったらしい。パパの弟は かなり前に海で亡くなっているけど、生前はボルボアと竹馬の友で、兄弟のように仲が良かったらしい。それでボルボアはパパとも交流が深く、互いに兄、弟と呼び合う仲なんだとか。
――なんて、考えに耽って現実逃避している場合じゃない。
「エマ。こいつがボルボアだ。挨拶しておけ」
パパに促され、エマは慌てて頭を下げた。
「よ、よろしくお願いします!」
上擦った声で言ったあと、強張った頬をなんとか緩めて笑顔を見せる。これから一年も世話になるのだ。しっかり頼んでおかないと。
ぷに。
「え?」
一瞬、何が起きたのか分からなかった。
「柔らけえなー」
間近で愛好を崩したボルボアが、エマの頬をぷにぷにしている。かと思ったら、
「髪の毛なんかふわっふわだなぁ!」
そう言って、エマの頭をわしゃわしゃーって。ああ、一目惚れした髪飾りが落っこちちゃう!
「小さくて細くって、本当に二十歳か? うっわ、おどおどしちゃって子犬みてえだ!」
……私って、海賊の目にどう映っているのかしら。
さっきのジュリといい、このボルボアといい、人としてちゃんと見られていない気がする。今だって体のあちこちをつんつんと……どうしよう。この人にはやめてって言いづらい。
「……死にたいのか?」
パパが間に入ってくれて助かった。低くつぶやいて、すらりと剣を抜いたパパに、さすがのボルボアもエマから離れた。
「じ、冗談だって。兄貴!」
焦った彼の顔の真横を、パパの剣が紙一重で通り過ぎる。ストンと音を立てて後ろのマストに突き刺さると、その下でくつろいでいた茶髪のクルーの口元で、タバコの灰がぽろっと落ちた。
「気が変わった。帰るぞエマ」
「待て待て待て!」
慌てて引き止めるボルボアに、パパは無言で冷たい目を向ける。
「悪かったって。そんな剥きになんなくてもいいだろ!」
「娘に手を出したら」
「分かってるよ! もうしねえって」
「ミリ。こいつがエマに手を出したときは切り捨てろ。俺が許す」
「イエッサー! キャプテンジョージ!」
「おいミリ! なに張り切って答えてんだ! お前の船長は俺だろうが!」
なんだか、じゃれ合う子どものようだった。パパも口では怒っているけど、なぜか楽しそうだし。グレイたちもおかしそうに笑っている。
彼らを見ているうちにエマの緊張も自然と解けて、つられて一緒に笑ったら、それを見たボルボアがにやりと口角を上げた。
もしかして……、私を和ませるためにわざとふざけた?
分かった途端、胸が温かくなって、肩の力がすっと抜けた。
優しくて豪快な船長の下で、これから王子様のようなミリと一緒に過ごすのだ。考えるだけで、期待に胸が膨らんだ。
「ま、内輪揉めはこの辺にして」
コホンと咳払いをして場を仕切り直し、ボルボアはにっこりと笑顔を見せた。
「こらからよろしくな! パピー!」
「……子犬ちゃん?」
握手をしながら首を傾げたエマの横で、パパの目が鋭く光る。ボルボアさん、ちっとも懲りてないですね。
だけどエマと挨拶を交わしたあと、彼はジュリたちを見るなり目つきを変えた。
「そんでもって、この坊主たちがパピーのお守り役ってわけか」
舐め回すように二人を見ると、無邪気で不敵な笑みを浮かべた。
「ついでに少し修行させてやってくれ」
何でもないことのように付け足したパパには答えず、彼はよく通る声で一人のクルーを呼んだ。間もなくして、だるそうな様子で船室から出てきたのは、目を疑うほど端正な顔立ちの男だった。
緩くウェーブがかかった金髪は、エマに負けずとも劣らない軽やかさだ。体つきもほっそりとした痩身で、とても海賊には見えなかった。少したれ目の奥二重が色っぽく、ほんのりと薔薇の香りまで漂ってくる。
今でもかなりの美形だが、若いころはすれ違った人全てが振り返るような美少年だったに違いない。
「こいつはキャルだ。年は三十二歳。君らから見たらおじさんだが、あまりおじさんおじさん言わないように」
と言ったボルボアに向けて、キャルが音もなく剣を抜いた。それを難なくよけて、ボルボアは言葉を続ける。
「こういうことになるから。な?」
絶っっ対おじさんと呼ばないようにしよう。
「キャルはうちの誇り高き航海士さんでな。頭の方はピカイチなんだが、剣の腕は最弱だ」
えっ? これで最弱?
今、自分の中でかなり危険な人として認識したところなのに。
「てことで、エマっちはともかく、坊主たちにはこいつと手合わせしてもらおうかね」
……どういうことで?
っていうか、私は除外なのね? 良かったぁ。天下のパールクイーンといきなり手合わせなんて、絶対無理だよ。殺される!
ほっと胸を撫で下ろしたエマにはかまわず、ボルボアはジュリとセスに言葉を続けた。
「早い話が、俺らは海賊。自分の面倒も看れねえ野郎はお断りっつーわけだ」
今さらだけど、海賊は罪人だ。捕まれば誰であろうと処刑台に吊るされる。
常に国から追われ、同業者も基本的にはみんな敵という世界である。命の危険がともなう以上、自分の身くらい自分で守れるようじゃなきゃ困るというのが彼らの主張らしい。もちろん、エマのような女は除外で。
「もし負けたら君らはここでユーターン。エマっちのみ残してシーウルフに帰ってもらう。勝てれば晴れてパールクイーンの仲間入り」
さあ、どうする? と煽られて、先に動いたのはセスだった。
「考えるまでもねえだろ」
そう言って、彼は舷側の方に荷物を投げ捨てると、キャルと向き合って剣を抜いた。当たり前のように、どっちの剣も本物だ。
あんな長い刃物を持って、本当に怖くないのかな。
うっかり当たったら切れちゃうんだよ? せめて殴り合いにしてほしい。
痛い思いはしても、簡単には死なないし。
「賭ける?」
「いんや。シーウルフの船長候補なんだろ? 結果は見えてんじゃねえか」
頭上からそんなやり取りが聞こえて、振り向いたら愛しのミリと茶髪のロン毛男がエマの間近に立っていた。
彼らだけじゃない。ほかのクルーたちも、気づけばみんな近くに集まっている。分かっていたことだけど、男だらけだ。むさ苦しい。肩身が狭い。居心地悪すぎ。
今すぐアパートに帰りたい!
と、声なき叫びを上げるエマに、気づく人は誰もいない。彼らはみんな、新入り君たちの入団テストに興味津々なのだ。この隙にクルーたちの顔を見ておこうと思ったけれど、ボルボアの掛け声で手合わせが始まると、それどころじゃなくなった。
剣と剣が当たる耳障りな音が、淡々とエマの耳にも届く。その度に、びくびくと体が震えてしまう。正直、怖くて見ていられなかった。
いつどちらかが切られて怪我をするかと冷や冷やして、勝負なんて楽しめない。なのにほかの人たちは余裕の表情でリラックスしていて、それが余計にエマの恐怖を煽った。
ここは、真剣を交えるのが日常的な世界なのだ。
やっぱ無理だよ。
海賊の娘なんて名ばかりで、ずっと陸にいたのだ。刃物なんて鋏か包丁しか持ったことがないし、争いとは無縁の生活を送ってきた。昨日の今日まで普通の町娘として過ごしていたのに、いきなりこんな血生臭い世界に飛び込んで、やっていけるわけがない。
セスとキャルの手合わせから目を逸らし、勝手に足が後ずさる。すると突然、自分の両肩に後ろから誰かが手を置いた。
「!」
驚きのあまり、声も出なかった。とっさに振り返ったらいつの間にかパパがいて、パパはエマの肩に手を置いたまま、手合わせする二人をじっと見ていた。
「ちゃんと見ておけ」
この世界でこれから生きていくんだから、早く慣れろと言われた気がした。これくらいのことに怯えていては、生き抜けないと。
でも――
「勝負あったな」
ひと際大きい金属音が聞こえて前を向くと、セスがキャルの剣を弾き飛ばしていた。片方が武器を失ったことで、ボルボアが間に割って入る。勝負はセスの勝ちだった。
「んじゃあ次は俺」
よっこらしょと荷物を下ろし、今度はジュリが進み出る。セスから剣を受け取ると、彼は構えもとらずにキャルの前に立った。
「よろしくお願いします」
なんて律儀に言って、鷹揚に軽く頭を下げると、来い来いと左手で手招きする。
ちょっと。
天下のパールクイーンを相手に、その仕草はマズくない?
なんだか挑発しているみたいだよ。
対するキャルは、愚痴をこぼしながら落ちた剣に手を伸ばした。
「もう俺も年なんだしさぁ、そろそろこの役ローテーションにしてほしいよね」
さっきはおじさん呼ばわりされてキレていたのに、自分で言うのは別らしい。彼は再び剣を構えると、間合いもとらずに走りだした。
だらりと両手を下げていたジュリに向かい、横に大きく刀身を振り回す。ジュリは素早く後退してそれをよけると、軽く飛び上がって真上から剣を振り下ろした。
びくりと、エマの体が弾ける。キャルが真っ二つになったと思った。だけど本人は身をよじって難なくかわし、すぐに新たな一手を繰り出している。
これがほんの数センチでもずれていたらと思うと、ぞっとする。時折太陽の日差しが当たって眩しく輝くあの剣は、確実に肉を切り裂き、人の命を奪う能力を備えているのだ。
息が苦しくて、無意識に胸元を両手で押さえた。怖い。手合わせをしているのは自分じゃないのに、身を切られるような恐怖感を感じていた。
ギィンと耳障りな音を立て、二人の剣が交差する。互いに剣をぶつけ合い、力勝負になったとき、ジュリがキャルの腹を乱暴に蹴った。バランスを崩して倒れかけた隙に、ジュリの剣が弧を描く。すぐにキャルが反応して弾いたが、それを読んでいたらしいジュリががら空きになったキャルの脇腹を切り裂いた。
やめてと、叫ぼうとしたけど声が出ない。体がガチガチに固まって、その場から動くことすらできなかった。
もういいじゃん。
キャルは切られたんだから、これで終わりでいいじゃない。って思うのに、止める人は誰もいない。本人たちもやめる様子は全然なくて、それどころか脇腹を切られたキャルが本気でキレた。
「調子に乗るのも……、いい加減にしろよ」
俺だってパールクイーンの端くれだとつぶやいて、切りつけようとしたジュリを乱暴に弾く。ほかのクルーたちは面白そうにヤジを飛ばして盛り上がり、根性を見せろと囃し立てた。
さっきまでより、キャルの動きが速くなったのがエマにも分かった。その証拠に、手数が明らかに増えている。勝負は互角か、少しだけジュリの方が優勢かと思っていたけど、今は完全にキャルが優勢だ。
ジュリは不恰好にバランスをとりながら、襲いかかる刃をかろうじて防いでいる。
「おっ、とっ、とと」
キンキンキンと剣を交えながら間抜けな声を出し、不思議なくらい緊張感が欠けていた。なんでそんなに普通なんだろう。怯える様子も、焦る様子も、全くなかった。よけきれずに頬が切れて出血しても、痛がるどころか気にもしない。
もう無理! 見てらんないよ!
エマが心の叫びを上げた瞬間、キャルがジュリの剣を弾き飛ばした。




