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Sinner E  作者: 藤 子
【序章】
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5.婚約者

「……で? なんでこうなるわけ?」


 荷造りを済ませたエマの前に、荷造りを済ませた二人の男が立っている。


 一人は、とっつきにくそうな強面のジュリオという男。

 口の周りに無精髭を生やし、ぼーっとしている様子は一見すると冴えない根暗な男だ。だけど、死んでいるように見える半開きの目は、よく見ると鋭い眼光を放っている。っていうか、据わっているのだ。怖い。なんで目が据わっているわけ?


 もう一人は、茶褐色の短髪のセスという男。

 左の額から頬にかけて、大きな傷痕がついている。瞳は右目が黒で、左目が血のような赤だった。オッドアイかと思ったが、左目に入っているのはガラス玉だ。おそらく、額から頬にかけて切られたときに、眼球も潰れてしまったんだろう。そのせいもあり、どこからどう見てもガラが悪かった。


 そして二人とも海で鍛えられているだけあって、筋肉質で引き締まった体格だ。やだなぁ。見るからに喧嘩慣れしてそう。どちらも、こんな機会でもなければ絶対に関わりたくないタイプである。


「黒いのがジュリで、茶色いのがセスな」


 グレイさん。素知らぬ顔で紹介していますけど、さっき私の部屋でその二人のこと言ってましたよね? 私、興味ないって流したけど、ちゃんと覚えていますよ。

 その名前が何を意味するものなのか。


「悪い虫がつかないように、念のための見張り役だ」


 しらばっくれるパパをこれでもかと睨みつけた。


 この二人が見張り役ぅ?


 どう考えても、こじつけとしか思えない。


「ホームステイ先がパールクイーンなら、見張りなんていらないんじゃないの?」


 彼らがいれば、悪い虫なんて簡単に払いのけてくれるじゃん。


「護衛と見張りはまた別だ」


 つまり、パールクイーンの誰かがエマに手を出す可能性もあるから、シーウルフの人間を見張りにつけるってこと? それでこの人選?


「……これ以上ないってくらい適任ね」


 見張りの男が婚約者候補となれば、ほかの男への牽制もできる。そんでもってこの二人のどちらかとエマがくっつけば、パパたちは万々歳だ。それこそが本当の狙いなんだろう。

 エマの頼みを聞き入れたと見せかけて、結局はこれか。


「悪いけど、一緒にいれば惚れるだろうっていう期待はしないでね」


 ジュリはなんか不気味で怖いし、セスは声をかけたら理由もなく切られそうでこちらも怖い。本人たちの前では絶対言えないけど、今この場で声を大にして訴えたい。


 もっとマシなのはいないのか⁉

 こんなの、どう見ても船長候補としての人選じゃん! 何がエマの婿候補だ!

 私の婿としての視点なんか蚤の涙ほども入っちゃいないぞ!


「誰だって異性に対する好みってもんがあるし、人為的な出会いでそれが偶然にも一致するなんて、現実ではまずないからね」


 二人の手前、あくまでもオブラートに言ったけど、早い話がタイプじゃないんだ。むしろ苦手を通り越して恐ろしい。これ以上ないくらい好みの真逆だ。そんな二人と一年も一緒に過ごすだなんて、一体何の拷問ですか。

 海賊に爽やかを求めるのは間違いだってことくらい分かるけど、せめて、せめてさ、もう少し普通な人はいなかったんだろうか。ああ、でも普通だと船長候補にはなれないのか。なんてことだ。私は普通が一番好きなのに。


 強さなんかいらない。怖さなんかもっといらない。

 私が欲しいのは清潔、真面目、思いやり!


「でも、両方お前の好きな年上だぜ」


 こっそり耳打ちしてくれたグレイさん、それ、耳寄り情報じゃないから。

 確かに私の好みは年上だけど、それなら誰でもいいってわけじゃないんですよ。むしろただでさえ怖いのに、年まで上となると余計に話しかけづらいっつーの。最悪じゃん。


「何を恥ずかしがってるんだ。互いに挨拶くらいしておけ」


 パパ! 初対面の相手に挨拶するのは常識だけど、今回に限って余計なお世話!

 うわぁ、二人がこっち見た。ジュリの目、据わったままだよ。怖いよぉ!



 ぽん。



「……え?」


 ぽんぽんぽん。


 しばし硬直した。何が起きたのか、改めて状況を考える。

 近づいてきたジュリが、目を据わらせたままエマの頭をぽんぽんしている。


「……これ」


 彼は、抑揚のない低い声でぼそぼそ言った。


「かつら?」

「……地毛ですけど」

「引っ張ってみてもいい?」

「嫌です」

「……やっぱりかつら?」

「地、毛、で、す」


 なんだこれ。初めて会った婚約者候補への着眼点がそこ?

 普通、周りが決めた婚約者に初めて会ったら、もっと値踏みするもんじゃない?

 顔立ちとか、スタイルとか、雰囲気とか、声とか、肌質とか、その気がなくてももっといろいろ見るもんでしょ?


 なのに、一番最初の質問が「かつら?」ってどういうことよ。


 それも年ごろの乙女に向かって。

 複雑な心境に陥ったエマを無視して、ジュリはまだぽんぽんぽんぽん……。


「や、やめて下さい」


 思わず両手で頭を庇って離れたら、彼の手がこちらを向いたまま手持無沙汰に止まった。なんだその寂しそうなオーラは。私は何も悪くないぞ。


「早速嫌われたな、ジュリ。そんなんじゃお嬢のお守りはできねえぞ」


 からかいの目を向けるグレイの声が聞こえているのかいないのか、彼はさっきまで触っていた感触を思い出すように自分の右手をぼーっと見ている。まだかつら疑惑が晴れないらしい。

 超絶したマイペースだな。恋人と共通の話題に盛り上がるとか、絶対なさそう。あまり近づかないようにしようと思ったら、グレイを軸に後ずさりで一周してしまったらしい。ジュリの隣にいたセスに背中をぶつけてしまった。


「お嬢は天然か」


 はい?


「天然同士、案外気が合うかも知んねえな」


 そう言ったのは、セス自身のことじゃなく、彼の視線の先にいるジュリとのことだ。口元を吊り上げて笑うセスに、彼はまったくの無反応だった。さすが超絶マイペース。そしてジュリに嫌味を言ったセスは、改めてエマに右手を差し出す。


「俺はセスだ。こんな見た目してっけど、中身は怖くねえから。仲良くやろうぜ」


 あれ? 意外と普通の人かも?

 気さくな言葉と笑顔につられ、おそるおそる握手に応じた。


「確か二十歳だっけ?」

「あ、はい」

「まだまだ変わる余地は十分あるな」

「変わる?」

「いや、こっちの話だ。まあこれからよろしくな」


 ……なんか、言葉に裏がある気がするんですけど。

 一体何を企んでいるんでしょうか。


 今後の船旅に大きな不安を感じる。この先、本当に大丈夫だろうか。

 一人で悶々としながら歩いていたら、あっという間に目的地が見えてきた。


 パールクイーン号は、華朝のはずれにある林の中に停泊していた。

 正確には、林にある幅が広くて流れが緩やかな川の中だ。両脇を緑豊かな木々に挟まれ、近くに行くまで船の姿は見えなかった。


「これがパールクイーン号?」


 一隻しかない船を見て尋ねたエマに、隣を歩いていたグレイが目を丸くする。


「なんだお前、パールクイーン号を知らないのか?」


 彼の後ろでパパたちも無言で驚いているのを見て、なんだかばつが悪くなった。

 シーウルフの娘が、家族とも言えるパールクイーンの船を知らないなんて嘘だろ? という声なき声が聞こえてきたのだ。


「なるべく海賊から離れた生活をしてましたから」


 苦し紛れに言い訳をしたが、彼らの母港に五年もいたわけだし、さすがに船くらいは確認しておくべきだったかもしれない。


 パールクイーン号は、全長二十メートルに満たない小型船だった。マストは三本で、船体は幅が細くスマートな形状だ。

 グレイの説明では、吃水が浅くて走破性に優れているので、とても機敏に動くのだとか。装備は船首楼と船尾楼の甲板に軽砲が一門ずつ、上甲板の両側面に主砲が三門ずつの計八門と控えめだ。

 大型のガレオン船で育ったエマの目には、とてもこじんまりとして見えた。

 エマが幼少時代を過ごした海賊船――シーウルフのエマニエル号――は、深い吃水に見上げるほど高い楼閣、どっしりとした面構えの大きな船だった。

 大砲は船首楼と船尾楼に加え、二層の砲甲板があり、数十門搭載されている。内部は物が溢れて入り乱れ、大人でも迷うほど複雑な構造になっていた。幼かった当時のエマは、この船を町のように感じたものである。


「確か、クルーは十人くらいだっけ」

「正確には九人」


 呆れながらも答えてくれたグレイの言葉に、エマは開き直って考えた。

 海賊と言えば、一隻につき四、五十人で形成されているのが今の主流だ。その中で九人というパールクイーンは、ほかに類を見ない少なさである。彼らの人数を考えると、これくらいのサイズがちょうどいいのかもしれない。たった九人では、大きなガレオン船の操縦なんて無理だし。

 噂によると、彼らはこの船で百人を超える大海賊とも対等に戦うらしい。つまり、クルーたち全員が相当の腕利きということだ。


 だ、大丈夫だよね?


 今さらながら尻込みしつつ、パパたちと一緒に歩いて行く。川岸に出ると、船の上にクルーらしき影が見えた。


「ジョージ船長! お待ちしてました!」


 この声は。


 エマの体が鋭く反応した。

 勢い良く見上げると、ミリが甲板から手を振っている。


「どうぞ上がってきてください!」


 太陽の日差しを浴びた満面の笑顔が、とても眩しい。彼の笑顔に引き寄せられるように、エマは梯子を上った。

 軽い足取りで甲板に降りると、辺りをぐるっと見回して、それから深く空気を吸い込む。近くの海から吹いてくる潮風と、林からくる緑の香りが清々しい。海賊船に乗って、こんなに気持ちがいいと思ったのは初めてだ。一転して、自然と心が躍りだす。なんと言っても、ここには素敵な王子がいるのだ。


「いらっしゃい。エマちゃん」


 そうそうこれこれ。この笑顔!

 ミリだけが私の救いだよ。やっぱり来て良かった。彼が一緒にいるってだけで、海賊生活が楽しめそうだ。

 甲板も思った通りすっきりしていて、所々に痛みや劣化は見られても、カビや汚物は見当たらなかった。ロープに藻がぶら下がっていたり、船体や船底に貝や藤壷が大繁殖している様子もない。ここなら陰気な感じもないし、数日風呂に入れなくても何とか我慢できそうだ。

 エマが密かに満足していると、船室から金髪の男がやってきた。


 潮風にはためく海賊旗のように、ぼさついた金の長髪が風になびいた。

 凛々しい眉の下で、生気に溢れた瞳がぎらぎらと不穏な輝きを放っている。

 服装は意外にもシンプルで、袖まくりをした生成りのシャツに木綿のパンツと至ってラフだ。指輪やネックレスといった装飾品も、一切身に着けていなかった。


 街でよく見かけるような恰好なのに、なぜか人の目を引きつける。不敵な笑みを浮かべ、蟹股で悠々と歩く姿には迫力があった。


 海賊から離れていたエマでも、さすがに分かった。この人が船長のボルボアだ。

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