38.警戒信号
乾いた笑いを上げたエマに、ヴィックが人懐っこい笑顔で話しかける。
「もしかしてびっくりさせちゃった? エマちゃんて可愛いねぇ」
「そんなことないですよ。あの、いただきます……」
彼に合わせて笑顔を作るものの、背筋に汗が伝った。
だって、准や銀から忠告されたばかりだし。パールクイーンの言葉を全て鵜呑みにするつもりはないけど、彼らが嘘を言うとも思えない。近づくなと言うのには、それなりの理由があるはずだ。
「どう? お味は?」
「おいしいです。とっても」
当たり障りない受け答えをして、彼の言葉を無難に流す。素直に喜ぶ彼にはちょっと罪悪感を感じたけど、なるべく食事に集中した。すると、ヴィックは長居をせずに離れていく。彼が仕事に戻ったのを見てほっとして、改めて豪快な食事に舌鼓を打った。
エマが頼んだミネストローネは、煮込んだ野菜が口の中でほろほろと崩れ、トマトの酸味が濃厚だ。苦手なセロリもきつくない程度の香りで、細かく刻んであって食べやすかった。柔らかいパンはスープと相性ぴったりで、浸して食べていたらあっという間になくなった。最初はちょっと多いかなって思ったけど、実際には物足りないくらいだ。隣で食べているセスのステーキも気になった。でも、年頃の乙女が男の分までほしがったらはしたないかな。考えながらも見ていたら、セスの右手がぴたりと止まった。
「何? ほしい?」
「違う違う! 私ちょっとトイレ行ってくるね!」
びっくりして、つい不自然に誤魔化してしまった。慌てて席を立ったエマに、セスはきょとんとしている。今さら違うとも言えなくて、小走りでトイレに向かった。けど、トイレの場所が分からない。店内は広い上に客でごった返していて、何人もの店員さんが忙しそうに行き来してるしで見通しが悪い。これは聞いた方が早いかって思ったら、後ろから突然声をかけられた。
「どうしたの?」
「きゃあ!」
勢い良く振り向いた先には、自分と同じように目を見開くヴィックが。ああ、なんてこと。よりによって、関わりたくない人に見つかってしまった。
「あ……ヴィック、さん」
狼狽えるエマに、驚いていたヴィックは愛好を崩す。
「一人でどうしたの?」
「あの……、トイレを探してて……」
言っているうちに恥ずかしくなって、最後まで言葉が出なかった。でも、それだけでヴィックは分かってくれた。
「それならこっちだよ。おいで」
もしかして、このまま拉致られる? なんて不安に駆られたけど、彼はちゃんとトイレまで案内してくれた。しかもエマが出てくるまでその場で待って、戻る時もわざわざ准たちがいるテーブルまで連れていってくれた。
「それじゃあごゆっくり」
「あ、ありがとう!」
お礼を言えば、にっこりと笑って離れていく。そのあともしばらく見ていたけど、仕事ぶりは真面目で、ほかの客と話してる様子は楽しそうだし、危険なところなんて何もなかった。
それでも、一応は気をつけたほうがいいんだよね。
何も起きないのは、単に深入りしてないからかもしれないし。そうやって密かに気を張っていたけど、結局は何もないまま店を出た。普通に居酒屋でご飯を食べただけだ。
「お。お前らも来てたのか」
入れ違いで、翔とミリと源じいにもばったり会った。
「まあ、大蛇でご飯と言えばここだもんね。おいしかったでしょ」
ミリの言葉に、笑顔で頷く。ほかのみんなもここで食べるということは、ヴィックのこともそんなに心配するほどではなかったのかも。ただ、念のために銀たちは教えてくれただけで、目をつけられたら命がないとか、すぐに絡まれるような危険はなかったのかもしれない。
「それじゃあまたね」
互いに手を振って別れ、エマはジュリとセスと准の四人で通りを歩いた。
「はあー、お腹いっぱい」
小食をアピールするつもりはなかったけれど、呟いたらセスに笑われた。
「本当はまだ足りねえだろ」
「え? そんなことないよ?」
「だってお嬢、ものほしそうに俺のステーキ見てたじゃん」
「あれはっ……、そういうのじゃなくて」
「いいじゃん。足りなきゃ足りねえで。食後のデザートでも買いにいくか?」
やっぱり見抜かれていたらしい。デザートと聞いて心がぐらついたけど、ここはあえて堪えた。
「いりません。そこまで食い意地張ってないし」
実際のところ、本当にお腹は満たされていた。もっと食べろと言われれば食べられるけど、それなりにいっぱいだ。腹八分目でちょうどいい。だから、どうしてももっと食べたいというわけではないのに。
「んじゃあ、俺はデザート買いに行くけど、一緒に行かねえんだな?」
「え?」
「さっきこの島に珍しいフルーツがあるって准兄から聞いたんだけど。お嬢は腹いっぱいなんだろ?」
セスの意地悪!
「い、行かない!」
「そう? じゃあ俺は准兄に連れてってもらうから、先に船に戻っててくれ」
じゃあなーって、手を振るセス。その隣で眉尻を下げて苦笑する准兄。
「来いよ。買ってやるから」
「行かない!」
「一緒に行かないと危ないだろ」
「船はすぐそこだから大丈夫だよ! ジュリもいるし!」
っていうか、ジュリがいるし!
セスなんていてもいなくても同じだ! ジュリがいれば用心棒は十分だ!
「じゃあ土産買ってくるから、船で留守番してろよ?」
仕方なさそうにそう言って、准兄はセスと一緒に去っていく。
「……俺らも行く?」
察してくれたのはジュリだけだ。
「ジュリはやっぱり優しいね……」
こうなったら対抗してうちらだけでも買い物に行っちゃおうかと思ったけど、場所が場所だけに踏みとどまった。慣れない二人だけで大蛇の島を散策する勇気はない。いざという時はジュリが守ってくれるとしても、迷惑をかけるのは最低限にしておきたい。
船に戻ると、甲板でジゼルが日向ぼっこをしていた。ハンモックに気持ちよさそうに揺られながら、プカプカと煙草をふかしている。いつ見てもこの人は煙草を吸っている。もっと美味しいものはたくさんあるのに。
「おかえり。お前ら二人だけか?」
「うん。すぐそこで准と別れて先に来たんだ」
ついでにセスは准にくっついて行ったと言うと、ジゼルは安心して頷いた。
船室に入ると、ジュリは自分のスペースへ、エマもカーテンを開けて自分のスペースへ入ろうとして、やっぱりやめた。
「ジュリ」
セスがいるとややこしくなりそうだから、二人だけの今ならちょうどいい。気になっていたことを聞いておこう。
「そっち行っていい?」
「もちろん」
許可をもらった上で、ジュリの隣に座った。最初はあんなにも無理だった曰くつきの絨毯に、今はこうして触れられるのが少し不思議だ。ジュリのことだって、あんなにも無理だと思ったのに、まさか頼れる友だちになれるなんて。
「聞きたいことがあるんだけど」
今のジュリなら、普通に話せる。普通に聞ける。
「パールクイーンに入る時、パパから何か言われた?」
てっきり、うちらがパールクイーンに来たのは、エマのわがままだと思ってた。エマがパールクイーンに行きたいって言ったから、ばば様もパパも仕方なく認めてくれたんだって。でもそうじゃないとしたら。エマは何も知らされていない。知ったところでエマにできることはないし、知らせる必要もないって判断したのかもしれないけど。
「ジュリとセスがここに来ることになったのは、私と婚約させるついでに修行もできるからだと思ってた。でも、それだけじゃなかったんじゃない? シーウルフの一員として、二人とも仕事を与えられてた?」
だとしたら、ちょっと寂しい。エマだけ蚊帳の外だった。実際、エマはシーウルフどころか海賊でもないし、ただの無力な小娘だけど。それでも、家族なのに。パパでもばば様でも、どっちでもいいから、一言でも教えておいてほしかった。
「もしそうなら、お嬢はどうすんの?」
「どうもしないけど、私だけ知らなかったのかと思って」
「あー、まあ、しょうがないっしょ」
そうだけど。こっちとしてはしょうがないで片付けられたくないわけで。
「話したところで危険に巻き込むだけじゃん? そもそもお嬢には関係ないし」
「関係ない? 私はシーウルフの娘なのに?」
「いや。この問題がね」
ここまで散々巻き込んでおいて、関係ないなんてよく言える。エマがシーウルフと無関係なら、今ごろこんなところにはいない。婚約者問題に悩むこともない。海賊に振り回されることもない。
「そうやって都合のいい時だけシーウルフの名を持ち出して、都合の悪い時は関係ないって言うの? 私に話すことはそんなに都合が悪いわけ?」
「そうじゃなくてさ」
「じゃあ何なの?」
違うと言うなら、ここで教えられるはず。
内心、ジュリなら教えてくれると思った。私だって少なからず関わっているし、優しい彼なら理解して話してくれるんじゃないかって、思ってたけど。
「ここで聞かなくてもそのうち分かるんじゃない?」
「……分かった。もういい。もう聞かない」
まさか、ジュリにはぐらかされるなんて。
セスならともかく、真摯だと思っていたジュリに隠し事をされるなんて、ショックも倍だ。いっそのこと、セスの方が聞き出しやすかったかもしれない。あっちの方が口が軽そうだし。
「じゃあ、私は外に出てるね」
「お嬢。待って」
ジュリの手が、立ち上がったエマの手首を掴んで止める。
「引き止めたって、話すことないんでしょ?」
話せないんでしょ?
案の定、ジュリは何も言わなかった。
「……甲板に出てるから」
これ以上は彼と話す気になれなくて、逃げるように部屋を出た。
ジュリが話さないのは、意地悪をしているわけじゃない。エマを蔑ろにしているわけでもない。分かるけど、そんなに頑なに隠すこと?
だったら、セスに聞くよ。
甲板に出ると、メインマストの近くでジゼルがハンモックに揺られて昼寝をしていた。その彼に声をかけることなく、エマは舷側に足をかけて飛び降りた。だからって、船から降りた途端に襲われることはない。周りを見渡しても、近くにいる人たちがエマに声をかけるどころか、見向きもされなかった。危険区域から離れているせいか、現地の人たちも平和そうに見える。路上で遊んでいる子どももいるし。
果物を買いに行っただけだから、そろそろセスも戻ってくるはず。
エマは、先ほどセスたちと別れた地点に向かった。ついさっき通ってきたばかりだし、道はちゃんと覚えている。通りは広くて人の数も多かったから、危ない感じはしなかった。セスたちと合流したら、そこでエマも果物をもらって、一緒に食べながら話を聞こう。話が聞けたら、彼らと船に戻ればいい。
確か、次の角を曲がった先だ。
そこまで行ってセスたちに会えなかったら、そこで少し待ってみよう。それでも会えなかったら船に戻ろう。ここが大蛇の島である以上、深入りは危険だ。仲間を探して歩き回るのはやめた方がいい。
角を曲がった先に、セスたちはいなかった。まだ戻ってきていないらしい。その場で少し待ちながら、近くの露店を物色した。新鮮な魚が並べられていたり、大きなバナナが豪快に山積みされていたりと、見ていて楽しい。その中で手作りアクセサリーの露店を見つけて、エマは吸い寄せられるように立ち寄った。待っているついでに、買い物をするくらいは大丈夫だろう。
木箱を並べて作った簡易テーブルにクロスをかけ、そこにピアスとブレスレット、ネックレスが種類別に並べられている。大小さまざまなウッドビーズやシルバーアクセサリーもあったけど、エマの目に留まったのは天然石のペンダントだった。
細長い枯れ枝に所狭しと下げられたペンダントは、色とりどりの天然石がついていて鮮やかに輝いている。いちごミルクのような可愛らしいピンク色のローズクォーツ。銀製品とよく組み合わされるクールなターコイズ。吸い込まれるような透明感を持つ紫色のアメジスト。どれも艶があって美しい。
「パワーストーンをお探しかい?」
つい夢中になって眺めていたら、店のお姉さんに声をかけられた。
真っ赤な口紅に深紅のストールがエキゾチックな美人さんだ。ストールの隙間からちらりと見える黒髪が色っぽかった。
「この中に気になるのはあるかい? 石には相性がある。直感でいいと思ったものを選ぶのが一番さ」
「なるほど。相性ですか」
確かに、そういうのはあるかもしれない。商品は生き物ではないけど、自分に合ったものなら長く愛用するし、素敵だと思って買っても自分に合わなければ大して使わずに処分するものもある。
「でもこんなにたくさんあると迷っちゃいますね。いっそのこと、一週間ずつ順番にお試しできたらいいのに」
「女の子らしい考え方だね」
お姉さんに笑われて、つられて自分も笑ってしまう。でも、誰かにポンと肩を叩かれて、振り向いたエマは現実に戻った。
宝石なんてつけていないのに、それに負けない輝きの笑顔を浮かべて、ヴィックがそこに立っていた。




