37.大蛇
第一関門は突破して、思わずほっとため息が漏れたのはエマだけで、ほかのみんなは淡々としていた。ここで返り討ちにされなかったのを当然と思っているのか、それとも受け入れられると分かっていたのか。島に移動すると聞いて、みんなは落ち着いた様子で持ち場についた。
大蛇の先導で着いた小島は、彼らが根城としている場所だった。着替えを済ませたエマは、「なんでもう脱いじゃうの?」と不満の声を上げるキャルをスルーして、我先にと船を降りた。
「せっかく綺麗だったのに、もったいないなあ」
そう言われて嫌な気はしないけど、さすがにこの状況では居心地が悪い。着せ替えごっこはまたの機会にお願いしたい。
島に上陸すると、トラビスの後について歩いていく。船にはキャルとジゼルを見張りに残し、それ以外の全員で移動した。周りを大蛇の幹部に囲まれて、ちょっと視線が気になったけど、流唯さんやキャップも一緒だから心強い。
どこまで行くのかな。
トラビスは、キャップと何か話しながら島の奥へ歩いていく。和やかなのは彼らだけで、幹部の人たちはみんな無言だった。
着いたのは、古びたホテルのような建物だ。ヒビだらけの朽ちた外壁は、廃屋といっても頷ける。両開きの扉の入り口に貼られた看板は、塗装が剥げて文字が読めなかった。中に入ると、広いロビーを抜けてすぐを右手に進み、突き当りの食堂のような部屋に通された。部屋の中央には、大きくて細長いテーブルが置かれている。トラビスに促されて椅子に座った大蛇のクルーは、人相が悪くて迫力がある人ばかりだ。それも銀のように仏頂面で、物々しい雰囲気を醸し出している。窓際や入り口にも大蛇のクルーが立っていて、みんな腰元に剣を備えていた。裕福な紳士たちが食事を楽しむのとはまったく違う。
「エマ。お前はここだ」
キャップに呼ばれて、エマは彼の隣に座った。船長の隣なら安全だと思う反面、私なんかがここに座ってもいいのか不安になる。
「こいつはエマ。ジョージの娘だ。わけあって、今はうちが預かってる」
キャップの紹介を受けて、トラビスの視線がエマを捉えた。それだけでキャップの陰に隠れたくなったけど、身体は固まって動けなかった。すると、トラビスがエマを見たままゆっくり頷く。
「ウルフの娘か。確かに、奴の面影があるな」
この人見る目ある!
いつもなら、ほぼ十割の確率で「ほんとかよ」って疑われるのに、さすが大海賊の船長だ。エマは、トラビスの言葉に目を輝かせた。ジョージの娘だと証明する指輪を見せるまでもない。大蛇のおじさまは、人の本質を見抜ける人だ。
一人で喜々とするエマをよそに、トラビスは酒をぐびっと煽るように飲んでから話を切り出した。
「ブルーの領域を侵したのはうちだ」
今度はあっさり認めた彼に、キャップも冷静に返す。
「だがあんたは理由もなくそんなことをする奴じゃねえ。見回り中にうっかり航路を逸れたわけでもねえだろ?」
核心に迫る言葉に、トラビスはふと声音を変えた。
「ビッグキャット――という名を知ってるか?」
その言葉に、一番に反応したのは銀だった。
「奴らの縄張りは北だろう。南にいるのか?」
「さあな。そもそも、ビッグキャットは最初は東にいたはずだ。それが北に移って南に来て、西に行った。そして今はどこにいるのやら」
身を乗り出して尋ねた銀に、トラビスは鷹揚に答えてさらに酒を飲んだ。どうでもいいと思っているわけではないだろうけど、対応が雑だ。元々の性格がそうなのかもしれない。
「ジョージからは何か聞いてないかな? お嬢さん」
「えっ?」
すっかり他人事で聞いていたら、突然話を振られて驚いた。みんなの視線も一気に自分に向けられて、一瞬息が詰まる。
「……っごめんなさい。私は何も……」
最後まで言えなかったけど、それが限界だった。
「まあ、可愛い愛娘を危険に晒すようなことはしねえか」
トラビスがそう言って納得しつつも、ほかの何人かは疑っているように見えて居心地が悪い。
パパは本当に何も言ってなかった。そんな素振りだって見せなかった。だいたいとして、エマはずっとシーウルフから逃げていたのだ。海賊の事情なんて知らないし、パパたちだってもし何かあってもエマに何かをさせようなんて思わないと思う。もし指示を出すなら、私じゃなくてジュリやセスにするだろうし。
……って、まさか。
つい二人を振り返ると、気づいたトラビスも興味深そうにジュリたちを見た。
「そちらの坊主は?」
「最近うちに入ったクルーだ。久しぶりの新入りなんで、お手柔らかに頼むぜ」
キャップは自然に二人を紹介しつつ、彼らの情報は何も教えなかった。
「……そうか」
トラビスも一応は納得して頷いたけど、エマの時とは違って、明らかに二心を抱いている感じだ。だけどキャップはそれを受け流し、この場はお開きとなった。
解放されたエマは、二人の婚約者と准と一緒に大蛇の根城を散策した。なぜ今回に限って准もついたのかというと、答えは簡単。ジュリもセスも初めての島で、大海賊の根城だから。でも、別の目的もある気がするのは考えすぎだろうか。
「これが大蛇の根城か。大所帯だな」
呟いたセスに、エマも頷く。
シーウルフも規模だけで言えば同じだけど、タイプが違った。
ウルフは、パールクイーンのように母港があるので島は持たない。その母港がある街は大きな大陸の一部であり、住人のほとんどが一般人だ。
一方、大蛇の島の住人は、全てが海賊やその家族で構成されている。その違いはとても大きかった。
「トラビスのおっさんには三十人近い子どもがいる。大蛇はトラビス一家と言っても過言じゃない」
歩きながら聞いた准の説明に、驚いて言葉を返せなかった。つまり、クルーになった息子も大勢いるということだ。「絶倫!」と羨ましそうに叫んだセスは、この際無視した。
通りをのんびり歩いていたら、目の前を小さな子どもたちが楽しそうに笑いながら走りすぎていく。そりゃあ海賊の家族もいるんだから、子どもだっていて当たり前だけど、この島に似合わないっていうか、妙な違和感がある。
「何ぼーっとしてんだ。こっちだぞ」
「あ、うん」
准に軽くこつかれて、ふたたび前を向いて歩きだすと、一緒に歩きながら彼が入り組んだ街並みを指差して言った。
「向こうは危険地帯だ。ジュリとセスも、向こうには行くなよ」
「危険地帯?」
「よそ者は決して受け入れないエリアだ。間違っても入れば命の保証はない。腕に自信があったとしても、揉め事を起こせば仲間にも迷惑がかかる。分かるな?」
念を押されるまでもない。素直に頷いて心に刻んだ。平和主義者のエマとしては、揉め事は回避するに限る。あそこは危険と言われて腕試しを挑むような度胸も腕も持ち合わせていないのだ。
「そこで飯にしよう」
准の案内で居酒屋に入ると、見覚えのある顔を見つけた。パールクイーンの船でエマを襲おうとした海賊だ。向こうもエマたちに気づくと、愛想笑いを浮かべて立ち去った。そんなに怯えなくても大丈夫だけど、自ら離れてくれるなら安全なので、特に声もかけずに視線を戻す。すると、店の奥の方に、流唯さんと銀の姿も見つけた。
「流唯さん!」
「エマちゃんも来たんだね」
どうやらここは、ほかの海賊も気軽に入れる大衆食堂のようなところらしい。
会ったついでに合流して席に座ると、すぐに店員らしき人がやってきた。
「いらっしゃい。ご注文は?」
人懐こそうな口調に、顔を上げて息を呑んだ。注文を聞きに来た店員さんが、すごい美青年だった。艶を帯びた美しい栗毛は、これこそブリュネットと呼ぶに相応しい。横や後ろはこざっぱりと刈り上げて、一見男らしく見えるけど、女の子のような長い睫毛と優しい眼差しは、少年のような幼さが感じられた。肌は輝く髪を引き立てるに十分な白さと張りがあり、色素の薄い水色の瞳は繊細で深みがある。世のお姉さま方の母性をこれでもかとくすぐるに違いない容姿のイケメン君は、全身に危うい雰囲気を醸しながらテーブルに身を乗り出した。
「新しい顔がいるね。銀と准は分かるけど、連れは?」
「右から流唯。ジュリ。エマ。セスだ。流唯は出戻りでエマはウルフの娘。んで、男二人は最近入った新入りだ」
「へえ、すごい組み合わせだな。みんな興味深くてわくわくするね」
「しなくていい」
「ところで准。キャルは一緒じゃないの? まだ見かけてないんだけど」
准の紹介を受けて好奇心を覗かせた彼は、銀の冷たい言葉をスルーした。ほかの人ならともかく、銀の言葉を無視できるってすごい勇気だ。
「そりゃそうだろ。あいつはお前を避けてんだから」
「相変わらず照れ屋だなー」
普通なら傷つくことを言われても、彼はまったくへこたれない。むしろ全てを前向きに解釈できる素敵な機能を備え持っているようだ。そのやり取りを傍から見ていた流唯さんが、ぼそりと言った。
「エロトマニアだね」
エロト……?
意味が分からなくて首を傾げたエマに、彼女が淡々と言う。
「相手に愛されてるって思い込みを持つストーカーのことだよ」
すると、すかさず彼が食いついた。
「失礼だな。俺のは思い込みじゃなくて事実だよ。キャルとは意気投合して語り合った仲なんだから」
えっと、水を差すようで悪いけど。
「でもキャル……、男だよね?」
女装すると本物の女みたいに綺麗なのは分かる。日頃も肌のお手入れをしっかりしてるし、美意識が高いのも頷けるけど、彼は男だ。同じ男から恋愛の対象として見られることはあまりないと思うんだけど。
「俺、綺麗な人なら男でもオッケーなの」
男臭いの嫌い。がさつな女も嫌い。スマートで凛としてアイデンティティーをしっかり持ってる人が好き。中性的でほっそりした人がタイプなんだと、彼は目をうっとりさせて語った。
「だから悪いけど、銀は論外。准も無理。そこのボーイズもギラギラしてて無理。お姉さんは綺麗だけど中身が雑っぽいから無理。君はー……」
ドキ。
何だろう。この、目が合った瞬間に投げ縄で捕らえられたような束縛感は。
「可愛いね。ふわふわしてて、妖精みたい」
ロックオンされた!
顔が引きつって硬直したら、視界を遮るようにジュリとセスが身を乗り出した。
「こいつに手を出したらウルフが噛みつくぜ」
「やだなあ。むさくるしいったら。言っとくけど、ウルフの名前を出されたってビビったりしないから。国に飼い慣らされた狼より、ジャングルで鍛え抜かれた大蛇の方が強いと思うし」
そうか。この島にいるってことは、この人も大蛇の人間なんだ。でも、船に乗らずに居酒屋で働いてるってことは、戦力外ってこと?
「俺はヴィッキー。よろしくね」
目が合って笑顔を見せた彼に、准が冷静な言葉をかける。
「ヴィック。それより注文。腹が減ってるんだ」
「ああ、そうだったね。今は大事なお客様だった」
思い出したように注文を聞いた彼は、軽い足取りで離れていった。大蛇の一員だし、目が合った時はちょっと怯えてしまったけど、案外普通の人みたい。
「あいつには関わるなよ」
「え?」
ぼそっと呟いた准の言葉に驚いた。彼の言い方は、まるでヴィックのことを警戒しているようだった。体格は華奢だし、気さくで親しみやすそうだったのに。
エマと同じように大蛇が初めてだった流唯さんが、タバコをふかしながら呟く。
「問題児君か」
事情を察した彼女に、向かい合って座っていた銀も頷いた。
「ヴィックは面倒だ。深入りしない方がいい」
准も銀も、口を揃えて言うなんて。
その横では、セスがけしからん! と鼻息を荒くしている。
「お嬢に色目を使ってたしな」
見境のない君が言っても、説得力は皆無だよ。普段、用心棒らしいことなんてまともにやっていないくせに、こういう時だけ主張されても引いてしまう。
というか、用心棒ならジュリ一人でも間に合ってるよね。
ちらりと横を見上げると、気づいたジュリが小さく笑った。
「お嬢に色目を使う野郎は排除しなきゃね」
その言葉こそ、頼もしいと思う。彼は有言実行だって分かっているから。
でも、ジュリを見ていてさっきのトラビスの言葉を思い出した。
――ジョージからは何か聞いてないかな?
ビッグキャットという海賊は、エマはその名前さえ初めて聞いたのだけど、元々は東の海――シーウルフの縄張り――にいたらしい。その海賊が、今は縄張りを無視して方々の海を荒らしているという。単に金銭が目的なら、わざわざ大海賊に喧嘩を売らずとも、商船を襲うなりライバルから奪うなり、方法はいくらでもある。名を上げるのが目的でも、東西南北と渡り歩く必要はないだろう。ひとつの大海賊を倒せば事足りる。では、何が目的で広い海を彷徨っているのか。
ジュリとセスは、パパから何か聞いてたのかな。
真相を聞きたいけど、今は大蛇の真っ只中だ。普通の店員に見える人たちだって、大蛇の息がかかっている。どこで盗み聞きされるか分からない状況で、二人に尋ねるのは危険に思えた。
「はーい。お待たせ」
ヴィックの歯切れのいい声とともに、豪快な料理の数々がテーブルに並べられる。熱々のミネストローネや、焼きたての分厚いステーキから立ち上る湯気から、おいしそうな匂いが広がって食欲をそそった。作り置きらしいコッペパンは冷めているけど、手に取ってみるとふんわりと柔らかい。
「大蛇特製! 兎のスープと蛙のステーキ、卵の殻入りコッペパンー!」
なに?
思わずパンを持ちながら固まってしまったエマを見て、准が呆れた声をかける。
「嘘に決まってるだろ。普通の料理だよ」
「あ、はは……。ジョークね」
彼らの名前が大蛇だけに、一瞬信じそうになっちゃったよ。




