4.イエスからノーへ
襟にも袖にもフリルがたっぷりついたブラウスに、大きなかぼちゃパンツを履き、腰にはサッシュを巻いている。年をとって肉づきがよくなったばば様は、前にも増して貫禄がついていた。
引退してからは祇利那の港町に住んでいるが、今回はエマの婚約のために船に乗ってきたらしい。
「騒々しいね。ノックもしないで、一体なんだい」
丸い銀縁の老眼鏡を鼻にかけ、じろりと睨むようにこっちを見る。
さすがは元女海賊。存在そのものに迫力があった。が、エマは堂々と室内に入り、胸を張って彼女に言った。
「結婚を延期してください!」
生まれたころから孫として接してきたのだ。エマにとっては、優しくて頼れる大好きなおばあちゃんである。
「そういうことは私じゃなくて船長に言うんだね」
「パパは私の言うことなんか聞いてくれないもん! でもばば様が言えばきっと聞き入れてくれるはず!」
なんだかんだ言って、パパはシーウルフを作ったばば様に頭が上がらないところがある。クルーのみんなもそうだ。普段は船長が一番だけど、ばば様がイエスと言ったらノーがイエスに変わることだってある。
「好きでもない男と結婚なんて、時代遅れもいいところだよ!」
「それはつまり、ほかに好きな男がいるってことかい?」
「え?」
思わぬ切り返しに、これまでの勢いが削がれてしまった。
「……いないけど」
しまった。ここで恋人がいれば強気で一気に押せたのに。
逃げることばかり考えて、すっかり新しい恋愛を忘れていた。これはちょっぴり決定打に欠けるぞ。
「エマ」
「う」
たじろぐエマなんておかまいなしに、ばば様は指先でコンコンと机をつついた。
「ここにおいで」
嫌な予感。
「久しぶりに会ったんだ。その顔をもっとよく見せとくれ」
そう言われると、断る言葉が口から出せない。エマの我が儘で、すでに五年も逃げているし。
渋々従ってばば様のところに行くと、優しく手を掴まれた。
「細いねぇ。色も白くて、苦労知らずの綺麗な手だね」
「む。私だってそれなりに苦労してたよ」
華朝に避難してからは、ずっと一人でやりくりしてきたのだ。手が綺麗なのは、ちゃんとお手入れしていたからだ。
「掟を破ったら、もっともっと苦労するんだ。この手に傷をつけたくはないだろ? だから早いとこ婿をとって、裏方に回るのが一番なんだよ。何も自分から難儀な道を選ばんでもいいだろう」
「別に……、婿が嫌って言ってるわけじゃないけど」
「シーウルフの若い衆じゃ不満かい?」
「不満」
即答したら、ばば様の口からため息がこぼれた。
「だから時間を下さい! その間に婿を見つけてくるから!」
ここの海猿よりもっと清潔で素敵な男性を!
「それならいいでしょ?」
「でもエマはもう二十一」
「まだ二十だよ!」
「どっちだって変わらないよ」
「うぐ」
女の子にとって一歳の年の違いは大きいぞ? 十九歳と二十歳じゃ全然違うぞ?
なんて思ったものの、反論できる空気じゃなかった。
「だいたいとして、お前はもう五年も延期しとるんだ。それがどういうことか分かるかい?」
ばば様は、疲れた顔で説明した。
「お前の父親はまだ若いが、あと五年もすりゃあ五十になる。その頃後継ぎを探すんじゃ遅いんだよ。船長ってのは一朝一夕になれるもんじゃないんだ。本当なら、お前が逃げていた五年間は、その準備期間でもあったんだよ」
剣が使えるに越したことはないが、強いだけじゃ人はついてこない。海のことも最低限知っておかなければならないし、何よりクルーたちの信頼を得なければ始まらない。
無事に船長になった後も、することは山積みだ。ほかの海賊に顔見せをして、今の縄張りを守るために実力を示すことも重要なのだ。
そのためには、ある程度の育成期間が必要だというのが、ばば様の持論だった。
「予定通りにいっていれば、今ごろシーウルフは三代目が継承して、子どもができててもいいころだ」
新生シーウルフと孫の顔を見届けなければ、死んでも死にきれない。そう肩を落としてぼやくばば様に、エマはがっくりとうなだれた。
「……どうせ、私はシーウルフの後継ぎ生産機だもんね」
「エマ。そういうことじゃないよ」
「だってそうじゃん。後継ぎ後継ぎって、ばば様もパパもそればっかり。私の気持ちなんかちっとも考えてくれてないじゃん」
いつだって、彼らの頭の中はシーウルフだ。
クルーたちの人生を担っている以上、責任重大なのは分かるけど、そのためなら私は犠牲になってもいいってわけ?
「そんなに後継ぎが欲しいなら、私の婿候補をさっさと三代目にしちゃえばいいんだよ。それでその人が好きになった女と結婚させればいいじゃん。私は船長夫人なんて興味ないんだから」
言っているうちに鼻の奥がつんとして、目頭が熱くなってきた。
「普通でいたいだけなのに、なんで駄目なの?」
自分の人生なのに、自分で決められないなんて。そんなの絶対おかしいと思う。自分と同じ年ごろの女の子たちは、もっともっと自由なのに。
「海賊の娘に生まれたんだからしょうがないって、あきらめなきゃいけないの?」
考えれば考えるほど嫌になる。
こみ上げる涙をこらえようとして、スカートの脇をぎゅっと握りしめた。今まで思っていたことが次から次へと溢れてきて、自分でも止められない。すると、ばば様はまたため息をひとつ。きっと、我が儘な孫だと思っているんだろう。
「……猶予は一年だよ。それ以上はもう駄目だ」
「え?」
続けられた言葉に、エマの心臓が跳ね上がった。同時に勢いよく顔を上げると、ばば様の厳しい瞳と目が合った。
「あと一年だけ待ってやるから、自分で婿を探しておいで」
「……いいの?」
「ただし、二つだけ条件がある」
「う、うん」
「ひとつは、婿探しは海ですること。お前はこの世界を知らないからね。一年間海に出て、婿を探しながら学ぶといい。もうひとつは、一年経ったら恋人がいてもいなくても婚約すること。この条件が呑めないなら話はなしだ」
つまり、その間にいい男が見つからなかったら、大人しくばば様たちが選んだ男と結婚しろと。どっちにしろ海賊になるのは避けられないけれど、エマはばば様に感謝した。
「ありがとう!」
抱きついて礼を言うと、ぽんぽんと背中を軽く叩かれた。
「私だってお前には幸せになってもらいたいんだよ」
「うん……」
頑固で厳しいばば様が、エマのために妥協したのだ。こうして打開策を出してくれたのだから、彼女の気持ちにも応えたい。
「私、頑張るから」
絶対にいい男を見つけてくる。
シーウルフの船長にもふさわしくて、清潔な人を!
「だから私からもお願い!」
って、勢いに任せて切り出したら、ばば様は一瞬驚いて、直後今までで一番盛大なため息をついた。
「お前って子は……」
続きが言葉にならないほど全身全霊で呆れている。さらには頭痛まで感じるようで、しわだらけの手でこめかみを押さえた。
「これ以上何をしてほしいってんだい……」
「ばば様にもらった一年をパールクイーンで過ごしたいんです」
強めの姿勢で一気に言ったら、うんざりしていたばば様の表情が変わった。
「……理由は?」
冷静に聞かれて、エマの脳裏にミリが浮かぶ。
さらさらの茶髪に、優しそうな瞳。話し方も柔らかくて、とても海賊には見えなかった。どうせ同じ海に出るなら、ああいう素敵な人とがいい。
彼がいる船なら、シーウルフより綺麗そうだし。
そのままいい感じになってゴールしちゃってもいいんじゃない? っていうくらいの好印象だ。パールクイーンのクルーなら剣の腕だってお墨つきだし。ちょっと年の差はありそうだけど、それはそれで楽しそう。若奥様っていうのも悪くない。
「むしろいい響き……」
「?」
「じゃなくて、パールクイーンはシーウルフの家族なんでしょ? あそこならクルーはみんな腕利きだし、環境も悪くないと思うんだよね」
「うちの環境は悪いのかい?」
どう見てもいいとは言えません。船自体かなり年季が入っているし、掃除は雑だし、何よりクルーたちが不潔すぎる。
でも素直に「はい」とは言いづらくて、エマは慌てて弁解した。
「ここにいたら出会いが少ないでしょ? ほかの海賊と会う機会はあっても、祇利那海域の限られた範囲だし」
シーウルフは、行動範囲が狭い。大抵は縄張り内の海や町を巡回して一日が終わる。早い話が、祇利那国の私掠船だ。縄張り内でルールを無視して暴れる海賊や盗賊がいれば、財産を頂戴して政府に引き渡す。
表向き祇利那は海賊を認めていないため、正式に私掠免許はもらっていないが、実質はもらっているのと同じ繋がりが政府とシーウルフの間にできていた。
対するパールクイーンは、必要とあれば縄張りの外にもかまわず出ていく、自由気ままな海賊だ。気まぐれで進路を変えることもしばしばで、その分豊富な知識と経験を持っている。まさに、修行をするには打ってつけ。
半ば苦し紛れの返答だったが、ばば様は真剣に思案した。
「確かに……、あいつらなら気の置ける連中だ。あちこちフラついてるから、海を知るにもちょうどいいね」
ドキドキしながら返答を待っていたエマに、ばば様はゆっくり頷いた。
「いいだろう。ちょうど近くにいることだし、奴らに聞いてみるとしよう」
「やったー!」
嬉しさのあまり飛びついて、うっかりばば様を押し倒すところだった。それを寸前で何とかこらえ、エマはさっと離れると、きびきびとした動作で敬礼の姿勢をとった。
「それでは、早速準備にかかります!」
「ばば様大好きぃー!」と叫びながら出て行った孫を見送り、ばば様はまたため息をひとつ。すると、隣室のドアが静かに開き、パパが苦笑しながら入ってきた。
「相変わらず、甘いですね」
しっかり盗み聞きしていたパパに恨めしそうな目を向けてから、ばば様は両手を上げて降参を示した。
「たった一人の孫娘だ。しょうがないだろ。そういうお前だって、あの子には甘いじゃないか」
負けじと言い返されて、パパも両手を上げた。
「まあ、たった一人の愛娘ですからね」




