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Sinner E  作者: 藤 子
【序章】
4/47

4.イエスからノーへ

 襟にも袖にもフリルがたっぷりついたブラウスに、大きなかぼちゃパンツを履き、腰にはサッシュを巻いている。年をとって肉づきがよくなったばば様は、前にも増して貫禄がついていた。

 引退してからは祇利那の港町に住んでいるが、今回はエマの婚約のために船に乗ってきたらしい。


「騒々しいね。ノックもしないで、一体なんだい」


 丸い銀縁の老眼鏡を鼻にかけ、じろりと睨むようにこっちを見る。

 さすがは元女海賊。存在そのものに迫力があった。が、エマは堂々と室内に入り、胸を張って彼女に言った。


「結婚を延期してください!」


 生まれたころから孫として接してきたのだ。エマにとっては、優しくて頼れる大好きなおばあちゃんである。


「そういうことは私じゃなくて船長に言うんだね」

「パパは私の言うことなんか聞いてくれないもん! でもばば様が言えばきっと聞き入れてくれるはず!」


 なんだかんだ言って、パパはシーウルフを作ったばば様に頭が上がらないところがある。クルーのみんなもそうだ。普段は船長が一番だけど、ばば様がイエスと言ったらノーがイエスに変わることだってある。


「好きでもない男と結婚なんて、時代遅れもいいところだよ!」

「それはつまり、ほかに好きな男がいるってことかい?」

「え?」


 思わぬ切り返しに、これまでの勢いが削がれてしまった。


「……いないけど」


 しまった。ここで恋人がいれば強気で一気に押せたのに。

 逃げることばかり考えて、すっかり新しい恋愛を忘れていた。これはちょっぴり決定打に欠けるぞ。


「エマ」

「う」


 たじろぐエマなんておかまいなしに、ばば様は指先でコンコンと机をつついた。


「ここにおいで」


 嫌な予感。


「久しぶりに会ったんだ。その顔をもっとよく見せとくれ」


 そう言われると、断る言葉が口から出せない。エマの我が儘で、すでに五年も逃げているし。

 渋々従ってばば様のところに行くと、優しく手を掴まれた。


「細いねぇ。色も白くて、苦労知らずの綺麗な手だね」

「む。私だってそれなりに苦労してたよ」


 華朝に避難してからは、ずっと一人でやりくりしてきたのだ。手が綺麗なのは、ちゃんとお手入れしていたからだ。


「掟を破ったら、もっともっと苦労するんだ。この手に傷をつけたくはないだろ? だから早いとこ婿をとって、裏方に回るのが一番なんだよ。何も自分から難儀な道を選ばんでもいいだろう」

「別に……、婿が嫌って言ってるわけじゃないけど」

「シーウルフの若い衆じゃ不満かい?」

「不満」


 即答したら、ばば様の口からため息がこぼれた。


「だから時間を下さい! その間に婿を見つけてくるから!」



 ここの海猿よりもっと清潔で素敵な男性(ひと)を!



「それならいいでしょ?」

「でもエマはもう二十一」

「まだ二十だよ!」

「どっちだって変わらないよ」

「うぐ」


 女の子にとって一歳の年の違いは大きいぞ? 十九歳と二十歳じゃ全然違うぞ?

 なんて思ったものの、反論できる空気じゃなかった。


「だいたいとして、お前はもう五年も延期しとるんだ。それがどういうことか分かるかい?」


 ばば様は、疲れた顔で説明した。


「お前の父親はまだ若いが、あと五年もすりゃあ五十になる。その頃後継ぎを探すんじゃ遅いんだよ。船長ってのは一朝一夕になれるもんじゃないんだ。本当なら、お前が逃げていた五年間は、その準備期間でもあったんだよ」


 剣が使えるに越したことはないが、強いだけじゃ人はついてこない。海のことも最低限知っておかなければならないし、何よりクルーたちの信頼を得なければ始まらない。

 無事に船長になった後も、することは山積みだ。ほかの海賊に顔見せをして、今の縄張りを守るために実力を示すことも重要なのだ。

 そのためには、ある程度の育成期間が必要だというのが、ばば様の持論だった。


「予定通りにいっていれば、今ごろシーウルフは三代目が継承して、子どもができててもいいころだ」


 新生シーウルフと孫の顔を見届けなければ、死んでも死にきれない。そう肩を落としてぼやくばば様に、エマはがっくりとうなだれた。


「……どうせ、私はシーウルフの後継ぎ生産機だもんね」

「エマ。そういうことじゃないよ」

「だってそうじゃん。後継ぎ後継ぎって、ばば様もパパもそればっかり。私の気持ちなんかちっとも考えてくれてないじゃん」


 いつだって、彼らの頭の中はシーウルフだ。


 クルーたちの人生を担っている以上、責任重大なのは分かるけど、そのためなら私は犠牲になってもいいってわけ?


「そんなに後継ぎが欲しいなら、私の婿候補をさっさと三代目にしちゃえばいいんだよ。それでその人が好きになった女と結婚させればいいじゃん。私は船長夫人なんて興味ないんだから」


 言っているうちに鼻の奥がつんとして、目頭が熱くなってきた。


「普通でいたいだけなのに、なんで駄目なの?」


 自分の人生なのに、自分で決められないなんて。そんなの絶対おかしいと思う。自分と同じ年ごろの女の子たちは、もっともっと自由なのに。


「海賊の娘に生まれたんだからしょうがないって、あきらめなきゃいけないの?」


 考えれば考えるほど嫌になる。

 こみ上げる涙をこらえようとして、スカートの脇をぎゅっと握りしめた。今まで思っていたことが次から次へと溢れてきて、自分でも止められない。すると、ばば様はまたため息をひとつ。きっと、我が儘な孫だと思っているんだろう。


「……猶予は一年だよ。それ以上はもう駄目だ」

「え?」


 続けられた言葉に、エマの心臓が跳ね上がった。同時に勢いよく顔を上げると、ばば様の厳しい瞳と目が合った。


「あと一年だけ待ってやるから、自分で婿を探しておいで」

「……いいの?」

「ただし、二つだけ条件がある」

「う、うん」

「ひとつは、婿探しは海ですること。お前はこの世界を知らないからね。一年間海に出て、婿を探しながら学ぶといい。もうひとつは、一年経ったら恋人がいてもいなくても婚約すること。この条件が呑めないなら話はなしだ」


 つまり、その間にいい男が見つからなかったら、大人しくばば様たちが選んだ男と結婚しろと。どっちにしろ海賊になるのは避けられないけれど、エマはばば様に感謝した。


「ありがとう!」


 抱きついて礼を言うと、ぽんぽんと背中を軽く叩かれた。


「私だってお前には幸せになってもらいたいんだよ」

「うん……」


 頑固で厳しいばば様が、エマのために妥協したのだ。こうして打開策を出してくれたのだから、彼女の気持ちにも応えたい。


「私、頑張るから」


 絶対にいい男を見つけてくる。

 シーウルフの船長にもふさわしくて、清潔な人を!


「だから私からもお願い!」


 って、勢いに任せて切り出したら、ばば様は一瞬驚いて、直後今までで一番盛大なため息をついた。


「お前って子は……」


 続きが言葉にならないほど全身全霊で呆れている。さらには頭痛まで感じるようで、しわだらけの手でこめかみを押さえた。


「これ以上何をしてほしいってんだい……」

「ばば様にもらった一年をパールクイーンで過ごしたいんです」


 強めの姿勢で一気に言ったら、うんざりしていたばば様の表情が変わった。


「……理由は?」


 冷静に聞かれて、エマの脳裏にミリが浮かぶ。

 さらさらの茶髪に、優しそうな瞳。話し方も柔らかくて、とても海賊には見えなかった。どうせ同じ海に出るなら、ああいう素敵な人とがいい。


 彼がいる船なら、シーウルフより綺麗そうだし。


 そのままいい感じになってゴールしちゃってもいいんじゃない? っていうくらいの好印象だ。パールクイーンのクルーなら剣の腕だってお墨つきだし。ちょっと年の差はありそうだけど、それはそれで楽しそう。若奥様っていうのも悪くない。


「むしろいい響き……」

「?」

「じゃなくて、パールクイーンはシーウルフの家族なんでしょ? あそこならクルーはみんな腕利きだし、環境も悪くないと思うんだよね」

「うちの環境は悪いのかい?」


 どう見てもいいとは言えません。船自体かなり年季が入っているし、掃除は雑だし、何よりクルーたちが不潔すぎる。

 でも素直に「はい」とは言いづらくて、エマは慌てて弁解した。


「ここにいたら出会いが少ないでしょ? ほかの海賊と会う機会はあっても、祇利那海域の限られた範囲だし」


 シーウルフは、行動範囲が狭い。大抵は縄張り内の海や町を巡回して一日が終わる。早い話が、祇利那国の私掠船だ。縄張り内でルールを無視して暴れる海賊や盗賊がいれば、財産を頂戴して政府に引き渡す。

 表向き祇利那は海賊を認めていないため、正式に私掠免許はもらっていないが、実質はもらっているのと同じ繋がりが政府とシーウルフの間にできていた。

 対するパールクイーンは、必要とあれば縄張りの外にもかまわず出ていく、自由気ままな海賊だ。気まぐれで進路を変えることもしばしばで、その分豊富な知識と経験を持っている。まさに、修行をするには打ってつけ。

 半ば苦し紛れの返答だったが、ばば様は真剣に思案した。


「確かに……、あいつらなら気の置ける連中だ。あちこちフラついてるから、海を知るにもちょうどいいね」


 ドキドキしながら返答を待っていたエマに、ばば様はゆっくり頷いた。


「いいだろう。ちょうど近くにいることだし、奴らに聞いてみるとしよう」

「やったー!」


 嬉しさのあまり飛びついて、うっかりばば様を押し倒すところだった。それを寸前で何とかこらえ、エマはさっと離れると、きびきびとした動作で敬礼の姿勢をとった。


「それでは、早速準備にかかります!」


 「ばば様大好きぃー!」と叫びながら出て行った孫を見送り、ばば様はまたため息をひとつ。すると、隣室のドアが静かに開き、パパが苦笑しながら入ってきた。


「相変わらず、甘いですね」


 しっかり盗み聞きしていたパパに恨めしそうな目を向けてから、ばば様は両手を上げて降参を示した。


「たった一人の孫娘だ。しょうがないだろ。そういうお前だって、あの子には甘いじゃないか」


 負けじと言い返されて、パパも両手を上げた。


「まあ、たった一人の愛娘ですからね」


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