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Sinner E  作者: 藤 子
【海賊編】
39/47

33.女海賊

「エマちゃんはそのまま休んで。大丈夫。ここにいれば何の心配もないよ」


 流唯さんはエマの動揺を鋭く見抜き、笑顔でそう言って宥めてくれた。そうだよね。ここにいれば海に落っこちるなんて事故はないし、敵が部屋に入ってくることもないよね。なんたってこの船は、パールクイーンなんだから。


 こくこくって頷いて、言われた通り休むことにする。休んでいるうちに、きっと全ては終わってる。何かあったとしても、流唯さんが近くにいるし、今は部屋にいるんだし……


 乾いた破裂音が、耳に届いた。


 多分、場所は甲板だ。思わずビクって身体が弾んで、流唯さんを見上げる。エマの表情から察したのか、流唯さんは真顔で頷いた。


「銃の音だね」

「……てことは、外には敵が」

「だとしても心配ないよ。パールクイーンはそう簡単にやられる奴らじゃ――」


 エマを安心させようと話していた流唯さんの笑顔が、突如消えた。どうしたの? って聞くまでもない。エマの耳にもはっきり聞こえた。荒々しい足取りで、船室に入ってくる音。確実にこの部屋に近づいている。敵かもしれない。


 エマはブランケットを手繰り寄せて縮こまった。ベッド脇に寄り添っていた流唯さんが、右手をそっと腰元に添える。

 蹴破るような勢いで、ドアが乱暴に開けられた。


「流唯!」


 警戒するエマと流唯さんの目の前に、飛び込んできたのは女だった。小麦色の肌に長い金髪の迫力ある美人だ。ビー玉のように澄んだ青い瞳をキラキラさせて、女は叫んだ。


「やっぱり流唯だ!」


 怯えるエマなんてお構いなしに、彼女は流唯さん目がけてダイブする。


「久しぶりだなあ! すっかり大人になりやがって! 帰ってきたなら挨拶くらいしろよ!」


 いなくなった飼い犬をやっと見つけた飼い主みたいに、彼女はわしゃわしゃと流唯さんの髪を撫でた。ぎゅうぎゅう抱き着いて頬ずりをして、流唯さんに会えた喜びを爆発させた。対する流唯さんは、呆気に取られてされるがままになってたけれど、しばらくして呆然と呟いた。


「…………ジン?」


 名前を覚えていてくれたことが嬉しかったのか、ジンと呼ばれた女はさらに破顔して流唯さんに抱き着く。そして、両目に涙を浮かべて縋りついた。


「よく生き抜いたなあ。お前はただのガキじゃないって思ったけどさ、一人で国に乗り込んだって聞いたときは、さすがに駄目かと思ったよ。無理にでも引き留めなかったボルボアたちを半殺しにして海に落としてやりたかったよ。でもさすが、私が見込んだ女だね! やっぱり私の目に狂いはなかったんだ! あのとき言ったじゃないか! 十八の男だなんて嘘だろって!」

「……よく覚えてましたね。私のこと」

「当ったり前だろ! テストをクリアして私に尻餅つかせたのはお前だけなんだから! 忘れるもんか! だからうちに来いって誘ったのに断りやがっ――」

「当然だ」


 ベリって、音が聞こえるくらい容赦なく、銀が流唯さんからジンを剥がした。

 こめかみに青筋を浮かべて、眉間に深いしわを寄せて、据わった目をして。


「いい加減にしろ」


 うっわー。キレてる。完全にキレてるよ、これ。

 いつもの「怒ってるの?」って不安になる仏頂面じゃなくて、明らかに怒ってるって分かる顔だ。このまま人殺しとかやっちゃいそうだよ。怖すぎる。

 なのにジンは平然として、銀を見上げてにやりと笑う。


「やだねぇ。男の嫉妬は醜いよ、銀」

「……うるせえ。穢れた手でうちのクイーンに触るな」

「なんだい。十年ぶりの再会に水を差す気か? お前らはちょこちょこ会ってただろうけど、うちはずっとご無沙汰だったんだ。再会を祝って酒の一杯くらい飲ませてくれてもいいじゃないか」


 強い。あの銀を相手にここまで物言いできるとは。この人は一体何者だろう。


「そんなに死にたいのかい? この距離なら外さないよ」

「上等だ。やれるもんならやってみろ」


 うわわ。誰かなんて考えてる場合じゃないよ。

 本当に殺し合いが始まっちゃう!


「はい。そこまでね」


 絶妙のタイミングで止めに入った流唯さん。さすがです。張りつめた空気を一瞬で変えちゃうなんて、魔法みたいだ。


「銀、剥きになりすぎ。ジンも、物騒なもの出さないで」

「あっはっは! やっぱりこうなったか!」


 今頃になって現れたキャップ。来るの遅すぎ。なんなの、その緊張感のなさは。


「お前ら挨拶はその辺にして、甲板に出ろ。積もる話はそれからだ」


 張りのある声に応じて、銀もジンも部屋から出ていく。

 やっと室内の密度が戻ったところで、エマは流唯さんを引き留めた。彼女の服をちょんと掴むと、気づいた流唯さんが振り返る。


「私の情報は古いから今は分からないけど」


 と、前置きした上で、流唯さんは苦笑気味に教えてくれた。


「あの人はジン。海賊の女船長で、パールクイーンの友だちだよ。敵じゃないから安心していい。喧嘩っ早くていたずら好きだけど、悪い人じゃないから」


 先ほど受けた砲撃も、彼女流の挨拶のようなものらしい。


「なんだか……、すごくパワフルな人だね……」

「ああ。あの感じは昔と変わらないね。伊達に海賊の船長をやってない」


 そのパワーに圧倒されながらも、流唯さんは嬉しそうに言った。

 屈強な男たちが彼女に従うのは、それだけの価値があるからだと。豊満な胸や引き締まった身体も、黄金に輝く金髪や美しい青の瞳も、確かに魅力的だ。でもそれがおまけに思えるくらいの度胸と、銃の技術と、人を束ねる力を持った人だと。


「その辺の男より何倍も男前だよ」


 正直、流唯さんより男前な女性がいるとは思えないけど。

 さっきまで大声で捲くし立てていたのを思うと、下町によくいるがさつなおばちゃんみたいだったし。


「ボルボアが惚れた人だからね。間違いなくいい女だと思うよ」

「キャップが⁉」


 ……キャップって、ああいう人がタイプだったんだ。


「まあ、それも十年前の話だから、今は分からないけどね。うちらも外に行こうか。起きられる?」

「あ、うん……」


 ジンの剣幕に呑まれたせいか、船酔いがどこかへ行ってしまった。

 敵じゃないなら出て行っても大丈夫よねって、半信半疑で起き上がると、部屋の入り口でセスに会った。


「お嬢ー。これ何とかしてくれ」


 何やら恥ずかしそうに後ろを向いた彼は、こっちに向けてお尻を突き出す。見ると、ズボンのお尻のところが綺麗に真っ二つに裂けていた。中のパンツが赤くて目立つ。


「破れちゃったの?」

「まだ新しかったんだけどよ。さっきジンの姉貴に尻餅つかされて」

「え……」


 驚くエマの隣で、流唯さんが小さく笑う。


「テストされたね?」

「テスト?」

「ジンの挨拶だよ。初めて会った相手には力量を見るためにいたずらするんだ。笑顔で握手をすると見せかけて足払いとかね。パールクイーンのほかのみんなも一通りやられてるよ」

「ちくしょう。何て女だ!」

「それだけ彼女の見た目に釣られる男が多いってことだよ」


 あの顔立ちとナイスなバディにコロッと落ちて、下心満載で寄ってくる。初対面でいたずらを仕掛けるのは、そんな連中に対する「女だからって舐めんなよ」という彼女なりの牽制らしい。


「大方、君も釣られた一人なんじゃない?」

「うぐ……」


 ずばりと言い当てられて、セスは気まずそうに笑顔を作った。信じられない。この女好きめ!


「お嬢ー。直してくんねえ?」

「そのままパンツでいたら?」

「頼むよ。俺ズボン二本しか持ってねえんだよ」

「じゃあもう一本を履けばいいじゃん」

「それ履くからその間に直してくんねえ?」


 次はいつ陸に行くか分からないし、最後の一本が破れたらそれこそ履くズボンがなくなってしまう。それじゃあ困ると訴えるセスに、内心、自業自得だ! って毒づいた。けど、目の前をパンツ姿でうろつかれるのも嫌だな。


「あとで直すよ」


 気が向いたときにでもやっておこう。今は流唯さんと甲板に行くんだから、こんなものは当然後回しだ。後ろから「絶対頼むぜ?」っていう声がしたけど、聞こえない振りをした。流唯さんだけならともかく、ほかの女にまで尻尾を振ったなんてあり得ない。なんて見境がないんだ。流唯さんにも失礼だ!

 憤慨しながら通路を歩いて、甲板に出て足が止まった。


「……何事?」


 一角では白熱した腕相撲大会が繰り広げられ、一角ではカジノ顔負けのトランプ大会が開催され、一角では大きな酒樽を囲んでキャンプファイヤーのようなお祭り騒ぎ。

 普通、海賊と海賊が遭遇したらギラギラ睨み合ってドンパチ戦うもんだよね? ついこの前もそんな感じだったよね? いくら友だちって言ったって、実力を見せ合って男臭く腕試ししたりするんじゃないの?

 唖然とするエマの脳裏に、いつぞやの光景が蘇った。パールクイーンに来たばかりのころ、歓迎会と称して行われたどんちゃん騒ぎ。あれの規模が大きくなった感じだ。手に負えない。


「懐かしいなー。この光景」


 流唯さんが、引き攣った顔でしみじみと呟く。するとそこに、待ってましたとばかりに銀が飛んできた。


「お前は部屋にいろよ」


 心配そうな顔して、なんで出てくるんだって叱りつける。流唯さんはそれを笑顔でかわした。


「銀の近くにいるから大丈夫」


 そんなことを言われたら。

 案の定、銀は一瞬言葉に詰まって、それからわざとらしく咳をした。微笑ましいなあ。流唯さんは生涯独身宣言をしているけど。それに関して銀はなぜか気にしていないみたいだし。本人がいいならまあいいんだろう。


「エマちゃんもおいで」

「うん!」


 もちろん行きますとも! こんな混沌としたジャングルチックな場所を一人で探検するなんて、そんな勇気ないですから! って、走ったのがマズかったのか、誰かの足に躓いて派手に転んだ。


「痛たた……」


 ……先に主張しておきたい。

 このとき、エマは決して浮かれていたわけじゃない。嵐のあとで船酔いもまだ残っていた。散々吐いて気持ちも悪かったし、体もちょっとふらついていた。だから、決して鈍臭いわけじゃない。


 ブリュネットと呼ぶにはおこがましい黒っぽい栗毛のぼさぼさ頭。地なのか汚れなのか分からない浅黒い肌。よれた生成りのシャツの袖をまくり、露出させたムキムキの腕の先には扇形に広げられたトランプが数枚。じろりと向けられた目は凶暴な眼光を放っていて、銀に初めて会ったときのことを彷彿させた。


 改めて思う。海賊ってなんでこんなにガラが悪いの⁉


「大丈夫? エマちゃん」


 手を差し出してくれた流唯さんに、縋る思いでしがみついた。

 それを見た海賊が、目を丸くして飛び跳ねた。


「女だ! パールクイーンに女がいる!」


 驚いて倒れ込んだ男に、近くにいたチャラ男が目を据わらせて牽制した。


「うちの女王だ。手を出すなよ」


 それは、言うまでもなく流唯さんのことだよね。うん。


「っつーか、人の足に躓くって、どんだけ鈍いんだよ」


 それは、言うまでもなくエマのことだね。……うん。なんでこういうときに限って見られるかな。いつも転んでるわけじゃないのに。とほほな気分で嘆息すると、事情を知らない海賊さんがまじまじとエマたちを見てからチャラ男に聞いた。


「女王はボルボアの愛人か? こっちのちっこいのは? 男娼か?」


 失礼な! 美しすぎる流唯さんを見てキャップの愛人だと思うのは分かるけど、エマに向かって男娼とは何事か!


 この柔肌が分からないの⁉

 この胸の膨らみが見えないの⁉


 殺気立ったエマの近くで、銀も静かに冷気を纏う。私が許すぞ! こんな無礼者は抹殺しちゃえ!


「キャップの愛人じゃねえよ。どっちかっつーと俺の……ぐは!」


 銀の鉄槌がチャラ男を倒した。相手違うけど、何も言うまい。


「おい流唯! こっちだこっち! 早く来い!」


 甲板の先の方で手を振るジンに、流唯さんは苦笑しながら手を挙げて応える。それを見て「うちの船長の知り合いか?」と別の仲間に尋ねる海賊さんを素通りして、エマも流唯さんについて行った。そして改めて対面したジンはと言うと、エマを見るなり、ぱちくりと瞠目した。


「誰の隠し子だい?」


 失礼な!

 クルーがクルーなら船長も船長だ。からかいや冗談ならまだしも、本人を前に真顔で言うなんてどうかしてる! この人たちみんな頭がおかしいんじゃないの⁉


「狼の愛娘だよ」


 酒を片手に、キャップが肩を揺らしてジンに言う。すると彼女は、さっきの海賊さんみたいに目を真ん丸にして剥き出した。


「ジョージの愛娘⁉ こいつがっ⁉」


 クルーがクルーなら船長も……(以下略)

 そりゃあ、本気で自分を可愛いって思ってたわけじゃないけどさ、でもこれはさすがにひどくない? 冴えない小娘に見えるのは超絶美女が隣にいるからであってさ、普通に見れば私だって見られる方だと思うけどな。美の種類はひとつじゃないし、流唯さんを洗練された美女だと言うなら、エマは純真で可憐な少女とか、素朴な野花のような愛嬌があるとか、かける言葉はいくらでもあるじゃない?

 なのにそんな言葉をかけてくれる人が一人もいないってどういうことよ。甲板にはこんなに男が溢れているのに。女に飢えた男ばかりだってのに。

 それなら同性に同意を求めようとジンを見たら、彼女は銀と至近距離で睨み合っていた。


「お前は腕相撲でも行ってこい。源じいの一人勝ちじゃ盛り上がらないよ」

「そう言ってここから追い払うつもりだろうが、その手に乗るか」


 ジンまで流唯さんに夢中ですか。


「何だい。そんなに流唯のことが心配かい。別に取って食いやしないってのに」

「お前なら食いかねねえ。俺の目が光るうちはお前に流唯は渡さねえ」


 銀……、どさくさに紛れて流唯さんへの愛を吐露してるよ。

 見かねた流唯さんが、仕方なく間に入って二人を離した。


「まあまあ。せっかくの再会なんだし。私も一杯くらいは飲むよ。ジンと話もしたいしさ」

「ほら見ろ! ざまあみろ! さすが流唯だな! 隣に来い!」


 浮かれて喜ぶジンを前に、不満そうに口を噤む銀。

 対照的な光景を前に、同情しかけたエマだったけど。


「一杯は駄目だ。半分にしとけ」


 懲りずに流唯さんへと詰め寄る銀に感服した。どこまでもへこたれないその姿勢、お見事だよ。


「うるさいぞ! 男のくせにいつまでも女のケツ追っかけてんじゃないよ!」

「しつこいのはお前だ。流唯が仕方なく付き合ってやってるのが分かんねえのか」


 結局、話どころじゃなくなって、二人の間に座った流唯さんは無言でタバコを取り出した。自分の両脇で狂犬が唸ってるっていうのに、大した度胸だ。ジンは右手を銃に添えてるし、銀も折りたたんだ槍を握ってるのに。彼女は深く煙を吸って吐き出すと、目を据わらせて一言言った。


「二人とも、少し寝ようか」


 ……寝る?

 意味が分からなくて首を傾げるエマとは逆に、その意味を鋭く汲み取ったジンと銀が凍りつく。直後、ジンはぎこちない笑顔を見せて、銀は顔を強張らせてその場に座った。


「流唯には誰も敵わねえなあ!」


 観客と化していたキャップが、酒を飲みながら豪快に笑う。その周りには、すでに空になった酒瓶が一、二、三、四…… この人の体はどうなっているのか。と、数えながら見ていて、酒樽の近くにジュリを見つけた。酒ある場所にジュリの姿ありというやつだ。

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