31.適材適所
部屋に戻り、自分のスペースに入ると、トランクを開けて持参した洋服を引っ張り出した。ひと通り出して見てみると、大半がワンピースだ。着るのが楽だし、ワンピースが好きというのもあって、多めに持ってきていた。ちなみに、今日着ているのも水色のふんわりしたワンピースだ。
出入り口のカーテンをしっかり閉めた上で、エマは服を脱いだ。そして新たに手に取ったのは、シンプルなカットソーとさらっとした質感の麻のズボン。カットソーはそのままだと裾がひらひらめくれるので、薄紫色のストールをサッシュの代わりにして上から巻いた。靴は、かかとの高いロングブーツから口周りが大きくてぺったんこのショートブーツに。服装だけを見れば、男でも見かける格好だ。仕上げに、ふわふわが自慢の黒髪も縛ってひとつにまとめてみた。
初歩的なことだけど、まずはこの場所に応じた服装に変えたのだ。これなら、また敵に捕まったとしても、過度に連中を刺激しないで済むと思う。そう考えると、流唯さんのラフな格好はちゃんと意味があったんだなって思う。おしゃれな服で着飾った美人なんて、海賊にとっては『恰好の獲物』だ。それこそ襲ってくれと言ってるようなものだろう。飾り気のない質素な服装は、無駄に危険を作らないためにも効果的だったのだ。
「私……、本当に何も分かってなかったんだ」
世間知らずと罵られて、生意気にも反抗心を抱いていたけど、本当にその通りだったと気づいて泣きたくなった。だけど、泣いても状況は変わらない。変えるためには動かなければ。
お気に入りのワンピースも、スカートも、トランクの一番奥に畳んでしまった。頑張って貯金して買ったアクセサリーも、巾着袋に入れて引き出しの一番奥へ追いやった。この先、使う機会は当分ないだろう。普段使いとして残ったのは、どこにでも売っていそうなゴム紐や髪留めだけ。服も、下着を除けばシンプルな無地の物ばかりだ。
そして部屋を出て、向かった先は厨房だった。武器を持って戦えない自分でも、みんなのためにできること。それは何かと考えて、思いついたのが料理だった。
「翔ー。いるー?」
カウンター越しに覗いてみると、翔は大きな魚を押さえて捌くところだった。どうやら、先ほどの釣りで自ら釣り上げたらしい。活きのいい魚はどうにかして海へ戻ろうと、まな板の上でバタバタと尾を振り回して暴れていた。が、翔が出刃包丁で一気に頭を切り落とすと、その威勢は半減した。大量の血が流れだし、エマは思わず口を押さえた。翔はというと、頭を失っても動いている胴体を押さえ、慣れた手つきで豪快に捌きに入っている。
「なんだ? 呼んだか?」
気づいて顔を上げた彼に、一瞬言うのを躊躇った。「呼んでみただけ」と言いたい自分を叱咤して、気合いを入れる。
「何か、手伝えることはある?」
尋ねると、翔が二つ返事で答えてくれた。
「そんじゃあ、そこの籠に入ってる芋の皮を剥いてくれ」
内心、魚を捌くのを手伝えって言われたらどうしようと心配したけど、違う答えにほっとして小さいペティナイフを受け取った。よし。ここからが名誉挽回だ! 早速じゃが芋を手に取って、エマは皮剥きを始めた。その傍らで、ドンっとか、ダンっとか、食材と格闘する音が響く。
「……それ、何ていう魚?」
慎重に皮を剥きながら聞いてみると、翔は分かりやすく教えてくれた。
「これはマダイだ。体に青い斑点があって、尾びれの先が黒いだろ? でかくなると一メートルくらいのやつもいるから、これは小せえ方だな」
煮ても焼いてもおいしいので、調理がしやすい魚らしい。今回は、頭をスープにして身は唐揚げ、白子や肝は蒸し焼きにするとのことだった。聞いているだけでお腹が減ってきそうだけど、捌く手伝いは無理そうだ。料理が完成したら、ありがたく感謝していただこう。
「さすがは海のコックさんだね」
下手に勉強するよりも、数年海で過ごした方がしっかり学べる。これぞ実践に勝るものはなしだ。
「俺は海生まれの海育ちだからな」
なんと。まさに適材適所。
「陸に上がりたいと思ったことはないの?」
「五年だけ陸にいたこともあるぜ。でもやっぱ海の方がいいな。住み慣れてるし」
どんな場所でも住めば都というけれど、だだっ広い海で不便を感じたりしないのかな。
「お前だって、ここにいりゃあだんだんと慣れるさ」
「そういうものかなあ」
「そうそう……って、おい! どこまで皮剥きしてんだよ!」
和やかに会話をしていたけど、翔が急にエマの手元を見て声を上げた。
バレたか。
「ちゃんときれいに剥けてるでしょ?」
失敗したことは自覚しつつも、しらばっくれて笑顔を作る。が、もちろん翔には通じなかった。
「分厚く剥きすぎ! 皮じゃねえとこまで剥いてるし!」
「茶色い皮を全部取ろうとした結果です」
「何が結果ですだ! これじゃあちっとも実がねえじゃん!」
「おいしいところは残ってるよ」
「バカ野郎! じゃが芋は皮のところに一番栄養があるんだぞ? 新じゃがなんか丸ごとだって食べられるくらいなのに……!」
最後には言葉を詰まらせ、彼は悲しそうに目を閉じる。
「お前……、料理できなかったのか」
「はい。すいません」
素直に認めた。
「……華朝で一人暮らししてたって聞いたけど」
「自炊できないのでほとんど買ってました」
一人暮らしの女は料理上手と思うのは偏見だ。むしろ一人だからこそ手を抜くし、買えばおいしいものがたくさんあるのに、わざわざ料理をする気なんて起きなかった。おまけに、毎日仕事でへとへとになるまで働いて、疲れて帰ってからご飯を作るなんて気力もなかった。
料理ができなくたって生きていけるもん!
恋人はできたもん!
内心、声を高らかに叫んだけど、独りの現状を考えると言葉には出せなかった。
「包丁が使えないってことは、味つけもできないってことだな?」
がっくりと肩を落として呟いた翔に、エマは自信を持って頷いた。
「味見なら任せて!」
「それは料理じゃねえ!」
いたいけな少女の頭にチョップを落とすとは、容赦ない人だ。
「痛ーい!」
訴えたところで、謝罪の言葉は返されない。
「貴重な食材で遊んだ罰だ」
いや、遊んだわけじゃなかったんだけど。
結局、役立たずの烙印を押されたエマは、「邪魔だから出てけ!」と厨房から追い出されてしまった。
「何よ。どんなことでもやらなきゃうまくなれないじゃない」
役に立てるようになるために、前向きにチャレンジしようと思ったのに。元々手先は器用だし、料理だって練習をすれば習得できるはずなのだ。今までやらなかったからできないってだけで。
独り言を呟きながら通路を進むと、木箱を抱えた准と出くわした。
「准兄!」
「……兄?」
何やら複雑そうな顔で振り向かれたけど、訂正するつもりはない。彼の面倒見の良さと異性を感じさせない安心感は、まさに兄と呼ぶに相応しいものだ。初対面の時から海賊っぽくないとは思っていたけど、元軍人と聞いてますます兄感が高まった。一見真面目で誠実なのに、実は結構フランクで融通が利くところとか、これぞ友だちに自慢できる理想のお兄ちゃんだ。
「何を持ってるの?」
ひょいと背伸びをして彼が抱えている木箱を覗いたけど、蓋が閉まっていて中身は見えない。
「源じいに頼まれた薬だ。甲板で天日干しするんだよ」
湿気で悪くならないよう、時々風通しの良いところに広げて乾かすらしい。
「私も手伝うよ!」
それなら自分にもできると名乗りを上げると、准も喜んで頷いた。
「んじゃあ、頼もうかな」
こういう雑用なら、エマだって役に立てるのだ。あるじゃん! できること。
主人に懐いた飼い犬のように、准のあとをついて行く。甲板に出ると、彼がメインマストの下で木箱を下ろした。近くにいたミリが、気づいて声をかけてくれる。
「あれ。エマちゃん着替えたの? そういう服も似合うね」
「ありがとう!」
早速変化に気づいてもらえたのが嬉しくて、頬が緩む。が、准が木箱の蓋を開けた瞬間、エマの背筋が凍りついた。
中身を見た途端、時が止まる。数秒経って我に返り、悲鳴を上げた。
「何それ⁉」
「何って、見たまんまだけど」
平然と、それどころか不思議そうに目を丸くする准に、正気なのかと疑いたくなる。だってその木箱の中、グロテスクなものだらけじゃん!
「これは乾燥ミミズ。こっちは蝉の抜け殻。これはー、ゴキブリだな」
「説明しなくていいから!」
なんでそんなものが箱いっぱいに入ってるの⁉
源じいは昆虫採集が趣味とか⁉ にしてもグロいものばっかじゃん!
「うえぇー……」
「これ全部貴重な薬になるんだぞ?」
これが薬? 考えただけで鳥肌立ちそう。完全に逃げ腰になったエマをよそに、准は大きな麻布を広げると、そこにザザーっと中身を出した。エマの目の前に、汚れた水たまりのように死んだ昆虫が敷かれていく。
無理。
一瞬、気が遠のいた。准は何でもないように昆虫の山を崩して広げているけど、手袋なんてしてないし。素手でゴキブリ触れるってどういうことだ。たとえ死んでるとしても、ゴキブリじゃん。てか、これ本当に全部死んでるの? 中には生きてるのもいるんじゃない? いくつか長い触角が動いてるのが見えるんだけど。風に吹かれてるだけだと信じたい。
「ごめん、准兄……。やっぱ無理……」
「また船酔いか?」
「うん……。そんなとこ」
正確には違うけど、気持ち悪いのは同じだから、訂正しないでそのまま逃げた。あんなものが薬だなんて。
「あり得ない……」
お世話になることがないように、体調管理に気をつけよう。
結局、部屋に戻ってベッドに倒れる。枕代わりのクッションに顔を埋めて、ため息が漏れた。
自分にできることって、なかなかない。
項垂れながら、何気なく視界に入った自分の右手を見た。ママの形見であるサファイヤの指輪が小さく光った。服装を変えようと思った時、これだけは外せなかった。緑のサファイヤは、慈愛や信頼を表すのだと、いつだったかばば様から聞いたことがある。
パパが、変わらない愛を伝えるためにママへ贈った婚約指輪。
ママが死んだあとも、パパはその想いをずっと貫いている。それって、すごく素敵だと思う。贔屓目なしに同世代の人たちと比べても、パパの容姿は整っている。四十歳を過ぎたっておやじ臭はないし、彫りの深い顔立ちは色気があって、剣の腕も立つ。それに加えて大海賊の船長ともなれば、女ウケがいいのも当たり前だ。海賊と聞けば震えてしまう一般の女性でさえ、気の迷いを起こさせるのがパパだった。そんなイケメンダンディーのくせに、数ある誘いを断って一匹狼を通すなんて、我が父ながらもったない。その気になればハーレムだって作れ……、いやいや、天晴だ。それでこそ真のイケメンダンディーというものだ。そして、ここまでパパを骨抜きにしたママもまた、真のイケてる女だったに違いない。
私も、そんな風になりたい。
パパとママの関係は、エマにとっての理想だった。ずっと海賊嫌いを主張してたから、このことは誰にも言ってない。でも、ママの深い愛とパパの一途な想いは、一人の女として憧れていた。今はまだ見つからないけど、いつか運命の男性に出会ったとき、自分も相手に相応しい女でいたい。
「ここに籠ってちゃ駄目だ」
流唯さんみたいに剣が使えなくても、ずば抜けた美人じゃなくても、それでもいい女だと言われるように。料理ができなくても、虫を触れなくても、ハンモックに乗れなくても!
「お嬢ー。いる?」
ふたたび動き出そうとしたときだった。ドアの開閉音が聞こえた直後、ジュリの間延びした声が耳に届いた。
「何?」
ひょこっと顔を出すと、カーテンの前に立っていたジュリが、おもむろに握り拳を突き出した。
「……何?」
改めて聞くと、彼が拳を裏返してそっと開く。
「これ……、直せる?」
掌には、糸が切れてビーズがバラバラになったネックレスがあった。
「さっき甲板で引っ掛けちまって」
「ちょっと待って」
確か、クッションを作るときにあまった道具を、鏡台の引き出しにしまったはず。記憶を頼りに探してみると、思った通り引き出しの中に裁縫道具の一式が入っていた。でも、糸は普通の手縫い用しか持っていない。
「糸がこれしかないんだけど」
「あ、糸ならこれ使って。釣り糸」
「テグス? ちょうどいいね」
カーペットにハンカチを広げ、そこにバラバラになったビーズをそっと置くと、ひとつずつテグスに通していく。愛用していたのか、ウッドビーズは所々色が剥げて傷もあった。
「ビーズの色って、順番とかある?」
「羽根のペンダントトップが真ん中で、その両脇が赤、シルバー、ターコイズって並んで、あとは全部茶色」
「赤、シルバー、ターコイズね」
針穴に糸を通すように、ビーズにテグスを通していく。ビーズの穴が大きいから、通すのは割と楽だった。これならすぐに直せそうだ。
「これ、お気に入りなの?」
作業をしながら聞くと、ジュリがこくんと頷く。
「安もんだけど気に入ってんだよ。さすがお嬢。器用だね」
広げたハンカチを挟んで、向かい合うように座ったジュリは、胡坐を掻いて興味深そうにエマの手元を見つめていた。今日は失敗続きだったから、褒めてもらえてかなり嬉しい。
「これくらい簡単だよ」
「でも糸が通んないと苛々しねえ?」
「しないよ。縫い物とかも好きだし」
ものを作るって、楽しいよね。自分の手で考えながら作る過程も楽しいし、出来上がったときの達成感が味わえるのもエマは好きだ。
「前に働いていたカフェもね、趣味で作ったバッグとか、たまに売らせてもらってたんだ」
「へえ。すげえじゃん。それなら帆の修理とかもできそうだな」
調子良く答えていて、ふと手が止まった。
「帆の修理?」
顔を上げて聞くと、ジュリが普通に頷く。
「そ。帆布を縫うのって結構大変なんだよ。俺ちょー苦手」
それがあったか!
諦めない気持ちが良い運気を呼び込んだのか、思いがけないところから良いヒントが舞い込んだ。
「ジュリ。ありがとう!」
お礼を言うと、彼は不思議そうに首を傾げた。
「礼を言うのは俺だけど」
「違うの。ネックレスじゃなくてね」
ああ、そうだ。ネックレス。これもちゃんと直さなきゃ。
「私、力ないじゃん」
残り少なくなったウッドビーズに、テグスを通しながらエマは言った。
「みんなと同じようには戦えないし、海賊の娘って言ったって海の知識なんかゼロだし、ここにいても疎外感を感じてたんだよね」
何かできることはないかって探したけど、見つからなくて。何でもいいから、みんなに認めてもらえることがしたかった。
「でも、あるもんだね。こんな私でもできること」
帆の修理なら、きっと自分でも役に立てる。それだけじゃない。みんなの服とか小物も、破れたら直せるし、リメイクしたりもできるじゃん。
「ほかにも直すものがあったらいつでも言ってね」
全てのビーズを通したあと、最後に金具をつけてしっかり結んだ。
「ほらできた!」
両端を持ってじゃーんと広げて見せると、ジュリがパチパチと手を叩く。
「おー、完璧」
「でしょ?」
「試しにつけてくんねえ?」
「いいよ~」
ビーズが全部揃っているなら長さは問題ないと思うけど、一応、実際につけてみようと彼の首にネックレスを当ててみた。金具が小さいから、前からだとつけづらい。
「ちょっと顔どけて。ホックが見えない……」
「顔どけるって、どうやんの?」
「だから、下を向いて髪の毛を……」
言いかけて、言葉が詰まった。ジュリの顔が超近い。しまった。この体勢、彼の首に抱きついてるみたいじゃん。ネックレスをつけてあげるなら、前からじゃなくて後ろに回るべきだった。
気づいたジュリの目が、自分の方に向くのをやけにゆっくりと感じた。
彼の瞳に写った自分の姿に、息が止まる。目を真ん丸に見開いて、私ってば何て顔してるんだろうって、他人事みたいに思った。強張った顔で固まって、これじゃあ誤解されるのも当然じゃんって。
「何? 俺の顔に何かついてる?」
「は、早く髪の毛どかしてよ!」
「ああ、悪ぃ悪ぃ。こうでいい?」
上手く誤魔化せた自信はない。けど、ジュリが下を向いてくれて助かった。さっさと金具を留めようと、動揺を隠しながら彼の項を覗き込む。そしたら髪の毛を束ねて押さえている彼の右手が近くにあって、ドキっとした。それは、決してときめきとか胸キュンなんてものじゃなくて。
怖いと思った。




