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Sinner E  作者: 藤 子
【海賊編】
33/47

27.海賊

 流唯さんが、呑気に連れの男に問いかける。


「手を出す馬鹿野郎は始末しろって船長さんが言ってたの、忘れちゃった? 緊急事態でも船長の言葉は有効だよねぇ?」


 彼女の言葉を受けて、ひょいと顔を出したツァルマが医務室の中を見渡した。


「どうやら、ここにいる連中は俺の手柄を立ててくれる善人らしいな」


 剣は抜いていないのに、その言葉だけですでに切られた気分になった。対象外のエマでさえ肝が縮む思いになったんだから、エマを囲んでいた男たちの恐怖はよっぽどだろう。見張りに選ばれたツァルマの実力は本物らしく、彼に睨まれた男たちは揃って戦々恐々としていた。


「さて、誰からその首を差し出してくれるのか」


 一歩、足を踏み入れると、男たちが一歩後ずさる。怪我したことなんてすっかり忘れて、直面する危機に怯えていた。


「どいつだ? お前か? それともお前か?」


 指を差された男が、無様に尻餅をついて転がった。さほど広くない医務室だ。置かれていたスツールに躓いて、引っくり返った。


「さっきまでとは別人だね」


 エマに迫っていたときと、ツァルマに見つかったときの違いがありすぎる。

 流唯さんが口元を歪めて笑うと、ツァルマは逆に表情を引き締めた。


「女を襲う余裕があるなら甲板に戻れ。これ以上ヘブンズノックの名を穢すんじゃねえ」


 途端、弾かれたように男たちが動き出す。わたわたと競うように出て行った連中を尻目に、ツァルマは不機嫌に舌打ちした。そして、苛立った様子で動けない重傷者に目を向ける。見られたクルーたちはビクッと震えて身構えたけど、ツァルマは素通りしてヒュームに声をかけた。


「なんで見逃した」


 断罪するような強い口調には、求める言葉以外の答えを認めない厳しい詰問の響きがあった。完全に主語を除いた短い言葉に、ヒュームが無表情で答える。


「怪我人の手当てを優先したまでです」


 こっちは命に関わる重傷者がいる。欲に飢えた元気すぎる雄なんてどうでもいいだろという医者らしい主張だ。うっかり「ごもっともです」と頷きそうになったけど、こっちだって命懸けだったのだ。無関係で済まされちゃたまらない。いくら手が離せなくても、声をかけて止めるとか、動ける人を追い出すとか、方法はほかにもあったはず。彼がそうしなかったのは、その気がなかったからなのだ。

 なのにツァルマは、フンっと鼻を鳴らしただけでそれ以上は言及しなかった。多分、いや、絶対、ヒュームの意図に気づいていると思うのに。


「さっさと済ませろ。そのうちもっと重傷者が担ぎ込まれる」


 そう言って話を逸らし、ヒュームの罪を見逃した。

 二人のやり取りを呆然と見ていたエマに、横から流唯さんの声が届く。


「大丈夫? エマちゃん」


 さっきかけられた言葉と同じ台詞に、エマは顔を上げた。

 自分を見下ろす澄んだ瞳とかち合って、唇が歪む。


――明言しますよ。もうじき、彼女もこの部屋に戻ってくる。


 ヒュームの言葉は的中した。


――あなたを守るためにね。


 それは違うと、心が必死に否定する。

 きっと、ただの気まぐれだって。敵と意気投合しちゃうような女が、エマのために駆けつけてくれたなんて思えないって。


「怪我してない?」

「上辺だけの心配なんていらないよ」


 そうだ。彼女の言葉は上辺だけ。


「流唯さんがどうやって生き抜いてきたのか、よく分かったよ」


 パールクイーンを裏切って、ほかの海賊と仲良くして、平然としてる。

 その容姿で男を操り、都合のいいように利用しているのだ。

 いい人ぶって、期待をもたせて、人の心を振り回す。全ては、保身のために。


「助けてくれてありがとう。でも、二度と私に触らないで」


 穢れたその手で、私まで汚されたくない。

 きっぱりと告げながら、最後まで彼女を見れずに俯いた。


「仲間割れか?」


 からかいの目を向けたツァルマに、流唯さんは困ったように苦笑した。そのとき、花火のような爆音とともに、強い衝撃が船を襲った。パールクイーンから砲撃を受けたらしい。よろけた彼女を、とっさにツァルマが掴んで支えた。

 エマはというと、支えてくれる人なんて誰もいない。大きな振動に身体が揺られ、壁にぶつかってへたり込んだ。


 世渡り上手な女っていいよね。


 打ちつけた肩をさすりながら、嫌味に思う。なんだか自分が惨めに思えて、居たたまれなかった。唇を歪めたエマに、気づく人も声をかける人もいない。


「激しくなってきたな」


 船窓を覗いたツァルマが呟いて間もなく、怪我人が雪崩のように押し寄せた。ヒュームが必死に対応するけど間に合わない。次から次へと担ぎ込まれて、医務室はあっという間に定員を超えた。目の前で呻き声を上げる男たちに、エマは身を竦めて距離をとる。こんなに血を見るのも初めてで、触れるのが怖かった。部屋の隅に行って丸くなると、ふと近くに来たヒュームと目が合った。


――あなたが唯一賢明だと思うのは、そうやってじっとしていることですね。


 彼の言葉を思い出して、気まずくなる。でもだからってどうしろと? こんな緊迫した状況で、エマにできることなんて何もない。パールクイーン号に戻るには板を渡らなきゃ行けないし、そもそも戦いが始まった時点であの板なんて落とされているかもしれない。っていうか、甲板に出ただけですぐに捕まって襲われるか連れ戻されるのがオチだ。ただひたすら助けが来るのを待つしか――


「流唯ー! エマー! どこだー⁉」


 自分を呼ぶ声がして、エマは勢い良く顔を上げた。誰かがエマを探している。とっさに医務室を飛び出そうとして、息を呑んだ。


「どこに行くんだ? お嬢ちゃん」


 そういえば、自分は人質だった。すぐに反応したツァルマに、入り口を塞がれてたじろいだ。この人の実力が本物なのは、仲間のクルーが怯えたことから分かっている。


「聞こえたら返事をしろー!」


 パールクイーンの誰かが、近くまで来ている。大声を出して応えたいのに、声が出せなかった。すると、流唯さんがひょいとツァルマの脇を抜けて通路に出た。


「おい」


 慌てるツァルマなんておかまいなしだ。彼女はきょろきょろと辺りを見回すと、間延びした声で叫んだ。


「准ー! ここだよー!」


 彼女の調子はずれな行動に、通路で手当ての順番を待っていた男たちも驚いている。流唯さんに気を許していたツァルマも、一瞬「何やってんだこいつ」って顔で唖然とした。でもすぐに我に返ると、彼女の腕を掴んで引き戻した。


「勝手な真似するんじゃねえ」


 叱りつける彼に、流唯さんは冷静だった。


「もう勝負は着いたみたいよ。分からない?」


 緊張感の欠けた口調で促され、ツァルマの視線が上へ向く。つられてエマも上を見上げて、あることに気づいた。音がない。正確には、戦いの音が聞こえない。男たちの叫び声も、走り回る激しい音も、さっきまでは恐ろしいほど響いていたのに。代わりに聞こえてくるのは、医務室にいる怪我人の呻き声とパールクイーンの流唯さんとエマを探す声。


「迎えも来たからそろそろ帰るよ」

「待てよ」


 マイペースに出て行こうとした彼女に、ツァルマが切迫した怒りを向けた。


「お前らは人質だろうが。何のために面倒看てやったと思ってやがる」


 確かに、人質というのはピンチの切り札としても使えるものだ。ここで逃がせば、それこそヘブンズノックの負けは確定する。パールクイーンなら命までは取らないと思うけど、船長の士気は確実に下がるだろう。クルーたちの鋭気は削がれ、最悪内部分裂さえ招きかねない。だけどうまく人質を使って弱みを握れば、形勢逆転のチャンスはまだある。


「この際シーウルフはどうでもいい。ボルボアの女さえ確保すりゃあ有利に立てるってもんだ」


 まさか、そのために流唯さんの傍にいたんだろうか。エマよりも流唯さんに目をかけていたのは、単に流唯さんが美人だったからだけじゃなくて。これから対峙するのはパールクイーンだから、パールクイーンの女王の方により注意を払っていたってこと?


 もし対峙するのがシーウルフだったら、目をつけられるのはエマだった?


 考えてぞっとした。流唯さんには悪いけど、二の次にされてほっとした。自分の命を交渉の種にされるなんて恐ろしすぎる。


「来い」


 流唯さんはがっちりと両腕を拘束されて、ナイフを突きつけられていた。彼女の美貌に惚けたと思ったツァルマは、実際にはそれほど入れ込んだわけでもなく、自分の危機にはあっさりと殺せるような残虐性の持ち主だった。「言う通りにしないと切りつけるぞ」っていう不穏な空気を纏っている。脅しではなく、本気のやつだ。それに対して流唯さんは、やれやれとため息をついて肩を竦めた。


「いいよ。助けられたのは事実だしね。ジェイにも礼を言いにいこう」


 間違っても、力づくで拘束されて刃物を向けられてる人の台詞じゃない。なんでこんなに呑気なんだろう。


 ふと、思った。


 今までは、ツァルマを手玉に取ったから余裕なんだと思った。実力ある幹部のツァルマを飼い慣らして、ボディーガードの代わりにしているからあんなに飄々としてるんだって。船長のジェイも言葉巧みに丸め込み、彼らを誑し込んで安全を確保したから余裕でいられるんだと思った。

 でも今は、そのツァルマに捕まって牙を剥かれている。安全どころか命の危機じゃん。なのに、なんでこんなに落ち着いていられるんだろう。

 ただの強がり? それとも――


「流唯!」


 居場所を突き止めた准が、状況を目にして声を上げた。気づいた流唯さんは、彼に向かって片手を上げた。


「お疲れー」


 ガクって、聞こえないはずの音が聞こえるくらい、准がずっこけた。彼もまた、流唯さんの緊張感のなさに調子を狂わされたんだろう。


「お前な……」


 声をかけたものの、言葉が続かないほど呆れていた。


「これから船長のところに行くから、エマちゃんを頼むよ」


 言っている間も、ツァルマに捕まっているんだけど。

 喉元にナイフが添えられてるんだけど。


「……分かった。ここは任せろ」


 あっさりと引き受けた准も准だ。このまま行かせちゃって本当にいいの? 流唯さんは人質になってるのに。彼女はパールクイーンの弱点じゃん。甲板に出たら間違いなく交換条件を突きつけられる。なのに出ていく彼らを平然と見送って、准はエマに手を伸ばした。


「大丈夫か?」


 温かい言葉と差し出された手に、顔が歪んだ。パールクイーンもヘブンズノックも海賊だけど、こんなに違う。久しぶりにまともな人間だった。准なら安心できる。信じられる。

 体の力が抜けて、へなへなとしゃがみ込むと、准もしゃがんで苦笑した。


「ほら。掴まれ」


 込み上げる気持ちが堪え切れなくて、感情のままに抱きついた。思わず声を出して泣いたら背中をぽんぽんって撫でられて、よけいに涙が溢れてしまう。二十歳にもなってこんなの恥ずかしいけど、それくらい怖かった。ずっと頑張って我慢してた分、優しくされて気が抜けた。よしよしって背中を撫でる手が温かくて、准の温もりに必死になってしがみついた。ちょっと年の差はあるけど、お兄ちゃんみたいだ。見た目も海賊っぽくないし、普通だし、真面目だし、頼れるお兄ちゃんって言葉がぴったり。


「あーあ。先越されちまったな」


 そこに現れたセスを見て、胸がじんと熱くなった。彼の後ろからはジュリも来る。次々に見知った顔が現れて、やっと助かったって実感が湧いてきた。


 助かったんだ。本当にもう大丈夫なんだ。


 まだ敵船の真っ只中にいるっていうのに、三人の顔を見れただけでとてつもない安心感に包まれた。――って、ここは敵船じゃん!

 現実を思い出して、エマはがばっと顔を上げた。


「流唯さんがっ!」


 ツァルマに連れて行かれたままだった。敵に媚びる彼女を見て「あんな女!」って思ったけど、さすがに見捨てるのはどうかと思う。


「早く助けないと!」


 エマの気持ちはどうであれ、彼女がパールクイーンに大事にされているのは事実だ。もし命に関わるような大怪我をしたら、一大事じゃん。


「あいつなら心配ないさ」

「でもツァルマはキレてたんだよ⁉」


 女に溺れるタイプに見えて、本当はそうじゃなかった。女の色気が通じない男なんだよ!?


「分かった。じゃあ俺らも上に上がろう」


 焦るエマに仕方なく従うみたいに、准はエマを抱えたままよっこらしょって立ち上がった。なんか、この人も緊張感が欠けてるんだけど。セスとジュリも合わせて体を起こすと、周りにいた怪我人たちが小さくたじろぐ。あ、いたんだっけ。医務室にいる人はみんな重傷だから、無傷のパールクイーンに歯向かう勇者はいなかったらしい。大人しく成り行きを見守ってくれてたから、すっかり存在を忘れてた。

 でも、ヒュームは別だ。この人はかすり傷すら負っていない健全者である。目の前で人質が逃げるのを黙って見逃してくれるとは――


「行きたければお好きにどうぞ」


 いいのっ⁉

 目が合って驚き、言われた言葉に二度驚いた。


「……ほんとにいいの?」

「ええ。どうやら今回はうちの負けのようですし」


 ……やけにあっさりしている。何か裏があるんじゃないの? って、疑いの目を向けたら、ヒュームは指先で眼鏡の縁を押し上げ、抑揚のない声で言った。


「早く上に行って、ツァルマたちを助けてください」

「人質とられてるのはうちなんだけど」


 思わずツッコみを入れたら、彼が手当てを止めてこっちを向いた。


「男に媚を売るような女が、さらしで胸を隠しますか?」


 言葉の意味が分からなくて、眉根を寄せる。頭の中で彼の言葉を反復して、流唯さんのことを言ったんだというのは理解できた。けど、なんで今になってそのことを言うの? 危険なツァルマに捕まった流唯さんが、胸を隠してたからって何かある? さらしに武器を隠していて、彼女がツァルマをやっつけるとでもいうんだろうか。あんなに細い人が?


「私は医者ですからね。聞かずとも見て分かることがあるんですよ」


 冷え切った彼の目に、蔑嘲の色が見えて胸がざわつく。エマのことは何も言ってないけど、遠回しに馬鹿にされた気がした。「お前には分からないだろうけど」って。


「次は陸で会えることを願ってますと、彼女に伝えてください」


 戦いの場ではなく、対等に話ができる場で。

 そう言うと、ヒュームは手当てを再開した。


 この人は海洋オタクだ。だから、共通の話題を持てる流唯さんを気に入っただけ。


 流唯さんは海賊を知っている。自分が海賊だったから海の知識があるし、いざというときにどうすればいいのかも分かってる。怪我をしたり具合が悪くなったときに使える海の薬も知っていて、ヒュームとも共通の話題がある。だからヒュームは彼女を評価したのだ。別に、エマに非があるわけじゃない。


 准に抱えられたまま、埃臭い船内をあとにした。


「お嬢。大丈夫だった?」


 移動の最中、顔色を窺うように声をかけてきたジュリに弱々しく微笑む。彼にも抱きついて甘えたい気持ちをぐっと押し込み、今は准から落ちないようにしがみついた。

 散らかっているせいで複雑化した迷路のような通路を通り、階段を上がって昇降口から外に出る。甲板に出ると心地いい潮風が吹き抜けて、清々しささえ感じられた。空は真っ暗だけど、船のあちこちにつけられたランタンや松明の灯りで視野は広い。戦いの直後でマストは傷つき、帆布は破れ、至るところに生々しい血痕があった。今さらだけど、本当に戦ってたんだって実感が湧いて背筋が震える。医務室に死者はいなかったから、この戦いで死んじゃった人はいないと思うけど、まだ乾いてない血を見ると恐ろしくて体が強張った。甲板の中央に集まっていたクルーたちも、誰の血か分からない血で汚れ、服は破れたり切れたりして乱れている。もう戦意をなくして成り行きを見守っている彼らを掻き分けて、キャップのところに行こうとしたけれど。


 甲板に立つ男たちがどよめいた。


 何事かと思ったのは一瞬。准に抱えられたエマは、群がる野獣たちの先でひらりと舞った女の姿をはっきり見た。


 金色の髪をなびかせて、細い体が跳躍する。

 動きには重さが感じられず、軽やかなのに鋭いキレが伴っていた。

 鮮血とともに剣を振る姿は、まるで踊っているかのように見えた。


 流唯さんが、ツァルマを剣で倒していたのだ。

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