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Sinner E  作者: 藤 子
【海賊編】
32/47

26.救出

 互いの船の間に、長い板が渡された。その板の端にはキャップが、もう片方の端にはヘブンズノックのジェイが立ち、歩調を合わせるようにして歩み寄った。

 先に口を開いたのはキャップだった。


「うちの姫たちが世話になったようだな」


 謙るでもなく、奢るでもなく、堂々とした様子で丁寧に彼は言った。


「どうやら、丁重に扱っていただいたようだ」


 泣き叫んだエマを見ながらも、そう言って礼を告げたキャップに、ジェイも合わせた。


「女王と狼の姫ともなれば、無下にはできない。当然だ」


 間近で合わせる目は、和やかな会話とは逆に不穏な光が宿っていた。甲板に出たクルーたちも、すでに睨み合いを始めていて、一触即発の雰囲気だ。


「んじゃあ二人を渡してもらおうか」


 どこか呑気な口調で、キャップが手を差し出す。ジェイの顔に狂気の笑みが浮かんだ。


「返して欲しけりゃ、その命を差し出しな!」


 船長の合図を受けて、ヘブンズノックが沸き立った。雄叫びを上げて武器を振りかざし、大砲の砲口をパールクイーンへと揃えて向ける。こんな至近距離で受けたら、よける間もなく蜂の巣だ。パールクイーンに勝ち目はないと思ったけど、点火しようとした男を目がけて、誰かがナイフを投げつけた。


「うあぁっ!」


 悲鳴に怯えたエマの後ろで、今度は別の男が悲鳴を上げる。


「痛え!」


 びくっと肩を震わせたエマの近くで、さらに別の男が派手に倒れた。


「ぐあ! 腕がぁっ!」


 何が起きているのか分からなくて、息を呑んで立ち竦む。

 付き添っていた幹部の男は、警戒をしながらエマの腕を強く掴んだ。


「きゃ!」


 短く悲鳴を上げた直後、掴まれていた腕が解放された。不思議に思ったのは一瞬で、顔を上げたエマの前には一人の金髪男が立っていた。まだ名前を知らないパールクイーンのクルーだ。何度か見かけたことはあって、チャラそうな人だと思っていた。


「ったく、鈍臭えなぁ」


 悪態をつきながら、彼はエマを庇うように立っている。右手に持った短剣は、真っ赤な血に濡れていた。


「船に戻るぞ」


 ぶっきらぼうに言って差し出された手に、すがる思いで手を伸ばす。だけど、彼の手を掴む前に真逆の方から強い力で引っ張られ、エマの身体は引き離された。


「そう簡単に渡してたまるか」


 エマに付き添っていた幹部の男だった。チャラ男にやられたと思ったけど、まだ動けたらしい。起き上がった男は肩から血を流しながらも、エマの首にがっしりと腕を回して拘束した。


「こいつの命が惜しかったら武器を捨てろ」


 耳にかかる荒い息遣いに、背筋が凍る。目の前に鋭い切っ先を向けられて、指の先まで強張った。チャラ男が、舌打ちして腕を下ろす。でも、睨みつける先が自分だと気づいて辛かった。どんだけ手を煩わせれば気が済むんだよって、言われてる気がした。


 なんで私ばっかりこんな目に遭わなきゃいけないの?


 あまりにも理不尽でまた涙が溢れたけど、短剣を投げ捨てたチャラ男に周りの男たちが飛びかかるのを見て、結局は自分を責めた。彼が危害を受けているのは、エマの弱さが原因だから。


「来い!」


 やめさせることも助けることもできなくて、エマは男に引きずられた。戦いが始まり、慌ただしくなった甲板を突っ切って、乱暴に連れて行かれた先は医務室だった。


「おい! こいつを見張ってろ! 絶対逃がすなよ!」


 罪人を牢に押し込むような無慈悲さで、エマはヒュームに押しつけられた。力任せに押された肩が痛くて、顔が歪む。怪我人に備えて控えていた彼は、エマを受け止めるなりため息をついた。


「やはり戻ってきましたか」


 言葉の意味が分からなくて、ただ唖然とヒュームを見上げると、目が合った彼は抑揚のない声で言った。


「ただの小娘がなぜ海に出たのか知りませんが、あなたはパークイーンのお荷物ですね。無知で、無力で、高慢で、シーウルフの肩書きがあるので質が悪い。本当にお姫様だ」

「私の、どこが……」


 無知で無力で高慢なのか。恐怖に呑まれながら、精一杯自分を保って問いかけた。

 好きでここにいるんじゃない。好きで海賊になったんじゃない。生まれた境遇が海の上で、たまたま親が海賊だっただけ。だからって、同じ生き方をしなきゃいけないの? そんなのおかしいじゃん。私には私の人生がある。そう思ったから、誰にも頼らずに一人暮らしをしてきたんじゃん。一生懸命働いて、自分の力で生活してきた。それのどこが無知なの? 体力がないのは分かるけど、どうしてそれが高慢になるの?


 怖さよりも悔しさが勝って、涙目のままヒュームを睨んだ。こんなことをしたって彼は痛くも痒くもないって分かるけど、せめてもの抵抗を示したかった。

 すると、ヒュームは鋭さの増した目で皮肉に笑った。


「あの女性がなぜパールクイーンに大事にされているのか分かりますよ。彼女は実に聡明で、堅実だ」


 目の前にいるエマを貶す一方で、流唯さんのことを褒め称える。あからさまな差別に、思わずムッとして言い返した。


「それって、流唯さんもあなたたちも海賊で、私だけ違うからでしょ」


 別に、流唯さんが特別優れていて、エマが人並み以下なわけじゃない。ただ流唯さんは海賊としての経験があって、海での生き方を知っている。でもエマは初めて同然の船出で海を知らず、海賊とは名ばかりの普通の娘。それだけの違いだって、思ったのに。


「だからお姫様だと言うんですよ」


 ヒュームの視線は冷たかった。


「当初、私たちにとってあなた方は、二人とも『パールクイーンの人質』でした。しかしあの女性は、あえてあなたが『シーウルフの娘』であると説明した。なぜか分かりますか?」

「……そんなの、こっちが聞きたいよ」


 そのせいで、シーウルフまで標的にされたのだから。なんでわざわざ教えたのか、エマだって疑問だった。すでに二人とも人質という立場になってるんだから、シーウルフの名前まで出さなくてもいいのに。


「結局、パールクイーンだけじゃなくてシーウルフもいるから、手を出すなって脅そうとしたんじゃないの?」


 相手が四大海賊の二つだと分かれば、ビビって手出しはしないだろうって。でもエマと流唯さんを人質にしたら、それを利用して逆に攻撃しようとするかもってことくらい、エマでもすぐに予想できた。だからそんなことも考えないでチクったの? と、彼女を疑いたくなったのだ。


「違いますね」


 否定するヒュームの目が、だんだん鋭くなっていく。憎しみや苛立ちとは違う、明らかな嫌悪だった。


「あなたの素性を明かしたのは、あなたを守るためですよ。彼女がシーウルフの娘だと訂正しなければ、我々にとってあなたは人質の一人に過ぎませんでした。どちらもパールクイーンの人質なら、一人で十分。どちらが大事にされているかなんて明白でしたし、ボルボアのお気に入りであろう彼女さえ確保しておけば、あなたは捨ててもかまわないという考えだったんです」


 何なら、クルーたちに与えてもいいだろうと。彼らの長い禁欲生活で溜まった鬱憤が晴らせれば、船長としての株も上がる。幹部たちも下っ端をまとめやすくなるし、都合が良かったのだ。


「でも彼女が明かしたことで、あなたの価値は変わった。ただの捨て駒から狼の愛娘という立ち位置に変わり、迂闊に手出しができなくなった」


 こっちの娘も軽視できないと、誰もが見る目を改めた。


「それから、あの女性が見張りのツァルマを甘やかしたのも同様。ツァルマは最初、怯えるあなたに興味を示した。ところがあの女性がそれを遮ってうまく彼を誘導したんです。全ては受け入れず、船長の影をちらつかせてギリギリのところでやめさせたのはさすがでした。ツァルマに従っているように見せかけて、実は彼女が彼を操っていた」


 基本的に、船長の言うことは絶対というのが海賊のルールである。海賊船という小さな国で、船長は頂点に立つ王様あり、国民であるクルーが逆らうことは許されない。しかしだからといって、船長が無敵とは限らない。自分の地位に胡坐をかけば足元を掬われ、多数のクルーから不満が出れば追放されることもある。常に下剋上を目論む家来が控えているので、王様だって油断はできないのだ。ときには家来の機嫌も窺い、飴と鞭をうまく使い分けなければならない。

 今回の件にしても、船長は普段から我慢を強いられているクルーたちの心情を理解していて、多少は見逃している部分があった。流唯さんはその微妙な関係を鋭く見抜き、船長の権力を利用してツァルマを手玉に取ったのだ。普通なら、飢えた海賊が美女を前に口づけだけで済ませられるわけがない。


「幹部のツァルマを飼い犬に仕立てたことで下っ端連中を牽制し、確実に安全が確保できました。だから、彼女はツァルマを拒まなかった。……いや、正確には拒めなかったんでしょうね。あなたを守るために」


 嘘だ。

 流唯さんがツァルマとイチャついたのが、私のためだったなんて。

 船長に抵抗しなかったのが、エマのためだったなんて。


「そんなの……、あなたの勝手な解釈でしょ? 流唯さんは……、あの人は男に迫られて喜んでたじゃん。どう見たって嫌がってる感じはなかったよ。あの人だって所詮海賊だもの。自分を守るために媚売ってただけだよ」


 それが海賊ってもんでしょう?

 目的のためなら、身体だって差し出す。生きるためなら躊躇もしない。野獣たちの中で生き抜く女は、みんなそういうものなんでしょ?

 パールクイーンに大事にされて、ちやほやされる一方で、敵に捕まったら色目を使って生き延びる。女ならではの武器かもしれないけど、狡賢くて、穢れてる。流唯さんの研ぎ澄まされた美しさも、男を惑わすための道具なんだと思ったら吐き気がした。


「……だったら、明言しますよ。もうじき、彼女もこの部屋に戻ってくる。あなたを守るためにね」


 私を守るため? それは違う。


「あの人が戻ってくるのは避難のためだよ。甲板は危険だから」


 保身のために身体を売るような人なら、安全な場所に逃げるのは当然だ。パールクイーンに会えたといっても船は少し離れているし、簡単に戻れるわけじゃない。となれば、戦いに巻き込まれないよう、医務室に戻るのが一番安全で無難だろう。


 どこまでも平行線を辿っていた二人の会話は、そこで途切れた。


「ヒューム! テッドがやられた! 手当てを頼む!」


 医務室に担ぎ込まれた血まみれの男に、エマは飛び跳ねて部屋の隅に駆け寄った。


「足が! 足がぁ!」


 負傷した男は、切られたらしい足を押さえて喚いている。その腕を掴み取って冷静に傷を見て、ヒュームはテキパキと手当てを始めた。


「足が一本なくなったところで死にはしませんよ。我慢しなさい」


 言っている間にも、二人、三人と怪我人が運び込まれた。戦いが激しくなってきたんだろう。上から響いてくる振動や怒号に身を竦め、エマはじっと医務室の隅で固まった。

 それを見て、ヒュームが侮蔑の目を向ける。


「あなたが唯一賢明だと思うのは、そうやってじっとしていることですね。出しゃばらず、逆らわず、目立たないように気配を消していれば、意識がよそに逸れている連中は気づかない」


 流唯さんがツァルマに迫られたときも、船長に抱きしめられたときも、動かずにじっとしていた。恐怖と嫌悪で動けなかったのが、結果的には良い判断となった。下手に動けば、彼女はエマを守れなかったかもしれないから。何もできないなら、邪魔をせずに大人しくしてくれるのが一番だと。


「じゃあどうしろって言うのよ!」


 なんでそこまで言われなきゃならないのかって、声を荒げた瞬間、強い衝撃がエマを襲った。


「こんなときにキャーキャー喚いてんじゃねえよ。襲われてえのか?」


 野太い腕が首に食い込み、息ができない。

 額から血を流す見知らぬ男に、間近で凄まれて身体が震えた。


「俺たちゃ気が立ってんだ。手加減はできねえぞ」


 猛獣の荒い息が吹きかかる。脅しなんかじゃない。本気の殺意が滲んでいた。鬼のような迫力に射抜かれたエマは、目が逸らせず硬直した。


「いっそ輪姦して奴隷にしちまうってのはどうだ。そうすりゃシーウルフを思うままに操れるぜ」


 近くにいた男の言葉に青褪めた。

 気づけば、医務室に入ってきた男たちの視線が全部エマへと注がれている。

 肩で息をしながら、全身を血で汚しながらも、憎しみのこもった目で睨まれて、身動きが取れなかった。


 誰か……助けて。


 嫌だ。怖い。襲われる。

 エマを捕らえた男の腕は、硬くてぴくりとも動かない。蛇に睨まれた蛙のように、恐怖で立ち尽くしたエマに、男たちがじりじりと詰め寄った。


「その手を放すんじゃねえぞ」

「服を剥げ」


 昼間は庇ってくれたヒュームも、今は見知らぬふりをして重傷者の手当てをしている。この非常事態なら、うっかり事故が起きても言い逃れられると思ったのかもしれなかった。「やめて」と、言いたくても恐怖に呑まれて声が出ない。苦しくて歪んだ顔を涙が濡らし、それを見た男たちが悦びの笑みを浮かべた。


「怖いか?」

「声を出してもいいんだぜ。お嬢ちゃん」


 叫んだところで、声は外に届かない。甲板で繰り広げられている騒音に掻き消され、気づく人は誰もいない。獰猛な欲望に囲まれて、逃げ道はなかった。

 一人が手を伸ばし、エマの服にナイフを差し込む。



「何やってんだよ」



 凶暴な空気を一瞬で断ち消したのは、聞き覚えのある声だった。それが聞こえると同時に、入り口の近くにいた男が派手にこちらへ倒れ込んだ。エマを囲んでいた男たちが一斉に振り向くと、その先に流唯さんがフラミンゴのように片足を上げて立っていた。

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