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Sinner E  作者: 藤 子
【海賊編】
26/47

20.思い

 結局、キャップも一緒になって歩くこと十五分とちょっと。


「ちょっとあそこで待っててくれない?」


 街に出ると、流唯さんが近くの喫茶店を指差して言った。


「兄に会ってくるから」


 もちろん、その言葉に黙っていないのがキャップだ。


「俺らも行くって」

「罪人が政府庁舎に入れるわけないでしょ」

「お前だって罪人じゃねえか」

「私はバレないようにいくから大丈夫」


 どうやって?

 首を傾げたエマに、気づいた流唯さんが笑う。


「実は、私も元は役人なんだ。城には顔見知りもいるし、城内の構図もよく知ってるから心配ないよ」


 なんと。海賊兼役人ですか!

 正体を知れば知るほど得体が知れず、ちょっと恐怖を感じてしまう。


「じゃ、そういうことで」


 怖気づいたエマをよそに、流唯さんはさっさと片手を上げて背を向けた。けど、彼女のその手を銀が素早く掴んで引き止める。


「俺も行く」


 冗談でしょとツッコみたくなる言葉だけど、彼は本気そのものだ。唖然とするエマの隣で、流唯さんは見るからに呆れている。


「自分が賞金首って自覚ある?」

「それを言うならお互い様だ」

「私は潜入するから問題ないの」

「そうやって俺らから離れて、本当は逃げるつもりだろ」


 そして、二人は間近で睨み合う。うわー。怖い。怖いよこれ。今にも胸倉を掴んで食いかかりそうな銀を前に、一歩も引けを取らない流唯さん。さすがですと言いたいところだけど、見てるこっちがはらはらしちゃう。


「じゃあ私が流唯さんと一緒に行くよ」


 彼女を一人で行かせるよりは安心できるだろうし。我ながらグッドアイデア!


「こいつはお前の手に負える女じゃねえ」


 あっさりと一蹴されてしまった。私って信用ないのね。

 密かにショックを受けたエマをよそに、流唯さんは投げやりに小さく笑った。


「言ってくれるね。じゃあ何? 銀が変装でもするの?」


 エマはちらりと銀を見上げ、すぐに視線を戻した。無理だ。絶対ばれる。でかいし、目立つし、人相悪いし。こんな人が政府の庁舎をうろついていたら、ものの数分で職質される。捕まったら最後、間違いなく収容所行きだ。そして数日後には縛り首。パールクイーンは割と政府に黙認されているけど、さすがに城に入るのは無理だろう。


「な、なら、流唯さんの持ち物をここに置いて行ってもらったらどう?」


 財布とか、アクセサリーとか、貴重品を残して行かせれば、彼女はそれを取りに必ず戻る。うん。それならいい案だ。――って、思ったのに、


「駄目だ。こいつにとっては金も物も価値がねえ」


 また一蹴された。


 私の存在って……。


 っていうか、それが分かってるならなんでわざわざピアスを届けたわけ? ああ、そうか。ただの口実か。大好きな流唯さんに会うための口実だったっていうわけか。でもそんなに好きなくせに、ちっとも彼女を信用してない。それってちょっとひどくない?


「流唯さん可哀想」


 ぽろっと思ったことを口に出したら、頭上からぎろって睨まれた。


「う……」


 怖いよー! 今すぐここから逃げ出したい! 間違ったことは言ってないのに、なんで睨まれなきゃならないの⁉


「銀。エマちゃんを無言で脅さないの」


 窘めてくれた流唯さんに、半べそかきながらしがみついた。しっかり自分の安全を確保した上で、内心叫ぶ。


 銀なんか、いっそ政府に捕まってしまえ!


 すると、そのやり取りを見ていたキャップが、ため息をついて口を開いた。


「じゃあ二十分だけ待ってやる。その間に兄貴も連れてここに来い。時間内に戻らなかったら俺らも行くぞ」


 それはつまり、政府という天敵の巣窟に賞金首の彼らが自ら行くってことで。


 自首じゃん!


 いくら凄腕のキャップと銀でも、たった二人で無数にいる軍人を倒せるとは思えない。結果は見えたようなものだった。


「……分かったよ」


 彼らの命が懸かっていたら、流唯さんも気軽には逃げられない。彼女も観念したのか、仕方なく頷いて城の裏門に入って行った。

 そして姿が見えなくなると、銀は無言で喫茶店に入る。一番奥の窓際の席に座ると、腕組みをして外を見つめた。城の裏門が見える位置だ。彼のあとに続き、エマもキャップと一緒に店に入る。キャップは、早速店のお姉さんに酒がないかと尋ねていた。メニューに酒がないと分かると、カウンターに身を乗り出して店主と何やら交渉をしている。ここ、喫茶店なんですけどね。

 私もとりあえず何か頼まなきゃと思って、コーヒーを頼んで銀の向かいの席に座った。


「……」


 気まずい。この沈黙が二十分も続くなんて。


 何を考えてるんだろうなぁ……。


 じーっと裏門を見つめて、石像みたいになっちゃって。流唯さんがちゃんと帰ってくるか、心配してるのかな。でも、彼女は一度自分の意思で船を降りてるんだよね。今だってあまり乗り気じゃないっぽいのに、強制で戻らせるのはどうなんだろう。銀としては傍にいられて嬉しいだろうけど、海は不便だし、危険だっていっぱいじゃん。


「あの、銀……?」


 意を決して声をかけると、彼の目がじろりとこっちを向いた。うわぁ、目つき悪い。一言でも答えてくれればいいのに、無言でこっちを見るもんだから、威圧感が倍増だ。だけどこれ以上沈黙が続くよりはと、意を決して言葉を続けた。


「銀もそうだけど、ほかのみんなもなんでそんなに流唯さんを船に戻したがるの? 流唯さん自身は嫌そうなのに。しかもお兄さんは役人なんでしょ? 妹を海賊に入れるのは問題じゃないの?」


 聞いたところで、返事はない。


「流唯さんは新しい家を探すって言ってたんだし、別に無理に船に戻らせなくても良かったんじゃないかな」


 本人が望んでいるならともかく、その逆なんだから。エマなりに思ったことを言ってみたけど、銀は答えなかった。すぐに視線を外に戻し、腕を組んだまま無言だ。そうですか。シカトですか。そりゃあ失礼しましたね!


「分かったよ。訳ありなんだね」


 銀だけならともかく、あのミリだって一緒になって言ってるんだから、きっと事情があるんだろう。そう思うことにして、ひとまず話を打ち切った。やっぱりこの人と会話は無理だ。

 改めて実感してあきらめたけど。


「ま、そういうこったな」


 片手に酒瓶とグラスを持ったキャップが、エマの隣の席に座った。どうやら料理用にストックしていたラム酒を割高で買い取ったらしい。そこまでして飲みたいのか。つい顔が引きつったエマに、キャップは言った。


「これもひとつの荒療治ってやつだ」

「でも、流唯さんは乗り気じゃないんですよね? しかもお兄さんにも迷惑をかけちゃうじゃないですか」

「なら、こう言ったら分かるか?」


 キャップは、テーブルに置いたグラスに酒を注ぐと、ひとつを銀に差し出した。銀が無言でそれを受け取ると、自分のグラスにもなみなみと酒を注ぐ。


「目の前で自殺しようとしている友がいたら、エマっちはどうする?」


 何を言ってるんだ、この人は。


「止めます。当然」


 目の前で死のうとしてるんでしょ? 止めるに決まってるじゃん。死んだら何もかも終わりだもの。生きてって説得するし、それでも聞かなきゃ無理矢理にでも止めさせるよ。……あれ? 待って。なんで今その話をしてるの?


「エマっちの答えは明快でいいねえ」


 キャップは、酒を舐めるように飲みながら、しみじみ呟く。この人は何が言いたいのか、つまりはどういうことかと考えていると、銀が何かに反応した。

 酒をちびちび飲みながら外を見ていた銀は、グラスを置いて身体を起こす。その視線の先には、絶世の美女である流唯さんと、彼女と並んでも引けを取らない金髪の美形の姿があった。先日も居酒屋で見かけた彼女のお兄さんだ。

 キャップも、二人に気づいてにやりと笑う。


「思ったより早かったな」


 その言葉は、お兄さんがここに来ることが分かっていたかのようだった。


「久しぶりだね。ボルボア君」


 店に入るなり、キャップのところに直行して親しそうに話しかけるお兄さん。彼は力強く握手を交わすと、銀にも笑顔で声をかけた。


「君も元気そうで何よりだ。妹が迷惑をかけてはいないかい?」

「……別に」


 そしてエマにも、向き合ってにっこり微笑んだ。


「話は流唯から聞いたよ。君がエマちゃんだね? 俺は流唯の兄の瑠昇(りゅうしょう)だ。よろしくな」


 まさかの不意打ちで見た目にも分かるほど反応しちゃったのは、しょうがないって流してほしい。だって、てっきりキャップたちと話すものだと思っていたし。まさか部外者も同然のエマにまで声をかけてくれると思わなかったのだ。それも、こんな非現実的ともいえる整った容姿の男性が。驚くあまり、あたふたしてお辞儀が不自然になってしまった。


「兄さん。連れ出しておいて何だけど、勤務中なんだから長居は……」


 時間を気にする流唯さんに、瑠昇さんは笑顔でうなずく。


「分かってるよ。でも大事な妹を預けるんだ。挨拶くらいはきちんとさせてくれよ。海に出るとなれば、また苦労をすることにもなる。俺の可愛い流唯が危険な目に遭うなんて、本当は考えただけでも心臓を抉られるような思いだよ。昔から流唯はすぐに無理をする子だったから、俺がいないところで無茶をしないか、自分を追い込んだりはしないかって。そのくせ人のことばっかり気にかけて、俺に心配かけないようにって辛いのを我慢して、髪の長かった幼いころもいつも笑顔を見せてくれて」

「……兄さん。脱線してる」

「これくらいは言わせてくれよ。流唯はたった一人の家族なんだ。両親が死んで、戦後はずっと一人で苦労をさせてしまったし、これからは二人で頑張ろうと決めたのに、俺はろくなこともしてやれなくて。そんな俺でも流唯はこんなに慕ってくれるんだ。本当に天使のようだろう? 俺と同じ美しい金髪。黄金に輝く澄んだ瞳。きりっとした精悍な眉に色気を感じさせる長い睫毛――」

「私、トイレに行ってくる……」


 相手がお兄さんだと強くは出られないのか、それともお兄さんの勢いを止めるのは無理だと悟ったのか、流唯さんはこめかみを押さえながらトイレへ消えた。


 恐るべし、瑠昇さん。


 最初は海賊と役人が会うなんて大丈夫かと心配したけど、この人を見てると大丈夫な気がしてしまう。この勢いで力説されたら、どんな相手でも許してしまいそうだ。

 流唯さんが彼に勤務中だと言ったのも、本当はこうなるのを予想して釘を刺そうとしたのかもしれない。でも、あまり効果はなかったみたいだ。瑠昇さんの演説が終わるまで避難を選んだ流唯さんは、とても賢明な判断をした。落ち着いたころに声をかけた方が、最低限の労力で切り上げられる。

 エマとしては、流唯さんが美しいのは共感できるし、兄妹の関係は他人事なので、適度に聞き流しつつ微笑ましく受け取れるが。


「ここ、座っていいかい?」


 瑠昇さんは、銀の隣の席に座るなり、キャップに向かって頭を下げた。


「どうか、妹を頼む」


 今までとは一変して、重い口調で彼は話した。


「一緒に同じ時間を過ごすことで、癒してやりたかった。簡単に乗り越えられるとは思わないし、時間がかかるのも当然だと思ってる。あの子も、それなりに努力はしたんだ。前向きにいろんなことを試したりもした。でも……、いつもふりだしに戻ってしまう」


 静かに話す瑠昇さんは、もどかしそうに顔を歪めていた。

 さっきまでの彼は、流唯さんをトイレに行かせるためにわざと演じていたのだと、いま気づいた。


「同じ結果を繰り返すうちに、あの子はあきらめてしまったんだ。今はすっかり覇気がなくて、何が起きても動じない。度胸があるのとは違うんだよ。何事にも無関心で、仏のように穏やかに笑う。毎日が平和なだけでも満足しようと思ったけど、あんな風に笑うあの子は……」


 流唯じゃない。

 詰まらせた言葉の続きが、心に届く。


「俺は……、あの子に幸せになってほしいんだ」


もう二度と、危険な目には遭わせたくない。死と隣り合わせの生活なんてさせたくない。だけど今のままだと、彼女は救えない。


「兄として、こんなことを頼むのは情けないけど……」


 本当なら、自分の手で救ってあげたかった。

 その切実な思いを受け止めて、キャップは真っすぐ瑠昇さんを見据えた。


「流唯はうちがもらう。それでいいんだな?」

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