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Sinner E  作者: 藤 子
【海賊編】
25/47

19.頭がいい人

 古ぼけたマストの柱の陰で、そわそわしながら待つこと十五分。パタンとドアが閉められた音を聞き、エマは素早く顔を出した。見ると、流唯さんと銀の部屋から、ちょうどキャップが出てきたところだ。


「船長!」


 すかさず小声を張って呼び止めると、


「キャップと呼びたまえ」


 大きな地声で返されて慌ててしまった。しぃー! っと身振りを交えて伝えた上で、彼を階段の方へ連れ出して流唯さんたちの部屋から距離をとる。うっかり彼女の耳に入らないようにしてから、エマは小声で尋ねた。


「あの……、流唯さん怒ってませんでした?」


 当然、わけが分からないキャップは首を傾げる。


「あいつが? なんでだ?」

「実は……、調子に乗って流唯さんに発破をかけてしまったんです」


 先程、部屋から追い出されてしまったことを思い出す。彼女の事情を詳しく知っているわけでもないのに、腹を括れだなんて言ったから。だからきっと、流唯さんは気分を悪くしたのだ。


――ごめん。ちょっと体がだるいんだ。少し休ませてくれないかな。


 それは、彼女なりの優しさが込められた拒絶だった。あからさまに怒られたわけではないけど、彼女の機嫌を損ねたのは確かだと思う。


「私が無神経なことを言ったせいで、怒らせちゃったんじゃないかなって」


 あのあと、流唯さんは硬い表情になって、布団に潜ってしまった。背を向けられたエマは、部屋から出ていくしかなかった。図々しかったと気づいたときにはもう遅い。すぐに謝らなければと思ったが、頑なな流唯さんに声をかける勇気がなかった。


「なんだ。そんなことか。気にすんなって!」


 キャップは豪快に笑ったけど、こっちは笑い事じゃ済まされない。


「気にしないなんて無理なんですぅ!」


 いよいよ明日出航だっていうときに、同性の流唯さんに嫌われたら。

 考えただけでもぞっとする。ただでさえミリのことで気まずいのに、さらに流唯さんとまで気まずくなったら、船旅どころじゃないじゃないか。


「大丈夫だって。それきしのことで可愛いエマっちを嫌うような奴じゃねえから!」

「……だといいんですけど」


 どんなに優しい人だって、きっと地雷はあると思う。人に言われたら傷つくこととか、言われたくないこと。受け止め方は人それぞれだけど、少なくとも地雷を踏まれた人は不快になる。場合によっては、もう顔も見たくないほど相手が嫌になることだってあるから。


「俺が行ったときは怒ってなかったんだから、その程度のことだったんだろ。問題ねえって」


 むしろ、流唯(あいつ)を怒らせたのはこの俺だ。


 ボルボアの言動の数々に、流唯は苛立ちを露わに突っかかってきた。強引に船に戻した理由を見抜き、自分を巻き込むなと訴えていた。


 さて、どうするか。


 ちらりと下を見下ろせば、エマはまだ流唯のことを気にしている。


「……そうだな。だったら、ひとつ頼まれてくれねえか?」

「え?」


 目を丸くして見上げてくるエマは、人懐こい子犬にそっくりだ。思わず笑みを誘われ、心が和む。


「明朝には出航だから、今日のうちに流唯の服とかを調達してきてくれるか? あいつはまだ回復してねえから」


 謝罪代わりに下着や日用品を買って届ければ、流唯もきっと喜ぶ。それに、ほかの男よりもエマが選んだ方が、同性としての好みも分かるだろう。そう告げると、エマの目がぱぁっと期待に輝いた。


「分かりました! じゃあ早速行ってきます!」

「ちゃんと用心棒たちも連れてけよ」

「え……っとぉ、了解でーす」


 頷きながら一気に落胆の色を見せたエマは、見るからにがっくりと肩を落とした。分かりやすいエマを見て、ボルボアも嘆息せずにいられない。


 流唯(あいつ)も、これくらい可愛げがあればいいもんを。


「頭が良すぎるっていうのも善し悪しだな」


 つい声に漏らしてつぶやくと、聞こえたらしいエマが不思議そうに首を傾げた。そして直後、頬を緩めてにやぁっと笑う。


「いやぁ。それほどでもー」


 おそらく、彼女の頭の中ではこんな風に解釈されたに違いない。


 流唯の遠回しな拒絶を見抜いた。

  (つまり)

 勘がいい。

  (つまり)

 頭がいい。

  (すると)

 気を遣う。

  (つまり)

 頭がいいと苦労する。


 ボルボアは笑いを噛み殺し、空を仰いだ。かすかに湿り気を帯びた風が、林の中を吹き抜けていく。流唯には悪いが、今年は楽しい船出になりそうだ。エマの乗船は、きっとパールクイーンに良い刺激をもたらすだろう。




 ◇◇◇




 風野祭りが終わり、華朝の街は日常を取り戻していた。

 いつも通りの和やかな商店街を、少しばかり早足でエマは歩く。


 なぜって?


 そりゃあもちろん、例のごとく両脇に怖いお兄さんを連れているから。


「姉さんの服かー。下着とか、想像するだけで萌えちゃうねぇ」


 ……セスさん。私はその台詞に萎えちゃうわ。ジュリさんも、同調はしないけど彼を窘めることもしないのね。内心では、ジュリもセスと同じようなことを思ってるのかなぁ。

 流唯さんは誰が見ても美人だし、男だったらやっぱりああいう人の下着姿を想像してムラムラしたりするんだろうか。ちらっと横目に見上げると、気づいたジュリの眉がひょいと上がる。何? と聞いてくるその仕草に、慌てて顔を振った。そしたら、ふっとわずかにジュリが笑った。


「何?」


 聞き返してみると、今度は彼が無言で頭を振る。しかも笑顔で。


「私、変なことした?」


 恐る恐る聞いてみると、彼は悪びれもなく言った。


「お嬢って、犬っぽいよね」


 ……はい?


「顔を振るとこなんか、濡れた犬がブルブルーって頭振るとこみたいだよね」

「何それ⁉」


 年頃の乙女に向かってなんてことを!


「いや。悪い意味じゃなくて。和めるってこと」

「……それって、女としては終わりなんじゃ」

「あれ。フォローのつもりだったんだけど」

「ちっともフォローじゃない!」


 声を荒げて叫んだら、いい子いい子ーって撫でられた。完全に子ども扱いだ。すると、そのやり取りを見ていたセスから冷めた声が上がる。


「なぁんか、楽しそう」

「え?」

「いつの間にそんなに仲良くなったんだ?」

「いや……」


 別に仲良しってほどじゃないけど。


「そう? だったら――」

「え?」


 ぐいっと、セスの腕がエマの肩をつかみ寄せた。


「俺と仲良くしようぜ」


 って頬ずりされて、いきなりチュって。


「……」


 思考が止まって、我に返ったときには思い切りビンタをしてた。


「あーあ。ご愁傷様」


 ジュリが呆れた声を上げる。


「二人とも……、最低!」


 言い捨てて、その場からダッシュで逃げ去った。一人で戻ったエマに、甲板で会った准が不思議そうな顔をする。


「あれ? 用心棒は?」

「知らない!」


 歯を剥き出して叫び、自室に篭った。量産したクッションを手当たり次第に掴んで投げる。それを拾ってまた投げる。拾っては投げ、拾っては投げ、そしてまた拾って投げつける。


「セスのバカ! ジュリのバカー!」


 別に初めてじゃなかったけど、でもあんなやり方あんまりだ! ジュリも、「ご愁傷様」って何それ! ほかに言うことはなかったわけ⁉ 唇をクッションに押し当てて、乱暴に何度もごしごし拭いた。拭いたところで事実は消せないけど、これは気持ち的な問題だ。


「あり得ない……」


 彼らにとっては何でもないことかもしれないけど、こっちはただの小娘だ。海賊の娘なんて名ばかりだし、まだまだ恋に恋する年頃なのだ。それを、挨拶と同じ感覚でしてくるなんて。


「あり得なーい!」


 やっぱりあいつらは野蛮人だ! 面倒臭いと思われたって構わない。あんな尻軽男と同じになんてなってたまるか!


「うん。ひっぱたいた私は悪くない」


 でも、ドアをノックする音が聞こえると、反射的に身構えた。どうしよう。二人が帰ってきたのかも。

 怒っていたはずなのに、だんだん恐怖が湧いてくる。この俺に張り手を食らわすとはいい度胸だ! とか言って、乗り込んできたらどうしよう。


「エマちゃん」


 あ、違った。聞こえてきたのは女の声だった。流唯さんだ。ちょっとほっとしつつ、でもすんなりドアを開ける気にはなれなかった。だって、彼女ともギクシャクしちゃったばっかりだし。まだ名誉挽回してないし。


「入るよ」


 え? まだ何も言ってないですけど!


「どうかした?」


 キャップが言っていた通り、部屋に入ってきた流唯さんに怒っている様子はない。良かった。本当に大丈夫そう。これは失態を挽回しつつ、お近づきになれるチャンスだ。



「流唯さーん!」



 溢れた涙はあえて拭かず、彼女の胸に飛び込んで思いの丈をぶちまけた。そこに、遅れてジュリとセスが。素直に正直に涙目でビクって反応したら、流唯さんが彼らを睨んだ。



「失せな。(けだもの)に用心棒の資格はないよ」



 格好いいー! さすが姐さん! 男前です! もっとやれー! 流唯さんには悪いけど、一緒に船に乗れて本当に良かった! 流唯さん以上に心強い存在なんていないもん!

 ジュリとセスは何も言えず、すごすごと部屋から退散していく。流唯さんの両腕に守られながら、それ見たことかと舌を出した。けど、ドアがパタンて閉まったら、なんだか気が抜けてしまった。


「大丈夫? エマちゃん」


 心配して顔を覗き込んできた流唯さんに、力なく笑った。


「ごめんなさい」


 笑いながら、また涙がこぼれていく。


「せっかく、いいところもあるんだって思い始めたところだったのに。海賊って一括りにしちゃいけないって……。ちゃんと中身を見なきゃって……。でも……」


 やっぱり海賊は海賊なんだって、思ってしまう自分がいる。デリカシーの欠片もない、下品な連中なんだって。


「あんなに軽く、何でもないことみたいにするなんて、信じられない……」


 これじゃあまるで……


「これじゃあその辺の娼婦と同じだ――って?」


 思ったことをそのまま言葉にされて驚いた。目を見開いて見上げると、流唯さんが困ったように笑う。


「ほんと、どうしようもない連中だよね」

「………もしかして、流唯さんも?」


 同じような経験があるのかと思って尋ねたら、彼女は窓に視線を逸らした。


「海賊って、世間から切り離された独自の世界があるんだよ。そこに生きる女には、(けだもの)を追い払う強さがある。踏まれても踏まれても、雑草みたいに立ち上がる強さを持ってるんだ」

「それはつまり……、私が弱いってことですか」


 これくらいのことで騒ぐようでは駄目だと。


「そうじゃなくて」


 俯いたエマに、流唯さんは優しく否定を返した。


「そんな世界で生きていると、君みたいな子がいることを忘れてしまうんだよ。気づいた今は、彼らも反省してると思うよ」


 ただでさえ、エマは特別な存在なのだ。今は一時的にパールクイーンの一員になっているけど、ジュリとセスは元々シーウルフの人間である。その彼らが船長の一人娘を(ないがしろ)にすることはあり得ない。軽くチューするくらいいいだろうと冗談半分でやったんだろうが、彼女が怒れば考えも改めるはずだ。次期船長の座を狙っているなら尚のこと。自ら進んでエマに嫌われることはしないはず。――と、流唯さんの整然とした話を聞き、エマは深く納得した。


「……確かに、そうですね」


 海賊として一般人との接点がなかったセスは、うっかり自分の世界のノリで接してしまったのかもしれない。うっかりだったなら、再発に怯える必要度も低くなる。変えられない過去は、事故だったと思えばいいのだ。


「でもまあ、このまま許すのも何だか癪だね」

「え?」


 仕方なかったと思いかけたエマに、流唯さんがにやりと笑った。



「ちょっとお仕置きしてやろう」



 そう言うなり、彼女はエマを甲板へと連れ出した。


「女って生き物はなぁ……」


 ジュリとセスは、何やら切々と語る源じいの話を二人揃って聞いていた。しかし、あえて彼らには触れず、流唯さんは彼らの先で釣りをしていたキャップの方へ歩いていく。


「ちょっと買い物してくる」

「二人でか?」


 当然、不満を示したキャップに、彼女は上機嫌で言った。


「仲直りのデートだよ。文句ある?」

「大ありだ」


 不満満載で答えたのは、どこから湧いてきたのか、仏頂面の銀だった。


「女二人だけは……」

「なら銀も来ればいいじゃん」


 何でもないことのように、流唯さんはさらっと言った。けど、エマにはさらっと流せない。


 銀はいらない!


 と、思ったけど口には出せず。引きつりそうな顔を保つだけで精一杯だった。銀は銀で、動揺しつつも「いいなら……」と行く気満々だ。それを見て、流唯さんが密かに微笑んだ。例えるなら、さっき船室でエマに見せた微笑は小悪魔で、今度は優しい女神のようだ。


 ひょっとしたら、流唯さんは最初からそのつもりだったのかも。


 流唯さんが乗船に乗り気じゃないのは、誰もが暗黙の承知だ。腕っぷしが強く、信頼できるクルーが同伴しない限り、逃げるんじゃないかと疑うのは自然なことで、流唯さん自身もそれが分かった上で考えたのだとしたら。


 エマが流唯さんと会う前、銀は怒り心頭で部屋から出てきた。

 この買い物で彼の機嫌も直せるなら、一石三鳥になる。


 ジュリとセスへのお仕置き、エマの流唯に対する不安の払拭、そして銀との仲直り。エマも流唯さんも銀も、みんなが幸せになれる。ジュリとセスは犠牲になるが、彼らに限っては自業自得でいいだろう。

 たった数分の間にそこまで考えられるとは、相当に機転が利く人だ。この作用が逆だったら恐ろしい。場合によっては、本人に気づかれずに陥れるなんてことも、朝飯前かもしれない。


 優しい流唯さんならそんなことはしないだろうけど。……けど。


「銀がいるから用心棒はいらないよ。あと海へ出る前に兄にも会ってくる」


 ここで家族への挨拶まで考えていたとは、一石四鳥だ!


「いいでしょ? 船長」

「ああ。そういうことなら俺も行く」

「来なくていい」

「なんでだよ。銀はいいのに俺は駄目なのか?」

「騒ぎ立ててことを大きくしたくない」

「俺がいつ騒ぎを起こしたってんだ」

「いつもでしょ」


 流唯さんは本気で迷惑そうにしてるけど、二人のやり取りはちょっと微笑ましかった。頭のいい彼女でも、キャップにはやっぱり手を焼くらしい。

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