17.クイーンの帰還
四大海賊のひとつ、西の女王と称されるパールクイーン。
たった九人という小さな海賊でありながら、怖いもの知らずのならず者。
猫のように気まぐれで、日向ぼっこを好みながら、大艦隊にも牙を剥く。
その彼らが、パールクイーンと呼ぶ存在。
「でも……」
流唯さんは、自信がなさそうに俯いた。言い淀んだ彼女を見て、愛される理由が分かった気がした。誰の前でも物怖じしなくて、強い女性だと思ったけど、それはきっと虚勢だ。負けないように、潰されないように、強い自分を演じているだけ。それを知っているから、パールクイーンは放っておけないのだ。危なっかしくて、目が離せずにいる。流唯さんはまるで、手を放したら飛んでしまう風船みたいだ。だからしっかり握っていたくなる。風に飛ばされてしまわないように、強く糸を引き寄せたくなる。そうやって加護欲に駆られ、みんなに可愛がられてきたんだろう。
「でもはなし。キャプテン命令は絶対なんだぜ?」
にやりと笑って口を挟んだジゼルも、慈愛の眼差しを向けていた。
「みんなお前の帰りを待ってるぞ」
マドンナだから。だけど、それだけじゃなくて。パールクイーンが彼女を必要としているから。
男だらけの彼らの中で、流唯さんが特別な存在だったのは当然だと思う。当時は男装していたとしても、彼女の垢抜けた容姿は目に留まる。でもキャルもいるから、特別になったのは容姿のせいだけじゃない。
強い男たちの中で、ただ一人か弱い流唯さん。彼女を守ることで、彼らは自尊心を高めていたのだ。守らなければという使命感に駆られ、自分を奮い立たせていたのかもしれない。疲れたり傷ついたときは、慰められ、癒しにもなっただろう。そう考えると、先ほどのミリの言葉にも合点がいった。
みんなは、流唯さんに頼られたいのだ。
力になってあげることで、生きる活力を得たい。荒んだ心に潤いを持たせたい。だから、限界を感じて去った流唯さんを、また取り戻そうとしているのだ。無敵に見えるパールクイーンも人の子だ。弱気になることもある。そんなとき、乗り越える力を与えてくれるのが流唯さんの存在だったとしたら――
それは、とんでもない弱点だ。
もし、流唯さんが飲んだ毒が猛毒だったら。
もし、ここで流唯さんが助からなかったら。
パールクイーンは……
ふと、以前流唯さんが言った言葉が頭をよぎった。海賊を辞めた理由を聞いていたとき、左手の傷を見て彼女は言った。
――これも理由のひとつかな……
彼女が海賊を辞めたのは、力に限界を感じたからだけじゃない。自分の存在がパールクイーンの弱点にもなると感じたから。
「これ以上……、世話にはなれないよ」
ぽつりとつぶやいた流唯さんに、キャップが笑った。
「今さら何を言ってんだ。そんなの気にする関係じゃねえだろ」
迷惑をかけてもいい。むしろ、もっと迷惑をかけていい。弱点になったとしても、戻ってきてほしいのだ。
「ほかにも何か理由があるのか? 本当は男ができてたとか」
キャップが聞くと、銀のこめかみがぴくりと動いた。それに気づかない流唯さんは、愚問だと言って笑う。
「そんなのいないって」
「なら問題ねえな。野郎ども! 我らがクイーンのご帰還だ!」
船長の張りのある声が上がると、部屋は歓喜に沸いた。
「イエー! おかえり流唯ちゃーん!」
「ちょっと待ってよ」
慌てる彼女に、耳を貸す人は誰もいない。
「そうと決まれば話は早い。明日の朝には出航するぞ! 流唯は休養! 銀は付き添え! ほかの連中は出航準備に取り掛かれ!」
あれよあれよという間にみんな部屋から追い出され、エマも抵抗できずに流し出された。すぐに閉められたドアを見て、仕方なくみんなと一緒に甲板へ向かう。
どう見ても、流唯さんは乗り気じゃないと思うけど。
ほかのみんなは、違和感を感じないのかな。
気になって見渡してみると、クルーたちの嬉しそうな顔が目に留まる。ミリも、准も、ジゼルも、キャルも、みんな笑顔で喜んでいた。唯一笑っていないのはジュリくらいだ。まあ、彼は最初から流唯さんに興味がないみたいだったし。彼にとっては流唯さんの帰還なんてどうでもいいことなんだろう。
考えながら見ていて、「あ!」とエマは声を上げた。
ジュリの頬が、赤黒く腫れていた。
よく見れば、額にも、腕にも擦り傷がある。多分、出流野でエマ達を逃がしたときに負った怪我だ。
でもなぁ……
いつものことながら、声をかけるのに勇気がいる。銀のときもそうだったけど、強面の人は苦手なのだ。
このままスルーしちゃおうか。
別に、声をかけなくても特に問題はないと思う。大怪我を負っているわけでもないし、流唯さんみたいに毒を飲んだわけでもない。
けど……
それでは駄目だと考えを改めたときだった。後ろから、誰かに声をかけられた。
「お嬢」
振り向いた先にいたのは、ジュリだった。
低い声で呼ばれて、反射的に身構えてしまった。
「な、何?」
一応笑顔で答えるけど、頬が引きつるのを止められない。
「大丈夫? 肘んとこ」
そこ。と指を指されて、見てみると右肘を擦り剥いていた。
「あ」
多分、昨日の騒動でどこかにぶつけたんだろう。血は出ているけど流れるほどじゃなくて、すでに乾いて固まっていた。今まで気づかなかったくらいだから、もちろん痛みもほとんどない。むしろ、ひどいのはジュリの方だ。
ああ、もう…… 私ってば何やってるの。
本来なら、助けてもらったエマの方が声をかけるべきなのに、先に彼から言われるなんて。情けなくって、泣きそうだ。
「大丈夫。ちょっと擦っただけだから。てか、ジュリこそ大丈夫?」
「……俺?」
「いっぱい怪我してる」
一瞬、彼の頬に手を伸ばしそうになったけど、ぴくりと指先が動いただけだった。
「俺は別に、慣れてるから」
エマの小さな擦り傷を気遣いながら、自分のは何でもないと言う。喧嘩慣れした彼なら確かにそうかもしれないけど、痛いのは誰だって同じはずだ。
「あの……、ごめんなさい」
エマたちを逃がすために怪我をしたのに、お礼のひとつも言ってなかった。ただ怖いっていうだけで、声をかけることすらできなくて。
「お嬢?」
俯いたエマを窺うようにして、ジュリが首を傾げて顔を覗き込んでくる。ギクっとして、思わず後ずさりそうになったけど、彼の目を見て驚いた。いつもの攻撃的な目つきじゃなくて、棘のない澄んだ目だった。
普通の人と同じだ。
意外な発見につい見入ってしまったら、不意に彼がにやりと笑った。
「あれ? もしかして惚れちゃった?」
「違いますぅ!」
あ、いけない。うっかり反論してしまった。けど、怒られるんじゃないかと怯えたエマに、ジュリは笑った。
「うっそ。冗談だよ」
なんだか、毒気を抜かれて言葉が出ない。初めて会ったときは、目つきが悪くてギラギラしてて、いつも周りに喧嘩を売ってるような人だと思ったのに。話してみると軽い言葉が返ってきて、怪我の心配もしてくれる。
なんだ。普通なんだ。
自分とは別の生き物みたいに思っていたけど、同じところもいっぱいある。怪我をすれば心配して、落ち込んだら冗談を言って和ませてくれる。ちゃんと、血の通った人間だ。
そう思ったら、自然と体が動いた。
「ジュリ」
「ん?」
「右手出して」
ワンピースのポケットからハンカチを取り出し、細長く折り畳んで彼の擦り剥いている右手に巻きつけた。
「ほかはともかく、掌は不便だろうから」
もうかさぶたになってきてるけど、触ったり当たったりしたら痛いと思う。利き手だし、出航準備や日常生活の中で痛みがあったら何かと不便だ。だから、少しでもそれを和らげてあげたいと思って、患部を覆うようにしてハンカチを当てた。
「あとでちゃんと源じいに看てもらってね」
気休めかもしれないし、彼にとっては大袈裟かもしれないけど。
「サンキュー」
右手をひらひらと振って、ジュリは間延びした声で言った。言いながら笑っていたから、少なくとも嫌な気分にはさせてないって分かって、ほっとした。
「お嬢も源じいに看てもらいなよ?」
女の子なんだから。と、つけ足された言葉が嬉しくて。船室に戻る足取りが軽かった。……が。いっそ一緒に看てもらえばいいじゃーんと、源じいを探しに下甲板に下りた途端、エマは心底後悔した。
「……っ!」
悲鳴を上げそうになったのを、なんとか堪えた。だって、たった今、人は外見じゃないと思ったばかりだ。見た目だけで怖がるのは失礼だ。そう。人は見かけによらない! けど……、
銀は別!
刃物のように鋭い目。眉間に深く刻まれたしわ。苛立ちからか唇を突き出して歯を噛み締め、ずんずんと荒い足取りで歩いてくる。まるで大きな石壁がゴゴゴゴーって迫ってくるみたいだ。いや、あれは壁じゃない。あれこそ棒がはずれた巨大モーニングスター!
悪い人じゃない。一途な恋心を持つ純粋な人だって分かってはいるけど……
「どけ」
ドスの効いた声で凄まれて、エマは俊敏に道を開けた。転がってくるモーニングスターは当然のごとく避けなければ。串刺しになってしまう。
「な、ななな……」
こんなこと、確か前にもあったぞ。彼があんな風に怒る原因と言えば、思い当たるのはひとつしかない。
何をしたんですか⁉ 流唯さん!
殺気を撒き散らしながら甲板へ上がっていった銀を無言で見送ったあと、エマはギギギと振り向いた。視線の先は、ドアが半開きになった彼らの部屋。そぉっと中を覗いてみると、やっぱり部屋には流唯さんがいた。
「……エマちゃん?」
しまった。気づかれた。
「あ、あの……、具合はどうかなぁって」
明らかに作り笑顔。明らかにわざとらしい台詞。でも気にしない! さっきの銀を見たあとなら誰も怖くない! むしろ優しい流唯さんなら問題なし!
「もう大丈夫だよ。ありがとね」
ほら! 流唯さんが怒るはずないんだから! 調子に乗って部屋に入り、彼女のベッド脇にちょこんと座った。
「喉は乾いてませんか?」
「大丈夫。いま銀がもらいに行ってくれたから」
銀が水をもらいに? そんな風には見えなかったけど。
「そうは見えなかった?」
「はい。思いっきり怒ってたし、……あ」
思っていたことを見透かされて、顔色を窺ったエマに流唯さんは小さく笑った。
「銀は分かりやすいからなぁ」
「……そうですか?」
どこがどう分かりやすいのか、エマにはさっぱり分からない。でも長い付き合いの流唯さんなら、彼の表情や仕草でくみ取れるものがあるんだろう。
ふと、甲板で流唯さんに膝枕をしていた銀が頭をよぎった。彼にあんな顔をさせるくらい、流唯さんは銀の心を掴んでいるのだ。同時に、流唯さんだから、今みたいに本気で怒ることもある。
「……銀、すごく怒ってましたよ」
遠慮がちに言うと、流唯さんは目を逸らして苦笑した。その視線の先には、今は無人の銀のベッドがある。眩しそうにも見えるし、切なそうにも見える目をして、彼女は言った。
「ここは……居心地が悪くてね」




