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Sinner E  作者: 藤 子
【海賊編】
22/47

16.出流野発~大都行き

 月明かりが届かない暗い場所でいよいよ馬車が止まってしまうと、頭上からギシっと軋むような音がした。幌には窓がなく、エマたちに外の様子は見えないが、どうやらキャップが飛び降りたらしい。かすかに男の声が聞こえたと思ったら、ふたたび馬車が動き出した。だけど今度はゆっくりだ。急ぐ様子もなく、ガラガラと動いてまたすぐに止まってしまった。


 まさか、とうとう役人に捕まった?


 挟み撃ちにされて動けなくなったのかもって思ったら、一気に不安が増していく。状況が分からなくて怯えていたら、御者台の方からひょっこりとミリが顔を出した。


「みんな、出て大丈夫だよ」


 何がなんだか分からないまま、言われるままに出てみると、そこは真っ暗な闇だった。空を見上げても星ひとつ見えない。


「……どこ?」


 暗闇に目が慣れて、見えてきたのは高く積み上げられた何かの袋だ。ほかには使い道の分からない機具に、沢山の木材やらスコップやら。それらから察するに、大きな倉庫のようだった。ほかのみんなも辺りを見回し、一体どういうことかと考えていると、バサっと音がしてほのかに光が差した。振り返ると、分厚い帆布のようなカーテンがめくられ、外の月明かりを背にキャップと誰かが入ってくる。


「いいのか?」

「ああ……。使ってくれ」


 真顔で確認を取るキャップに、答えたのは太蔵さんだった。まだ体調が優れないのか、奥さんの肩を借りてよろけながら歩いている。


「そんな粗末な馬車よりも、もっと早く行けるはずだ」


 話しながら中に入ってきた彼は、ふとこちらに目をむけて顔を歪めた。視線の先には、意識を失った流唯さんが。


「理子ちゃんは……どうなんだ?」


 つぶやくように発した問いかけに、ようやく薬を飲ませた源じいが低く答えた。


「俺がいるんだ。大丈夫に決まっとる」


 それを聞いて、太蔵さんはほっと表情を和らげた。額に汗を浮かべながらも優しい笑顔まで見せたが、地べたに横たわっている流唯さんを見ると、また悲痛の表情へと変わってしまった。


「ごめんなぁ、理子ちゃん。こんなことに、巻き込んじまって……」


 流唯さんの傍らに膝をついた彼は、大きな背中を丸め、がっくりと項垂れた。


「せっかくやり直そうとしてたのに……。頑張ってたのになぁ……」


 彼は、とっくに気づいていたのだ。流唯さんが犯罪者だっていうことに。

 彼の本業である土木の仕事は、前科持ちやチンピラの若者も割と多い。自己主張が強く、喧嘩っ早い連中だが、中には真面目な人間がいることを太蔵さんは知っていた。不器用な性格からうまく世の中を渡れず、苦労してしまうことも。


 流唯さんもそういう人たちと同じだと、見抜いた上で彼は目を配っていたのだ。


「守ってやれなくて……ごめんなぁ……」


 申し訳なさそうにそう言って、顔を覆う。

 ごつごつした岩のような手で涙を拭うと、表情を引き締めてキャップを振り返った。


「あれを持っていけ。こっちのガラクタは俺が適当に処分しておく」


 言いながら指を差した先には、大きくて頑丈そうな荷台があった。車体は低く、太いタイヤが前後合わせて八個もついている。太蔵さん曰く、土木の仕事で重い木材などを運ぶためのもので、安定性に優れているらしい。幌がないので丸見えになってしまうが、振動を抑えて早く走ることができるので、具合の悪い流唯さんへの刺激を減らしながら、追手からも確実に逃げられるだろうという話だった。


「助かるぜ。騒がせちまって悪かったな」


 お礼を言うキャップに、太蔵さんはにかっと笑った。


「その代わり、絶対に理子ちゃんを頼むぜ!」


 人柄の良さが伝わってくるような、愛嬌のある笑顔だった。みんなは馬を新しい荷台に繋ぎ直し、流唯さんを運び入れて一緒に乗り込む。長居を避けて出発だ。


「出口はこっちから行きな。杉林を抜けて突き当ったら、川沿いに行けば町を出られる。管轄外になりゃあ役人は手を出せねえから、あとはゆっくり帰れるはずだぜ」


 そして奥さんと一緒に手を振る彼に見送られ、馬車は再び走り出した。彼らの姿が見えなくなるまで、エマはずっと後ろを向いていた。倒れないように荷台の枠を掴みながら、自分の中に生まれた思いを噛み締めた。




 ◇◇◇




「気がついたか?」


 静かに目覚めた流唯さんに、源じいが声をかける。

 大都に戻り、パールクイーン号のベッドで一晩眠り、彼女は夜明けとともに意識を取り戻した。寝ぼけているのか、それとも薬のせいで意識が回復しないのか、流唯さんはぼんやりと辺りを見渡して、狭い部屋でクルーたちが勢揃いしている状況を目にして事情を察した。


「源じいが助けてくれたのか……」

「気分はどうだ? どこか痛みはあるか?」

「ないよ。もう大丈夫」


 横たわったまま微笑みを返す彼女に、源じいは不貞腐れて鼻息を荒くした。


「まったく、お人よしもほどほどにしろ」


 そう言って、憤然と彼は告げる。


「一歩間違えばあの世行きだったんだぞ!」

「そういえば、太蔵さんは?」

「人の話を聞かんか!」

「キャル。キャル?」


 騒ぎ立てる源じいをあっさりスルーした流唯さんは、部屋の隅にいたキャルを見つけて淡々と問いかけた。


「太蔵さんはどうなった?」


 真顔の彼女に、キャルも真顔で言葉を返す。


「大丈夫だよ。源じいが薬をあげたから」


 その答えを聞いて、やっと安心したらしい流唯さんは、改めて源じいを見上げて微笑んだ。


「ありがとう。源じい」


 すると、今の今まで怒っていた源じいは、一瞬たじろいで背を向ける。


「念のためもう少し休んでおけ。安静だぞ!」


 荒い口調で言いながら、そのまま部屋から出て行ってしまった。あれは絶対照れ隠しだ。


「エマちゃんもずっとここにいてくれたの?」


 不意に声をかけられて、にやけていたエマは慌てて彼女に向き直った。


「私だけじゃなくて、みんなもずっと付き添ってたんですよ? 助かって本当に良かったです」


 何と言っても、流唯さんはパールクイーンのマドンナだしね! 彼らにとっては、生きたお宝そのものなのだ。今回のことで、彼女がどれほど大切にされているのか、すごく分かった。


「心配かけてごめん。ありがとね」


 そうやってきちんと謝れるところ。ちゃんとお礼を言えるところ。美人なのに高飛車じゃなくて、優しくて、でもちょっと危なっかしくて。この人は、人を惹きつける魅力がある。だけど安心して笑顔になったのはエマだけで、みんなの表情は優れなかった。


「みんなも、ありがとね」


 素直に感謝を告げた流唯さんに、頷く人も微笑む人もいない。あれ? 何、この沈黙。大好きな流唯さんが助かったっていうのに、誰も喜んでいないなんて。重い空気が漂う室内で、意を決して口を開いたのはミリだった。



「そんなに……死にたいの?」



 彼は真剣だった。彼だけじゃない。銀も、キャルも、他のみんなも、真剣な顔で流唯さんを見ていた。


「まだ蕪木(あぎ)に会いたい? 亜馬流(あばる)が忘れられない?」


 問い詰めるようなミリの言葉が、静まった室内に響く。流唯さんの意識が戻ってみんなは喜ぶと思ったのに、彼らが抱いている感情は怒りだった。


「そんなに俺たちは頼りない?」


 悲しそうな顔をして、怒っていた。

 流唯さんは静かに体を起こした。まだ痛みを感じるのか、右手を喉に当てて小さく咳き込み、そして淡々とミリを見上げた。


「そんなことないよ」

「でも今まで頼ってくれたことないじゃん」


 掠れた声で答えた彼女に、ミリは鋭く言葉を返した。感情の薄い流唯さんとは対照的に、彼の顔には悔しさが滲み出ていた。


「流唯ちゃんは嘘つきだよ。約束したのに、なんで……」


 詰まった言葉の続きが、エマにも聞こえた気がした。


 なんで、毒を飲んだの?

 なんで、キャルの制止を無視したの?


 太蔵さんが倒れたのは病気の可能性もあったけど、直後の正生の言動から、紅茶に毒が入っているのは明白だった。なのに、流唯さんは躊躇いもしなかった。太蔵さんがたった一口で倒れたのを見たのに、彼女は残りの紅茶を飲み干したのだ。

 そう考えると、流唯さんがとった行動も異常だったのだと気づく。誰だって、毒を飲むのは怖い。死ぬかもしれない危険を前に、自ら進んで飛び込むなんてしないものだ。


 自殺願望でもない限り。


「あのとき紅茶を飲んだのは、無実を証明するためだよ」


 流唯さんはもっともらしく言ったけど、彼女の言葉に納得する人は誰もいない。


「どっちにしたって犯人にされてたよ」


 そう反論したキャルにこそ、みんなは同感だった。


 紅茶を飲んでも、飲まなくても、結果は同じ。だけど流唯さんは、あえて飲む方を選んだのだ。


 室内に広がる空気が重い。胸がざわざわして、息苦しかった。できることなら退室したい。流唯さんとパールクイーンの確執なんて、エマにとっては他人事だ。部外者だからと理由をつけて逃げられたら楽なのに、体が動かなくなっていた。エマと同じように事情を知らないジュリとセスも、無言で成り行きを見守っている。みんなの視線を一身に受けて、流唯さんは目を伏せた。


「ごめん」


 抑揚のない声で告げられた短い謝罪。本当に反省しているのか、それともその場凌ぎに過ぎないのか。言葉の中にどんな気持ちが込められているのかは分からない。クルーたちは無反応で、しばらく沈黙が流れていた。彼女の謝罪を形だけだと感じて、許せずにいるのかもしれない。誰も答えず、ただじっと流唯さんを見つめていた。

 それを見かねて、動いたのはキャップだった。


「しょうがねえなぁ」


 入り口の近くで壁に寄りかかっていたキャップは、面倒臭そうにため息をつくと、クルーたちを掻き分けて流唯さんのベッド脇にやってきた。


「ボルボア……」


 虚ろな目をして見上げてくる流唯さんに、彼は眉尻を下げて苦笑した。


「そんな顔すんなよ」

「……ごめん」


 改めて告げられた謝罪は、さっきよりも気持ちがこもっているように聞こえた。


「具合は?」

「うん。大丈夫……」

「そりゃあ良かった。これで心置きなく海へ行けるな」


 すでに出航の予定日は過ぎている。流唯さんがこうして回復した今、キャップの頭はすでに海へと向いているらしい。それを察した流唯さんも、再度みんなに謝った。


「悪かったね。今日中には帰るから」


 けど、その言葉にキャップは目を丸くした。



「どこへ帰るってんだ?」



 キャップの言葉に、流唯さんも目を丸くする。


「……え?」

「正体がばれた以上、家にはもう帰れねえだろ」


 確かに、きっと今ごろ、流唯さんの家は役人だらけだ。あそこに帰るということは、自首をするのと同じこと。指摘を受けた流唯さんも、少しだけ逡巡したあと、冷静に答えた。


「兄のところに何日か泊めてもらって、その間に新しい家を探すよ」

「そんなことしなくてもここにいればいいじゃねえか」


 あれ?


 キャップの言葉に、エマは無言で首を傾げた。やっと海に行けると言ってたのに、流唯さんに滞在を勧めたらまた出航が延びるんじゃない?


「これ以上世話にはなれないよ」


 流唯さんだって、さすがにこれ以上は引き止められないと首を振る。やんわりと遠慮を見せた彼女に、キャップは諭すように言った。


「あれから四年だ。もういいだろう?」


 まるで罪人を正しい道へと導く牧師のように、慈愛に満ちた眼差しだった。よく通る声が、静かな室内に淡々と響く。


「帰ってこいよ。パールクイーン」

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