16.出流野発~大都行き
月明かりが届かない暗い場所でいよいよ馬車が止まってしまうと、頭上からギシっと軋むような音がした。幌には窓がなく、エマたちに外の様子は見えないが、どうやらキャップが飛び降りたらしい。かすかに男の声が聞こえたと思ったら、ふたたび馬車が動き出した。だけど今度はゆっくりだ。急ぐ様子もなく、ガラガラと動いてまたすぐに止まってしまった。
まさか、とうとう役人に捕まった?
挟み撃ちにされて動けなくなったのかもって思ったら、一気に不安が増していく。状況が分からなくて怯えていたら、御者台の方からひょっこりとミリが顔を出した。
「みんな、出て大丈夫だよ」
何がなんだか分からないまま、言われるままに出てみると、そこは真っ暗な闇だった。空を見上げても星ひとつ見えない。
「……どこ?」
暗闇に目が慣れて、見えてきたのは高く積み上げられた何かの袋だ。ほかには使い道の分からない機具に、沢山の木材やらスコップやら。それらから察するに、大きな倉庫のようだった。ほかのみんなも辺りを見回し、一体どういうことかと考えていると、バサっと音がしてほのかに光が差した。振り返ると、分厚い帆布のようなカーテンがめくられ、外の月明かりを背にキャップと誰かが入ってくる。
「いいのか?」
「ああ……。使ってくれ」
真顔で確認を取るキャップに、答えたのは太蔵さんだった。まだ体調が優れないのか、奥さんの肩を借りてよろけながら歩いている。
「そんな粗末な馬車よりも、もっと早く行けるはずだ」
話しながら中に入ってきた彼は、ふとこちらに目をむけて顔を歪めた。視線の先には、意識を失った流唯さんが。
「理子ちゃんは……どうなんだ?」
つぶやくように発した問いかけに、ようやく薬を飲ませた源じいが低く答えた。
「俺がいるんだ。大丈夫に決まっとる」
それを聞いて、太蔵さんはほっと表情を和らげた。額に汗を浮かべながらも優しい笑顔まで見せたが、地べたに横たわっている流唯さんを見ると、また悲痛の表情へと変わってしまった。
「ごめんなぁ、理子ちゃん。こんなことに、巻き込んじまって……」
流唯さんの傍らに膝をついた彼は、大きな背中を丸め、がっくりと項垂れた。
「せっかくやり直そうとしてたのに……。頑張ってたのになぁ……」
彼は、とっくに気づいていたのだ。流唯さんが犯罪者だっていうことに。
彼の本業である土木の仕事は、前科持ちやチンピラの若者も割と多い。自己主張が強く、喧嘩っ早い連中だが、中には真面目な人間がいることを太蔵さんは知っていた。不器用な性格からうまく世の中を渡れず、苦労してしまうことも。
流唯さんもそういう人たちと同じだと、見抜いた上で彼は目を配っていたのだ。
「守ってやれなくて……ごめんなぁ……」
申し訳なさそうにそう言って、顔を覆う。
ごつごつした岩のような手で涙を拭うと、表情を引き締めてキャップを振り返った。
「あれを持っていけ。こっちのガラクタは俺が適当に処分しておく」
言いながら指を差した先には、大きくて頑丈そうな荷台があった。車体は低く、太いタイヤが前後合わせて八個もついている。太蔵さん曰く、土木の仕事で重い木材などを運ぶためのもので、安定性に優れているらしい。幌がないので丸見えになってしまうが、振動を抑えて早く走ることができるので、具合の悪い流唯さんへの刺激を減らしながら、追手からも確実に逃げられるだろうという話だった。
「助かるぜ。騒がせちまって悪かったな」
お礼を言うキャップに、太蔵さんはにかっと笑った。
「その代わり、絶対に理子ちゃんを頼むぜ!」
人柄の良さが伝わってくるような、愛嬌のある笑顔だった。みんなは馬を新しい荷台に繋ぎ直し、流唯さんを運び入れて一緒に乗り込む。長居を避けて出発だ。
「出口はこっちから行きな。杉林を抜けて突き当ったら、川沿いに行けば町を出られる。管轄外になりゃあ役人は手を出せねえから、あとはゆっくり帰れるはずだぜ」
そして奥さんと一緒に手を振る彼に見送られ、馬車は再び走り出した。彼らの姿が見えなくなるまで、エマはずっと後ろを向いていた。倒れないように荷台の枠を掴みながら、自分の中に生まれた思いを噛み締めた。
◇◇◇
「気がついたか?」
静かに目覚めた流唯さんに、源じいが声をかける。
大都に戻り、パールクイーン号のベッドで一晩眠り、彼女は夜明けとともに意識を取り戻した。寝ぼけているのか、それとも薬のせいで意識が回復しないのか、流唯さんはぼんやりと辺りを見渡して、狭い部屋でクルーたちが勢揃いしている状況を目にして事情を察した。
「源じいが助けてくれたのか……」
「気分はどうだ? どこか痛みはあるか?」
「ないよ。もう大丈夫」
横たわったまま微笑みを返す彼女に、源じいは不貞腐れて鼻息を荒くした。
「まったく、お人よしもほどほどにしろ」
そう言って、憤然と彼は告げる。
「一歩間違えばあの世行きだったんだぞ!」
「そういえば、太蔵さんは?」
「人の話を聞かんか!」
「キャル。キャル?」
騒ぎ立てる源じいをあっさりスルーした流唯さんは、部屋の隅にいたキャルを見つけて淡々と問いかけた。
「太蔵さんはどうなった?」
真顔の彼女に、キャルも真顔で言葉を返す。
「大丈夫だよ。源じいが薬をあげたから」
その答えを聞いて、やっと安心したらしい流唯さんは、改めて源じいを見上げて微笑んだ。
「ありがとう。源じい」
すると、今の今まで怒っていた源じいは、一瞬たじろいで背を向ける。
「念のためもう少し休んでおけ。安静だぞ!」
荒い口調で言いながら、そのまま部屋から出て行ってしまった。あれは絶対照れ隠しだ。
「エマちゃんもずっとここにいてくれたの?」
不意に声をかけられて、にやけていたエマは慌てて彼女に向き直った。
「私だけじゃなくて、みんなもずっと付き添ってたんですよ? 助かって本当に良かったです」
何と言っても、流唯さんはパールクイーンのマドンナだしね! 彼らにとっては、生きたお宝そのものなのだ。今回のことで、彼女がどれほど大切にされているのか、すごく分かった。
「心配かけてごめん。ありがとね」
そうやってきちんと謝れるところ。ちゃんとお礼を言えるところ。美人なのに高飛車じゃなくて、優しくて、でもちょっと危なっかしくて。この人は、人を惹きつける魅力がある。だけど安心して笑顔になったのはエマだけで、みんなの表情は優れなかった。
「みんなも、ありがとね」
素直に感謝を告げた流唯さんに、頷く人も微笑む人もいない。あれ? 何、この沈黙。大好きな流唯さんが助かったっていうのに、誰も喜んでいないなんて。重い空気が漂う室内で、意を決して口を開いたのはミリだった。
「そんなに……死にたいの?」
彼は真剣だった。彼だけじゃない。銀も、キャルも、他のみんなも、真剣な顔で流唯さんを見ていた。
「まだ蕪木に会いたい? 亜馬流が忘れられない?」
問い詰めるようなミリの言葉が、静まった室内に響く。流唯さんの意識が戻ってみんなは喜ぶと思ったのに、彼らが抱いている感情は怒りだった。
「そんなに俺たちは頼りない?」
悲しそうな顔をして、怒っていた。
流唯さんは静かに体を起こした。まだ痛みを感じるのか、右手を喉に当てて小さく咳き込み、そして淡々とミリを見上げた。
「そんなことないよ」
「でも今まで頼ってくれたことないじゃん」
掠れた声で答えた彼女に、ミリは鋭く言葉を返した。感情の薄い流唯さんとは対照的に、彼の顔には悔しさが滲み出ていた。
「流唯ちゃんは嘘つきだよ。約束したのに、なんで……」
詰まった言葉の続きが、エマにも聞こえた気がした。
なんで、毒を飲んだの?
なんで、キャルの制止を無視したの?
太蔵さんが倒れたのは病気の可能性もあったけど、直後の正生の言動から、紅茶に毒が入っているのは明白だった。なのに、流唯さんは躊躇いもしなかった。太蔵さんがたった一口で倒れたのを見たのに、彼女は残りの紅茶を飲み干したのだ。
そう考えると、流唯さんがとった行動も異常だったのだと気づく。誰だって、毒を飲むのは怖い。死ぬかもしれない危険を前に、自ら進んで飛び込むなんてしないものだ。
自殺願望でもない限り。
「あのとき紅茶を飲んだのは、無実を証明するためだよ」
流唯さんはもっともらしく言ったけど、彼女の言葉に納得する人は誰もいない。
「どっちにしたって犯人にされてたよ」
そう反論したキャルにこそ、みんなは同感だった。
紅茶を飲んでも、飲まなくても、結果は同じ。だけど流唯さんは、あえて飲む方を選んだのだ。
室内に広がる空気が重い。胸がざわざわして、息苦しかった。できることなら退室したい。流唯さんとパールクイーンの確執なんて、エマにとっては他人事だ。部外者だからと理由をつけて逃げられたら楽なのに、体が動かなくなっていた。エマと同じように事情を知らないジュリとセスも、無言で成り行きを見守っている。みんなの視線を一身に受けて、流唯さんは目を伏せた。
「ごめん」
抑揚のない声で告げられた短い謝罪。本当に反省しているのか、それともその場凌ぎに過ぎないのか。言葉の中にどんな気持ちが込められているのかは分からない。クルーたちは無反応で、しばらく沈黙が流れていた。彼女の謝罪を形だけだと感じて、許せずにいるのかもしれない。誰も答えず、ただじっと流唯さんを見つめていた。
それを見かねて、動いたのはキャップだった。
「しょうがねえなぁ」
入り口の近くで壁に寄りかかっていたキャップは、面倒臭そうにため息をつくと、クルーたちを掻き分けて流唯さんのベッド脇にやってきた。
「ボルボア……」
虚ろな目をして見上げてくる流唯さんに、彼は眉尻を下げて苦笑した。
「そんな顔すんなよ」
「……ごめん」
改めて告げられた謝罪は、さっきよりも気持ちがこもっているように聞こえた。
「具合は?」
「うん。大丈夫……」
「そりゃあ良かった。これで心置きなく海へ行けるな」
すでに出航の予定日は過ぎている。流唯さんがこうして回復した今、キャップの頭はすでに海へと向いているらしい。それを察した流唯さんも、再度みんなに謝った。
「悪かったね。今日中には帰るから」
けど、その言葉にキャップは目を丸くした。
「どこへ帰るってんだ?」
キャップの言葉に、流唯さんも目を丸くする。
「……え?」
「正体がばれた以上、家にはもう帰れねえだろ」
確かに、きっと今ごろ、流唯さんの家は役人だらけだ。あそこに帰るということは、自首をするのと同じこと。指摘を受けた流唯さんも、少しだけ逡巡したあと、冷静に答えた。
「兄のところに何日か泊めてもらって、その間に新しい家を探すよ」
「そんなことしなくてもここにいればいいじゃねえか」
あれ?
キャップの言葉に、エマは無言で首を傾げた。やっと海に行けると言ってたのに、流唯さんに滞在を勧めたらまた出航が延びるんじゃない?
「これ以上世話にはなれないよ」
流唯さんだって、さすがにこれ以上は引き止められないと首を振る。やんわりと遠慮を見せた彼女に、キャップは諭すように言った。
「あれから四年だ。もういいだろう?」
まるで罪人を正しい道へと導く牧師のように、慈愛に満ちた眼差しだった。よく通る声が、静かな室内に淡々と響く。
「帰ってこいよ。パールクイーン」




