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Sinner E  作者: 藤 子
【海賊編】
19/47

13.平穏を壊すな

「流唯さんて、ここに一人で住んでるんですか?」


 何気ない会話をしながらも、改めて切り出すチャンスを窺った。


「そうだよ」

「意外ですね」

「そうかな。田舎暮らしも悪くないよ」


 自給自足の生活も結構楽しいのだと、流唯さんはやかんを火にかけながら穏やかに言った。虚勢や意地を張っている感じはなくて、本心からの言葉に思えたけど、やっぱり意外だった。だって、流唯さんのような華のある美人が、こんな田舎で畑仕事をして、一人で隠居生活なんて似合わない。どちらかと言うなら、賑やかな都会のバーとかで、スレンダーなドレスを着てワイングラスでも持っている方が断然似合う。田舎暮らしが悪いとは言わないけど、この人が言うとなんだか違和感を感じてしまう。


「エマちゃんは甘いもの好き?」

「あ、はい! 大好きです」

「じゃあこれ食べる? 少ししかないから、野郎どもには内緒ね」


 こっそりと出された丸い缶には、おいしそうなマドレーヌが入っていた。包装紙はなくて、適当に詰めた感じから見ると、手作りっぽい。


「もしかして、流唯さんが作ったんですか?」


 聞いてみると、あっさり彼女は頷いた。


「今度兄と会うときに差し入れようと思って。これは試作品」


 うわあ。どこまで完璧なんだ、この人は。綺麗で男前で自立していて、料理も上手だなんて。しかもこのマドレーヌ、超うまい。ラム酒の香りがほんのり漂って、生地の表面はサクっとして中はしっとり。砂糖は控えめなのか、甘すぎなくて大人な味だ。いくらでも食べられそう。


「お、お湯が沸いたな」


 うっとりと味わうエマの横で、流唯さんは手際良くコーヒーを準備する。トレイに人数分のカップを乗せると、軽々と持って運んで行った。


 しまった。お手伝いのチャンスが。


 彼女を手伝うことで切実さをアピールしようと思ったのに、おいしいマドレーヌに惑わされて何もしてない。


「はい。ミルクと砂糖はお好みでどうぞ。飲み終わったらみんな大都に帰ってね」


 流唯さんがトレイをテーブルに置くと、各自が自分のカップにコーヒーを注いでいく。ちょっぴり扱いがぞんざいな気もするけど、流唯さんと彼らの関係なら特に問題はないらしい。


「つれないこと言うなよ。せっかくここまで来たっていうのに」


 出されたコーヒーをすすりながら、キャップが苦笑交じりに眉尻を下げる。対する流唯さんは、ばっさりとそれを切り捨てた。


「別に頼んでないし。ちょっとキャル。勝手にクローゼットを開けないで。それからミリとジゼル。その引き出し開けたら追い出すよ」


 こそこそと暴走を始めたクルーたちに釘を刺しつつ、流唯さんはズボンのポケットからよれたタバコを取り出した。中指でトントンと箱をたたき、出てきたタバコを抜き取って咥えると、テーブルに置いてあったマッチを取って火をつける。向かいに座っているキャップにかからないように、横を向いて煙を吐く様子がすごく(さま)になっていた。


 協力を頼み損ねたエマはというと、しっかりマドレーヌを完食した上でさりげなくリビングに戻る。ソファーに空きがないのを見ると、時間潰しに近くの本棚を観察した。棚は多分お手製で、本がびっしり詰まっていた。ほとんどが農業の本で、あとは料理本や植物の本、それから何冊か編み物の本もしまわれていた。これらを全部読破したとしたら、かなりの勉強家だ。


 私だったら、一冊目の二ページあたりで本を閉じてるな。

 それどころか表紙を見た時点で読む気がなくなるかも。


 なんて思っていたときだった。


理子(りこ)ちゃーん。いるかい?」


 玄関の方から、野太い男の声がした。流唯さんは、みんなにここにいるよう言い聞かせて部屋から出ていく。閉められた玄関ドアの向こうから、流唯さんと誰かの声が聞こえてきた。


「ミニカボチャの苗を仕入れたんだけど、少しもらうかい?」

「いいんですか?」


 それに聞き耳を立てるパールクイーン。

 みんなでドアに耳を押しつけて、やれ押すなだの乗るなだのと声を潜めて言い合っている。そこに便乗しない男は、銀とジュリの二人だけだ。

 銀は気になるものの、みんなのように動けないだけで、ジュリは鼻から興味がない。逆にセスが違和感なくみんなに溶け込んでいる光景にちょっと引いた。「よろしくな婚約者さん」なんて言ってたくせに、ほかの美人に尻尾振っちゃうとか、あり得ない。結局、彼が求めているのは船長の座であって、私ではないのだ。今まで面識もなかったんだから当然だし、分かっていたことだけど、ああいう態度はなんだか嫌だった。


「ついでに堆肥も置いていくよ。使うだろ?」

「助かります」

「おーい。正生ー! そこの堆肥を五袋ばかし持ってきてくれ!」


 外では、相変わらず流唯さんと誰かのやり取りが続いている。話の内容からすると、近所の農家さんかな?

 セスを非難しつつ実はエマも気になって、窓からこっそり覗いてみる。金髪の美女はもちろん流唯さんで、ほかに体格のいいおじさんが一人と、小柄で痩せたおじさんが一人見えた。小さい方のおじさんが、せっせと堆肥の袋を運んでいる。流唯さんは大きい方のおじさんから苗の入った箱を受け取り、和やかに立ち話をしていた。


「お客さんでも来てるのかい?」

「ええ。昔の馴染みが押しかけて来まして」

「ひょっとしてコレかい?」

「……太蔵(たぞう)さん。変な勘繰りはやめてください」

「いやあ、悪い悪い! 理子ちゃんは別嬪さんだから、おじさん心配でなぁ!」


 分かります。その気持ち!

 まだ話したこともないのに、大柄のおじさんに強く共感してしまった。


 流唯さんみたいな美人を、世の男たちが放っておくわけないもんね。


 パールクイーンだけじゃなく、彼女に惚れちゃう男はごまんといるはず。そうなればおかしな害虫が交じることだって絶対あるよね。っていうか、さっきから聞こえてくる理子(りこ)ちゃんて、流唯さんのことだよね?


「偽名使ってるんだ……」


 賞金首だから、こんな田舎でもばれないように気を遣っているのかな。


「どう見ても理子なんてガラじゃねえよなぁ」

「うっ……」


 キャップ。いきなり頭にのしかかるのはやめてください。首の関節が一個潰れそうになりましたよ。


「正体なんか隠さねえで、堂々とすりゃあいいもんを」


 そんなことをしたら即役人に捕まりますよ。今は足を洗ったとしても、海賊として捕まれば、流唯さんだって縛り首じゃん。


「まったく、どこまで逃げるつもりかね」


 ……あれ? これって、誰の話? もしかして、流唯さんのことを言いつつもエマに向けて言ってたりする? ここに来て逃げようとしてたの、見抜かれてる?


 まさか……ね?


 そろぉっと頭上を仰ぎ見ると、キャップはぼんやり外を眺めていた。視線の先にいるのは流唯さんだ。やっぱり、考えすぎだね。

 密かに胸を撫で下ろした矢先だった。ぼそりと、キャップがつぶやいた。


「海賊と海を切り離すことはできねえのになぁ」


 それはつまり、海賊の血を引くエマが海から逃げるのは不可能だと。どんなに陸にいても、陸の人間と同じように暮らしていても、海の呪縛を完全に断ち切ることはできないんだと。そう言っているように聞こえた。


「でも私はっ……」


 思い切って反論しかけたとき、


「ヤベ。見つかった」


 キャップが慌てて頭を引っ込めた。


「おい! 部屋に戻れ!」


 ドアに張りついていたクルーたちに小声で叫ぶと、四つん這いになって戻って行く。しかし部屋に辿り着く前に玄関のドアが開くと、彼らは気まずそうに振り返った。


「……相変わらず、君たちは頭が弱いね」


 流唯さんは、氷の微笑を浮かべていた。


「その年になってもまだ自分の立場が分からないのかな?」


 静かに玄関のドアを閉めて、笑顔のまま歩み寄る。


「君たちのような国際指名手配犯っていうのはね、世界共通の犯罪者っていうことなんだよ。この華朝に限らず、ほかのどの国に行っても手配書が貼られている。つまり、こんな田舎でも君らを知っている人がいるくらい知名度も高くなるっていうことだ。それくらい、教えなくても分かっていると思ったけどな」

「も、もももちろん、分かってるぜ? なあ?」


 引きつった笑顔で同意を求めるキャップに、ほかのみんなも揃って首を縦に振る。ちょっと面白い光景だ。


「その割には危機感がないよねぇ。もしかしてあれかな。母港がある華朝だから、ここも役人が甘いとでも思ってるのかな」


 実際のところ、流唯さんの言う通りそれはある。華朝の大都は、パールクイーンが勝手に母港にしているおかげで、ほかの海賊被害から逃れられている事実がある。そのため、華朝政府は反海賊の立場をとりながらもパールクイーンを黙認しているのだ。しかし、それはあくまでも大都での話である。同じ華朝でも、管轄の違う場所では通用しないことがある。


「ここで騒ぎを起こす奴は、私が縛り首にしてやる。分かったらとっととリビングに戻れ」


 怒りを滲ませた流唯さんに、みんなは慌ててリビングへ飛び込んだ。海では無敵を誇るパールクイーンも、彼女の前では形無しだ。


 だけど、一人だけその場に残った人がいた――銀だ。


 賞金首でも犯罪者でもないエマはともかく、彼は流唯さんの言う指名手配犯の一人である。ほかのみんなと同様に、人に顔を見られないよう、リビングへ戻らなければいけないはずだった。


「……私の言葉が聞こえなかったのかな」


 気づいた流唯さんも、静かに彼を威嚇する。対する銀は、無言で立ったまま彼女を見ていた。


「そこにいると、外から見えるんだよ」


 捕まってもいいのかと問いかける流唯さんに、銀は真顔で答えた。


「お前の生活を壊せるなら、別にいい」


 意味が分からなかった。

 銀は、流唯さんのことが好きなはず。なのに彼女の生活を壊したいだなんて。首を傾げるエマなんて蚊帳の外に追い出して、銀は流唯さんを見つめた。


「いつまでこんなことを続ける気だ」


 流唯さんも、淡々と銀を見つめた。


「今の私は幸せだよ」


 表情も言葉も落ち着いていて、動揺は見られなかった。でもその直後、状況は一変した。


「理子ちゃん。ちょっといいかい?」


 突然、大柄の男が入ってきて、初めて流唯さんの顔に動揺が走った。一瞬、その場の空気が凍りつく。けどすぐに元に戻った彼女が、笑顔で男を振り返った。


太蔵(たぞう)さん。どうしました?」


 太蔵と呼ばれた男は、ほんの一瞬の間に銀を見て、エマを見て、そして流唯さんを見てにっこり笑った。


「お取り込み中だったかな?」


 屈強な船乗りにも負けない体格の良さと、底抜けに明るい笑顔が印象的なおじさんだ。


「堆肥を運び終えたんで、そろそろお(いとま)しようかと思ってな」

「すいません。任せっぱなしで」

「なぁに、気にするこたぁねえよ」


 大きな声で豪快に笑うと、銀とエマには触れずに外へ出ていく。流唯さんもあとを追って出ていくと、エマはほっと息をついた。




 ◇◇◇




「それじゃ、また何かあったときは言ってくれな」


 荷馬車によいしょと足をかけて乗り込むと、太蔵は振り返る。


「いつもすいません。ありがとうございました」


 控えめな笑顔とともに礼を告げられ、穏やかに頷いてから連れを急かした。


「おい正生(まさお)! 何ぼさっとしてやがる! 早くしねえか!」


 こんな風に、発破をかけるのもいつものことだ。しかし、一見変わり映えのないやり取りが、いつもと違うことに正生は気づいた。


「へーい。今行きますよ」


 小走りで馬車へ向かいながら、さりげなく屋敷の方に視線をずらす。通りに面した出窓の中で、複数の人影が動いて見えた。カーテンが邪魔でよく見えなかったが、こそこそしながらこちらを窺っているようだった。あれは、間違いなく罪人の動きだ。やましいことがない人間は、あんな風に人の目から隠れたりしない。


 前々から、怪しいと思っていたのだ。この理子という女、どう見ても普通の女じゃない。第一、まだ三十にもならない若い女が、一人で田舎にこもって畑仕事をしている時点で不自然だ。この家が実家で、仕方なく後を継いだっていうなら話は別だが。垢抜けた容姿はとても土いじりをする人間に見えないし、わざわざ単身でこんな田舎のボロ家に移り住むなんざ、訳ありとしか思えない。普段から目立たずひっそり暮らしている様子を見ると、何かから逃げてきたんじゃないかと薄々感じてはいたが、思った通りだ。おそらく、あの人影は理子を頼って逃げてきた仲間か、理子を捕まえるために追いかけてきた元仲間か。どちらにしろ、裏社会の人間に違いないだろう。


「ところで、今夜の集会には来るんだろ?」

「この通り客が来てるので、顔出しだけします」

「そりゃあ残念だな。理子ちゃんがいないと年寄りばっかで辛気臭えんだ」


 太蔵と理子が話している隙に、正生は御者台に乗り込んで再び出窓を流し見た。しかし、先程までいた人影はすでになく、隠れている感じもしなかった。


 部屋の奥に引っ込んだか。


「それじゃ、また夕方にな」


 太蔵の言葉を聞いて、正生は手綱を振るった。のんびりと馬車を動かして理子の家をあとにすると、太蔵が所有する倉庫へ向かった。そこで残りの堆肥や苗を全て降ろし、近くの太蔵の家へと移動する。空になった荷車から馬を解き、厩舎へ入れて戻ってくると、屋敷の玄関先で太蔵が待っていた。


「茶でも飲んでいくか?」

「いやあ、一旦家に帰ります」

「そうか。夕方の集会には遅れるなよ」

「へい」


 今日はいつもより仕事の終わりが早い。夕暮れにはまだ時間があるし、ちょうど良かった。家には戻らず、その足で向かったのは詰所だった。


「邪魔するよ。指名手配犯の手配書リストを見せてくれ」

「なんだい。凶悪な罪人でも出たかい」

「なに、ちぃっと確認したいだけさ」


 平和ボケした役人に笑って答え、正生は分厚い手配書リストを受け取った。どっしりと椅子に腰かけて、パラパラと何気なくめくりながら、似顔絵や顔写真を見ていく。目当てのものは、案外すぐに見つかった。


「やっぱりな」


 確信を得た上で、ほかの手配書にも目を通す。もし仲間もいたら厄介だ。念のため、ほかのリストも確認しておこうと思ったのだが。思いがけず、とんでもないものを見つけてしまった。


「……なるほど。こういうことだったのか」


 一枚の手配書を食い入るように見つめながら、正生はにやりとほくそ笑んだ。

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