11.真実は残酷
新鮮な外の空気を深く吸い込み、うーんと大きく伸びをする。
「よう。エマっち! 今日もふわふわのぷにぷにだな!」
ボルボア船長の意味不明な言葉にも、惜しみなく元気な笑顔を返しておく。ミリの誤解が解けて、気分はすっきり晴れやかだ。
「船長もお元気そうで何よりです!」
昨日はあんなに飲んでいたのに、二日酔いにならないなんて素晴らしい。
「まあな! 俺は元気なのが取り柄なん……ゔおえー……!」
「……」
前言撤回。
舷側に駆け寄って身を乗り出すボルボアさん。どうやら、二日酔いで外の空気を吸いに出ていたらしい。
「もー、キャップも年なんだから、少しは考えて飲まないと」
「うるせい。俺はまだまだ年じゃねえ!」
背中をさすってくれるミリに、感謝どころか睨んでいる。それがなんだか微笑ましくて、エマも一緒になって背中をさすった。こうしていると、自分が海賊船に来たことを忘れてしまいそうだ。この船は、とても和やかな空気に満ちている。まだ海に出ていないせいもあるだろうけど、船長の人柄がそうさせているんだと思う。
パールクイーンは、船長とクルーの距離がとても近い。今の海賊世界はどうなのか、エマは全く知らないけれど、少なくともシーウルフは上下関係がはっきりしていた。こんな風に、クルーが船長に親しく接するなんてあり得ない。言葉遣いだって、幹部や船長には敬語が当然とされていた。そうしないと、女であるばば様が海賊を率いることはできなかったんだろう。
一方パールクイーンは、そもそも組織としてできていない。ここに来た初日にも言われたけど、彼らはひとつの家族なのだ。だから誰にでも親しく話すし、気兼ねなく物言いもする。船長がクルーを尊重することで信頼関係が築かれて、クルーも伸び伸びとできるのだ。
一言で海賊と言っても、いろんな形があるらしい。どっちが正しいとかじゃなくて、それぞれに適した形なのだ。
ここに来なければ、知ることもなかっただろう発見だった。
やっぱり来て良かった。
と思ったら、後ろからぬうっと黒い影が近づいてきた。銀だ。
ひぃー!
なんとか声は出さずに堪えたものの、びくっと肩が弾んで倒れかけた。対する銀は、いつものことと気に留めず、すたすた歩いて通り過ぎていく。
確かに、パールクイーンは、クルーが伸び伸びできる環境だ。でもそれは、個性的なクルーが多いとも言える。
面倒見が良く、真面目で罪人臭を感じない准。
色白でフェミニンなお洒落が大好きなキャル。
爽やかな笑顔が眩しいイケメンのミリ。
そこにいるだけで強烈な威圧感を放つ銀。
タイプは違うけど、この四人は確実に一般的な海賊の枠から外れている。中でも銀は、常軌を逸した存在だと思う。
「大丈夫? エマちゃん」
「う、うん……」
支えてくれたミリに、返す笑顔が引きつってしまった。
あの人、身長も高くて体格もいいのに、なんで気配を感じないの?
足音すら聞こえなかったよ。って、靴履いてないじゃん! なんで裸足⁉
悶絶するエマなんて露知らず、銀は舳先の近くでストレッチを始めた。そういえば、昨夜流唯さんに怒った彼は本当に怖かった。悪い人じゃないから大丈夫って、思った矢先にあれだ。苦手意識が払拭どころか、ますます強まってしまった。
でも、よく考えてみたら、それだけ流唯さんが大事ってことだよね。
あんな風に怒るくらい彼女に真剣なんだと思ったら、少しは親しみも感じられた。流唯さんは今日帰るって聞いたけど、いいのかな。貴重な時間のはずなのに、一緒にいなくてもいいんだろうか。それとも、昨日喧嘩したから避けてるのかな。
頭に浮かんだエマの疑問は、すぐに解かれた。間もなくして、船尾楼から流唯さんが出てきたのだ。彼女はほかのクルーたちに声をかけながら、舳先の方へ向かっていく。そして、腹筋をしていた銀の隣にちょこんと座った。
何を話してるんだろう。
気になるのに、声が聞こえないのがもどかしい。目を凝らして口の動きを見ようとしたけど、さすがにそれは無理だった。いっそのこと近づいてみようかと思ったけど、その直後、エマは自分の目を疑った。流唯さんが銀にもたれたのだ。そんなことをしたら殺されるんじゃないかと思ったのは一瞬で、エマは自分の目をこすって二度見した。だって、銀が穏やかに笑っている。
「……嘘」
銀ってこんな顔もするの⁉ いつも目つきが悪くて、むすっとしているのに。無愛想でノリが悪くて、何を考えているのか分からないのに。
まるで別人だった。流唯さんが彼の膝枕で寛ぎだすと、その頭を優しく撫でちゃったりなんかして。全身が見えない棘だらけのサボテン男に、あれほどの包容力があったとは! すごい。すごすぎるよ。どうやって銀を手懐けたんだろう。と思ったけど、すぐに思い直した。あの綺麗すぎる笑顔を見せられたら、誰だって恋に落ちる。流唯さんの容姿なら怖いものなしだ。
「あーあ。世の中って不公平だよね」
思わずつぶやいたら、その場にいたボルボアに頭をわしゃわしゃされた。う。酒臭いです。
「エマっちだって可愛いぜ?」
「……船長。二日酔いは大丈夫ですか?」
「キャップと呼びたまえ! 俺はいつだって大丈夫だ!」
気分が悪くても親指を突き立てて笑う彼に、感心半分、呆れ半分で頷いたあと、そういえばと気になっていたことを聞いてみた。
「キャップ」
「なんだい。エマ君」
「流唯さんて、パールクイーンの一人なんですよね? なんで年に一回しか来ないんですか?」
ボヤ騒ぎがあったあと、准がエマに教えてくれた。男装をしていた流唯さんは、今は女に戻って船を降りているのだと。それはつまり、陸の人と結婚をしたからだと思った。家庭を持つことになったから海賊を引退したのかなって。だけど今、流唯さんは銀の膝枕で気持ち良さそうに寛いでいる。
もし本当に結婚しているのなら、そんなことはしないはず。
例のベッドだって、たとえ一日でも銀と二人きりの部屋で寝るのは避けるはず。既婚者でありながら、夫がいないところで他の男に甘える人ではない……よね?
そう思ったとき、風野祭りの際に居酒屋で救われたことを思い出した。
エマを救ってくれた彼女は、チンピラ君たちを誘い出してどうなったんだろう。
まさかとは思いながらも、嫌な予感がよぎったエマにキャップが真顔で頷いた。
「そうだな。それは直接本人に聞いてみようか」
「え?」
「おーい! 流唯ちゃーん!」
エマが止める間もなく張りのある声を上げ、流唯さんがこっちにやってきた。どうしよう。本人に聞きづらいからキャップに聞いたのに。
「何? 昼寝するところだったんだけど」
「可愛いエマっちがお前に聞きたいことがあるんだとよ」
だるそうな様子の彼女だったけど、キャップの言葉を聞いたらきょとんと目を丸くした。
「エマちゃんが? 何?」
えーっと、面と向かって聞くのはちょっと勇気が……。
だからって逃げることもできない状況で、助けを求めてミリを見ると、彼はにっこり微笑んで頷いた。それって、気まずい答えは返ってこないということね? そうだよね?
「あの……」
ここはミリを信じよう!
「なんで流唯さんはみんなと一緒にいないんですか?」
「一緒にいるけど?」
「今じゃなくて。パールクイーンの一人なのに、普段も一緒にいないんですか?」
思い切って聞いてみたら、意外な答えが返ってきた。
「私はパールクイーンじゃないよ。船を降りた時点でパールクイーンの証も返却してるから」
いつだったか、エマも噂に聞いたことがある。パールクイーンのクルーは、みんな必ず証であるペンダントを持っているって。どんなものかは分からないけど、噂は本当だったのだ。
「ほしいならいつでもやるぞ」
口を挟んだキャップに、流唯さんは穏やかに微笑んで頭を振った。
「悪いけど、もう海賊をやる気はないんだよ」
「それって、結婚したからってことですか?」
核心に迫るべく聞いてみると、彼女は気まずいどころか噴き出した。
「まさか! 結婚なんて一生縁のないことだよ。ほら、指輪もしてないでしょ?」
言いながら両手を見せられたけど、左手は革のグローブをしていて分からない。縁がないなんて言い方も引っかかって、素直に納得できずにいたら、気づいた彼女は苦笑した。
「これじゃあ分からないか」
そして、仕方なさそうにグローブをはずす。露わになった流唯さんの左手を見て、エマは言葉を失った。
確かに、指輪はなかった。いつもグローブをつけているのか、彼女の左手はほかの部分よりも白かった。だけど綺麗なはずのその手に、目を覆いたくなるような傷痕があった。
「びっくりするよね」
流唯さんは自嘲をこぼし、右手でそっと傷痕に触れる。それは、ちょっと擦りむいたとか、切ったというレベルじゃなかった。皮膚が歪んで盛り上がり、大きく縫合の痕が残っている。しかも、手の甲と掌の両方に。これは、刃物で貫かれた痕だ。
想像してぞっとした。すでに完治しているようだけど、あまりにも痛々しくて顔が歪む。
「もしかして……海賊をやめたのはその傷のせいですか?」
海での戦いで深手を負い、力の限界を感じてドロップアウトしたんだろうか。
顔色を窺いながら聞いてみると、彼女は再びグローブをはめながらそれに答えた。
「まあね。これも理由のひとつかな」
その顔がなんだか悲しそうで、切なかった。
「結婚に縁がないって言ったのも……この傷のせいだったんですね」
多分、傷痕は一生消えない。流唯さんはそれを気にして、自ら恋愛を避けているのかもしれない。こんなにも美人なのにって、思ったエマに、彼女は困ったように笑った。
「別にこれ自体は気にしてないよ。傷なら体中にあるからね」
「え?」
驚くエマの前で、彼女はシャツの袖をまくる。
「普段は普通の女に見えるように、化粧と服で隠してるんだ。本当はちっとも綺麗なんかじゃないんだよ」
そして見えた彼女の腕に、エマはさらに驚いた。二の腕からグローブをはめた手首までの腕に、無数の傷痕がついていた。触っても皮膚の歪みはほとんどないけど、くっきり線になって残っている。
「街に貼ってある賞金首のリスト、見たことない? これでも一応、五億の賞金首なんだけど」
「えぇっ⁉」
一日でこんなに驚いたのは初めてだ。それくらい、驚きの連続だった。ここまでくると、もう何と言っていいのか分からない。
「五億かー。賞金首の壁だよなぁ。俺もそこに並びたいね」
羨ましそうにつぶやいたミリに、いくらなのかと聞いてみれば、「俺はまだ三億だよ」なんて、照れ臭そうに彼ははにかむ。
ちなみに、キャプテンボルボアは八億で、銀は五億の賞金が掛けられているらしい。それを聞くと、三億なんてまだまだな感じがするけど、華朝では一般成人の年収が四、五百万だ。本来なら、一億だって夢のような金額である。なのに流唯さんは、一億どころか三億どころか、五億なのだ。
でも、パールクイーン唯一の女って考えたら、高額がつくのも当然なのかも。
「足を洗った私には、五億も自慢にはならないよ」
むしろ邪魔でしかない肩書きだけど、これも自業自得だと彼女は言う。散々好き勝手にしてきたツケが、今になって回ってきたと。
「それに、私の兄は役人なんだよ。いつまでも海賊やって彼の足を引っ張るわけにもいかないでしょ」
「お兄さんって、祭りの時に一緒にいた人ですか?」
「そう」
「じゃあ、あのとき流唯さんが外に連れ出した人たちは……」
「兄が近くの詰所に連行したよ」
「そうだったんですか」
もしかしたらチンピラ君たちと仲良く遊んだんじゃないかなんて、邪推した自分が恥ずかしい。やっぱり流唯さんは思った通りの男前だ。年に一回しかここに来ないのも、彼女なりのけじめと、お兄さんの立場を考えてのことだったのだ。
「親切に教えてくれてありがとうございます」
これで全て納得した。だけどすっきりしたエマとは逆に、ほかの人たちの表情は浮かない。腕組みをして聞いていたキャップは、真顔で流唯さんをじっと見ていた。その目が意味深に感じるのは、エマの気のせいなんだろうか。どうしたのか聞こうとしたら、ミリが先に口を開いた。
「俺らは今も待ってるよ」
彼もまた、真っ直ぐ流唯さんを見つめていた。
「ずっと待ってるから」
まるで告白のようなその言葉に、流唯さんは控えめに微笑んだ。
「また来年、会いに来るよ」
やんわりと拒絶を返し、うーんと両手を上げて伸びをする。そして彼女は、銀の方に戻ってしまった。その後ろ姿を見つめるミリは、もどかしそうに歯を食いしばった。
「やっぱり……、無理なんですかね」
ぼそりとつぶやいた彼の肩に、キャップがぽんと手をかける。
「無理だと思ったらそれまでだぜ」
その言葉に力ない笑みを返したミリは、寂しそうに流唯さんを見つめる……って、何? このシリアスな展開は。
知りたくないけど、嫌な予感が頭に浮かぶ。知りたくないけど、すごく気になる。
「ミ、ミミミミ、ミリ!」
「うん?」
「ミリって……」
まさか。
「流唯さんのこと……⁉」
違うよね? 違うと言って!
「好きだよ?」
それが何か? とでも言いそうな軽い口調に、エマは撃沈された。
「……そうなんだ」
全身が海の底へ沈んでいくような気分だった。深い海底に光は届かず、どこまでも闇が広がる海の底。
「流唯さん、綺麗だもんね……」
「綺麗なだけじゃないんだよ。頑張り屋で、努力家でさ、でもすぐに無茶して、それが放っておけなくて」
どうやら、彼の心にエマが入る余地はないらしい。
「俺もキャップも銀も、みんな流唯ちゃんが大好きだよ」
もう、そんなに好き好き言わなくても分かったよ……って、え?
「……みんな?」
「そう。流唯ちゃんはパールクイーンのマドンナだからね」
真っ暗だった海底に、一筋の光が差した。
「それって、恋愛とかじゃなくて……?」
「違う違う。仲間としてだよ」
底なし沼のように思われた海底世界に、光の雨が降り注ぐ。
「なんだ。仲間としてね」
一転して気分が軽くなり、沈んでいた体が浮上していくようだった。
あー良かった。エマさんてば、とんだ早とちりだ。
「私ってば、ミリが流唯さんに恋してるのかと思ったよ」
「まさかー。浮気なんかしたら、一生子供に会わせてもらえなくなるよ」
……今、何て言いました?
「先月で二歳になったんだけどね。これがまた可愛いの何のって」
のろけるミリの声が遠い。
結婚していたのは、あなたですか。
海中を浮上したエマの身体は、海面の手前で再び暗い海底へと引きずり込まれた。




