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Sinner E  作者: 藤 子
【海賊編】
17/47

11.真実は残酷

 新鮮な外の空気を深く吸い込み、うーんと大きく伸びをする。


「よう。エマっち! 今日もふわふわのぷにぷにだな!」


 ボルボア船長の意味不明な言葉にも、惜しみなく元気な笑顔を返しておく。ミリの誤解が解けて、気分はすっきり晴れやかだ。


「船長もお元気そうで何よりです!」


 昨日はあんなに飲んでいたのに、二日酔いにならないなんて素晴らしい。


「まあな! 俺は元気なのが取り柄なん……ゔおえー……!」

「……」


 前言撤回。

 舷側に駆け寄って身を乗り出すボルボアさん。どうやら、二日酔いで外の空気を吸いに出ていたらしい。


「もー、キャップも年なんだから、少しは考えて飲まないと」

「うるせい。俺はまだまだ年じゃねえ!」


 背中をさすってくれるミリに、感謝どころか睨んでいる。それがなんだか微笑ましくて、エマも一緒になって背中をさすった。こうしていると、自分が海賊船に来たことを忘れてしまいそうだ。この船は、とても和やかな空気に満ちている。まだ海に出ていないせいもあるだろうけど、船長の人柄がそうさせているんだと思う。


 パールクイーンは、船長とクルーの距離がとても近い。今の海賊世界はどうなのか、エマは全く知らないけれど、少なくともシーウルフは上下関係がはっきりしていた。こんな風に、クルーが船長に親しく接するなんてあり得ない。言葉遣いだって、幹部や船長には敬語が当然とされていた。そうしないと、女であるばば様が海賊を率いることはできなかったんだろう。

 一方パールクイーンは、そもそも組織としてできていない。ここに来た初日にも言われたけど、彼らはひとつの家族なのだ。だから誰にでも親しく話すし、気兼ねなく物言いもする。船長がクルーを尊重することで信頼関係が築かれて、クルーも伸び伸びとできるのだ。

 一言で海賊と言っても、いろんな形があるらしい。どっちが正しいとかじゃなくて、それぞれに適した形なのだ。

 ここに来なければ、知ることもなかっただろう発見だった。


 やっぱり来て良かった。


 と思ったら、後ろからぬうっと黒い影が近づいてきた。銀だ。


 ひぃー!


 なんとか声は出さずに堪えたものの、びくっと肩が弾んで倒れかけた。対する銀は、いつものことと気に留めず、すたすた歩いて通り過ぎていく。


 確かに、パールクイーンは、クルーが伸び伸びできる環境だ。でもそれは、個性的なクルーが多いとも言える。


 面倒見が良く、真面目で罪人臭を感じない准。

 色白でフェミニンなお洒落が大好きなキャル。

 爽やかな笑顔が眩しいイケメンのミリ。

 そこにいるだけで強烈な威圧感を放つ銀。


 タイプは違うけど、この四人は確実に一般的な海賊の枠から外れている。中でも銀は、常軌を逸した存在だと思う。


「大丈夫? エマちゃん」

「う、うん……」


 支えてくれたミリに、返す笑顔が引きつってしまった。


 あの人、身長も高くて体格もいいのに、なんで気配を感じないの?

 足音すら聞こえなかったよ。って、靴履いてないじゃん! なんで裸足⁉


 悶絶するエマなんて露知らず、銀は舳先の近くでストレッチを始めた。そういえば、昨夜流唯さんに怒った彼は本当に怖かった。悪い人じゃないから大丈夫って、思った矢先にあれだ。苦手意識が払拭どころか、ますます強まってしまった。


 でも、よく考えてみたら、それだけ流唯さんが大事ってことだよね。


 あんな風に怒るくらい彼女に真剣なんだと思ったら、少しは親しみも感じられた。流唯さんは今日帰るって聞いたけど、いいのかな。貴重な時間のはずなのに、一緒にいなくてもいいんだろうか。それとも、昨日喧嘩したから避けてるのかな。

 頭に浮かんだエマの疑問は、すぐに解かれた。間もなくして、船尾楼から流唯さんが出てきたのだ。彼女はほかのクルーたちに声をかけながら、舳先の方へ向かっていく。そして、腹筋をしていた銀の隣にちょこんと座った。


 何を話してるんだろう。


 気になるのに、声が聞こえないのがもどかしい。目を凝らして口の動きを見ようとしたけど、さすがにそれは無理だった。いっそのこと近づいてみようかと思ったけど、その直後、エマは自分の目を疑った。流唯さんが銀にもたれたのだ。そんなことをしたら殺されるんじゃないかと思ったのは一瞬で、エマは自分の目をこすって二度見した。だって、銀が穏やかに笑っている。


「……嘘」


 銀ってこんな顔もするの⁉ いつも目つきが悪くて、むすっとしているのに。無愛想でノリが悪くて、何を考えているのか分からないのに。

 まるで別人だった。流唯さんが彼の膝枕で寛ぎだすと、その頭を優しく撫でちゃったりなんかして。全身が見えない棘だらけのサボテン男に、あれほどの包容力があったとは! すごい。すごすぎるよ。どうやって銀を手懐けたんだろう。と思ったけど、すぐに思い直した。あの綺麗すぎる笑顔を見せられたら、誰だって恋に落ちる。流唯さんの容姿なら怖いものなしだ。


「あーあ。世の中って不公平だよね」


 思わずつぶやいたら、その場にいたボルボアに頭をわしゃわしゃされた。う。酒臭いです。


「エマっちだって可愛いぜ?」

「……船長。二日酔いは大丈夫ですか?」

「キャップと呼びたまえ! 俺はいつだって大丈夫だ!」


 気分が悪くても親指を突き立てて笑う彼に、感心半分、呆れ半分で頷いたあと、そういえばと気になっていたことを聞いてみた。


「キャップ」

「なんだい。エマ君」

「流唯さんて、パールクイーンの一人なんですよね? なんで年に一回しか来ないんですか?」


 ボヤ騒ぎがあったあと、准がエマに教えてくれた。男装をしていた流唯さんは、今は女に戻って船を降りているのだと。それはつまり、陸の人と結婚をしたからだと思った。家庭を持つことになったから海賊を引退したのかなって。だけど今、流唯さんは銀の膝枕で気持ち良さそうに寛いでいる。


 もし本当に結婚しているのなら、そんなことはしないはず。


 例のベッドだって、たとえ一日でも銀と二人きりの部屋で寝るのは避けるはず。既婚者でありながら、夫がいないところで他の男に甘える人ではない……よね?

 そう思ったとき、風野祭りの際に居酒屋で救われたことを思い出した。


 エマを救ってくれた彼女は、チンピラ君たちを誘い出してどうなったんだろう。


 まさかとは思いながらも、嫌な予感がよぎったエマにキャップが真顔で頷いた。


「そうだな。それは直接本人に聞いてみようか」

「え?」

「おーい! 流唯ちゃーん!」


 エマが止める間もなく張りのある声を上げ、流唯さんがこっちにやってきた。どうしよう。本人に聞きづらいからキャップに聞いたのに。


「何? 昼寝するところだったんだけど」

「可愛いエマっちがお前に聞きたいことがあるんだとよ」


 だるそうな様子の彼女だったけど、キャップの言葉を聞いたらきょとんと目を丸くした。


「エマちゃんが? 何?」


 えーっと、面と向かって聞くのはちょっと勇気が……。

 だからって逃げることもできない状況で、助けを求めてミリを見ると、彼はにっこり微笑んで頷いた。それって、気まずい答えは返ってこないということね? そうだよね?


「あの……」


 ここはミリを信じよう!


「なんで流唯さんはみんなと一緒にいないんですか?」

「一緒にいるけど?」

「今じゃなくて。パールクイーンの一人なのに、普段も一緒にいないんですか?」


 思い切って聞いてみたら、意外な答えが返ってきた。


「私はパールクイーンじゃないよ。船を降りた時点でパールクイーンの証も返却してるから」


 いつだったか、エマも噂に聞いたことがある。パールクイーンのクルーは、みんな必ず証であるペンダントを持っているって。どんなものかは分からないけど、噂は本当だったのだ。


「ほしいならいつでもやるぞ」


 口を挟んだキャップに、流唯さんは穏やかに微笑んで頭を振った。


「悪いけど、もう海賊をやる気はないんだよ」

「それって、結婚したからってことですか?」


 核心に迫るべく聞いてみると、彼女は気まずいどころか噴き出した。


「まさか! 結婚なんて一生縁のないことだよ。ほら、指輪もしてないでしょ?」


 言いながら両手を見せられたけど、左手は革のグローブをしていて分からない。縁がないなんて言い方も引っかかって、素直に納得できずにいたら、気づいた彼女は苦笑した。


「これじゃあ分からないか」


 そして、仕方なさそうにグローブをはずす。露わになった流唯さんの左手を見て、エマは言葉を失った。

 確かに、指輪はなかった。いつもグローブをつけているのか、彼女の左手はほかの部分よりも白かった。だけど綺麗なはずのその手に、目を覆いたくなるような傷痕があった。


「びっくりするよね」


 流唯さんは自嘲をこぼし、右手でそっと傷痕に触れる。それは、ちょっと擦りむいたとか、切ったというレベルじゃなかった。皮膚が歪んで盛り上がり、大きく縫合の痕が残っている。しかも、手の甲と掌の両方に。これは、刃物で貫かれた痕だ。

 想像してぞっとした。すでに完治しているようだけど、あまりにも痛々しくて顔が歪む。


「もしかして……海賊をやめたのはその傷のせいですか?」


 海での戦いで深手を負い、力の限界を感じてドロップアウトしたんだろうか。

 顔色を窺いながら聞いてみると、彼女は再びグローブをはめながらそれに答えた。


「まあね。これも理由のひとつかな」


 その顔がなんだか悲しそうで、切なかった。


「結婚に縁がないって言ったのも……この傷のせいだったんですね」


 多分、傷痕は一生消えない。流唯さんはそれを気にして、自ら恋愛を避けているのかもしれない。こんなにも美人なのにって、思ったエマに、彼女は困ったように笑った。


「別にこれ自体は気にしてないよ。傷なら体中にあるからね」

「え?」


 驚くエマの前で、彼女はシャツの袖をまくる。


「普段は普通の女に見えるように、化粧と服で隠してるんだ。本当はちっとも綺麗なんかじゃないんだよ」


 そして見えた彼女の腕に、エマはさらに驚いた。二の腕からグローブをはめた手首までの腕に、無数の傷痕がついていた。触っても皮膚の歪みはほとんどないけど、くっきり線になって残っている。


「街に貼ってある賞金首のリスト、見たことない? これでも一応、五億の賞金首なんだけど」

「えぇっ⁉」


 一日でこんなに驚いたのは初めてだ。それくらい、驚きの連続だった。ここまでくると、もう何と言っていいのか分からない。


「五億かー。賞金首の壁だよなぁ。俺もそこに並びたいね」


 羨ましそうにつぶやいたミリに、いくらなのかと聞いてみれば、「俺はまだ三億だよ」なんて、照れ臭そうに彼ははにかむ。

 ちなみに、キャプテンボルボアは八億で、銀は五億の賞金が掛けられているらしい。それを聞くと、三億なんてまだまだな感じがするけど、華朝では一般成人の年収が四、五百万だ。本来なら、一億だって夢のような金額である。なのに流唯さんは、一億どころか三億どころか、五億なのだ。

 でも、パールクイーン唯一の女って考えたら、高額がつくのも当然なのかも。


「足を洗った私には、五億も自慢にはならないよ」


 むしろ邪魔でしかない肩書きだけど、これも自業自得だと彼女は言う。散々好き勝手にしてきたツケが、今になって回ってきたと。


「それに、私の兄は役人なんだよ。いつまでも海賊やって彼の足を引っ張るわけにもいかないでしょ」

「お兄さんって、祭りの時に一緒にいた人ですか?」

「そう」

「じゃあ、あのとき流唯さんが外に連れ出した人たちは……」

「兄が近くの詰所に連行したよ」

「そうだったんですか」


 もしかしたらチンピラ君たちと仲良く遊んだんじゃないかなんて、邪推した自分が恥ずかしい。やっぱり流唯さんは思った通りの男前だ。年に一回しかここに来ないのも、彼女なりのけじめと、お兄さんの立場を考えてのことだったのだ。


「親切に教えてくれてありがとうございます」


 これで全て納得した。だけどすっきりしたエマとは逆に、ほかの人たちの表情は浮かない。腕組みをして聞いていたキャップは、真顔で流唯さんをじっと見ていた。その目が意味深に感じるのは、エマの気のせいなんだろうか。どうしたのか聞こうとしたら、ミリが先に口を開いた。


「俺らは今も待ってるよ」


 彼もまた、真っ直ぐ流唯さんを見つめていた。


「ずっと待ってるから」


 まるで告白のようなその言葉に、流唯さんは控えめに微笑んだ。


「また来年、会いに来るよ」


 やんわりと拒絶を返し、うーんと両手を上げて伸びをする。そして彼女は、銀の方に戻ってしまった。その後ろ姿を見つめるミリは、もどかしそうに歯を食いしばった。


「やっぱり……、無理なんですかね」


 ぼそりとつぶやいた彼の肩に、キャップがぽんと手をかける。


「無理だと思ったらそれまでだぜ」


 その言葉に力ない笑みを返したミリは、寂しそうに流唯さんを見つめる……って、何? このシリアスな展開は。

 知りたくないけど、嫌な予感が頭に浮かぶ。知りたくないけど、すごく気になる。


「ミ、ミミミミ、ミリ!」

「うん?」

「ミリって……」


 まさか。


「流唯さんのこと……⁉」


 違うよね? 違うと言って!


「好きだよ?」


 それが何か? とでも言いそうな軽い口調に、エマは撃沈された。


「……そうなんだ」


 全身が海の底へ沈んでいくような気分だった。深い海底に光は届かず、どこまでも闇が広がる海の底。


「流唯さん、綺麗だもんね……」

「綺麗なだけじゃないんだよ。頑張り屋で、努力家でさ、でもすぐに無茶して、それが放っておけなくて」


 どうやら、彼の心にエマが入る余地はないらしい。


「俺もキャップも銀も、みんな流唯ちゃんが大好きだよ」


 もう、そんなに好き好き言わなくても分かったよ……って、え?


「……みんな?」

「そう。流唯ちゃんはパールクイーンのマドンナだからね」


 真っ暗だった海底に、一筋の光が差した。


「それって、恋愛とかじゃなくて……?」

「違う違う。仲間としてだよ」


 底なし沼のように思われた海底世界に、光の雨が降り注ぐ。


「なんだ。仲間としてね」


 一転して気分が軽くなり、沈んでいた体が浮上していくようだった。

 あー良かった。エマさんてば、とんだ早とちりだ。


「私ってば、ミリが流唯さんに恋してるのかと思ったよ」

「まさかー。浮気なんかしたら、一生子供に会わせてもらえなくなるよ」



 ……今、何て言いました?



「先月で二歳になったんだけどね。これがまた可愛いの何のって」


 のろけるミリの声が遠い。


 結婚していたのは、あなたですか。


 海中を浮上したエマの身体は、海面の手前で再び暗い海底へと引きずり込まれた。

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