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Sinner E  作者: 藤 子
【海賊編】
15/47

9.姐さん

 着いた先の食堂では、早速ボルボアが酒を要求していた。


「今日は飲むぞー!」


 まだ真昼間だというのに、すっかり宴会モードだ。

 船長の右隣に座った流唯さんは、ズボンのポケットからタバコを取り出し、慣れた仕草で煙を吐いた。喫煙家とは思わなかったけれど、すごく様になっていて恰好いい。

 食堂の片隅では、こそこそとマドンナの右隣に誰が座るかの争奪戦が始まった。やっぱりすごい人気だ。だけどその隙を突いて、あとから来た銀が何食わぬ様子で彼女の隣の席に座った。それに気づいたクルーたちが、目を吊り上げて喚いている。けど、彼の耳には何も聞こえていないらしい。いつもの無愛想で普通に酒を飲みだした。


 完全無視か。やるな! 銀。


 まさか彼がこんな行動をとるとは、かなり意外だ。甲板では流唯さんに声をかけることもなかったけど、噂通り、相当彼女がお気に入りと見た。


 か、可愛いかも。


 だって、あんな怖い顔してるのに、ちゃっかり好きな人の隣をゲットしちゃうなんて。そのギャップが微笑ましい。

 そこに、遅れて起きたジュリとセスが朝食を食べに入ってきた。


「うぃーっす」


 寝ぼけながらやってきた彼らだったけど、流唯さんを見るなり、セスの目の色が変わった。



「おおぉぉお姉さーん!」



 一直線に駆け寄ろうとした彼は、間もなく先輩クルーたちの鉄槌を受けて床に沈んだ。セスさん。ご愁傷様。

 一方のジュリは、先日と同様に特に反応することもなく、表情はいつもと変わらなかった。船長から紹介を受けても無言で会釈をしただけで、さっさと空いている席へ移動する。スツールに座った彼の目の前には、年代物のウイスキーが置かれていた。


 やっぱり酒か!


 どうやら、ジュリは相当な酒好きらしい。

 食堂内は、酒とタバコの匂いが充満していた。まだ夜は更けていないのに、クルーたちは大半が酔っ払いと化している。真昼間から浴びるように飲んだ結果だ。最初はきちんと椅子に座り、長テーブルを囲んでいた彼らだったが、今ではすっかり変貌していた。


 酒瓶を抱き締めるように抱え、床で盛大ないびきを掻いている船医の源じい。

 倒れた椅子ににこにこしながら話しかけている愛しのミリ様。それはまあ、可愛いからいいとして。


 カウンター越しに、美肌のために果実酒を作れとコックに絡むキャルの後ろで、

 肩を組んで語り合っているジゼルとセスは、二人とも呂律が回っていない。

 さらにテーブルの一角では、銀が黙々と酒を飲む傍らで、准とジュリと金髪のチャラ男が手に持ったトランプのカードを睨んでいる。


 そんな異様な光景が広がる中で、流唯さんだけは変わらなかった。


「流唯ちゃーん。いつまで意地張ってんだよ。俺ぁずっと待ってるんだぜ?」


 くどくどと絡みだしたボルボアに、穏やかな微笑みを返す彼女。

 本心では酔っ払いの相手なんて嫌だと思うのに、そんな気持ちはおくびにも出さず、タバコを吸いながら終始笑顔を絶やさなかった。


「流唯ちゃーん。いつになったら俺と結婚してくれんだよぉ」


 すがりついてきた金髪のチャラ男にも、シラフで普通に答えている。


「ミッチはまだ独身だったの?」

「当たり前だろぉ。俺は流唯ちゃん一筋なんだからぁ」


 そして酔っぱらった勢いで迫ろうとした彼を、鋭く察知した銀が無言で排除。

 あっという間にカオス化した食堂で、エマの口からつぶやきが漏れた。


「ついていけない……」


 この人たちって、酒を飲んだらいつもこうなるの?

 顔が引きつりすぎて痙攣しそう。早く部屋に戻りたい。でも、追い出された金髪男は別にして、ほかのみんなが食堂に残っているのに、自分だけ退室するのは気が引ける。相手が酔っ払いとなれば尚さらだ。出ていくと言ったら絡まれそうで、正直怖くて言い出せない。一緒に酒を飲むのもなんだか怖くて、ひたすら怯えながら葡萄の皮を剥いていた。

 目の前の皿には、すでに緑のピラミッドができている。


 居心地最悪……。


 誰か一人でも自主的に退室してくれたら、エマも出ていきやすいのだけど。

 考えながら、泣きたい気分で今度はピラミッドを崩しにかかる。もうお腹はいっぱいだけど、何もしないでぼーっとしているのも気まずくて、ちびちびとかじっては咀嚼した。

 今後のことを思うと気が重い。これから一年間、こんなことを何度体験するんだろう。


「エマちゃん」


 もしみんなが酔い潰れてるときに敵襲とかあったら、どうするの?


「エマちゃん」


 しかも今は流唯さんがいるけど、明日からは本当に女一人だ。敵襲以前に、酔っぱらった仲間に襲われる可能性だってあるかもしれない。――って、考え込んでいて気づかなかった。


「エマちゃん」

「えっ⁉」


 後ろからトントンと肩を叩かれ、勢い良く振り返ったら間近に流唯さんが立っていた。


「眠いんじゃない? 先に部屋に戻って休んだら?」


 その一言が欲しかったんです!


 彼女の気遣いに心の底から感謝した。

 でも、声をかけてくれた人が明日には帰ってしまうなんてひどすぎる。やっぱり男の人にこういう気遣いを求めるのは間違いなのか。しかも相手は紳士とは真逆の海賊だし。

 内心肩を落としながらも、お礼を言って席を立ち、出入り口のドアノブに手をかけたところでエマは止まった。


 寝ると言えば、流唯さんの寝床はアレ(・・)じゃないか!


 先日のボヤ騒ぎで、ベッドと壁が焦げている。

 銀に新しいシーツを渡したから、ベッドの方はうまく隠せていると思うけど、壁の方は丸見えだ。いや、両方隠せたとしても、やっぱり謝っておいた方がいい。


「あ、あの……」


 言いづらいけど、謝るなら絶対に今だ。


「何?」


 流唯さんはきょとんと首を傾げた。その可愛らしい仕草に勇気をもらって、エマは思い切って事情を話した。



「ごめんなさい!」



 彼女と銀が使っている部屋に行き、現状を見せて頭を下げる。

 ベッドは新しいシーツで綺麗になっていたけど、壁はやっぱり黒かった。


「私がうっかりしていたせいで、こんなことになっちゃって……」


 怒るかな。それとも落ち込んじゃうかな。


「これの何が問題なの?」

「え?」


 不思議そうに目を丸くする彼女に対し、エマまで目を瞬いた。

 だって、こんなこんがり焦げちゃってるし。がっつりシミも残ってるし。


「寝る分には支障ないでしょ。ほかに何か問題ある?」


 そう言われると、確かにそうなんだけど。


「まあ、強いて言うなら、うっかりタバコを落とした奴が悪い」


 謝るなら君じゃなくてそいつだと、当然のように彼女は言う。


「それに、こんなの騒ぐようなことじゃないよ」


 あまりに軽い口調で言われて、感動すら覚えてしまった。


「流唯さんて優しいんですね」


 男前だ。姐さんと呼びたい。


「そんなんじゃないよ。どうせ年に一回しか使ってないし、気にしないで」


 謙遜するところがまた素敵! と心で叫びかけたときだった。



「年に一回とか言うな」



 どこから聞いていたのか、開けっ放しだったドアに半身を預けた銀が腕を組んで立っていた。切れ長な目には鋭さが増し、眉間には深い皺が刻まれている。怖い。これは間違いなく不機嫌だ。

 大きな体がゆらりと動き、彼が部屋に入ってくる。あまりの威圧感に、声も出せなかった。だけど流唯さんは違ったらしい。


「本当のことでしょ。これからもそれは変わらないし」


 さらりと告げた彼女に、銀の表情がますます険しくなっていく。その顔を見るだけで恐ろしいのに、流唯さんは平然としていた。


「エマちゃん。ボヤ騒ぎのことはもういいから。部屋に戻って休んで」


 不機嫌な銀なんておかまいなしで、彼女はエマに笑顔を見せる。


「私は今日だけだから平気だけど、君はこれから一年もここで過ごすんでしょ? 無理してみんなに合わせていたらもたないよ」

「……でも」


 銀を怒らせたままっていうのも、怖すぎて嫌なんですが。

 ちらりと視線を動かしたエマに気づき、流唯さんは笑った。


「彼が怒ってるのは君にじゃなくて私だよ。そうでしょ? 銀」


 って、そんな軽い口調で本人に尋ねて大丈夫でしょうか。

 逆撫でしてるんじゃないかとはらはらするエマに、銀の視線が向けられる。ぎろりって。


 やっぱ怖いよー!

 思いっきり睨んでんじゃん! 怒ってるじゃん!


 だけどその表情のまま、彼はぶっきらぼうに頷いた。


流唯(こいつ)の言う通りだ。お前には関係ねえ」


 ……そうですか。それは本当に良かったです。

 でも安心して胸を撫で下ろすと同時に、今度は流唯さんのことが心配です。


「本当に……大丈夫ですか?」


 おそるおそる聞いたエマに、彼女はにっこり微笑んだ。


「大丈夫だよ。ありがとね」




 ◇◇◇




 翌朝。


「……眠れないぃ」


 愛しのミリ様とジセル手製のベッドに寝転がり、エマは天井を仰いでいた。

 昨夜、流唯さんの気遣いで部屋に戻れたのは良かったけど、結局彼女のことが気になって眠れなかったのだ。あの超不機嫌な銀のところに、彼女を残してきて本当に大丈夫だったのか。


 もしかして、暴力を振るわれたりしてないかな。


 だって相手はあの銀だ。しかも真昼間から酒を飲んで酔ってたし。考えれば考えるほど嫌な予感が膨らんで、悶々としているうちに気づいたら朝になっていた。


「顔でも洗ってこよ」


 しょぼつく目をさっぱりしたくて、早々にベッドから起き上がって自室を出た。ジュリとセスのスペースを見ると、二人の姿はない。きっと食堂で寝てるんだろう。

 部屋を出てぼんやりと通路を歩き、甲板に続くドアを開ける。


「おはよう」

「え?」


 不意に声をかけられて、振り向いたら流唯さんがいた。


「お、おはようございます」


 彼女は一人で舷側に寄りかかり、脱力した様子でタバコを吸っていた。


「あの……、昨日は大丈夫でしたか?」


 早速気になっていたことを尋ねると、流唯さんはきょとんを目を丸くする。


「昨日?」

「あのあと……、銀はかなり怒ってたみたいだったから」

「ああ。あのあとね」


 話を理解した彼女は、穏やかに笑ってエマを見た。


「大丈夫だよ。心配かけてごめんね」


 そう言われると、何だか嘘っぽく感じるんですが。


「本当だって。どこも殴られた痕なんてないでしょ?」


 確かに、流唯さんの顔は今日も綺麗だ。というか、私だったらこの顔は殴れない。そう考えたら、彼女に惚れている銀なら尚さら殴るなんてできないか。

 考え至って、やっと安心したエマの頭に、新たな疑問が湧いてきた。


「それにしても早起きですね」


 夜が明けたばかりで、外はまだ薄暗い。

 昨夜、エマが出て行ったあと、彼女もすぐに寝たとしても、この時間に起きるのは早起きだ。


「寝てないからね」


 マジですか。


「やっぱり銀に……」


 怒られてたんじゃないかと心配したら、彼女は困ったように笑った。


「ほかのクルーに連れ戻されて相手をしてたんだよ」


 その割に、顔は昨日と同じすっきりしていて、早朝の流唯さんも綺麗だ。

 対するエマはというと、すっぴんで眉毛は薄いし瞼がむくんでひどい顔だ。正直、見られたもんじゃないと自覚している。……って。


 すっぴんだった!


「ぎゃー! 見ないでくださーい!」


 慌てて顔をタオルで隠し、彼女の前を走って過ぎた。船から降りて川の水で顔を洗い、寝癖も直して再び戻る。船室に入る時も、彼女に見られないよう顔を隠して歩いた。


「どうかしたの?」

「わ、私の顔を見ないでください」

「顔?」

「すっぴんなんです! 見ないでぇー!」


 叫びながらダッシュで走り去ったエマを見て、彼女は不思議そうに首を傾げた。


「すっぴんも可愛いのに」


 つぶやきは、エマの耳まで届かなかった。

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