9.姐さん
着いた先の食堂では、早速ボルボアが酒を要求していた。
「今日は飲むぞー!」
まだ真昼間だというのに、すっかり宴会モードだ。
船長の右隣に座った流唯さんは、ズボンのポケットからタバコを取り出し、慣れた仕草で煙を吐いた。喫煙家とは思わなかったけれど、すごく様になっていて恰好いい。
食堂の片隅では、こそこそとマドンナの右隣に誰が座るかの争奪戦が始まった。やっぱりすごい人気だ。だけどその隙を突いて、あとから来た銀が何食わぬ様子で彼女の隣の席に座った。それに気づいたクルーたちが、目を吊り上げて喚いている。けど、彼の耳には何も聞こえていないらしい。いつもの無愛想で普通に酒を飲みだした。
完全無視か。やるな! 銀。
まさか彼がこんな行動をとるとは、かなり意外だ。甲板では流唯さんに声をかけることもなかったけど、噂通り、相当彼女がお気に入りと見た。
か、可愛いかも。
だって、あんな怖い顔してるのに、ちゃっかり好きな人の隣をゲットしちゃうなんて。そのギャップが微笑ましい。
そこに、遅れて起きたジュリとセスが朝食を食べに入ってきた。
「うぃーっす」
寝ぼけながらやってきた彼らだったけど、流唯さんを見るなり、セスの目の色が変わった。
「おおぉぉお姉さーん!」
一直線に駆け寄ろうとした彼は、間もなく先輩クルーたちの鉄槌を受けて床に沈んだ。セスさん。ご愁傷様。
一方のジュリは、先日と同様に特に反応することもなく、表情はいつもと変わらなかった。船長から紹介を受けても無言で会釈をしただけで、さっさと空いている席へ移動する。スツールに座った彼の目の前には、年代物のウイスキーが置かれていた。
やっぱり酒か!
どうやら、ジュリは相当な酒好きらしい。
食堂内は、酒とタバコの匂いが充満していた。まだ夜は更けていないのに、クルーたちは大半が酔っ払いと化している。真昼間から浴びるように飲んだ結果だ。最初はきちんと椅子に座り、長テーブルを囲んでいた彼らだったが、今ではすっかり変貌していた。
酒瓶を抱き締めるように抱え、床で盛大ないびきを掻いている船医の源じい。
倒れた椅子ににこにこしながら話しかけている愛しのミリ様。それはまあ、可愛いからいいとして。
カウンター越しに、美肌のために果実酒を作れとコックに絡むキャルの後ろで、
肩を組んで語り合っているジゼルとセスは、二人とも呂律が回っていない。
さらにテーブルの一角では、銀が黙々と酒を飲む傍らで、准とジュリと金髪のチャラ男が手に持ったトランプのカードを睨んでいる。
そんな異様な光景が広がる中で、流唯さんだけは変わらなかった。
「流唯ちゃーん。いつまで意地張ってんだよ。俺ぁずっと待ってるんだぜ?」
くどくどと絡みだしたボルボアに、穏やかな微笑みを返す彼女。
本心では酔っ払いの相手なんて嫌だと思うのに、そんな気持ちはおくびにも出さず、タバコを吸いながら終始笑顔を絶やさなかった。
「流唯ちゃーん。いつになったら俺と結婚してくれんだよぉ」
すがりついてきた金髪のチャラ男にも、シラフで普通に答えている。
「ミッチはまだ独身だったの?」
「当たり前だろぉ。俺は流唯ちゃん一筋なんだからぁ」
そして酔っぱらった勢いで迫ろうとした彼を、鋭く察知した銀が無言で排除。
あっという間にカオス化した食堂で、エマの口からつぶやきが漏れた。
「ついていけない……」
この人たちって、酒を飲んだらいつもこうなるの?
顔が引きつりすぎて痙攣しそう。早く部屋に戻りたい。でも、追い出された金髪男は別にして、ほかのみんなが食堂に残っているのに、自分だけ退室するのは気が引ける。相手が酔っ払いとなれば尚さらだ。出ていくと言ったら絡まれそうで、正直怖くて言い出せない。一緒に酒を飲むのもなんだか怖くて、ひたすら怯えながら葡萄の皮を剥いていた。
目の前の皿には、すでに緑のピラミッドができている。
居心地最悪……。
誰か一人でも自主的に退室してくれたら、エマも出ていきやすいのだけど。
考えながら、泣きたい気分で今度はピラミッドを崩しにかかる。もうお腹はいっぱいだけど、何もしないでぼーっとしているのも気まずくて、ちびちびとかじっては咀嚼した。
今後のことを思うと気が重い。これから一年間、こんなことを何度体験するんだろう。
「エマちゃん」
もしみんなが酔い潰れてるときに敵襲とかあったら、どうするの?
「エマちゃん」
しかも今は流唯さんがいるけど、明日からは本当に女一人だ。敵襲以前に、酔っぱらった仲間に襲われる可能性だってあるかもしれない。――って、考え込んでいて気づかなかった。
「エマちゃん」
「えっ⁉」
後ろからトントンと肩を叩かれ、勢い良く振り返ったら間近に流唯さんが立っていた。
「眠いんじゃない? 先に部屋に戻って休んだら?」
その一言が欲しかったんです!
彼女の気遣いに心の底から感謝した。
でも、声をかけてくれた人が明日には帰ってしまうなんてひどすぎる。やっぱり男の人にこういう気遣いを求めるのは間違いなのか。しかも相手は紳士とは真逆の海賊だし。
内心肩を落としながらも、お礼を言って席を立ち、出入り口のドアノブに手をかけたところでエマは止まった。
寝ると言えば、流唯さんの寝床はアレじゃないか!
先日のボヤ騒ぎで、ベッドと壁が焦げている。
銀に新しいシーツを渡したから、ベッドの方はうまく隠せていると思うけど、壁の方は丸見えだ。いや、両方隠せたとしても、やっぱり謝っておいた方がいい。
「あ、あの……」
言いづらいけど、謝るなら絶対に今だ。
「何?」
流唯さんはきょとんと首を傾げた。その可愛らしい仕草に勇気をもらって、エマは思い切って事情を話した。
「ごめんなさい!」
彼女と銀が使っている部屋に行き、現状を見せて頭を下げる。
ベッドは新しいシーツで綺麗になっていたけど、壁はやっぱり黒かった。
「私がうっかりしていたせいで、こんなことになっちゃって……」
怒るかな。それとも落ち込んじゃうかな。
「これの何が問題なの?」
「え?」
不思議そうに目を丸くする彼女に対し、エマまで目を瞬いた。
だって、こんなこんがり焦げちゃってるし。がっつりシミも残ってるし。
「寝る分には支障ないでしょ。ほかに何か問題ある?」
そう言われると、確かにそうなんだけど。
「まあ、強いて言うなら、うっかりタバコを落とした奴が悪い」
謝るなら君じゃなくてそいつだと、当然のように彼女は言う。
「それに、こんなの騒ぐようなことじゃないよ」
あまりに軽い口調で言われて、感動すら覚えてしまった。
「流唯さんて優しいんですね」
男前だ。姐さんと呼びたい。
「そんなんじゃないよ。どうせ年に一回しか使ってないし、気にしないで」
謙遜するところがまた素敵! と心で叫びかけたときだった。
「年に一回とか言うな」
どこから聞いていたのか、開けっ放しだったドアに半身を預けた銀が腕を組んで立っていた。切れ長な目には鋭さが増し、眉間には深い皺が刻まれている。怖い。これは間違いなく不機嫌だ。
大きな体がゆらりと動き、彼が部屋に入ってくる。あまりの威圧感に、声も出せなかった。だけど流唯さんは違ったらしい。
「本当のことでしょ。これからもそれは変わらないし」
さらりと告げた彼女に、銀の表情がますます険しくなっていく。その顔を見るだけで恐ろしいのに、流唯さんは平然としていた。
「エマちゃん。ボヤ騒ぎのことはもういいから。部屋に戻って休んで」
不機嫌な銀なんておかまいなしで、彼女はエマに笑顔を見せる。
「私は今日だけだから平気だけど、君はこれから一年もここで過ごすんでしょ? 無理してみんなに合わせていたらもたないよ」
「……でも」
銀を怒らせたままっていうのも、怖すぎて嫌なんですが。
ちらりと視線を動かしたエマに気づき、流唯さんは笑った。
「彼が怒ってるのは君にじゃなくて私だよ。そうでしょ? 銀」
って、そんな軽い口調で本人に尋ねて大丈夫でしょうか。
逆撫でしてるんじゃないかとはらはらするエマに、銀の視線が向けられる。ぎろりって。
やっぱ怖いよー!
思いっきり睨んでんじゃん! 怒ってるじゃん!
だけどその表情のまま、彼はぶっきらぼうに頷いた。
「流唯の言う通りだ。お前には関係ねえ」
……そうですか。それは本当に良かったです。
でも安心して胸を撫で下ろすと同時に、今度は流唯さんのことが心配です。
「本当に……大丈夫ですか?」
おそるおそる聞いたエマに、彼女はにっこり微笑んだ。
「大丈夫だよ。ありがとね」
◇◇◇
翌朝。
「……眠れないぃ」
愛しのミリ様とジセル手製のベッドに寝転がり、エマは天井を仰いでいた。
昨夜、流唯さんの気遣いで部屋に戻れたのは良かったけど、結局彼女のことが気になって眠れなかったのだ。あの超不機嫌な銀のところに、彼女を残してきて本当に大丈夫だったのか。
もしかして、暴力を振るわれたりしてないかな。
だって相手はあの銀だ。しかも真昼間から酒を飲んで酔ってたし。考えれば考えるほど嫌な予感が膨らんで、悶々としているうちに気づいたら朝になっていた。
「顔でも洗ってこよ」
しょぼつく目をさっぱりしたくて、早々にベッドから起き上がって自室を出た。ジュリとセスのスペースを見ると、二人の姿はない。きっと食堂で寝てるんだろう。
部屋を出てぼんやりと通路を歩き、甲板に続くドアを開ける。
「おはよう」
「え?」
不意に声をかけられて、振り向いたら流唯さんがいた。
「お、おはようございます」
彼女は一人で舷側に寄りかかり、脱力した様子でタバコを吸っていた。
「あの……、昨日は大丈夫でしたか?」
早速気になっていたことを尋ねると、流唯さんはきょとんを目を丸くする。
「昨日?」
「あのあと……、銀はかなり怒ってたみたいだったから」
「ああ。あのあとね」
話を理解した彼女は、穏やかに笑ってエマを見た。
「大丈夫だよ。心配かけてごめんね」
そう言われると、何だか嘘っぽく感じるんですが。
「本当だって。どこも殴られた痕なんてないでしょ?」
確かに、流唯さんの顔は今日も綺麗だ。というか、私だったらこの顔は殴れない。そう考えたら、彼女に惚れている銀なら尚さら殴るなんてできないか。
考え至って、やっと安心したエマの頭に、新たな疑問が湧いてきた。
「それにしても早起きですね」
夜が明けたばかりで、外はまだ薄暗い。
昨夜、エマが出て行ったあと、彼女もすぐに寝たとしても、この時間に起きるのは早起きだ。
「寝てないからね」
マジですか。
「やっぱり銀に……」
怒られてたんじゃないかと心配したら、彼女は困ったように笑った。
「ほかのクルーに連れ戻されて相手をしてたんだよ」
その割に、顔は昨日と同じすっきりしていて、早朝の流唯さんも綺麗だ。
対するエマはというと、すっぴんで眉毛は薄いし瞼がむくんでひどい顔だ。正直、見られたもんじゃないと自覚している。……って。
すっぴんだった!
「ぎゃー! 見ないでくださーい!」
慌てて顔をタオルで隠し、彼女の前を走って過ぎた。船から降りて川の水で顔を洗い、寝癖も直して再び戻る。船室に入る時も、彼女に見られないよう顔を隠して歩いた。
「どうかしたの?」
「わ、私の顔を見ないでください」
「顔?」
「すっぴんなんです! 見ないでぇー!」
叫びながらダッシュで走り去ったエマを見て、彼女は不思議そうに首を傾げた。
「すっぴんも可愛いのに」
つぶやきは、エマの耳まで届かなかった。




