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Sinner E  作者: 藤 子
【海賊編】
13/47

7.風野祭り

 今年も、風野祭りは熱かった。

 通りは見渡す限りの人、人、人。

 あちこちで威勢のいい掛け声が飛び交い、テンポのいい音楽が耳に入る。

 恋人同士が腕を組んで花火に見惚れ、子供たちがおやつやおもちゃを抱えて嬉しそうに走っていく。

 なのに今日もまた、エマだけはどんよりとした雨雲を背負っていた。むしろ昨日よりも重々しさが増している。理由は簡単、自分の両脇にジュリとセスがいるからである。


「すげえ人だなー」


 眉間に皺を寄せつつも、セスの表情は生き生きとしている。目つきも、いつも以上にギラギラして見えるのは気のせいではないと思う。

 ちらりと逆隣を盗み見ると、ジュリは相変わらずの据わった目つきで、ズボンのポケットに両手を突っ込んでだるそうに歩いている。

 一見、対照的な二人だけど、あることに関しては共通している。


 ガラ悪すぎでしょ!


 うちら芸人でも何でもないのに、周囲の視線を集めすぎだよ。でも強面のお兄さん二人の間でいたいけな町娘が震えていたら、そりゃあみんな誤解するよね。心配するよね。いっそ役人を呼んでください。


「祭りなんて久しぶりだぜ。いいねー、この賑やかな感じ」


 ひっきりなしに打ち上げられる花火の音に、セスは心地良さそうに目を閉じた。今のうちに逃亡したい。あ、無理だ。ジュリもいる。


 うえーん! ミリぃー!


 心の中でどんなに助けを求めても、王子の耳には届かない。

 彼は今ごろ、エマたちとは別の場所でこの祭りを楽しんでいるのだ。


「風野祭りは毎年家族と過ごすんだ」


 小一時間前、ミリに言われた言葉が蘇る。「一緒に行かない?」と軽い感じで誘ってみたら、同じく軽い感じで断られてしまったのだ。でもまあ、それくらいは許容範囲だ。ミリってば家族思いなのねぇと微笑ましく思うくらいで、大して気にすることもない。

 そう。問題はそのあとだ。

 たまたま船長さんが近くにいたために、エマの命運が尽きた。


「お嬢が祭りに行きたいって言ってるぞ。こんなときのための用心棒だろ? 一緒に行ってやれよ」


 って、船長がジュリとセスに。ジュリとセスに言ったのだ!

 おかげで、エマは今かつてない恐怖体験を満喫している。両脇に怖いお兄さんを引きつれて、優越感なんて味わえない。


 とりあえず、ご飯を食べたら船に戻ろう。


 今日明日と、祭りの間はコックが不在になるらしい。

 教えてくれたミリ曰く、「俺だって祭りに行きたいんだ。文句あるかこの野郎」という当人の主張があったらしい。確かに、コックだって人の子だ。みんなが心を弾ませて遊びに行くのに、自分だけ船で留守番なんて嫌だろう。あ、ってことは明日のご飯も買って帰った方がいいわね。


 だけど……。


 ちらりと右を見て、それからちらりと左を見て、静かにこっそり息をつく。

 話しづらい。声かけづらい。超絶に気まずい。どうしよう。


「なあ、エマ」

「きゃあっ!」


 びっくりしたぁ。びっくりしたよセスさん!

 なんでいきなり人の肩に腕を回すんですか!


「そんなに驚かなくても」

「ご、ごめん……」


 顔が近いです。無機質なガラスのおめめがめちゃくちゃ怖いよ。


「腹減らね? なんか食おうぜ」

「あ、うん……」

「お前ここに住んでたんだろ? どこかいい店知らねえか?」


 そう言われても、うちら好みが合わないんじゃないかなぁ。

 どう考えても、エマが勧めた店をセスが気に入ってくれるとは思えない。


「セスは……、何か食べたいものある?」

「肉」


 お似合いです。イメージ通りだ。見るからに肉食って感じだよね。


「じゃあ……、ジュリは?」


 一応彼にも聞いた方がいいと思ったけど、


「別に何でも。出されりゃ食うよ」


 聞かなくても良かったかも。


「でも……」

「え? 何?」

「酒飲めるところがいいね」


 さいですか。

 肉と酒がある店と言えば、……居酒屋ですね。


 ――と、彼らに合わせたのが失敗だった。


 選んだ店は、大通りに面したごく普通の居酒屋だった。お洒落というよりは庶民的な大衆居酒屋で、若い女の子も友だち同士で気軽に入れるような店である。かく言うエマも、女友だちと何度か飲みに来たことがある。以前から知っていた店だから、ここなら大丈夫だと思ったのだが。


「だから、そうじゃねえって言ってんだろ!」


 よりによって、別の客が店員に絡んでいた。


「伝票がダブってるって言ってんだろうが! こんな計算もできねえのかよ」


 店に入った途端、怒号が耳に飛び込んで足が止まる。


 うわー、タイミング悪ぅ。


「や、やっぱり別の店にしよっか」


 くるりと振り返り、笑顔を引きつらせたエマにジュリたちは首を傾げた。


「なんで?」


 なんでって、見れば分かるでしょうが。

 この店トラブルってるのよ? 関わりたくないじゃん。


「早く奥のテーブル行こうぜ。ここじゃあうるさくて声が聞こえねえ」


 ぎゃー! セスさん! なんてことを!

 本人の真横で言う台詞じゃないですって!


「なんだ? お前」


 ほらほら! 案の定気づいた人たちが絡んできたし!


「喧嘩売ってんのか?」


 売ってない! 売ってないです!

 声を大にして伝えたいのに、険悪な空気に呑まれて声が出ない。

 チンピラのお兄さん、セスに顔を近づけすぎです。彼にチューでもする気でしょうか。


「店員脅していきがってんじゃねえよ。ほかの客に迷惑なんだよ」


 セスさん。無表情で喧嘩買わないで。キレてるお兄さんにそんなこと言ったら……、


「んだと⁉ やんのかこら!」


 そうなるよね。当然だよね。

 助けを求めてジュリを見れば、彼は彼でチンピラのお友だちと至近距離で睨み合い。こちらも一触即発ムードだ。


「あんちゃん。女連れだからって格好つけてんじゃねえぞ?」


 あぁ……。もう喧嘩は避けられない。エマさん絶体絶命ね……。



「ちょっと」



 すっかり諦めモードに入ったとき、不機嫌そうな誰かの声が張りつめていた空気を遮断した。

 とっさに声がした方を振り向いて、エマはそれまでとは違う意味でたじろいだ。


 う、わぁ……。


 すらりと伸びた長い手足。卵のように形のいい小顔。細いけどガリガリとは違う、引き締まった体つき。ほんのりと赤みがかった白い肌に、意思の強そうなきりっとした眉。長い睫毛に縁どられた瞳は色素の薄い黄土色で、光が当たると金色にも見えた。透き通るような金髪のボブヘアーがとてもよく似合っている。

 今まで見たことがないような極上の美女がそこにいた。目を据わらせて睨んでいたお兄さん方も、「あぁ?」って振り向いた途端に目を丸くした。


「邪魔なんだけど。どいてくれない?」


 遠慮のない彼女の言葉に、思わず彼らも道を開ける。人形のような金髪美女は、今まさに喧嘩をしようとしていたチンピラたちにもまったく動じず、水を差したことすら気にしてなかった。小気味いい足音を立てて歩く姿は、凛々しくて精悍にも見える。


「おじさん。会計してくれる?」


 カウンターの奥で怯えていた店員は、彼女の声に弾かれたように飛び上がった。

 そこに、遅れて一人の男がやってくる。


「こら。勝手に会計するんじゃない」


 叱る言葉とは逆に笑顔で現れた男もまた、思わず後ずさってしまうような美形だった。彼女と同じ白っぽい金髪で、どことなく顔つきが似ている。兄弟かな?


「だって、おごるって言っても断るだろうし」


 澄ました様子から一転して、照れ臭そうにはにかんだ彼女に、男は眉尻を下げて苦笑した。


「たまの食事くらい、払わせてくれよ」

「今回は特別だから」


 周りも気にせず、二人は和やかに話しながら店の外へと出ていく。それを呆然と見送ったエマたちだったが、ふと彼女が振り返って口を開いた。


「退屈してるならついてきな」


 お姉様ーっ……!


 ヤバい。彼女の流し目を見て、ついエマまで頷きそうになってしまった。

 当然、チンピラ君たちは鼻の下を伸ばして店を出ていく。続いてセスまで行こうとしたけど、ジュリがそれを引き止めた。

 意外だ。ジュリも一緒に行っちゃうかと思ったのに。実は結構誠実なのね。ちょっと見直し……


「早く、酒」


 それが理由か!




 ◇◇◇




 祭りの二日目。

 エマは昨日の教訓を生かし、一人で街に繰り出した。


「友だちにお別れの挨拶をしに、え? 用心棒? 大丈夫! 顔馴染みに会うだけだし! 終わったらすぐに戻るし! 今まで住んでた場所だから、そんなに過保護にならなくて大丈夫だよ!」


 と言って、強引にジュリとセスを説き伏せて、我先に船から逃げ出した。

 ほかのクルーたちは、ほとんどが昨日から帰っていない。今もどこかで飲んでいるか、酔い潰れているかのどちらかだろう。船長もどこかへ行ったらしく、今度は用心棒を連れていけと言い出す人もいなかった。やっほい!

 華やかな街並みを一人でのんびり散策し、大いに買い物を楽しんで、おいしいスイーツもたらふく食べて、自分への手土産を山のように買い込んだ。夕方船に戻るとジュリもセスもいなかったが、どうせ彼らも遊びに行ったんだろう。ゲットしたアイテムを彼らのスペース一面に並べ、お高いワインを飲みながらじっくり品定めを楽しんだ。

 ほろ酔い気分になったころにはちょうど花火の音も聞こえてきて、いい気持ちでそのまま深い眠りに落ちた。


 おかげで翌朝の目覚めは最高だ!

 ぐっすり眠れて日頃の疲れもすっかりとれ、心身ともに清々しい。


 この調子なら、うまくいきそう。


 昨日買った青いワンピースに袖を通し、エマは出入り口のカーテンを押しのけた。広いスペースでは、ジュリとセスが死んだように眠っている。いつ帰ってきたのか知らないが、きっと夜中か朝方だろう。

 彼らを起こさないようそそくさと歩き、外に出て川の水で顔を洗った。先日、キャルから倉庫の入口にある水樽は自由に使えることを教えてもらったけど、ここに停泊している間は極力川を使うべきと判断した。節水は大事だ。

 ほかのクルーたちもまだ寝ているらしく、甲板に出ている人は一人もいない。今のうちにさっさと部屋に戻ると、化粧を済ませて鏡で全身をチェックした。


「よし」


 可愛い町娘の出来上がりだ。これでもう誰に会っても大丈夫!

 壁掛け時計に目をやると、あと五分で八時になる。いい具合に空腹感も感じてきたが、今日の朝食はいつもより遅い時間になるだろう。祭りを楽しんだ翌日に、早起きするクルーなんてきっといない。コックもその一人と考えると、朝食自体がない可能性も考えられる。


「昨日買ったサンドイッチは全部食べちゃったしなぁ」


 買い物袋を物色したが、朝食になるようなものはなかった。


「パンかフルーツでももらってこよ」


 食堂に行けば、きっと何かしらあるはずだ。

 食事はなくても、作り置きの何かがあるかもしれない。

 軽い足取りで下甲板に下り、寝ているクルーたちを起こさないよう、薄暗い通路を静かに通る。


 腹が減っては戦は出来ぬって言うものね。

 『あの人』に会う前に腹ごしらえしよ。


 考えながら、食堂のドアを開けて足が止まった。


「おはよー。エマっち」


 目の前の大きな長テーブルで、キャルがこっちを向いてひらひらと手を振っている。彼の向かいでは、准がパンをちぎってスープに浸し、さらにその隣では、船医の源じいがまったりコーヒーをすすっている。そしてさらにその奥では、銀が無言でオレンジを貪っていた。


「どうしたの? 座ったらぁ?」


 いつもの間延びした声でキャルに言われ、戸惑いつつも彼の隣に腰を下ろす。


「みんな……、早いね」


 てっきり、起きているのは自分だけだと思ったのに。


「乱れた生活はお肌の敵だからね」


 そう言われて、彼の早起きの理由に納得した。でも、ほかの人は?

 視線を動かすと、気づいた准が大きなハムを取りながら口を開いた。


「俺は昨日の帰りが早かったから、自然と目が覚めたんだよ」


 なるほど。早くに帰ってきた人もいたんだね。

 頷いていると、隣の源じいがしわを深めて笑った。


「俺は遅くに帰っても早起きだぜ」

「年だからだろ」


 すかさず准にツッコまれ、その場に小さく笑いが起きた。すると、ガタンと音を立てて銀が立った。彼は自分の取り皿をコックがいるカウンターへと持っていき、そのまま無言で食堂から出て行った。一見、不機嫌そうに見えるけど、キャルたちがそれを気にする様子はない。


 ということは、あれが普段の銀なんだよね。


 今のも、「うるせえな。おちおち飯も食えねえ」って怒って席を立ったようにも見えたけど、ただ食事が終わったから出て行っただけなのだ。


 大丈夫。


 出鼻をくじかれそうになった自分を励まして、エマは早めに朝食をとった。

 一度部屋に戻り、両手で紙袋を抱えてまた部屋を出る。


 『あの人』が起きているなら話は早い。今のうちに渡しちゃおう。


 階段を下りて下甲板に入り、記憶を辿りながらある部屋へ向かった。


「確か、ここだったよね」


 辿り着いたもののしばらく右往左往して、どうしようかたっぷり迷ったあと、意を決してノックした。

 中から返事はなく、ドアが開いて銀がぬぅっと顔を出す。エマを見下ろす目つきは相変わらず冷たくて、威圧感に潰されそう。

 誤解が解けたあとでも、やっぱりこの人は怖い。


「あの……、これ」


 怯えながら、エマは持ってきた紙袋を差し出した。

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