右手
史郎は、ベッドの上でまたゆっくりと目を開けた。
あたりは暗い。史郎は思った、前にもここで目を覚ましたが、その時もたしか夜だったはずだと。今目の前にある夜は、そのときと同じ夜なのだろうか。それとも数十時間を経た夜なのだろうか。
いや、そもそも前にここで目を覚ましたという記憶は正しいのだろうか。あの時はたしか奇妙な奴の姿が……。
史郎はそう考えながら目を開き部屋を見わたそうとしたのだが、そこで異変に気付いた。
目がほとんど見えないのだ。光がまったく認識できないというほどではないのだが、史郎の目はそのの前に分厚いすりガラスが置かれたかのように不明瞭な映像しか認識できなくなっていた。自分の手らしきものは何とか認識できるが、手でなにかを掴んだとしても、それがどのようなものかは目の情報では判別できないレベルになっていた。
(光も失いつつあるのか……死ぬのかな……)
史郎がそう思った瞬間のことである。
「あなた、私が見えていないの?」
そういう声が聞こえてきた。聞き覚えのある少女の声で。
史郎はすぐに思い出した。自分に死の宣告をした少女だ。
「あーあ。久しぶりに私のことを認識できる人間に会えたのに、もう虫の息っていうのは残念ね……。頑張って口元ぐらい動かせない?」
そう挑発されたのが効いたのか、史郎はなんとか口を動かそうとする。
「お、頑張れ頑張れ」
「し…に…がみ」
喉が乾燥していてガラガラな声になってしまったが、史郎ははっきりと発声した。
「死神!? あはは……」少女は乾いた笑い声を出す。「違うわ。別にあなたをお迎えにきたわけじゃない。死にかけた者だけが私の姿を見ることができるわけだから、世の中には私を死神だと思う人もいるけど」
「ゆう……れい?」
「幽霊……? 違うわよ、人聞きの悪い! 私はヨーロッパでいう精霊とか妖精のような存在。強い思念があったせいで、死んでも精霊界に行かず現生に留まった者よ」
それこそ幽霊じゃないか、と史郎は思ったがそれは口には出さなかった。
「死……ぬ……の?」
「残念だけど」少女は表情を曇らせた。「私を見ることができたということは、時間の問題ということよ」
「ぼく……は……」
「……?」
「死に……た……く……ない」
「無理よ。人は大きな運命の流れには抗えない……それに」少女はそう言って、ネギの右手をちらりと見た。「今ここで生き残ったって、あなたが幸せな人生を送れるとはかぎらない。人生というのはいつも死というバッドエンドで終幕を迎えるもの。人は歳をとれば衰えていく。死ぬのが遅くなるほど味わう苦痛も多くなるのよ」
「で……で……も……」
史郎の目には涙が浮かんでいた。
「あなたはまだ気づいていないでしょ、自分の身体の状態に」
「え……」
「あなたの右手、切断されているのよ」
「う……うそ……」
史郎はそう言って自分の右手に視線をやろうとしたが、さっきからの視界不良でどこが右手かさえもわからなかった。
そして右手に力を入れようとしたが、力を入れる以前に感覚が全くなかった。
「右手の途中から先の感覚が全然ないでしょ? それは薬が効いているからとかじゃないわ。潰れて使い物にならない右手を切断したからよ」
史郎は、震えていた。
ぼやけっぱなしの視界の中に、溢れた涙が増えていくことだけは認識することができた。
「それともう一つ、あなたが生きていく意味がなくなったことを教えてあげる。……あなた、何故ここに横たわっているのか覚えている?」
史郎は少し考えてから、こう言った。
「……がっこうに……い……こう……と」
「そうよ。そこでなにが起きたのかしら?」
少女の冷たい声が、史郎の記憶を呼び覚ました。






